第231話
「"これはこれは。初めましてとなるのかしらね、ミスター・テイロー。きっとお互いの事は良く知ってるでしょうから、自己紹介はいらないわよね"」
太朗の通信機に届く女の声。ホログラフには若い女の上半身が映し出され、微笑を浮かべていた。しかし普段であれば心躍ったかもしれないそれも、発信元が敵であれば話は別だった。
「あいあい、どうも。丁度こっちからも連絡しようと思ってたトコなんで、丁度良かったよ。ミス・エッタ…………あぁいや、違う違う。エッタじゃなくて、向こうのな」
前半はマイクへ向けて、後半は通信をオフにして艦橋にいる仲間へ向けて話す太朗。寝ぼけ眼をこするライジングサンのエッタは、不機嫌そうに顔を歪めると、どうでもいいとばかりに顔を逸らした。
「"あら、そうなの。ならもう少し待ってれば良かったかしら"」
おどけた調子で肩を竦めるマーセナリーズのエッタ。太朗は気にするものかと鼻を鳴らすと、「で、何の用だ?」と挑発的に片眉を上げてみせた。
「"用? そうね。簡潔に言いえば、降伏勧告って所かしら。もうどうしようもないでしょう? 貴方は良くやったわ。ここで両手を上げたとしても、誰も責めやしないわよ。それよりどう。貴方、うちで働いてみない?"」
そう言ってくすくすと笑うエッタ。太朗は「ふざけろ」とそれに答え、続けた。
「お前に仕えるくらいなら、おとなしく死んだ方がマシだ。ジョークならもっと笑えるのを用意してくれよ、外道」
「"あら、つれないわね。でもどうするの。貴方がよほどの馬鹿じゃないなら気付いてると思うけど、このままだとかなりよろしくない事態になるんじゃないかしら。そこにいる3人の目を見てごらんなさいよ。お仲間の命が惜しくないの? "」
「3人…………あぁ、もちろん惜しいさ。だからお前を早いとこぶちのめそうってんじゃねぇか。こっちにはその為の準備は出来てる。くだらねぇ話しかしねぇならもう切るぞ」
太朗はそう言って一方的に通信を終了させると、マールの方へ振り向いた。
「なぁマール。ちょっと聞きたいんだけど、アンドロイドってひとりふたりって数えるもんなの?」
太朗の質問に、「どうでしょうね」と少し考える様子を見せるマール。
「そうやって数える人もいるでしょうけど、あまり一般的じゃないわね。普通は1体、2体かしら。もちろん小梅は別よ?」
マールの答えに、「なるほど」と考え込む太朗。彼はしばらくをそうすると、やがて懐から今やアンティークと化した紙とペンを取り出した。
「マール、これを小梅に渡してくれ。おもしろい事になるかもしんねぇぞ」
紙に必要な指示を銀河標準語ですらすらと書くと、マールへ手渡す太朗。彼は中身を確認しようとしたマールを慌てて止めると、小梅だけが見るようにと首を振る事で伝えた。
「わかったわ。けど、ちゃんと後で教えなさいよ。仲間はずれみたいで嫌だから」
頬を膨らませてはいるが、怒っている様子ではないマール。太朗は彼女が艦橋から出て行くのを見届けると、しばらくしてから再び通信を開くべく要請を送った。
「"いきなり切るなんて、失礼なガキね。そういう事はしちゃいけないって、ママから教わらなかったの? そのくせ、そっちからかけ直してくるなんて"」
再び現れたマーセナリーズのエッタ。明らかな怒りの籠った声。太朗はママという単語にぴくりと反応するが、努めて平常心を保った。
「ママね。残念ながら憶えてねぇんだわ、これが…………ん、かけ直したのはよ、そっちこそ尻尾まくって逃げるんなら今しかないぜって伝えときたくてな」
相手を見下すように、可能な限り嘲りの表情をもって発する。それが功を奏したのかどうかはわからないが、相手は興味深げに「ふぅん」と声をもらした。
「何をしようとしてるのか、教えて下さらない?」
こちらの全てを見透かして来るような視線。太朗は相手から見えないように強く拳を握りしめると、腰あたりの服で手にかいた汗を拭った。耳にはマールが帰ってきたのだろう足音が聞こえたが、意識には残らなかった。
「素直に教える馬鹿がいるかってんだ。お前らを……なんつーか、その、あれだ。一網打尽に出来るような作戦なんだぜ」
