第239話
「私物のスターゲイトだぜ。うちみてぇな小さい企業は、まぁ、普通は持ってねぇけど」
太朗はバイザーに映る憎き女へ向け、苦々しく笑った。
隣の星系へ移動するだけであれば、船舶搭載型のオーバードライブでもある程度が可能だが、いくつも先へ移動するとなるとそうはいかない。それには専門の装置、すなわちスターゲイトが必要であり、その巨大な建造物は当然ながら目玉の飛び出るような値段がするものだった。
太朗達ライジングサンがそれを保有しているのは、帝国によるアルファ及びエンツィオ星系方面への再進出が行われる際、ディーンからの情報提供によって事前にそれを知る事が出来た太朗が、予定地域住民と全ての富を引き上げるぞと暗に脅して手に入れたものだ。
それは旧帝国時代では届かなかった遠方にある資源の開発を可能とし、ライジングサンアライアンスのアルファ方面地域における活動の基盤となっている。やがてニュークでの拾える装甲板にトップの座こそ明け渡したが、今でも主な収入源のひとつとなっていた。
「おかげでここ2週間程、開発関係の業務が完全にストップしてっけどな…………関連企業の突き上げを考えっと、正直今から頭がいてぇよ」
太朗はうんざりした調子でそう言ったが、本当の所は困ってなどいなかった。バイザーに映るこの相手に対し、今後請求する事になるだろう賠償請求に上乗せすれば済むだけの話だったからだ。
「……………………どうやって」
しばらくの間の後、口を開くマーセナリーズのエッタ。彼女は息苦しそうに深呼吸をすると、続けた。
「"どうやって、対象までの座標を、算定したの。あれは通常、2基による相互リンクで運用するものと聞くわ。片方だけでの運用も、理論的には可能かもしれないけれど"」
エッタの質問に、太朗は自分達側のエッタを抱き寄せた。
「うちには優秀なソナーマンがいっからな。向こうからビーコン送ったら、一発で正確な座標を算定してくれたぜ…………あ、はい。ごめんなさい。調子に乗りました」
不機嫌そうに顔を顰めるエッタに、太朗はおずおずと彼女を解放した。
「"…………なるほど。そういう事。一連の戦いは、全てそのための時間稼ぎだったわけね。そのソナーマンが目を覚ますまでの、時間稼ぎ。証拠が見つかるまでじゃあなかった"」
諦めにも似た表情から、徐々に怒りのそれへと変わるマーセナリーズのトップ。実際は全てが全て時間稼ぎだったというわけでもないのだが、太朗は否定する必要もないので黙っていた。
「実際問題、光線追跡法で過去を調べるってめっちゃ時間かかんだよな。ちゃんとした物証にはなるらしいんだけど、もう半月はかかるって言われたよ」
これは事実だった。アルジモフ博士の主導による調査はこれ以上は望むべくもないといった速度で進んではいたが、それでも時間がかかるものだった。調査すべき時間の範囲は広く、そしてかなりの過去であるが為だった。
「"よくもまぁ…………ここまでコケにしてくれたわね…………"」
眉間を痙攣させ、顔を歪ませる女社長。太郎はその怒りが、まるで回線を通して伝わってきているような気がした。
「"絶対に許さないわ…………どんな手を使ってでも、お前を破滅させてやる!"」
声を荒げ、怒りを隠さないエッタ。それを太郎は真顔で受け止めると、「許さない?」と首を傾げた。
「"えぇ、そうよ。この償いは必ずさせてやるわ。お前自身も、お前の親しい人間――"」
「黙れクソ野郎! そいつはこっちの台詞だ!」
女の声を遮り、全力で怒鳴る太郎。シートを殴った手が痛んだが、気にはならなかった。太郎は通信回線用のカメラがある方へ指を突きつけると、ずいと顔を寄せた。
「おめぇは人間を単なる資源としか見てねぇクソ野郎で、自分が万能の存在だと思ってる勘違い野郎だ」
太郎は真実を知ったガルダステーションの住人が見せた絶望の表情が、今も頭の中にこびりついていた。かける言葉がなく、その時太郎はただうつむく事しか出来なかった。太郎はバイザーに写る女が、自分と同じ人間という種である事が嫌で仕方がなかった。太郎には女が、邪悪の塊のように見えていた。
「ガルダステーションだけじゃない。エンツィオやEAPを煽って漁場にした事もだ。いいか、覚えとけよ。俺はお前を帝国中枢に逃がすつもりはねぇし、法に則った処罰を下すつもりもねぇ。お前をどうするかは、ガルダステーションの人々が決める。楽な死に方が出来ると思うなよ」
静かに、しかし強い意思を込めて、ゆっくりと話す太郎。バイザーの女は気圧されたらしく、わずかに身を引いた。
