第261話
「人類の次、か。結構な話ではあるね」
銀河帝国における最高権力者のひとり、ラインハルト元帥の低い声が大理石のフロアに響く。
がらんとしてはいるが、それはつまらない空虚な部屋などではなく、ただただ訪問者を威圧し、その部屋の主が誰であるかを確実に知らしめるための、圧倒的な空気感を持たせた、そんな広々とした謁見室だった。
部屋の中央に置かれた椅子と、あくまでその椅子に座るものをひきたてるためだけに存在する、豪奢な木製のオブジェ。あとはただ空間が広がっており、それは権力者のみに許されたスペースの使い方だった。ステーションにおける空間とは、貴重な資源に他ならない。
「しかし、看過するわけにもいきません」
椅子に座る元帥の正面ではなく、その脇で侍るようにして立つディーン。それは見る者が見ればふたりの関係性がひと目でわかる、そういった立ち位置だった。
「もちろんそうだとも。だが、どの程度かね?」
足を組み、頬杖をついた元帥が、ディーンの方へとちらりと視線を向けてくる。元帥のお気に入りである将軍は、「そうですね」と少しばかり考えた。
「現状を据え置くのであれば、可能性はほとんどないと思われます。しかしそうはならないでしょう」
言葉足らずのまま、元帥に返す。いくらか失礼にあたるそれだが、元帥はにやりとした笑みを浮かべただけだった。
「まぁ、ならんだろうな。連中の動きは?」
「表立ったものはありません。相当慎重に行動していますね。しかしこれだけ大きな組織では、隠し通せるものでもありません。資源消費の申告にいくらか不自然な点が」
「ふむ。触っていないだろうね」
「もちろんです、閣下。泳がせてあります」
「よろしい。しかし、これが焦る局面かね。まだ連中を支持する層も多い。何を考えているのやら」
元帥はあきれたように首を振ると、はぁとため息をついた。ディーンは何か答えるべきかと考えをめぐらしたが、しかし曖昧に頷くにとどめた。
元帥が連中と称した相手、すなわちラインハルト派のライバルたるコーネリアス派だが、確かにここ近々を考えるだけであれば、いくらか失点を犯しているのは間違いなかった。大きな点はふたつ。
ひとつは、レイザーメタル精製の独占崩壊。50マテリアルズがコーネリアス派の主だった支援組織群であったがゆえ、その影響は大きい。
ふたつ目は、マーセナリーズが政府懲罰対象となった事による、アルファ方面宙域再進出の頓挫。これも軍が珍しくやる気になっていた作戦だったため、その中止による士気の低下は避けられない。
しかし、これらが軍の大派閥に動揺を走らせる程かというと、そこには大きな疑問符が浮かぶ。
事件は大きい。影響も大きい。しかし、それを上回る程に巨大な組織であるのが、まさに帝国軍である。派閥のパワーバランスはいくらかラインハルト派に傾いたが、だからといって派閥の崩壊という危険を冒すような賭けをする必要があるとは、少なくともディーンには思えなかった。
「まだ何か……」
ぼそりとひと言。それに「あるだろうね」と元帥。ふたりは顔を見合わせると、小さく頷きあった。
「では、こちらは引き続き連中の動向を見極めます。情報部の優先事項としましょう」
「ん、よろしく頼むよ。私は他の将軍らにも声をかけておこう。いざという時は密にね」
「承知しました。お任せ下さい」
「うむ。では、今日はこの辺かな」
ラインハルト元帥はそう話を締めると、華美な装飾の入った杖を手に立ち上がった。ディーンはすぐさま優雅に一礼すると、そのままじっと元帥がその場を立ち去っていくのを見送った。
「ああ、そうそう」
まるでたった今何かを思い出したかのように、足を止める元帥。もちろんディーンは額面通りそれを受け取る事はなかったが、「何か?」とこちらもわざとらしく首を傾げてみせた。
「場合によっては、わかってるね?」
人受けのする、優しい笑み。ディーンはその笑みの下に隠された元帥の黒い影を感じ取ると、心の中で少しだけ悪態をついた。もちろんそれは当たり前の事で、顔になど出さない。心の綺麗な人間が軍の上層部に存在していない事など、とうの昔に学んだ事だった。それが元帥ともなればなおさらだ。
「えぇ。もちろんです」
平然としたまま、そう答える。すると元帥は満足そう頷き、そして去っていった。ディーンはやがてひとりになると、肩の力を抜き、大きくため息をついた。
「場合によっては、か。まぁ、当然の考えではあるな」
元帥は何の話だかを語る事はなかったが、それでもディーンにはしっかりと伝わっていた。それくらいの事がわからなくては、銀河帝国で将軍などやってはいられない。
「甘い香りは、あまねく者を魅了するか」
そう呟くと、ディーンは腹案についてを頭の中にめぐらせ始めた。
腹案とはもちろん、機会さえあればこちら陣営に引き込むという事だった。
例の声や、コールマン達を。
「古代の航行ルートが、こんなに正確に…………これ、合ってるんすか? どうやったんです?」
驚愕の表情のまま、太朗がアルジモフ博士へとたずねる。すると博士は嬉しそうな表情を浮かべ、大昔は黒板たる巨大な電子ペーパーボードへと指を走らせ始めた。
「科学者らしく、それはそれは地味で、しかし、堅実な方法だよ。新しい発見を、既存の知識や経験と照らし合わせ、次へ繋げるだけで、とりたて難しい事をしたわけでは、ないね」
