第260話
「うーん、相変わらずの景色。なんとかなんねぇのかなこれ」
10メートル四方ほどの狭い室内。太朗は分厚い強化ガラスの向こうに透けて見える砂嵐を眺めながら、そうこぼした。
「そいつは時間の問題だと思うぜ、大将。そんなんでも前に比べりゃあいくらかは弱くなってるっつー話だ。ほんの数パーセントだがな」
暇そうに手元の端末をいじるアランが、シートの上でくつろぎながら言った。ここは以前のような惑星降下艇の中ではなく、ただロープにぶらさがるだけの箱の中だった。当然操縦席など存在せず、運転手も必要なかった。
「ほえぇ。数パーセントったって、砂嵐のエネルギーってとんでもないんだろ? 何をどうしてんだ。風ってなんとかできるもんなん?」
現在惑星ニュークは帝国惑星開発機構、すなわちテラフォームセンターの協力の下で環境改善が進められており、長い年月をかけてではあるが、いずれは今よりもずっとましな惑星の姿を取り戻す予定となっていた。
「びっくりするくらい原始的な方法よ。たくさんの風力発電所を置いて、運動エネルギーを電気エネルギーに変換してるだけ。温度差を利用した調整とかもしてるみたいだけど、そっちの方は詳しくないからわからないわ」
アランと同じように、シートの上で暇そうにしているマールが、今にもあくびをしそうな表情で言った。彼女の「もうすぐ見えてくるんじゃないかしら」との声に、太朗は伸び上がって窓向こうを覗き込んだ。
「…………いやいや、どんだけ作ってんだ。電力不足?」
地表の方にうっすらと見えてきた、円筒形の建造物。恐らく回転しているのだろう羽は良く見えないが、距離からするとかなりの大きさである事が見てとれる。等間隔に配置されたそれは、少なくとも肉眼で確認できる最も遠方の方にも存在していた。見えているだけでも数百から数千といったところだろうか。ひょっとするともっとかもしれない。
「そんなわけないでしょ。というか、費用対効果としては赤字ね。その点個人的にはどうかと思うけど、しょうがないわ。環境改善の方が優先」
コストパフォーマンス、というよりお金にひと一倍敏感なマールが、いくらかうんざりした表情を浮かべる。
「砂が羽を削っちゃうから、そうならないようにわざわざフィジカルシールドを発生させてるのよ。発電量より、使う方が大きいわ。羽は装甲板を使ってるから使い捨ても検討したんだけど、交換の手間を考えると微妙ね。人件費も馬鹿にならないし」
「なるほどなぁ。なんかもったいねぇ気がすっけど、最終的に熱に変わるんならそれはそれでいいのか。気温クッソ低いしな。んじゃ基本はベースの核融合発電? つーか、他に選択肢がねぇか」
「そうね。こんなでも意外と水分は豊富みたいだし、燃料問題は大丈夫よ。それに、いざって時は宇宙からケーブルを通して送電もできるわ。恒星からの光でも、船での発電でも、お好きな方で。ほら、そろそろ着くわよ」
眼下からせり上がってくる、ラダーベースの構造物。太朗は減速から生じる不快感に身もだえつつ、かつて自分達がそこをワインドの群れから守った際の事を思い返したりなどしていた。
「テイローさん、マールさん、それに小梅さんも。お久しぶりです。元気そうで」
到着した太朗らを迎えてくれたのは、ワイオミング星系の小さなサルベージャーことソフィア。正確に言うと元・サルベージャーとなる彼女は、以前のようなぼろをまとった姿ではなく、また、作業着を着ているわけでもなかった。
「あいあい、テイローちゃんはいつでも元気だぜ。特に美少女に会う時は決まってそうなんよ。もしかしたらこれも才能なのかも」
軽口と共にウィンクを飛ばす太朗。彼は真横のマールから発せられるうんざりしたような視線に晒されながら、来る度に姿を変えるラダーベース内部を皆と共にのんびりと歩き出した。
「財団の方に問題はありませんか? ミス・ソフィア。何か困った事があれば、何でも仰ってもらって構いませんよ」
ソフィアの腕に抱えられた球体の小梅が、ランプを明滅させながらそう言った。
現在この惑星ニュークを支える主たる産業は、小梅を抱えるこの小さな少女の言葉から始まっている。惑星を覆いつくすように存在していた敵の死骸から、それを構成する装甲板をサルベージしてそのまま売ってしまえばどうか、というそれだ。
結果として現在のライジングサングループを支える屋台骨のひとつとなるまでに産業は成長し、それは今後もかなりの期間そうなるだろうと予想されている。
財団というのは、そんなソフィアから生まれた利益をささやかながらも本人に還元した資金によって作られたもので、彼女の名前からソフィア財団と命名――本人はいくらか抵抗したが――されている。
財団の活動内容は貧困者に対する就業、及び教育支援。今太朗達が歩いている場所は、その財団に割り当てられた地表コロニー内の施設だった。
