第225話
全長1キロを超える戦艦プラムには、その巨体に見合うだけの大小様々な部屋が存在する。主な構成はほとんどがエンジンやタレット、それに燃料タンクやスラスタといった実務的な役割を果たす為の施設で占められているが、決してそれが全てではない。乗員の個室から始まり、会議室、娯楽室、調理室、応接室、情報管理室、巨大な倉庫からちょっとした機械工作作業の出来る整備室や工場まで、戦いと生活の全てが補えるように設計されている。
そして今現在太朗達が居るこの総合作戦立案所と名付けられた部屋も、そんな施設のひとつだった。そこは艦橋の次に対BISHOP諜報処理が施された場所で、重要な情報の保存された船のメインコンピューターと直結されていた。
「こっちからこう、ぐぐっとやっちゃう感じはどうなんすかね。意表をつけると思うんすけど」
そんな立案所の中で、太朗が床に指で円弧を描きながら言った。すると床には太朗の望んだ通りの曲線が描かれ、敵軍を示すマーカーへ向かう矢印へと変換された。
部屋の床や壁はそれ自体が巨大なスクリーンであり、彼らはBISHOPや体の動きを通じて、幼い子供が持つクレヨンが如く好きな場所に好きな画像を描く事が出来た。任意の画像を表示させる事も可能で、今は例の施設の映像から始まり、敵の船舶、自軍の船舶、星系図、そういったものが一面にこれでもかと張り付けられていた。
「悪くない。けど、駄目だね。この作戦の主目的はだよ、坊や。相手を面で押さえつけようって話だ。不意を付くよりも堂々と見せつけてやった方が効果的なはずさ」
太朗の発言を受けたベラが、地面に別の曲線を描きながら言った。曲線は相手艦隊の正面から侵入する形となっており、太朗は「ふむふむ」と鼻を鳴らしながらそれを観察した。
「なるほどねぇ。相手の侵入経路から逆算して、こっち方向でのカーブって事っすか…………ところでベラさん、なんで下着姿なんすかね?」
太朗は作戦上において重要たる曲線を注視していたが、ベラの豊富な双丘が作り出すカーブの方も熱心に観察していた。彼女は太朗の知る所で言うビキニスタイルの下着姿で、その上にいつものジャケットを羽織るという非常にシュールな姿をしていた。
「そりゃあ、暑いからに決まってるじゃないか。坊やの立派なアレが、休む暇なく熱いパトスを吐き出し続けてるわけだからね。こっちは身体がもたないよ。坊やは平気なのかい?」
汗で艶めかしく光るベラの肢体。太朗は対マーセナリーズ本隊との決戦における複数の戦術を考えるのと同時に、あの余った脂肪と呼び捨てるにはあまりに魅力的な胸部にある左右の不思議な突起物をどう呼称すべきか、そしてマールと比べてどちらの方がより大きいかなどを考えていた。その結論は出なかったが、体積はベラ、比率はマールの勝ちだろうと、太朗はひとり納得した。
「…………あぁ、いや。暑いっすけど、なんか凄い誤解を招きそうな表現は遠慮してくれませんかね。約1名、聞かれたら烈火の如く怒りそうな人がこの船にはいるわけで」
現在プラムの冷房機能は可能な限り強くしてあったが、それでも船内の温度は非常に高く、太朗は額を流れる不快な汗を手の甲で拭い去った。
高温の原因は恒星との距離とレールガンの連続発射による発熱で、放っておけば機械類が全て熱でやられてしまう為、溜まった熱気を戦艦内部へ循環させる必要があった。船が浮かぶ宇宙空間自体は超低温だが、熱を伝える空気や何かが存在しない為、排熱は全ての人工物に付きまとう難しい問題だった。
現在のプラムは緊急時に展開する翼状の放熱板が最大限に拡げられていたが、それでも間に合わない分は船内気温の上昇という極当たり前の結果を招く事になっていた。
「ステーション生まれだと、熱さを感じる機会っては滅多にないからね。それこそ非常事態くらいなもんさ。だからあんまりいい気分はしないんだよ」
ベラが手の平を不快そうにした顔へ向けてひらひらとし、自らにわずかばかりの風を送った。太朗はその動きに合わせて揺れる白い塊を、可能な限り網膜に焼き付けようと努力した。
「ま、まぁそういう事なら仕方ないかな。俺はほら、なんていうか、船の風紀や何かを考えるとどうしても止める立場にはあるんだけど、そういった深い理由的な何かをおしてまでやるのは逆に駄目なんじゃないかなって思うし」
