第249話
結果的に、扉はあっさりと開いた。
扉に施されていた施錠システムは太朗の看破した通り、新しい暗号施錠関数が随時生成されるもので、単純だが、それゆえに強固なシステムだった。
しかし関数生成による単純な力押しという分野は太朗にとっての十八番であり、アランと共に作り上げた暗号解読プログラム――実態はハッキングに近い――とプラムのBISHOP処理速度のバックアップを受けた太朗は、わずかな時間を扉と向き合う事に費やしただけで、その後はいつも通りの涼しい顔で「開いたぜ」と親指を立てる結末となった。
「そもそもが見つからない事を前提とした施設だろうし、こんなもんだろな」
太朗はコールマンという存在から感じる漠然としたスケールの大きさに対し、あっけなく開いた秘密の扉への感想をそう述べた。
恒星と恒星の間、すなわち星間空間におかれた施設を偶然に発見する事はほとんど不可能に近く、また、ステルス化等の偽装が施されていれば意図的に見つけようとしても難しい。延々と続く何もない空間は、通常であればオーバードライブで通り過ぎてしまうだろうし、通常航行をするにはあまりに広すぎた。
「随分と悪趣味だったみたいね。例のコールマンは」
ライジングサンのメンバーによって卵と名付けられた施設内部で、最初に通る事になった廊下の光景にライザが不快感を示した。他のメンバーも同様で、各々顔をしかめたり、首を振ったりと、ネガティブな反応を表した。
「解剖学、生物学といったものに接していれば、さして珍しい光景ではないが……ただ、入り口すぐのこんな場所に置くのはどうかとは思うね」
いつも通り無造作に乱れた髪を手で撫でつけながら、アルジモフ博士が言った。博士は左右の壁に備え付けられた円筒形のガラスケースに近付くと、そこに満たされた青白い液体に浮かぶ人間の胎児と思われる標本を覗き込んだ。
「博士、細かい調査は後でいくらでも出来ますから」
太朗はガラスケースの前からぴくりとも動かなくなってしまった博士をそう促すと、名残惜しそうにする彼を引きずるようにして先へと向かった。
「見た事のない生き物ばかりね…………不気味だわ」
最初のケースの先にあったのは、いくつかの魚と思われる生物の標本だった。太朗が不安気にしているマールに対し「そうか? うまそうだけど」と発すると、周囲から一斉に疑念の目が向けられた。
「いや、そんな目で見られても。地球じゃ普通に食ってたぞ」
急に注目された太朗が苦笑いと共にそう返す。すると一同は同じように苦々しい顔をした。
「これを食べるっていうのは、私達にはちょっと早すぎるわね。豚と鶏だって結局、食用よりもペットの方での需要がほとんどだし」
マールが引きつった顔でそう言った。太朗が米と共に見つけ出した2つの動物は、確かに彼女の言う通りもっぱらペットとしての売買がほとんどで、食糧としての販売は自然食品派の一部の顧客に対してしか行われていなかった。
ちなみにペットとしてみた場合の両者は非常に評判が良く、高値で売買されている。飼育方法が容易――人類と同じ環境で飼える!――である事が主な要因で、他の特殊な環境や餌が必要となる金持ちにしか手が出せない様々なペットとは一線を画しつつある。
既に遺伝子コーディネーターやブリーダーによって様々な種が生み出されており、こういった一連の流れに食品開発部長であるハインラインは微妙な顔をしてはいたが、しかし予想を超える売り上げを叩きだす事には成功していた。
「うめぇんだけどなぁ魚。あぁ、くそ、思い出したら無性に食いたくなってきたな。うなぎが食いてぇ…………おっと、こっちのはさすがに食いたくねぇな。グロすぎんぞ」
太朗は魚の標本を通り過ぎると、次に現れたグロテスクな蛙のような標本の前でそう毒づいた。彼は伸びあがるようにして廊下の奥に続く標本ケースの列を見やると、ある事に気付き、「そういう事か」と小さく呟いた。
「そういう事とは、いったいどういう事ですか、ミスター・テイロー」
首を傾げ、いつもの無表情で小梅が言った。太朗は「あぁ」と彼女の方を見ると、次いで標本の列を指差した。
「ファントムさんが言ってただろ? コールマンは進化についてがどうたらこうたらって。この標本は生物の進化の順に並べてあんじゃねぇかな。このグロいのは多分、両生類とかそんなんだろ」
太朗は再び足を止めてしまった博士を今度はそのまま放っておくと、足早に標本の列の横を歩き出した。
「この辺から爬虫類なんかな…………明確な区分は無理か。地球産かわかんねぇし…………鳥類やら何やらへの分化は置いてないみたいだから、ヒトまで一直線か。この辺はもう哺乳類で、扉付近は完全に霊長類と」
太朗が独り言のようにそう語り、彼の良く知る猿に似た生き物を廊下の突き当たりに見つける。そこへ後ろをついてきたマールが「へぇ」と感心した様子の声を上げた。「あんた、生物学に詳しいのね」と続けるマールに、「そら身近にいたからな」と返す太朗。
「この標本が地球産の何がしかなのかどうかは、さすがにわかんねぇけど。どっかの惑星の似たような生物かもしんねぇし、あるいはってトコか。まぁいずれにせよ、表現してんのはそういう点なんじゃねぇかな。人類までの進化だ」
