第244話
「エデン。正式にはニューエデンだ。我々は単に施設と呼んでいたね。前に話した事があるかもしれないが」
有り余る余剰資金で強化された快速船スターダスト号の船室で、ファントムが遠くを見ながら言った。6人が座るとあまり余裕がなくなってしまう程度の広さの船室には、太朗、マール、小梅、ベラ、ファントム、そしてエッタ――ライジグサンの方のだ――がおり、船室から直接繋がるコクピットには操縦桿を握るアランの姿があった。
現在スターダスト号は全速力で加速し続けており、太朗は止む事のない内臓への負荷に少し吐き気を覚えた。
「エッタとヨッタお姉様は、おうちって呼んでたわ」
船室備え付けのシートの上で、膝を抱え込んだ格好のエッタが言った。太朗はちらりとエッタの表情を伺ったが、まるで無表情だった。
「そうか。じゃぁ、我々の方が少数派だったのかもしれないね」
ファントムはエッタへ向けて優しくそう言うと、続けた。
「エデンはコールマンの私的な研究所で、複数のステーションで成り立っていた。支部のようなものもかなりあったはずだから、全てを見つけるには時間がかかるだろうな…………研究内容は生物の人工的な進化だったように思う。推測だし、理由は不明だが」
首を傾げ、眉を上げて見せるファントム。それにベラが「胸糞悪い話だね」と鼻息を荒くする。
「あんたやその娘を見る限り、その生物ってくくりには人間も入るんだろう? どんな事をしていたかは想像に難くないよ。あの施設の親玉さ」
ベラの発言に、同意のうめき声があがる。マーセナリーズのエッタがコールマンの遺産を継いでいた以上、例の施設もコールマンによるものと考えるのが妥当だった。
「何千年も前からコールマンって名前があるのよね。襲名って事はないだろうし、クローンかしら…………でもクローンで出来た人間は、クローン元とは別人よね?」
マールが考え込んだ様子で言った。それに小梅が「その通りです」と頷く。
「例えば自然界には一卵性双生児と呼ばれるクローンが存在します。双方は全く同じDNAを持っておりますが、しかしながら成長によって異なる人格を形成します。すなわち別人です」
小梅の補足に、太朗は内心で「知らなかった!」と驚いた。
「生まれながらにしてマッドサイエンティストになるDNAなんてものが存在するとは、いくらなんでも考え難いだろうね。しかしガルダステーションが太古の昔から長期的に維持され続けてきた事を考えると、どのコールマンもろくでなしだったという事になる。そうなると、釈然としないね」
ファントムが太朗の方を見ながら言った。太朗は視線の意味をしばらく考えると、やがてひとつの考えが浮かんできた。
「…………え、まじで?」
思い付いた不快な答えに、顔を歪ませる太朗。どういう事だという視線が周囲から集まる。
「いや、ほら。あれっしょ…………オーバーライド」
本当に合っているのかはわからない為、自信なさげに答える太朗。一瞬の沈黙の後、「無理よ」というマールの声が返ってくる。
「だって、そうじゃない。人格をコピー出来るようなオーバーライド装置なんて…………その、あれよ……プラムにはあるかもだけど、他じゃ聞いた事……」
段々と尻すぼみになるマールの声。太朗は「ふむ」と鼻を鳴らすと、アランのいるコクピットの方を見やった。
「ガルダステーションの人をオーバーライドして作った、例の海賊。あれってどうなんよ。人格のオーバーライドって呼べるんか?」
太朗の質問に、既に難しい操縦は必要なくなったのだろう、暇そうにしていたアランが振り向く。
「あれはそんな大層なもんじゃないぜ。特定の感覚を無くしたり補強したりと、せいぜい改造って言葉がいい所だ。判断力を低下させて、洗脳する。それだけだ。あっちのエッタの自白も、提出させた資料も、そうなってるな」