「つべこべ言わずに好きなだけ見るといいさ。別に気にしやしないよ……ただし頭が鈍るようなら引っ叩くよ」
「うひぇ、了解っす! でも後2000人分くらい余裕があるんで大丈夫。残り全部がガン見してるけど」
「2000人? 何の話だい?」
「あ、いや。こっちの話っす……それよりベラさん、なんか変な形でまとまっちゃいましたけど、もしソド提督とやり合う事になってたらどうだったって予想してます?」
レースの編み込みが入ったショーツを横目に、何か黒っぽいものが透けて見えているようないないようなと、その審議を悩みながら発する太朗。それにベラが「そうさねぇ」と腕を組んで考え込んだ。そして太朗の視線が彼女の腕に乗せられた実弾2発に移る。
「負けたとは思わない。ただし勝てたとも思えない。そんな所かねぇ。勝敗が決するまで黙って見てるような相手じゃあないよ。経歴や何かを見る限りね」
「あー、そんな感じっすねぇ、確かに。やっぱ優秀なんすか? あの人」
「そらそうさ。伊達に大企業の警備部長じゃあないよ。ちゃんと引くべき所は引いて、押すべき所は押してる。単純な話だけれど、だからこそ難しかったりするもんさ。そして慎重ではあるけれど、消極的なわけじゃあない。そういう相手は怖いね」
「なるほど…………短気起こして無視したりしなくてよかったな……」
太朗はベラの物言いからすると、例えソド艦隊との戦いで勝利したとしても、恐らく結果的には致命的な打撃を受ける事になったのだろうと考えた。マーセナリーズからすればソドの艦隊はあくまで先遣隊に過ぎず、主力たる本隊は別に存在する。ソドとの戦いで傷ついた自分らがそれに打ち勝つ状況など、どう楽観的に考えても難しかった。
完全に結果論ではあるが、ソドからの停戦交渉を受けておいて本当に良かったと、太朗は強く安堵した。
「でも優秀うんぬんで言うと、その怖い奴が倍の数の船持ってても引き分けるって、どんだけっすか。ベラさんって、ウチに来るまでは艦隊指揮なんてした事ないんすよね?」
太朗が知る限りでは、ベラはアルファ星系を拠点としたガンズアンドルールズというマフィアンコープの代表で、ベラ自身は人型兵器であるHAD乗りのはずだった。当然HAD部隊の指揮と艦隊の指揮に共通する部分も多いのだろうが、それでもベラの艦隊運用能力は疑問だった。
「ないねぇ。でも、坊やの所に来てからはずっと主力を率いてどんぱちやってきてる。その経験がって説明じゃあ不満かい?」
「あぁいや、気にはなりますけど、他人の秘密を覗く程野暮じゃないんで……お、乙女の秘密的な?」
「なんで口にしてるあんたがの方が顔を赤くしてるのさ…………まぁいいさ。とりあえず、500。この数字を覚えておいてくれればいいよ」
ベラが手の平を突出し、5本の指を見せつけてくる。太朗が「500?」と尋ねると、彼女はそれに頷いた。
「私が、まぁ無理をすれば運用出来るだろう最大数がそれだけだね。それ以上になるとちょっと難しいと思う。船については、小さい頃はじじいに連れられてあっちこっちに飛び回ってたからね。それで憶えたのさ。その後は切った張ったの世界に入っちまったけど、小さい頃に憶えた事ってのは忘れないもんさ」
にやりと笑って見せるベラ。太朗は彼女の祖父たるアルジモフ博士の活発さを思い浮かべると、さもありなんと苦笑した。
「集団掌握制御ってギフトってのは、坊やみたいに複数を同時にこなすんじゃなくて、複数をひとつの物として捉えるんだと。小難しい名前のギフトだけれど、中身は意外と単純さね。ただしかなり珍しいもんらしくて、一時期研究対象になってた事もあるよ。悪く無い稼ぎだったしね」
ベラは羽織ったジャケットから葉巻を一本取り出すと、慣れた手付きでそれに火を付けた。彼女は大きくゆっくりと煙を吸うと、気持ちよさそうにそれを吐き出した。
「それで分かったのが、さっきの500さ。その程度のまとまりならなんとかなるそうだよ。こいつはかなりイレギュラーな量だって話さ…………ふふ。意外と、私はエッタ嬢ちゃんや何かと同じような出身なのかもしれないね。親がいない点についても同じさ」