博士の指の動きに従い、白い電子の黒板に黒い意味を持った線が踊り始める。それは数式やグラフ、貼り付けられた統計表に写真といった太朗達が端末で確認した資料のそれそのものだったが、しかし説明されながら見るのとそうでないのとでは、全く印象が違っていた。
「若いコールマン、と呼んでは失礼にあたるのかな。ヒントはザイルストラテジックのミスター・ヨアヒムが君に語ったという言葉だね。地球を探せ、エデンはそこにある。うん、我々はそれまで大きな勘違いをしていたわけだが、わかるかね?」
博士が手を止め、ちらりと後ろを振り返る。それに太朗は学校の授業みたいだなとなんだか懐かしい感覚を覚え、自然と笑みがこぼれた。学校の記憶は度重なる記憶のオーバーライドによってかなり曖昧なものとなってしまっていたが、それでも楽しかった事は感覚として憶えていた。
「はい、ミスター・アルジモフ。調査班はニューエデン内の情報等にあったエデンという言葉を、ニューエデンそのものを指す省略語として認識していたようです。しかしそれは誤りであったと考えるべきでしょう」
長机の上でゆらゆらと揺れるAI、小梅が言った。それにアルジモフ博士が「その通り」と頷いた。
「これがもたらすのは小さな認識の変更だけだが、しかし導かれる結果は大きく違ってくるものだよ。新しい定理がひとつ追加されるだけで、世の中はがらりと変わったりするものだ。当然、予想される地球の所在地だってそうだ。さて――」
博士は一度言葉を止めると、ごほんと咳払いをした。
「我々は銀河帝国初期の拡張を逆算する事で、その最初期の地域がアルファ方面宙域の奥地、つまりニューク周辺の領域である事を突き止めたわけだ。そしてその後も調査を続け、これは主に単位あたりのドライブ粒子密度の変化から導きだしたものだね。そう、この資料だ。そして当時の船舶に可能であったろう生存期間やオーバードライブによる空間ジャンプが可能な距離を推測し、おおよそ移動可能だったルートを小さく絞る、これは有名なスティッチンの証明を逆説的に使っているわけだね。それらをレイトレーシングを応用した各種光学的な追跡を行うと――」
段々とヒートアップしてきたらしい博士が、いくらか心配になる勢いで板書を続けていく。彼はとうとう電子ペーパーの空きスペースを使い切ると、これが本当の講義であったならきっと生徒が苦情の声を上げるだろう速度でボードを白で初期化し、そしてまた次の数式を書き始めるのだった。
「随分と余裕の表情ね。理解できてるの?」
太朗の隣に座るマールが、ひそひそとたずねて来る。太朗はもちろんさっぱりわからなかったので「まさか」と返した。
「軍事に関係してねぇトコは5千年も差があんだぞ、自然科学の知識。正直博士が銀河標準語を話してるのかどうかもわかんねぇよ。でも、博士が優秀だって事は知ってる。なら、きっとあの数式だって正しいんだろ」
ぶっきらぼうに、当然だとばかりにそう語る太朗。それにマールは「ふーん」と鼻を鳴らすと、「まぁ、そういう考えも有りね」と納得したようだった。
「ちゃんと起きて聴いてるだけアランよりはマシだしな。俺らには小梅もいるし」
既に机に突っ伏して寝ているアランと、レンズを博士の方へ向けて揺れる小梅を一瞥する太朗。彼はアランの額に透過電子シートをぺたりと貼り付けると、そこに肉という文字――正確にはそういった形をした画像――を浮かび上がらせた。
「――という過程を経て、こちらの証明へと繋がるわけだ。これでドライブ粒子をかき乱す自然の障害、恒星の自然放射やワインドによる利用を包括的に捉える事が可能になり、それによってこれらエリアは確定される事となったわけだ。これでわかったかね?」
額にうっすらと汗を書いた博士が、きらきらとした顔に笑顔を浮かべている。当然太朗は何もわからなかったが、とりあえずすっくと立ち、無言で惜しみない拍手を送った。それを見たマールも、慌てて同じ事をし始める。
「さすがっす。さすが博士っす。まじブラボーっす。銀河広しとはいえ、そこまでの結論に達したのは博士くらいのもんじゃないっすかね。ベラさんも孫として鼻が高いと思いますぜ。いや、まじで」
日ごろの会社運営で培ったよいしょの技術を活用し、博士を褒め称える太朗。それに博士は「いやいや」手を振って見せてきたが、顔を見るにまんざらでもない様子だった。
「いやはや、少し急ぎすぎてしまったがね。まぁ、そういった訳なんだ。しかし、これによりちょっと困った事になったのもまた、事実なんだ。この予想ルートの分布図に、見覚えはないかね?」
ボードに拡大される、周辺星系の宙域地図。太朗は乗り出すようにそれをじっと見つめると、しばらくをそうしていた。
「粒子濃度、じゃないな…………恒星放射、でもない……デブリ帯とも違うし…………」
ぶつぶつと、目を細めながら考える太朗。しかし答えは別の人物から来た。
「ワインドの、発生分布図だ」
背後からの声。太朗は振り向くと、いつの間にか起きていた、額に肉の字をつけた男の顔を見た。
「ダンデリオン部隊を引き連れてワインドをかき集めた際に、かなり詳しいのを作る事になったからな。生き死にかかってたんだ。忘れようがないぜ」
マーセナリーズへのとどめの一撃を加えた際の事を思い出したのだろう、難しい顔をした肉の字アラン。それにアルジモフ博士が神妙な顔でゆっくりと頷くと、一同はどういう事だと顔を見合わせるのだった。




