第255話
生存報告がてら。
もう少ししたら、時間がとれるようになると思います。
ゆらりと盛り上がる、金属の湖面。
それはやがて、唐突に生えていた目や鼻や口を巻き込むようにして上へ上へと伸びていくと、ついには人間の腰から上の形状へと変貌した。液体から頭部が現れ、腕が伸びる。
「ん、君らの良く知る見た目の方が良いか。体組織の40%を失ってしまったからね…………ちょっと不恰好ですまない」
金属で出来た胸像がそう呟くと、周囲の景色を映し出していた滑らかな表面が徐々にくすんでいき、やがて人間の皮膚に近いそれとなった。それらは表面が変化したというより、どちらかというと内部から押し出されるようにして現れたようだった。
ついには髪の毛まで生えた胸像は、眠りから覚めた人間がするように大きく伸びをすると、太朗の良く知る穏やかな表情をしたファントムの姿で笑みを見せた。
「ファントムさん…………いや、ちょい驚いたっす」
きっと引きつっているだろう笑顔で太朗はそう言うと、助けを求めるようにマールの方を見た。彼女も同じようになんとも言えない顔をしていたが、太朗の視線を受けると、小さく首を振ってから口を開いた。
「その、ごめんなさい。見て良かったのかしら。凄くプライベートな所じゃないのかしら」
マールの言葉に、腰から上だけのファントムが首を振った。
「構わないよ。プライベートな場所と言えば、まぁ、確かにそうかもしれないが。しかし必要な事だと思ったんだ」
少し困ったような笑み。太朗が「必要な事?」と発すると、ファントムはゆっくりと頷いた。
「ミス・小梅とちょっとした話し合いがあってね。ちょっとした。結果、僕なりに思うところがあったのさ。きっと僕は、ドライな関係に慣れ過ぎてたんだろうな」
何かを思い出すように、遠くを見やるファントム。何の事だかわからずに太朗とマールがまごついていると、彼は部屋の出口の方へと指差した。
「ここは寒いだろう。向こうの部屋で話そうか」
胸像だったファントムはそう言うと、彼の乗る桶状の装置の縁へと手をかけ、体をぐいと持ち上げた。すると内部に詰まった金属が引っ張られるようにして形を変え、彼はとうとう全身が人間の姿となった。太朗はぽかんとその様子を見ていたが、マールは俯いて視線を外したようだった。ファントムが裸だったからだろう。
「おっと、こいつは失礼。しかし気にする事はないよ。生殖器はついていない。つけようと思えばつけられるが、今は必要ないだろう?」
からかうように、ファントム。太朗は顔を赤くするマールを、やがて彼女に脛を強く蹴られるまで、にやにやと見ていた。
雑多なアンティークに囲まれた部屋にて、楽な格好に着替えたファントムと向かい合うようにしてソファへ腰掛ける太朗とマール。太朗は高級な天然革張りソファの上で居心地悪そうに身じろぎするマールを横目に、ファントムから差し出された酒の入ったカップへと口をつけた。ほのかな甘い香りと、舌を焼くような強い刺激。「君も酒が強くなったな」と笑うファントムに、「付き合いで死ぬほど飲みますからね」と苦笑いの太朗。
「そうか。まぁ、そうだろうね。僕らのためにも頑張ってくれよ、代表取締役社長殿。今日は僕も少し飲むかな…………アルコールを吸収できるようにしておこう」
複雑な彫刻のされた金属のボトルを傾け、自らのグラスへと注ぐファントム。太朗は珍しいものが見れるようだと、驚きの表情を作った。彼が酔っているところなど、見たことがなかった。
「普通にしてると、確かアルコールは全部分解されちゃうんすよね?」
太朗の質問に、「あぁ」とファントム。
「アルコールは、というか、まぁ、毒物全般はそうだね。無毒化されるものもあるが、基本的には吸収せずに体内に保管される事がほとんどかな。後でそのまま出せばいいわけで、手間がかからない」
「うわぁ、それ便利っすね。羨ましいっす」
「羨ましい? ふむ。そんなものかね。僕としては、君らの方が羨ましいんだが」
「えぇ? いや、生身でいいトコなんてほとんどない気がするんすけど。メディカルマシンで治るとはいえ、病気もすれば二日酔いもありますし」
「はは、そうか。しかしそれが自然で正しい姿なんだと、少なくとも僕はそう思うよ…………ん、君らには当然、へそがあるね?」
笑顔から一転、真面目な顔のファントム。太朗は「えぇ、まぁ」と自分の腹部へ手を当てると、なんのこっちゃと首を傾げた。横ではマールも同じようにしている。
「人類…………いや、哺乳類としてはと言うべきなのかな。生まれた後で役に立つものではないが、当然あってしかるべきものだよ」
「そんなもんっすかね。でもファントムさんみたいなサイボーグの人達も、サイバネする前まではあったわけじゃないっすか。役に立たないなら無くていい気もしますけど。へそっすよ? いじると腹痛くなるのに汚れやすくて、その上役立たず。喧嘩売ってんのかと」
「いいや、元から無いよ。他の連中は君の言う通りだが、僕の場合は生まれつきだ。あぁいや、生まれつきという言葉が相応しいかどうか、難しい所だな。僕は何からも生まれていない」