意地の悪そうな笑みを浮かべるベラ。太朗が「博士は?」と短く尋ねると、ベラは「その息子の養子さ」と答えた。
「そうっす、か……親がいない…………そういえば、向こうのソナーマンも……」
ベラに語るではなく、ぼんやりと呟く太朗。
彼はエッタ、ベラ、マール、ファントム、敵のソナーマン達、それらに共通する不自然とも呼べる事実を考えると、背筋に薄ら寒い何かが走るのを感じた。親を知らない。ギフテッド。ブーステッド。そしてなぜか、全員がアルファ星系方面宙域に集中している。ベラは半分冗談めかして同じような出身などと言ったのかもしれないが、太朗には全く笑えない内容だった。
「テイロー、ベラ、B地区作戦の方は目途が立ったみたいよ」
そう声を上げながら、立案室へと飛び込んで来るマール。彼女は返事も待たずに太朗の元へと小走りに駆け寄ると、額にチップをぺたりと貼り付けてきた。
「…………お、ほんとだ。よくこの短期間で用意出来たな。ライザ死んでた?」
報告書たるチップの中身を確認し、マールへ尋ねる太朗。彼が立案したB地区作戦――名前は単に女性陣にこれを呼ばせたかっただけだ――は次の戦いに必要不可欠なものであったが、その準備に膨大な作業量が必要とされるものだった。
「えぇ、人海戦術でなんとかしたみたいだけど、相当ヤバかったわよ。ライザ自身も作業場で手伝ってたんだけど、そこのどの作業員に対してもタカシっていう名前で話しかけてるの。正直ちょっと不気味だったわ。近いうちに長期休暇でも取らせた方が良いんじゃないかしら」
眉を顰め、耳打ちの要領で小声のマール。太朗は「まじかよ」と苦笑いを浮かべると、もう一度報告書の中身を確認し直した。
「…………おいおい、こりゃ本格的にやべぇな。関係者作業員リストが3000人分くらいタカシって名前で埋まってんだけど。なんだよこれ。すげぇ怖ぇよ……ギャグじゃねぇとしたら、これもうわかんねぇな。医者の出番か?」
B地区作戦の立案、実施命令を出した身として、申し訳無さに襲われる太朗。彼は手を合わせて「なんまんだぶなんまんだぶ」とチップに向かって頭を下げると、戦後はライザを十分に労わってやろうと心に決めた。
「そうね。アルジモフ博士なら、きっと腕の良いドクトルを紹介してくれるわ…………それはそうと、そっちの方はどうなの? デルタの密林作戦だっけ?」
「おう。正直遅れ気味だな。思ったより発熱が凄くて、休み休みの発砲になっちまってるから。間に合うかな?」
「えぇ? んもう、そういう事ならさっさと呼びなさいよ。予備のラジエーターを繋げばかなり改善するはずだわ。電力も予備電源を一時的に持ってきちゃえばいいわけだし、こんな熱い思いをする事ないわ」
「うほっ、まじかよ。さすが機械工学ギフト。こういう時はまじで頼も……しい…………」
先程まで考えていた事を想い出し、太朗の言葉が尻すぼみに消えていく。彼は単なる偶然だと自分に言い聞かせたが、残念ながらそれはあまり効果がなさそうだった。
「まぁ、戦闘中はあんまり活躍出来ない分、こういう時くらいはね…………って、ちょっと、ベラ! あんたなんて格好してんのよ!」
マールがようやくベラの恰好に気付いたらしく、驚いた表情で発した。ベラは床に描かれた作戦図を睨みつけたまま、「似たような恰好じゃあないか」と余裕そうに言った。
「わ、私のはスポーツウェアよ! スポーツウェア! テイローが言うには水中で運動する際のフォーマルだって話よ。すくみずって名前ね。あんたのそれはどう見たって下着じゃない…………ちょっと、テイロー?」
名前が出されているのに何の反応もしなかったせいか、マールが心配そうな様子で顔を覗き込んでくる。太朗はそれに「あぁ、うん」と生返事をすると、考え事を頭の中から強制的に放り出す事にした。これ以上考えた所で何か解が得られるとも思えないし、今考える必要のある事でもないように思えた。
「今は、今やれる事をやるだけか…………よしっ! 辛気臭いのは終わり! 景気付けに一発もらっとくか!」
空元気と共に叫ぶ太朗。彼はとりあえず目の前にあったマールのおっぱいを鷲掴みにすると、いつも以上にキレのある彼女の右ストレートを甘んじて受け、ゆっくりと前のめりに倒れ込んだ。
一発で気絶させてくれるなら、僕も機会さえあれb