「"ふ…………ふふ…………何を、何をいきがってるのかしら。勝った気になるのはまだ早いんじゃないかしら。戦いはまだ終わってないわ"」
引きつった顔で、エッタが言った。太郎はぎろりと視線を相手の目に向けると、やがて小さく笑った。
「めでてぇ野郎だな。むしろ聞きてぇんだけど、まだなんとかなると思ってんのか?」
「"なるわ。まだ何も終わってない。お前はただ、起こるかもしれなかった虐殺を未然に防いだ。ただそれだけに過ぎないわ"」
「いいや、違うね。お前は終わりだ。もう詰んでんだよ」
「"ふふ…………馬鹿ね。きっとさっきの模様を録画なり配信なりでどこかへ送ってるんでしょうけど、それが何よ。物証のように、再検証可能な証拠とは程遠いわ。周囲が何と言おうと、粛々と否定すればいいだけの話"」
「あぁ、そうだろうな。ジャミングを使ってリアルタイムにCGが作れるような時代だもんな。良く出来たCGだ。死にぞこない企業の悪あがきだって言えばそこまでかもな」
「"その通りよ。良くわかってるじゃない。そして私の艦隊はまだ残ってる"」
「んじゃ何でそれがわかってる俺が、詰んだって言ってると思ってんだ?」
「……………………」
「もう"見てもらう必要のある相手には見てもらってる"んだよ。わかんねぇか? んじゃ行けよ。ご自慢の艦隊がお前を待ってんだろ」
しっしっと邪魔者を払うような仕草をする太郎。それに敵のエッタが、何が何だかわからないといった顔をする。
「……ん? 1対1の撃ち合いでもすると思ったんか? んな無駄な事するわけねぇだろ。弾だってタダじゃねぇし、こっちはお前に聞かなきゃならない事がわんさかあるんだ」
ガルダステーションは数ある施設のひとつであり、まだその全てを見つけたわけではなかった。気持ちとしては今すぐにでも宇宙の塵としてやりたかったが、いま死なれてしまうわけにもいかなかった。
「それにコールマンについての事もあるしな…………ほら、行けよ。別に撃ってきてもいいけど、スターゲイトで逃げるだけだぞ」
太郎はそう言うと、もう話す事はないとばかりにシートへふんぞり返った。バイザーの向こうで女は何か迷った様子だったが、やがて青い光と共に消え去った。
「せいぜい絶望しやがれ」
太郎はただひと言、そう言った。
オーバードライブで主力艦隊の待つ宙域へと移動する間、マーセナリーズのエッタはずっと無言だった。彼女はまだ自分の勝利を信じてはいたが、敵の社長の言葉が喉に刺さった骨のようにずっと頭に残っていた。
「………………」
静かな艦橋。時折様子を伺うように振り向いてくる部下やテッタの布擦れの音だけが、やたら耳につく。
「…………私が」
エッタはそうひと言発すると、深呼吸をした。
「選ばれた人間であるこの私が、負けるなんてありえないわ。私は人の心が読める。コールマンでさえ、私の事を認めていた」
自分に言い聞かせるように、誰へともなく言った。
「まだ千の艦隊がいるわ。何も変わってなどいないし、終わってもいない。あれと合流し、あの男の艦隊を叩き潰す。停戦など知った事ではないわ。その後は情報統制を行い…………そうよ。何も変わってない」
エッタそうぶつぶつと口の中で呟くと、苛立たしげに時刻を確認した。予定通り、もう間も無くドライブアウトする所だったが、彼女にはそれがやけに長く感じた。
「ドライブアウトまで残り10秒……9……8……」
いつも通り副官がカウントダウンを開始し、その声だけが艦橋にこだまする。カウントダウンと共に頭の中に想像する艦隊の数が増えていき、エッタはそこに小さな喜びをみた。
「……2……1……ドライブアウト」
青い光が周囲にあふれ、いつも通りの甲高い音が耳を抜ける。エッタはその青い視界が戻ると同時に、期待と共に口を開いた。
「………………あ」
ただひと言、それだけしか声が出なかった。
「…………何が…………何で」
シートから立ち上がり、すがるようにエッタが言った。
エッタの見るレーダースクリーンには、正体不明の小型船舶が、画面を文字通り覆い尽くすかのごとく表示されていた。
エッタが期待を寄せていた主力艦隊は、その小型船舶に埋もれ、誰がどこにいるのかすら全く把握できなかった。
「………………あぁ」
徐々に回復してきた通信が開かれ、そこに渦巻く悲鳴の合唱をエッタは聞いた。彼女は覚束なくなった足取りで1歩、2歩と進むと、大型スクリーンに映る小型船舶の正体を見た。
それは10万を超える、ワインドの群れだった。




