第236話
「はぁ……はぁ……こっちの……第3波はどうなった?」
荒い息遣いを整えつつ、太朗が訪ねる。彼の目は開かれていたが、それは何も映していなかった。今の彼は思考とBISHOP操作の海に深くもぐりこんでおり、目から入る情報など邪魔なだけだった。
「残念ですが、命中弾は3発のみです、ミスター・テイロー。しかしながら、敵艦隊の注意を引く事には成功しています。敵艦載機による攻撃を除き、目立った損害は被っておりません」
小梅の声が耳に届く。太朗は敵艦載機の補足と対空火器制御に使われている集中を切らす事なく、誰へともなく手を上げた。
「なるほど……ベラ、さんか…………ありがとう……」
ぶつぶつと、独り言のような声。やがて上げた手を握る柔らかい感触が伝わり、誰かに手を掴まれたのだとわかる。
「たった3発だなんて感想は困るよ、坊や。この3発は値千金だとあたしは思ってるからね」
すぐ傍から聞こえる声。太朗はその3発の価値がよくわからなかったが、質問する余裕もなかった為、ただ首を傾げる事にした。
「さっきの第2波は、まぁそのままいけば間違いなく全ての弾頭が打ち落とされるところだったじゃあないか」
自信ありげなベラの声。太朗はだからどうしたのだという言葉を飲み込むと、続きを待った。
「しかも、途中まであんたが操作するやっかいな弾頭だったのにも関わらず、だ。付け焼き刃なあたいの弾頭が3つも当たったって事はだよ。つまり――」
若干の間。ベラの手にぎゅっと力が籠もるのを感じる。
「向こうも一杯一杯だって事さ」
囁くような、安堵を感じさせる声。太朗はぼんやりとした意識の中でなるほどと納得すると、口元に小さく笑みを浮かべた。
「総大将はそっちの作業に集中してくれて構わないよ。後はあたいに任せな。向こうが限界だってんなら、今が勝負どころさ」
手に感じていた温もりが消え、次いで小さく火を灯す音が聞こえてくる。太朗が「でも、心を……」と声を絞り出すと、ベラがそれに答えた。
「覗かれるからって、だからどうだってんだい。わかっていてもどうしようもない状態ってのも、戦場では往々にしてあるもんさ」
普段は物静かなマーセナリーズ旗艦の艦橋だが、今はかつてない程の静寂がそこを支配していた。戦闘の興奮によって漏れ出る声や各種報告等、日常的になされる会話もほとんどなかった。艦橋にいる者達は、皆戸惑っていた。
「動きが……違う…………ガンズが……動いたのね…………」
苦しそうに喘ぐエッタが、充血した目で呟いた。本来の彼女はたいして並行作業に強いというわけでもない為、艦載機を含めた無数の艦船を制御するのは非常に骨が折れる作業だった。
「ガンズ……ベラ・アルジモフ、でしたか。確かに敵の第二指令艦と思われる船周辺には多数のHADが展開されていますね。我々の艦載機が近付けないでいます。噂に違わず優秀なようです」
エッタの副官が、いつもと変わらない様子で言った。エッタはなんとなくそれが癪に障り、彼にきつい目を向けた。
「そこには、いないわ……指令は……旗艦からよ……」
彼女と同様の能力を持っていない以上は仕方が無いのだが、なぜそんな事もわからないのだろうかと、エッタは理不尽に苛ついた。
「左様で。では第2指令艦の攻撃優先度を下げておきますか?」
「任せるわ……勝手に、やって……」
「……ですか。しかしそう仰られましても、戦術が専門ではない私に責任は負えませんよ。社の規定では、こういった場合は知識のある担当者か、それがいない場合は最上長が指揮を代行するとされておりますが」
「任せると……言ってるでしょう!」
激昂し、声を上げるエッタ。該当する最上長がびくりと体をふるわせる。しかし副官は飄々とした体で立ち尽くしており、なぜこいつはこんなにも自分を苛つかせるのだろうかと、エッタは怒りの中で疑問に思った。
「……テッタ、ちょっといいかしら」
すぐ傍にいるテッタに顔を寄せ、可能な限り小さな声で話しかけるエッタ。彼女は副官が通信関係の関数にアクセスしていない事を確認すると、BISHOPによる秘匿回線で話しかけた。
「貴女、質量を検知できるのよね。それは近距離の、例えばこの環境の中の人物に対しても可能?」
「"はい、お姉様。むしろ近い方が正確に出せると思います"」
「そう、なら良かったわ。なら、そこにいる副官の質量を測って欲しいのよ。体重ね」
「"副官、ですか? それは出来ますけど…………"」
「お願い。やって頂戴。わけを話してる余裕はないわ」
エッタはそう言ってしばし待つと、テッタから送られてきた情報に胸を撫で下ろした。副官の体重は一般の成人男性の持つそれであり、彼がサイボーグという事は有り得なかった。何をどう誤魔化していても、金属で出来た身体は重くなる。エッタの怖れるファントムは顔の形を完全に変える事が可能で、副官は彼が成りすましているのではないかと疑っていたからだ。
「…………ふんっ」
エッタは単に性格の悪い男なのだろうと納得すると、戦後は最前線の歩兵部隊へ転属させる事に決めた。
「EAP、軍部への連絡…………そろそろの、はず…………どうなってる……」
嫌悪感を隠さない顔で、エッタが訪ねた。副官は「はっ」と返事をすると、難しい顔で首を傾げた。
「まだデータバンクには…………あぁ、失礼。ただいま到着しました。至急向かう、とあります。出航報告等はありませんが、恐らく距離による時差でしょう。船の方が先に着くかもしれませんね」