アランが視線を上にあげ、思い出すようにして言った。太朗は「だよな」と相槌を打つと、しばし黙り込んだ。
「…………まぁ、今ここで考えてもしゃあないわな。現地で色々見つかるのを期待すっか」
やがてひとりそうまとめると、太朗はあれやこれやと議論を交わす皆を置いて操縦席の隣、すなわち助手席へと乗り移った。
「もうオートパイロットが始動してるぜ。後は異常がないか見張るだけだ」
操船でもすると思ったのだろうか、操縦席のアランがそう言った。太朗はそんなつもりはないと手を振ると、周囲の風景を映す全周囲モニターをぐるりと見回した。
「こっちがアルバで…………あれがアルファかな。しかしまぁ、正直意外だったわ」
太朗はそう言うと、視線を進行方向先へと移した。そこには目的地より遥か遠くにある恒星がいくつも輝いていたが、目的地そのものは見えなかった。
「ニューエデンの所在地がか? まぁ、そうだな。理に適ってるといえばそうなんだろうが、確かに意外だ」
アランはそう同意すると、太朗と同じく前方を見据えた。
「まさか、デルタ星系の星間宙域とはなぁ……灯台下暗しってやつか」
太朗がぼそりと言った。アランは「灯台に上も下もないだろ」と、不思議そうな顔をした。
「なんつーか、良くある科学施設系のステーションだな」
ニューエデンに降り立った太朗が最初に発したのは、そんなひと言だった。明らかに居住性より機能性を重視した造りのそこは、薄暗く、殺風景で、どうひいき目に見てもエデンという名前には相応しくないように見えた。
「悪人がみんな悪人顔だったら苦労しないわよ」
太朗の横に立つマールが言った。太朗は「なるほど」と、苦笑いを返した。
「マーセナリーズの連中は……というよりあっちのエッタが、かね。随分と熱心にここの保全に努めてくれていたらしい。当時のままだ」
ファントムが何かを思い出すようにしてぐるりと周囲を見渡した。「危険はないんすか?」という太朗の疑問に、アランが「大丈夫だ」と返してくる。
「既に中央制御室のコアを掌握済みで、情報部の連中を若干名張り込ませてる。防衛施設はどれも対外向けの物で、内部の侵入者に対する備えのようなものはないらしい。火器の類は大量にあったが、どれも人間やサイボーグ用の携行兵器だけだ」
アランはそう言うと、ちらりと目線を横に向けた。視線の先にはファントムの姿が。
「俺だったらどんな美人に頼まれてたとしても、絶対に侵入しようとは思わねえな。あんたみたいなのがわんさかいたんだろう?」
うんざりした様子のアラン。そんな彼に、ファントムは「まあね」と肩をすくめた。
「我々の所では、より強力なサイボーグを作るための研究をしてたらしい。かなり古い型のサイボーグから俺みたいのまで色々いたね。今も生きてるのは数える程で、俺の小隊は全員がここ出身だ。今は各エリアの要所へ斥候に出してる。何もないとは思うが、念のために…………さぁ、行こう。ここで立ち止まってる理由はないからね」
一同はファントムに率いられる形で歩を進めると、いくつかの雑多な区画を抜け、高速移動レーンを使い、やがてアランの言っていた中央制御室へと到着した。
「ういっす、情報部の皆さん元気やってますかー?」
太朗が扉から覗き込むようにしてそう声をかけると、中から5、6人の「お疲れ様です」という声が返ってきた。
「坊や、どうやら目的地はそこじゃないみたいだよ。案内人が先に行っちまってる」
ベラが後ろから声を掛けてくる。太朗は「あれ?」と部屋を出ると、先頭を行くファントムに小走りで近寄った。
「テイロー、俺は制御室でデータバンクの精査にあたる。何かあったら連絡するから、そっちも頼むぞ」