太朗の説明に、なるほどマールが頷く。すると遅れてきたアランが「まじかよ」と声を上げ、信じられないといった様子で標本を仰いだ。
「俺達のご先祖様はこんなんだったってのか? 冗談きついぜ。こんなに毛深い連中は銀河広しと言えども見た事がないし、何よりこいつらはみんな4つ足だ。まさか2足歩行を開始してすぐに人類になりました、なんて話もないだろう」
最もドアに近い標本の霊長類を仰ぎ見て、アランが疑わしげに言った。太朗がどうだろうと肩を竦めてみせると、「有り得ない話ではないよ」というアルジモフ博士の声が届いた。
「脳の大型化に成功した種は、かなりの確率で知能の増大に成功しているからね。惑星マオ・マのランカ族しかり、WE9434のングァしかりだ。地球の生物もきっと例外ではないだろう。二足歩行の獲得に限った話ではないが、時に些細な変化が爆発的な進化を生む事があるよ」
何かの講義をするかのように、博士が標本を見つめながら言った。アランはなんだか納得がいかない様子だったが、「そんなもんですか」と再び標本を眺め見た。
「まぁ、単に見つかってないとか、わかってないとか、ひょっとすると扉の向こうにまだ続いてるって可能性もあっけどな。行ってみようぜ」
太朗はそう言って扉の付近にあった端末へ近付くと、BISHOPでそれにアクセスし、大して強くない施錠関数の暗号を即座に解読した。
「………………おうっふ。なんじゃこりゃ……デジャヴか?」
廊下奥の扉を抜けた太朗は、踏み入った部屋の光景に既視感を覚えた。絡まりあった鉄と、ケーブルと、廃材。元々はかなりの広さがあるのだろう円形のフロアだったが、今は足の踏み場に困る程のがらくたで埋め尽くされていた。
「やっぱり趣味が悪いわ。こんなもの、わざわざ置いておく必要があるのかしら」
嫌悪感を孕んだライザの声。太朗が彼女の方を振り返ると、扉を挟むように置かれた人間の標本、男女の一対が目に入った。
「ちょ、ちょっと待って。これって、いつか見つけたコールマンの研究所の中身と同じようなものよね。ずっと大きくてごちゃごちゃしてるけど、中央のがらくたの集まりなんて…………」
戸惑った様子のマール。それにアランが「ワインドだろうな」と後を継ぐと、「良かったな、大将。エニグマの新型が開発できそうじゃないか」と皮肉めいた笑みを浮かべた。
「いやまぁ、そうかもしんねぇけど…………つーか、これってどう捉えればいいんだろうな」
太朗は部屋の中と廊下に見える標本をもう一度見返すと、一番答えを知ってそうな人物へと目を向けた。その視線を受けた博士は申し訳なさそうに首を傾げると、「良くはわからないが」と前置きをしてから口を開いた。
「あれらが人類の進化先だとは思いたくないし、少なくともそうだとするにはいささか無理があるだろうね。ワインドをひとつの種と捉えるのはやぶさかではないが、ヒトから派生したと考えるのはナンセンスだろう。彼らは炭素型の生物ですらないのだから」
博士はそう口にすると、「なにより」と続けてからフロア向こうを指さした。
「まだ他にも施設があるようだし、現時点で何かを結論付けるのは早計じゃないかね。それにこのコールマンの悪趣味な演出がどこまでを指しているかも不明だし、意味などないのかもしれない。いずれにせよ、もっと良く調べてみるべきだろうね」
揉み手をした博士はそう言うと、指差した向こうにある別の扉へ向けて歩き出した。太朗は確かにその通りだと納得すると、博士について行こうとした。しかし――
「いや、やめておこう。警護担当者として、これ以上は許可できない」
博士もろとも、太朗の進路をファントムが強い口調で遮った。「やばそうなんすか?」という太朗に、「わからない」とファントム。彼は「だからこそだ」と続けると、好奇心に取りつかれているのだろう博士をひょいと持ち上げ、元来た廊下へと引き返しはじめた。
「うーん、ここまで来てお預けってのはなぁ…………もうちょいだけダメっすか?」
「駄目だね。一般的な施設だけであればまだしも、これがあるとなると別問題だ。君以外にあれの中身をまともに覗ける人間がいないのだから、何かが起こった際の対応ができない。調査は時間をかけて慎重に行うべきだろう」
「あー、そっか…………急にクレーンが動き出してぺっしゃんこって可能性もあるか」
「そういう事だ。じきにローマの本部へ到着すれば、調査用の各種機材も集められるだろう。コールマン研究所の調査で得られたノウハウの活躍にも期待できる。俺も気にならないわけじゃあないが、ひとまず待とうじゃないか」
太朗にというより、主に抱えた博士に向かってだろう、そう言うファントム。博士はなんとか抜け出すべくしばらく格闘していたが、やがて諦めたのか大人しくなった。
「まぁ、そうするべきっすよね…………もどろか」
太朗は一同に向かいそう促すと、廊下へ出て、そして帰り際にちらりと後ろを振り返った。閉まる扉と共に自動的に照明が落とされ、ワインドと思わしきスクラップの持ついくつものランプが、暗闇の中でぼうっと浮かび上がって見えた。
まだ帰りの移動中。博士は報告を受けるやいなや、プラムに乗って飛んできた。




