第262話
「やっぱり、そういう事なのかしら。ワインドが……」
不愉快そうに眉をひそめるマール。太朗は「むぅ」とひとつ唸ると、いま一度資料の地図を眺めみた。
地図にはエデン、ないしは地球が存在する確率を表した青い濃淡と、そこに至るまでの予想ルートを表す赤い濃淡とが描かれている。銀河奥の辺縁地帯のいくつかが濃い青で描かれ、現在地であるニュークからそこまで、いくつもの支流を持った赤い川が流れている。
辺縁地帯については未到達地域――初期の銀河帝国は別だろうが――であるため、良くはわからない。しかし3次元的に展開する川の流れについては、確かにワインドの発生頻度と比例しているように見えた。
「現状でそうと決めるのは、まだ早いとは思うよ。彼らもドライブ粒子を利用して活動している以上、いくらかは比例した分布になるものだしね…………まぁ、今回のこれはちょっと、いや、その、かなり、多いみたいだが」
くせの強い髪をかきつつ、博士が切れの悪い口調でもごもごと終える。太朗は気休めにもならなそうなその内容を把握すると、「小梅」と机の上の球体に顔を向けた。
「帰ったら、念のため青の分布図と採掘可能資源とを照らし合わせて、相関関係があるかどうか調べてみてくんねぇかな。あんま期待はできねぇだろうけど」
いくらワインドといえども物理学の法則からは逃げられず、そうであれば自己を増やすために資源を必要とするはずだった。それらは性質の悪いサルベージャーのように船舶を飲み込んで利用するものもいるが、しかし彼らの持つ工場で生産されるものがいる事もわかっている。
事実、そういった施設を太郎達は複数見つけている。アルジモフ博士を救出した頃や、ニュークへの道を切り開いた際。マールを救った際などだ。
「承知しました、ミスター・テイロー。ニューラルネットに接続次第、すぐにでも」
小梅の明滅に、太朗はひとつ頷く。次いで彼は今後の調査方針を頭の中に描き始め、そしてすぐにうんざりとした。まずは面倒だが議会に働きかけを行い、予算や資源のいくらかをそちらへまわしてもらうよう説得する必要があるからだ。見返りのあまり期待できない行動を、議会は嫌う。
「EAPの領域圏にも被っているな。さすがに伝えておいた方がいいんじゃないか? エニグマの拡散で、今は奥へ奥への大合唱だぞ。変につついたらどうなるかわからん。それと、気になる事もある」
真面目な顔をしたアランが、無精ひげをいじりながら言った。額についた肉の字が場にそぐわなかったが、指摘する者はいなかった。
「当時は必死だったしそういうものだと納得していたが、ダンデリオン部隊にあれだけの被害が出たのは、冷静に考えると納得のいかない所がある。戦後の採点で誤差の範囲と落ち着いたが、本当にそうか? 連中、元エンツィオ特務部隊のエリートだぞ?」
アランの指摘に、その話の意図するところを考える太朗。採点には太朗も同席したし、何か大きな問題があった記憶はない。
しかし、電子戦機部隊の運用はまだ日が浅く、採点基準自体が手探りの部分も多いという事実もあった。さらに、相手は大小いりまじった数万のワインドであり、これまた経験がない。なんとかなったのは結果論でもあり、つまりそれは――
「うげぇ、まじか。エニグマがきかねぇ奴らがいたかもってことか?」
思いついたそれに、苦い声をもらす太朗。横からはマールの同じような声が聞こえてくる。
「効かなかったのか、それとも効果が薄かっただけなのか。もしくは俺の勘違いという事もありえる。勘みたいなところもあるしな。だが調べてみる価値はあると思うぜ、大将」
ダンデリオン部隊は現在アランが管轄しており、その死を無駄にしたくないという気持ちがあるのだろう。いつもの飄々とした態度は感じられず、目は真剣だった。
「わかった。俺も手伝うから、洗い出ししてみよう。EAPは今弱くなってもらっちゃ困るから、こっちも警告を送る方向で。ロハで渡すのはあれなんで、リンと何か交渉してみっか」
今もメールのやりとり等で交友のあるリトルトーキョーのリンだが、立場的にはライバル関係にあるといっても良い。
あえて無報酬で貸しを作るという手もなくはないが、貸し借りという点では先の大戦でかなりの貸しをつくってある。これ以上変に圧力を感じてしまえばEAP議会によるリンへの反発に繋がるし、ライジングサンにおいてもまた同様だ。程々に対等にあるのが望ましい。
そして何より、すぐ傍にはホワイトディンゴもいるのだ。今の所落ち着いてはいるが、それは単に機会がないというだけに過ぎないだろう。いつ牙をむいてもおかしくはない。
「そうね。タダは駄目よ、タダは。まとめると、今後の方針はワインドの様子を良く観察しながら奥を目指す、でいいのかしら。場合によってはエニグマの新作も注力が必要ね。他にも――」
マールが会議での情報を集約しはじめ、一同はそれに頷きつつ、時に細かい修正を加える発言をしていく。やがてしばらくをそうすると、ひとまずの結論を出し、忙しくもその日は引き上げとなった。
のんびりしたい気持ちはあったが、仕事は待ってはくれないのだ。
「そんじゃ博士、引き続きよろしくお願いしまっす。連絡くれればまたすぐ飛んで来るんで、遠慮なく言って下さいね」
うんうんと頷く博士に別れを言い、会議室を後にする。後から小梅を抱えたマールが続き、その後ろにはアランが。