副官の報告に、エッタは辛い中でもにやりと笑みを漏らした。現状で敵を挟撃できるとすれば、それは確実な勝利と考えて良いものだった。こちらにも余裕はないが、相手にもあるとは思えない。
エッタはコールマンの式に従い、エンツィオ地域一帯を間接的に支配し続けてきた。それはライジングサンというイレギュラーな存在によって壊されてしまったが、それもリカバリーする事が出来ている。EAPの軍部はマーセナリーズの飼い犬同然となっており、しかも既にEAPの中で最も強い影響力を持つに至っている。初期投資として高価な船――もちろんカーゴには足のつかない大金が詰まれている――を安く売った甲斐があったというものだ。
「ふ……ふふ…………負ける、はずが……ないわ……」
思い通りにいかず、そして乱戦じみてきた現状ではあるが、大局を見るにまだまだ彼女が圧倒的優位に立っているのは間違いないと思われた。EAPの軍部。先行した空母を追いかける形になっている、1個軍団の増援艦隊。いまだ大量の船を抱えるソド提督率いる先遣隊。敵の妨害によって分断されこそしたが、集まるのも時間の問題だった。
「勝つのは……私よ……」
エッタは、テッタが思わず顔を引きつらせるような、そんな笑みを浮かべた。
銀河から見れば極近くの、しかし実際に動く人間からすれば、ザイードからは遥か彼方と呼べるEAPアライアンス領のはずれ。ホワイトディンゴ領と接し、かつては幾度と無く両者の間で会戦が行われた事のある一帯。現在もホワイトディンゴが領有権を主張し続けているきな臭いそんな場所で、ふたつの大きな艦隊が距離を置いて睨み合っていた。
「ふざけるな! あれは脅しに決まっているだろう! ライジングサンとの共闘であるならばともかく、ディンゴ単体で襲ってくるわけがない! 我々の方がずっと強大だ!」
まだ年端もいかぬ少年に対し、怒声を浴びせる男。EAPアライアンスの軍部と呼ばれる連合艦隊を束ねる男は、本来であればかしずく相手であるアライアンストップに対する配慮の様子は全く見られなかった。それどころか相手の事をどうでも良い存在だと思っているようで、それは現状のEAP内部の力関係を示していた。
「わかってますよ、ミスター・トウ。わかっています。ですが、何もしないわけにもいかないでしょう」
かろうじてという前置きはつくが、現在もEAPアライアンスのトップであるリトルトーキョーの社長、リン・バルクホルンが言った。彼は自分の倍もある身体の持ち主に一歩も引かず、勇敢な顔つきで望んでいた。
「これはディンゴの挑発だ。乗るべきじゃない。全くもって無意味どころか、マイナスにしかならん!」
軍部の代表であるトウが、机を両手で強く叩いて怒鳴った。そこはリンの乗船する巡洋艦バルクホルンの執務室であり、今は彼らふたりしかいなかった。リンは衝撃で倒れた英雄タイガーの像を元に戻すと、落ち着いた声色で言った。
「無意味という事もないじゃないですか。僕達がここへ艦隊を置いておく事で、少なくとも付近のステーションの住民は安心します。それに相手はあのディンゴですよ? 無意味な挑発をしてくるとも思えません。何かやらかしてくるかもしれませんよ」
「そうであればだ、必要最小限の艦隊を残しておけば良いだろう! わざわざ主力を張り付ける必要はないはずだ!」
「それはまぁ、そうかもしれませんが、しかしお恥ずかしながら、我々リトルトーキョーに各宙域の哨戒以上を行うだけの戦力はありません。こうして小規模な一個艦隊を派遣するのがやっとです。軍部の方々に残ってもらう他ありませんよ」
「タカサキのがあるだろう! いつまでドックに籠っている気だ!」
「エンツィオ戦役で大打撃を受けたばかりですよ? 無茶を言わないで下さい。それにタカサキは分社化でEAP内での事業規模を縮小したばかりです。要請しても応じるとは思えません。その原因に関しては貴方がたが一番良く御存知だと思いますが?」
「…………ふんっ、連中が不当な高価格で船を販売して暴利を貪っていたところに、我々が適正な価格で船を調達しただけだ。アライアンスに利益をもたらしたのは我々だと思うがね」
「そうですか。見解の相違というやつですね。ところでそろそろいいですか? 僕も暇ではないので」
リンはそう言うと、席を立って男を扉の方へと促した。男は何か言いたそうにしていたが、やがて大きな舌打ちをひとつすると、部屋の外へと出て行った。
「…………まぁ、大親分から急いで集まるよう発破をかけられてるんだろうけど」
リンは少年らしいあどけない表情で肩を竦めながらそう言うと、録音用のマイクを手にして口を開いた。
「あー、リン・バルクホルンよりディング・ザ・ディンゴへ。そろそろ軍部が勝手に動き出しそうだから、適度にこっちを襲ってくれるかな。無人の船をいくつか用意しておくから、それらを沈めてくれると助かる。よろしくね」
ところで感想返しについてですが、ちゃんと全部読んでいます。ありがとうございます。
以前まで全てに返信していたのですが、多い時には1話に数十件来る事もあり、
これがかなり大変なので、申し訳ありませんが控えさせていただく事にしました。
ただ、全くスルーではなく、ちょこちょことしようとは思います。
今まで通り書いて頂けると、虫が良い話かもしれませんが、作者的には感謝感激です。