グラスに注がれた酒を覗き込みながら、そう言うファントム。太朗が驚きと共に眉を寄せると、彼はさらに続けた。
「受精卵の分裂時から手を加えられ始め、そこからはずっと試験管とカプセルを行ったり来たりだ。どの時点が誕生かなんて、誰にも決められないだろう。生殖細胞自体も合成らしいから、親もいない。元になったのはコールマンと誰かの体細胞らしいが、名残などあるのかね?」
本当にわからないといった様子で、ファントムが首を傾げる。太朗とマールは語られた内容をどう飲み込めば良いのかわからず、戸惑いの顔を向け合った。
「当然、生殖器もないし、ホルモンバランスもめちゃくちゃだが、それでいて一定に保たれている。恐らく人を愛する事なんて一生ないだろうし、きっと愛の意味もよくわかってないのだろうな。少なくとも性的なものについては。一応レイラの家族が育ての親となるのだろうが、親らしい視線を向けられた事はない。情緒育成の為の仮親さ。化け物相手ではそんな反応も当然だろう」
ファントムは太朗が同じ事をやればすぐに倒れてしまうだろうペースで酒を口にしながら、そう語った。彼はグラスの中身を空にすると、大きく息を吐き出し、ボトルから次を注ぎ足しはじめた。
「僕は、君らの事を良く知っている。調べたし、付き合いも長い。テイローについては謎も多いが、少なくとも今の君についてはそうだ。マールについても同様だし、しかも君の場合は、コールマンの施設からかなり詳しい情報まで出てきている。しかし、君らは僕の事を知らない。これは公平ではないだろう」
「そうだろう?」といった表情で、片眉を上げて見せてくるファントム。太朗はそういうものだろうかと疑問に思ったが、口にはしなかった。
太朗自身はファントムが信頼出来る相手であると思っているので、そうである以上彼が何者であろうと関係がないと考えてはいたが、しかし興味がないわけではなかった。親しい人間であれば、その人の事を知りたいと思うのは当然だった。
そしてファントムは太朗の中で親しい人間にカテゴライズされる者のひとりであり、仲間だった。
「話してくれて、その、ありがとうございます……で合ってるのかな。どう言ったらいいかわかんないっすけど、俺はファントムさんの事を化け物だとかそういった風には思ってないっすよ。良い意味の比喩で言ったりはしますけど」
率直に述べる太朗。するとファントムは、「そいつは良かった!」と大げさに喜んだ様子を見せてきた。
「そ、そうっすか。いや、ていうか、気にしてる人なんてほとんどいないと思いますよ。頼りになりますし、何度も助けてもらってますし。なぁ、マール?」
ファントムの不自然な喜びように、不気味に思いつつもそうマールへ振る太朗。マールも同じように感じていたのだろう、「え、えぇ」とつまりながらも返事をした。
「今回の戦争だって、貴方の情報や活躍なしじゃどうなってたかわからないわ。バトルスクールからも有能な人材がどんどん入ってきてるし、悪い事を言う人なんていないわよ。例え今話してくれた事を知ったとしても、それはきっと変わらないと思うの」
身振りを交え、真剣な顔のマール。彼女は手元のグラスに口をつけると、その強さに驚いたのだろう、少し眼を白黒とさせていた。
「ふむ。そうか…………そいつは素晴らしいね。実に素晴らしい。特に君の口から聞けたというのが大きい。マーベラスだ」
もう酔ってしまったのだろうかと太朗が不安になるほど、上機嫌にそう言うファントム。しかし彼は途端に表情を引き締めると、ふたりの方へずいと顔を乗り出し、そして言った。
「今の言葉が嘘でないのなら、君ら自身についても置き換えてみて欲しい。これは、僕からのお願いだ」
訪れる沈黙。反射的に言葉を返そうとするも、思考の方がそれに追いつかず、口をぱくぱくと開閉させるふたり。
やがて太朗はじっとファントムの言葉を反芻させると、少しいじけたように唇を突き出しながら言った。
「お見舞いに来たのはこっちですよ。俺らが慰められてどうすんすか」
太朗の言葉にファントムは、「別にどっちだっていいじゃないか」と、今度は驚く程自然な、無邪気な子供のような笑顔を見せてきた。太朗とマールは初めて見る彼のそんな笑顔に少し驚くと、つられるようにして笑顔になった。
「久しぶりだから、酔うのが早いようだ。ペースを間違えたかな…………あぁ、そうそう、もうひとつ。ついでだから今話してしまおうか」
そう言って人差し指を上げるファントム。彼はふたりに向かい、続ける。
「コールマンと、そしてエデン。このふたつについて、僕の知っている限りの事全てを話そうと思う。君らはそれを知るに信用たる人物であると、少なくとも今の僕は思っている。見極めるのに時間がかかってしまったが、そこは許して欲しい」
ファントムは上げていた指を下ろすと、ため息とともに言った。
「それだけ重大な話なんだ。恐らくという前置きがつくかもしれないが、それでもね」