「ところでアラン」
部屋を出たところで、マールが振り向いて言った。それに「んん?」と片眉を上げるアラン。
「真面目な会議でそういう馬鹿みたいな真似をするのは感心しないわ。今度からはやめてよね。減給するわよ」
マールは不機嫌そうにそう言うと、鼻息荒く向き直り、てくてくと帰り道を歩いていく。驚いた様子で足を止めたアランは、「なんだ?」と怪訝そうにしていた。
「ミスター・アラン。小梅もまた幻滅しましたと言わざるを得ません。貴方はTPOを弁えるお方だと思っていたのですが、残念です」
小梅の声が廊下に響く。いよいよ混乱した様子のアランは、「おいおい、なんだってんだ!」と声を上げた。
「まぁ、きっと場を和ませようとしたのだろうが、あまり効果的ではなかったようだね。これきりにすると良いだろう」
アルジモフ博士が部屋から現れ、アランの肩をぽんと優しく叩き、そして太朗らとは別の方向へと歩み去っていく。
「博士、ちょっ、くそっ! 何でこんなに俺が…………ん?」
額の電子シートに気づいたらしいアランが、引っぺがしたそれをじっと見つめる。そしてつと視線を上げると、太朗と目があった。
太朗は全力で走り出した。
アランも全力で走り出した。
追いかけっこは、しばらく続いた。
惑星ニュークでの会議からしばらくの間、銀河は平和だった。
ギガンテック社が販売するエニグマが近年稀にみる同社のヒット商品となり、銀河中にこれが席巻したのが理由だった。
マーセナリーズとの最終決戦で実演されたその効果は人々が信じるに十分な宣伝となり、そしてさらに追い打ちをかけるかのように帝国海軍の一部がその採用を正式に発表したため、十分な規模の工場を稼働させているにも関わらず、あらゆる場所で品切れが続出するほどになった。
「定価の15倍だぁ? 構わん、買え! 手に入る分はすべて買え!」
「とりあえず積んどきゃいいんだよ! ギガンテックの保証だぞ!」
「もう、物売るってレベルじゃねーぞ、オイ!」
銀河の危険な領域で行動する者たちの間で、エニグマの需要は天井知らずで上っていった。初期の段階でその有用性を確信できた賢い者は、余剰分を転売に回してひと財産を築く者などもいた。
もちろん装置自体は元々それなりの値段がつけられていたし、何倍もに跳ね上がった価格は数字だけをみれば躊躇してしまうような額だったが、しかし保険に比べれば安く、何より船そのものに比べればずっと安上がりなのは間違いなかった。
そしてそれゆえに、今までワインドにより制限されていた行動限界点が大きく広がる事となり、各企業は中央で争うよりも外へ外へと進出する方が大きなチャンスとなるのではと、そう考えるようになっていった。
「おかえりなさい、社長。さっそく仕事が山積みですよ」
太朗はローマ星系で実務を切り盛りするクラーク本部長にそう出迎えられると、彼が必要以上ににこにこしている時はいつでもそうなるように、大量のタスクが詰まったチップを手渡される事となった。
「え、これの合間に調査活動とかすんの? これテイローちゃん死んじゃわない?」
太朗は自らの持つマルチタスクの能力が単純作業にしか向かない事を恨みつつ黙々と処理をこなし、古い例えは書類の束を片付け、どうにかこうにか会社を動かしていった。
しかしクラーク本部長が言うには、これでも予想よりもずっとマシな状態らしい。肥大化する会社の規模と活動域はそろそろ限界に近づいてきており、それでも何とかなっているのは、主に2つの要因からのようだった。
1つは新たに加入したソド提督の存在。長い間ベラひとりに負担がいっていた艦隊業務も、これでようやく分担する事ができるようになっている。
そしてもうひとつは、旧ジョニー&バージン社の社長であり、現RSの株主のひとりジョニー・ウェルズが、デルタ星系方面の仕事全般を取り持ってくれたからだった。
ソドもウェルズも大きな企業での勤務経験が長く、クラーク含めライジングサンの首脳陣は大いに助けられた。
もちろんだからといって忙しさが消えてなくなるわけでもなく、太朗達はひたすらに自分達のため、そして社員の為に働き、そして時にはワインドの群れと戦ったりなどもしていた。
「多すぎ。無理。多すぎ。無理無理」
戦いがどういった形でいつまで続くか不明な以上、犠牲を覚悟の戦いはできない。よってワインドとの戦いは大抵の場合が小競り合い程度の規模のもので、多くの死者が出るような争いは起きなかった。
損害比は数十から数百対1という圧倒的優勢だが、数の暴力が止むこともまたないのだ。調査をするには十分である以上、それでも続ける必要があったが、しかし納得できないこともあった。
「他の星系は新しい開拓地へ行け行けどんどんなわけでしょ? ずるくない? なんか私たちだけえらく苦労してる気がする!!」
マールがそう憤りを叫んだのは、何十回目かになる攻防戦の後だったろうか。艦橋にいる誰もが同じ気持ちだったので、太朗は首が疲れるまで何度も頷いていた。
しかしそれでも戦いは続き、社会はまわり、帝国は生き続けていた。
少なくとも、いまこの時においては。
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ここであらためて謝意をば m(_ _)m