「あら、大した自信ね…………でも、大丈夫?」
エッタの目が細まり、穏やかな、しかし悪戯をするかのような挑発的な微笑が浮かぶ。彼女はゆっくりと人差し指を掲げると、太朗の方へ向けてきた。
「その作戦で、本当に私達に勝てるのかしら。きっと2度目はないわよ? 不備はない? 絶対に? 予想外のイレギュラーが起きたら? どこかに計算の間違いや、甘い見積もりが入ったりしてない? 本当に。本当に大丈夫なのかしら?」
矢継ぎ早に重ねられる質問。太朗は相手が自分を動揺させようとして行っているのがわかっていても、それでも不安な気持ちになった。ホログラフに映る女性の瞳は、自分は全てを知っているぞと訴えかけてきているようで、太朗は無意識のうちに一歩後ろへ下がっていた。
「勝てる……はずだ…………何度も何度もチェックして……」
太朗は相手の蛇のような視線から目を逸らすと、切り札として用意している作戦の詳細が収められたデータベースへとアクセスした。横ではマールが慌てた様子で何かを訴えてきていたが、ほとんど耳に入らなかった。
「………………ふふっ、もういいわ。怯えさせちゃってごめんなさいね」
先程までの威圧感が消え、どこにでもいる少女のように笑うエッタ。太朗はぼうっとした視界を頭を振る事ではっきりさせると、何かを言い返そうとした。
しかし残念な事に、通信は既に切断されていた。
RSのトップである太朗との通信を終えたマーセナリーズのエッタは、艦長席の上でおおいにくつろぎ、勝ち誇った笑みを浮かべていた。
「まだまだ青二才ね。少しプレッシャーをかけただけなのに。予想外だったのは、BISHOPの通信帯域が類を見ない程に広い事ね。船の性能も凄いのでしょうけど、それが必要になる位のやり取りが出来るという事よ。事実、読み取るのが大変だったもの。素晴らしいわ」
少し興奮気味に語るエッタ。それに副官が「そうですか」と相槌を打つ。エッタは「そうよ」と楽しげに発すると、副官へ向けて1枚のパルスチップを差し出した。
「あらましだけど、向こうの切り札とやらの情報が入ってるわ。事前に発射しておいた大量の実弾を慣性巡航させておいて、オーバードライブの着地地点一帯に突入させようって事みたいね。密林という名で計画されてたわ。5千発近く撃ってたみたいだし、大変だったでしょうね」
「…………なるほど。ドライブアウト後の、艦隊編成中を狙うという事ですか。しばらく動きが鈍りますから、確かに可能かもしれませんね」
「えぇ、そうね。かなりの速さまで加速したみたいだし…………あら、どうしたの? 顔色が優れないわよ」
「……いえ、大丈夫です。それをまともに浴びていたらと思うと、少しぞっとしまして」
「そう。なら、少し自室で休憩なさい。でも今後を考えると、早い所慣れてもらわなくちゃ困るわよ………………あぁ、ちょっと待って」
踵を返そうとした副官を呼び止めるエッタ。彼女はにんまりと笑うと、言った。
「艦隊の進軍速度を、今の7割まで抑えるように通達しておいて頂戴」
それを聞き、驚いた様子を見せる副官。
「速度を、落とすのですか? 上げるのではなく?」
副官の質問に、エッタは彼が手にしているチップへと視線を向けた。
「えぇ、そうよ。向こうがずっと逃げ回ってるのは、私達を急かしたいからみたいよ。散発的な戦闘も、実弾の投入とタイミングを合わせる為。弾は慣性巡航してるわけだから、そう簡単に時間を調整できないでしょ?」
得意気な調子で笑みを見せるエッタ。副官は「なるほど」と頷くと、同じ様に笑みを浮かべた。
「実弾の通過後に、悠々と進軍という事ですね。了解しました。では、そのように伝えておきます」
ぴしりとした敬礼を見せる副官。エッタは本当に具合が悪いのかしらと、足早に去っていく副官を訝しんだ。
「ほんっと、障壁を消してデータベースにアクセスし出した時は、あんたどうしちゃったのかって思ったわ」
胸を抑え、安堵した様子のマール。それに太朗は「ぐへへ」と下品な笑い声を上げた。
