第224話
RSアライアンス領にあるいくつかの辺境宇宙ステーション。それらにはいつ作られたのかその記録さえ定かではない古びた桟橋が、銀河帝国初期の残滓かのごとく残されていた。そんな旧エンツィオ時代には見捨てられてしまった桟橋だが、いまはかつてと変わらない驚くべき賑わいをみせていた。
「なぁおい、あんたどこからだ?」
ステーションの桟橋を直接管理する管制塔のひとつで、古臭い棒状のジョイスティックを手にした男が、眠い目を擦りながら言った。
男の作業はBISHOP経由で送られてくるリストを確認し、指定された積荷を指定された船のカーゴにひたすら収め続けるだけという至極単純なものだった。それが何のための作業なのかさっぱりわからず、仕事に対するモチベーションを上げる事は難しかった。
そして何より彼は、連日の徹夜続きでまいっていた。先程より何度も立った状態のまま寝てしまいそうになっており、こんな意味のわからない仕事など放り出してその場ですぐにでも寝てしまいたかったが、生活の為だと歯を食いしばって頑張っていた。今の雇用主は酔狂にも残業代などというもの――このあたりじゃ聞いた事もない!――を支払ってくれるらしく、その割増賃金は実に魅力的だった。
「私に言ってるのかしら?」
男の隣で同じような作業をしていた女が、振り返りもせずに言った。男はそれに鼻を鳴らすと、「この部屋に他に誰がいるんだ?」とぶっきらぼうに発した。
「独り言が好きな方だっていらっしゃいますから。というか、私の出身と仕事に何か関係がありまして?」
女が挑発的に言った。男は一瞬むっとして何か言い返してやろうとしたが、口を開けた所で考え直して止めた。女は男と同じように長時間労働でもしているのか、目の下にくまを作り、どこかどんよりとした風だったが、それでもため息が出る程に美しく、そして男は美人に弱かった。今の彼には眠気を覚ます為の話し相手が必要で、彼女はその相手としては申し分なかった。
「単なる世間話さ。そうつんけんすんなよ…………ほら、あれだ。従業員規則にも書いてあるじゃねぇか。業務に支障が出ない限り、社は従業員同士の交流を是とするってよ」
男は桟橋での短期労働契約を結んだ際に、面接官からしつこく読まされた書類を思い出して言った。それは常識的な内容だったが、時には首を傾げたくなるようなものもあった。この従業員同士の交流うんぬんもその内のひとつで、わざわざ会社側がそんな事を推奨する理由などわからなかった。
「そういえばそんなものもありましたわね…………困ったわ。今月は何も計画してないじゃない」
女が何やら顔をしかめ、ぶつぶつと呟いた。男は美人というのは難しい顔をしていても美人なのだなと、そんな事を思いながら女を見ていた。
「ねぇ貴方。その従業員同士の交流についてですけど、社が何か催し物を用意するとしたらどんなものが良いかしら。パーティーだとか、スポーツ大会だとか、そういったものよ」
女がちらりと男の方を見ながら言った。男はその視線に小さく口笛を吹くと、「そうだなぁ」と考え込んだ。
「やっぱり、シンプルに酒を飲んで語り合うってのがいいと思うぜ。ここは輸送もやってんだろ? 中央の旨い酒が用意出来るじゃねぇか。男がいて、女がいて、酒がある。十分じゃねぇか」
男がにやつきながら言った。女はそんな男に軽蔑したような視線を向けてきたが、「そうね」と意外にも同意した。
「凝ったイベントより簡単なものの方が受けが良いのは事実だわ。アンケートにしっかり出てますもの…………ホテルでの立食パーティーより居酒屋で飲むだけの方が人気ってのは、なんだか納得いきませんけど」
女が口を尖らせながら呟いた。男は「アンケート」という単語を耳にすると、もしかしたら自分は何かやらかしてしまったのだろうかと不安になった。アンケートも立派な情報のひとつであり、それを目にする事が出来るという事は、少なくとも自分のような最下層の下っ端と同じ立場という事は有り得なかった。