「問題だらけと言えば問題だらけですけれど、皆さんのお力を借りなければならないような事は、たぶん、えっと、ないと思います。その、運営は大人の方達がやってくれてますし、わたしはお飾りみたいなものですから」
本気でそう思っているのだろう、ソフィアはいくらか困ったような、しかし嫌味のない笑みを浮かべた。
「そう謙遜する事はありませんよ、ミス・ソフィア。資本主義社会において、資金を提供する事以上に重要な仕事など、そうそうあるものではありません。それに貴女の場合、お飾りと呼び捨てるには少々輝きが過ぎるというものでしょう」
ソフィアの手の上で、小梅がゆらゆらとそう語る。そしてその少し後ろでは財団の関係者である何人かの者が、うんうんと強い調子で頷いていた。
「ここで選挙をやったら、さすがの大将でも負けそうだな」
通路の壁に貼られている電子ペーパーを見上げながら、アランが楽しそうにそう言った。ペーパーには子供達が描いたのであろう、ソフィアの肖像画が描かれている。廊下向こうまで無数にあるそれは、時折ニュークの管理を任されているNASA代表はオリヴィアの姿があったが、しかし数としては圧倒的にソフィアのものが多いようだった。
「ソフィア代表の事は、我々が全力でサポート致します。どうかご安心下さい!」
財団関係者のひとりが、鼻息荒くそう発する。太朗はその士気の高さに若干引きつつも、「わかってるよ」と苦笑いを浮かべた。
そして歩きはじめてからしばらく。教室棟や託児棟だのといった財団の施設を見てまわった一行は、実習棟と呼ばれる施設で足を止めた。このエリアは事故等の危険性を考え、他の棟とはいくらか離れた場所に存在していた。
「おうおう、ひよっ子どもが格闘してるな。早いトコものにして頑張ってくれよ」
ガラス向こうに見える景色を眺めつつ、太朗が聞こえていないだろう相手に向けて冷やかしをいれる。
防音ガラス向こうの広い部屋には、回収された地上型ワインドにとりつく10名程の作業服姿の男女があった。彼らは手にした工具や何かを駆使しつつ、そして時折教官と思われる人物に何か指示を受けながら、懸命に解体作業を行っているようだった。
「最近現場に出てないから、なんだか懐かしいわ。といっても、ここの工場じゃあんまり役には立てなさそうだけど」
眩しそうに目を細めたマールが、少しだけ寂し気に発する。今現在いる付近のエリアはBISHOPを使えない者達、すなわちアウトサイダー用に作られており、多くの事が手作業で行われていた。
「一般向け設備のある工場もありますけど。本当にそちらの方じゃなくていいんですか?」
おずおずと、ソフィアが尋ねてくる。それに太朗は「いやいや」と手を振ると、「BISHOP使えない方が都合がええんよ」と補足した。
「理由は聞かんといてね…………まぁ、言った所で何のこっちゃってなるとは思うけど。とにかく、案内ご苦労さんね。ありがと。また帰りに声をかけるから」
太朗はそう礼を言うと、わかりましたと去っていくソフィア達を見送った。財団組が抜け、太朗、マール、小梅、そしてアランの4人となった一同は、少しだけ気を引き締め、そして再び歩き始めた。
「Bの8……はあそこね。行きましょう」
携帯端末を手にしたマールの誘導に従い、目的の場所へと向かう。張り出した板にB8と書かれたそこは、本来特に何の防諜対策も立てられていなさそうな、しごくシンプルな会議室のようだった。
しかし今の彼らにとって、BISHOPが使えない事以上に重要な事などなかった。
「お、博士いるいる。こんちはー、博士お久しぶりっす」
ガラス越しにアルジモフ博士の姿を確認した太朗は、軽い挨拶と共に中へと入っていく。何か書類を片手に難しそうな顔をしていた博士は彼に気付くと、にんまりと人懐っこい笑みを浮かべた。
「やあやあ、元気そうで何よりだよ。わざわざ遠い所からすまなかったね」
博士に促されるまま、手ごろな席へ座る一同。しばらくをありきたりではあるが重要な挨拶や近況報告に費やすと、やがて助手――たしかダニールとかいう名前だったか――から資料の入った古い端末が全員に配られた。
「NASAで使われている、昔ながらの品だね。ネットワークにも繋がっていないし、これなら安心なはずだよ。さぁ、最初のページから見ていってくれ。残念ながら良い知らせだけではないけれど、きっと気に入る情報もあるはずだ」
にこにことした博士の言葉に従い、携帯端末を操作していく。タッチパネルというシンプルな操作は、普段使用しているそれと別段使い方が異なっていたりはしない。普段であれば考えて動かす部分を、意識して手を使うだけだった。
太朗ははやる気持ちを抑えつつ、ゆっくり資料へと目を通し始めた。
古い部分を忘れた、という声に応えるべく、できるだけ過去や近況に触れつつ、を。