「BISHOPの内容を読まれるかもってのは、ファントムさんやソド提督に聞いて知ってたからな。情報戦の勝利だ。それと、ちょっと引っかかる言葉もあったし」
「引っかかる言葉?」
「おうよ。あいつ、俺達の事を3人って言ってただろ。マールと、エッタと、そんでもって小梅の事だな。それはまぁ、俺達からすりゃその通りなんだけど、向こうからするとふたりじゃねぇか? ふたりと、アンドロイド。人数にはカウントしねぇだろ」
「なるほど。それで読まれてると思ったのね…………その後にお仲間って言葉も続いてたし、確かに変よね。テイローが筋金入りのアンドロイドフェチだって情報でもあるなら別でしょうけど」
「いまんとこ、俺がセクハラしてんのは生ものだけだかんな。普段も小梅にはそういう事してねぇし、向こうのスパイが……いたとしてもだけど、アンドーだって勘違いしてる可能性もまずないだろ」
太朗はそう言って言葉を切ると、視線をレーダースクリーンへと映した。そこには徐々に速度を落としていく敵艦隊の表示が。太朗の向かいへマールが同じようにスクリーンを覗き込み、「それにしても」と口を開く。
「あんたらしからぬ迫真の演技だったわね。本当に怯えてるように見えたわよ」
感心したような様子のマール。しかし太朗は「実際怯えてたんだよ」とそれを否定した。
「あいつ、多分なんかやってんぞ。催眠術だか、もっと科学的な何かだかはわかんねぇけど、話してるだけでこっちの意識が全部あいつに吸い込まれてくような錯覚になったな。身体を操られたりとかそういった感じじゃなくて、こう、なんつーか、感情を勝手に動かされてるような感じだった」
先程の威圧感を思い出し、ぶるりと震える太朗。マールは信じられないといった顔をしていたが、やがて何かに納得したかのように小刻みに頷いた。
「BISHOPを使って、視覚情報や何かへの印象を操作する研究をしてる所もあるわ。CMや広告代理企業なんかが大真面目に取り組んでるわね。ない話じゃないのかも…………ところで、どうやって咄嗟にデータベースの書き換えなんてできたのよ。やっぱり小梅?」
にやりとしたマール。太朗がそれに答えようとするが、その代わりに「えぇ」と横から声があがった。
「小梅はBISHOPを用いずとも、直接有線で端末へと接続が可能です、ミス・マール。緊急事態でしたので最寄の私室へと突入、端末へとアクセスをしたのですが、勢いあまって部屋の中がいくらか散乱してしまいました。宿主には謝罪せねばなりませんね」
既に艦橋へと到着していた小梅が、右手首の失われた自身の右腕を無表情に見つめながら言った。
「ロケットパンチ…………実装したんか……」
驚愕の表情でおののく太朗。小梅はそんな太朗を見ると、にやりと笑った。
「肯定です、ミスター・テイロー。自らの腕に推進機構と爆発物を内蔵するという、この常人には考えもつかないだろう危険極まりない兵器。弾頭は専用のアタッチメントを付けねばならないにも関わらず使い捨てで、弾数は両手すなわち2発のみ。あぁ、なんという非効率。なんという無駄。汎用性とは対極に位置する、鋭利に尖りきった特殊兵器。しかしながら人間とは無駄や不条理を愛する生き物であり、それを浪漫と呼ぶ事すらあります。であれば、小梅もそれを愛する所存です」
「そ、そうか。うん。俺もわかってもらえて嬉しいよ…………ところで人的被害は無かったんよな。部屋ごと吹き飛ばしたりしてない?」
「否定です、ミスター・テイロー。生体に被害は与えておりません。しかし破壊されたラブドールを2体、生産してしまいました。それぞれジュリア、ローザと着衣に名前が記載されておりましたね」
「アランの部屋か…………すまん、アラン……あとジュリアとローザも」
太朗は破壊された部屋があるだろう方角へ向けて手を合わせると、次いで手首に貼られた電子シールの時刻を確認した。
「移動が遅くなった分、電子戦機から攻撃される回数が増えるな。結構な被害にはなるんだろうけど、それさえ耐え凌げば――」
太朗は電子シールが指し示す時刻とデルタ地点到着の理想運行時刻がぴったり重なりあった事に満足すると、顔を上げた。
「今度はこっちのターンだ」