「あー、その。何だ。人には得手不得手ってのがあるもんだろ? ここいらは銀河でも指折りのど田舎さ。ホテルだの何だのってのは、見た事もねぇ奴がほとんどさ」
男が誤魔化すように言った。それに女が「あら」と興味深げに振り返る。
「なかなか良い事を仰るのね。貴方、この辺りの風俗や文化には詳しいのかしら?」
「え? あぁ、もちろんだ。生まれも育ちもここだからな。俺の家はここいらで起こったもめ事を仲裁するような事をしてんだ。この辺りでタカシの名前を知らない奴はモグリだぜ」
「そう。それにしても変わった名前ね。ここらでは一般的でして?」
「いや。あー、他と比べりゃって意味じゃあそうだな。旧帝国領時代から代々受け継がれてきた名前だな。親父も、爺さんも、そのまた親父もみんなタカシだ。当然3人いる兄弟もみんなタカシだな」
「ふうん。なんだか不便そうですけど、そういうものなのね。女性の場合はどうするのでして?」
「良く聞いてくれたぜ。女の場合はな――」
タカシは相手が特に何も気にしていないようだと見てとるや、滅多にない美女との会話を少しでも長く楽しもうと努力した。
元々誰かと話しをするのが好きだったタカシではあるが、その無愛想な性格と見た目から、積極的に他者へ話しかける機会は少なかった。よって会話の種にも限りがあり、これを続けるには努力が必要だった。しかしながら有り難い事に、女の方も会話に興味がないわけではなさそうで、タカシは銀河のどこかにいるかもしれない神に心の中で感謝した。当初のつっけんどんな態度はおいておくにせよ。
「――とまあ、そんな感じだな。将来は戦艦に乗って、皆を守る為に戦う職につきたいと思ってる。この仕事はその手始めってやつだ…………あぁ、そういやあんたの名前を聞いてなかったな。教えてくれよ」
名前から相手の人となりが調べられるかもしれないなどと、下心を隠して尋ねるタカシ。女はそんな彼に訝しげな視線を送ってきたが、やがて「ライザよ」と短く返してきた。
「ライザか。へへ、いい名前だな。都会っぽい響きがするぜ。きっと中央出身だな…………なぁライザ。あんた、これを何に使うか知ってるか?」
管制室の窓向こう。自分達の操作するジョイスティックが連動するアームやら何やらが雑多に蠢く桟橋を、親指で指し示すタカシ。ライザはその先をちらりと見やると、露骨に不快そうな表情を見せた。
「私の上司にも貴方と似たような方がいますけれど、普段どんな仕打ちをされているかを教えて差し上げたいですわね。私、あいにく暴力は苦手ですから、電気ショックなんていうのはどうでして? 徹夜続きで気が立っていてよ?」
ライザが腰から小さな銃を取り出して言った。眠気のせいがどの程度の割合なのかは不明だが、視線で人でも殺すかといった表情。タカシは何が起こったのかわからずに後ずさると、窓向こうを見やり、自分の犯した過ちに気付いて顔を真っ青にした。
「ち、違う! 誤解だ! あんたの方のコンテナじゃない! 俺の方だ!」
タカシが担当している搬入用コンテナには、使い道が全くわからない雑多なガラクタが詰め込まれていた。作業当初は他所のステーションで大規模な集中サルベージでも行うのだろうかと予想していたのだが、ガラクタの中身に統一性がなく、船の構造体から着古されたぼろ、食料品、はたまた家具やら雑貨やらと滅茶苦茶だった。タカシはそれがずっと気になっており、何かそれなりの地位にいるらしいライザに聞いてみたかった。
しかし恐らく彼女が勘違いしたのだろうライザの担当するコンテナの中身は、いわゆる大人の玩具がぎっしりと詰め込まれており、これの使い方うんぬんとなると、言い逃れようのないセクハラ以外の何物でもなかった。