背後からアランの声が届く。太朗は「美女を見つけたら真っ先にな!」と返すと、ファントムの横へと並んだ。
「ファントムさん、いまどこに向かってるんすかね」
当然の疑問。恐らく一同を代弁しただろうそれだったが、しかしファントムは何も答えず、代わりにマールの方を一瞥した。
「マール、どしたん?」
どことなく暗い様子のマールに気付き、太朗が訪ねた。彼女は「なんでもないわ」と沈んだ様子で言うと、それっきり黙り込んでしまった。
そしてそのまま無言で歩き続ける事数分。狭苦しい実験棟を抜けた一同は、やがて居住区のようなエリアへと侵入した。通路や部屋、移動レーンの数等、比較的余裕を持ってつくられているらしきそこだったが、無人であるのが理由だろうか、何か強い不気味さを感じさせた。
「なんか出そうな雰囲気だな…………すんません。さっきから猛烈な便意が襲ってきてて、お手洗いの場所を…………」
重い空気を壊すのを申し訳なく思いながら、太朗が言った。それに気付いたファントムは腕を上げてどこかを指し示そうとしたが、しかし彼はすぐに腕を下ろしてしまった。
「さて、どこだったかな」
ファントムが少し困った様子で言った。彼は不思議そうな顔で彼を見上げるエッタの頭を撫でると、何かを探すようにきょろきょろとし始めた。
「まじっすか、結構やばいんすけど…………最近生活習慣乱れまくってたからなぁ」
太朗も同じように周囲を見回すが、区画連結路と思われる細長い通路にそれらしき標識や地図の類は見当たらなかった。仕方なく近くにあったドアへ手を伸ばすと、鍵のかかったそれを瞬時に開錠した。
「…………ここは使うかもしんないから、駄目だな」
太朗は雑多な医療器具や設備が並ぶそこを後にすると、向かいにあった別のドアへ不格好に走り、同じように開錠した。横目にみると、仲間達も四方に散らばっており、同じようにトイレを探してくれているようだった。
「質問です、ミスター・テイロー。先程"ここは使うかもしれないから駄目だ"と仰いましたが、使用用途の無い施設であった場合、どうするおつもりでしたか?」
ひとりその場で立ち尽くす小梅が質問してくる。
「いや、どうもこうもねぇよ。スーツの中にはできねぇだろ…………なんだここ。ダクトだらけじゃねぇか。空調施設?」
「肯定です、ミスター・テイロー。しかし残念ながら、空調を分配する為の施設です。清浄の為に吸引を行うのは、きっと反対側の連結区画でしょう」
「おぉ、そうなんか。ぶっちゃけ今はどうでもいいぜ。あっちの扉は何だ…………」
「僭越ながら申し上げますが、ミスター・テイロー。この周囲に存在する扉はどれも気密加工されておらず、恐らくエリア単位で空調を管理しているものと思われます。もし空調排出施設付近に汚染物質が産出された場合、エリア全体が汚染されるものと推測されます」
「いや、このスーツさ、無重力下で、気密される、安全装置が、あって、専用おむつ、今日してない……あああああ、もういいやここでするう!」
「いけません、ミスター・テイロー。それは人として推奨されざる行為です。社会に生きる生き物としての尊厳、これを思い出して下さい。きっと半年は弄り倒される事になりますよ」
「だったら、俺は人間をやめるぞ! 小梅ぇぇえ!!」
「あっちよ、テイロー。あの角を曲がった所にあるわ」
叫んだ太朗に、後ろから声がかけられる。太朗が助けを求めるように振り向くと、そこには廊下向こうを指さすマールの姿が。
「助かったああああいしてるマールぅううう!!」
太朗はモデル歩きを極端にしたような動きで、すさまじい速さで指差された方向へと移動しようとする。しかし――
「…………なんで、知ってんだ?」
立ち止まり、振り向く太朗。視線の先には、今にも倒れそうな顔色のマールが立ち尽くしていた。