「本当かしら。男はみんなそういうものだから覚悟しろって兄様は仰ってましたけど…………まぁ、いいわ。それよりそのゴミの山ですけど、戦争に使うものでしてよ」
ふんとそっぽを向いたライザが、さらりと言った。タカシは何かの聞き間違いだろうかと「戦争?」とおうむ返しに尋ねた。
「えぇ、そうよ。戦争。今やってるでしょ? 貴方、先ほど戦艦に乗ってどうたらと仰ってましたけど、別に船に乗って撃ち合う事だけが戦いではなくってよ」
当たり前の事を、当たり前に語るかのようなライザ。タカシは誤解が解けたようで良かったとほっとしたが、彼女の言った言葉の意味を考えると何やら不安になってきた。
「…………こんなガラクタを何に使うかしんねぇけどよ、これで人が死んだり助かったりすんのか?」
「さぁ。使うのは警備部や社長ですもの。知りませんわ」
「おいおい、知らないでやってんのかよ。気にならないのか?」
タカシの質問に、ライザがきっとした視線を向けてきた。
「気になるかどうかは関係ありませんわ。私は私の仕事をするだけでしてよ。自分に出来る事を、精一杯やるだけ。それ以上でも以下でもありませんわ。おわかり?」
何の迷いもなく発せられた言葉。タカシはそんなライザの答えを聞くと、「そうか」と答え、その後はしばし黙り込んだ。
金を稼ぐ為だけにとなぁなぁでやっていた仕事であり、作業内容の意味がわからずに不満を持っていたタカシだったが、戦争に使われるとなると、これは思ったよりも重要な作業なのかもしれなかった。
そしてライザとこうして話してみると、そもそもそんな事はとても些細などうでも良い事なのではないだろうかとすら思えてきた。自分は自分の仕事を行う。結局の所、どこの世界でも良く使われる言葉だが、タカシにはそれが正しい真実なのではと思えてきた。
ジョイスティックを操作するライザの手は薄汚れており、寝不足によるものだろう顔は酷い有様だった。帝国中央にいれば全てをBISHOPで制御出来る環境がどこにでもあるだろうし、そもそも彼女がこんな末端の作業を手伝う必要があるのかすら疑問だった。銃の携帯を許されているという事は、彼女は自分が想像していたよりもずっと上の立場の人間という事になる。そんな人間がここでこうして苦労している姿は、タカシに何か神々しいものを連想させた。
「自分に出来る事か……」
タカシは先ほど言われた言葉を反芻すると、その言葉が自分に当てはまる点を必死に考えた。それはとても少なかったし、今望まれてるのはジョイスティックを動かし続ける事なのだろうが、それでも考えた。美人に軽蔑されたままというのは、受け入れ難かった。
「なぁ、こんだけ無理してるって事は、人手が足りてねぇんだろ? なんなら親戚一同、みんな集めてやるよ。うちは代々機械系のBISHOP操作が得意でよ、全員このくらいの作業なら朝飯前にやってのけるぞ」
ようやく絞り出したアイデア。タカシは自信のあるそれを伝えると、相手の反応を待った。
「そう。それは有り難いわね。でも、今更ひとりやふたり、それとも十人単位なのかしら。その程度が増えた所で焼石に水よ」
うんざりとした様子のライザ。タカシはそれに「いや」と答えると、その人数を指折り数えてみた。
「確か、このステーションだけで2200人とちょっとがいたはずだ。これで半分だな。もう半分はちょっと離れた所にいるが、ひと声かければみんな飛んでくるはずだぜ」
自分の家族を含め、懐かしい顔ぶれを思い出すタカシ。どうやらライザは驚いたようで、目を丸くしていた。
「そ、そう…………もしかしてですけど、その方達の名前も?」
ライザが恐る恐るといった様子で訪ねてきた。タカシはそれに得意気な笑みを浮かべると、「タカシさ」と答えた。
裏方のお話
きっと女はみんなカーチャン




