第218話
「これは、大変な事になりましたね」
マーセナリーズ派遣艦隊旗艦の中央指令室にて、総司令ソドの副官がぼそりと呟いた。
「………………」
ソドはそれに何も答えなかったが、それは否定を意味するものではなく、事実上の肯定だった。
「膨大な通信量から察するに、恐らく何らかのECMを受けていたものとは思われますが……正直、詳しい内容は解析してみるまでわかりません」
ソドの上司であるヨッタの搭乗船が沈没するまでの、一連の流れ。そのリプレイが流れるスクリーンに、副官が指を滑らせながら言った。ソドは鼻を鳴らす事で答えとすると、引き続き無言でスクリーンを見続けた。
「侮っているつもりはなかったんだがな」
静かに呟くソド。
先の襲撃における双方の損害比は、明らかに派遣軍側に不利な傾きとなっていた。ソドはそれにプライドが傷つけられたが、だからといって落ち込む程ではないと彼は考えていた。
あらゆる戦いを常に勝ち続ける事など不可能であり、彼自身も長いキャリアの中で多数の負けを経験してきている。今回のケースもそれがひとつ増えたに過ぎず、重要なのはこれからどうするかだと彼は考えていた。
「削り合いであれば、勝つのは我々だ。我々は同じ事をもう5、6回も繰り返す事が出来るが、向こうにはそれができない」
目の前には副官がいたが、ソドは誰へ話しかけるともなく口にした。
「個々の戦い全てで負けたとしても、目的さえ果たせばこちらの勝利だ。戦術と戦略は異なる。ただし――」
ソドはBISHOPの艦隊統合情報システムへとアクセスすると、先の戦いで失われたものの羅列を眺め見た。
「あらゆる損害を無視して戦い続ければ、の話だ」
ソドはそう結論付けると、目を閉じて現状を憂いた。
最高司令官である彼が現在感じている最大の懸念は、敵の艦隊などではなく、それは補給だった。
機械というのは、それが例え戦う為に作られた特別な品だったとしても、やはり使えば摩耗し、やがては壊れるものだった。シールドが敵のビームを完全に防ぎ切ったのにも関わらず、その衝撃で精密機器が故障したなどという話はよくある事だった。
それに船というのは、動いているだけでもとにかく消耗品を消費するものだった。例えば船の動力たる核融合エンジンひとつをとっても、それはただ核融合反応に必要な燃料さえそこにあれば良いというものでもなかった。そして宇宙船というのは、そういった装置が何千何万と集まって出来たものだった。
「僻地、というのが大きいな。いや、せめてアウタースペースでさえなければ……」
現地で補給が出来ないというのは、彼自身これまでに経験した事のない事態だった。銀河帝国勢力圏内部での戦いであれば、少し足を伸ばせば補給可能なステーションなどいくらでもあるものだった。時に企業間の関係から断られる事もあったが、そういった場合は他のステーションを探すか、法外ではあれど高い金を払えば済むような話だった。
しかしここアウタースペースにはそういった施設はなく、あったとしても完全に敵勢力下にあるだろうと思われた。さらには、今回の戦いには常日頃懇意にしている兵站管理会社が参加しておらず、また、他の大きないくつかの企業も同様だった。アウトサイダーを大量に雇用している金さえ積めばどんな事でもするような企業でさえ、ここぞとばかりなのか何なのか、タイミング悪く大規模なストライキを起こしている。彼にそれらの理由はわからなかったが、どうせろくでもない理由なのだろうと考えていたし、わかった所でどうしようもなさそうだった。
「それに、補給が効かないものもある」
彼は己が艦隊が出した死者、及び行方不明者のリストをじっと目に焼き付けると、ふぅとため息をひとつ吐き出した。それらには知った顔もあったし、時々飲みに行くような関係の者もいた。人員はやがて補給されるだろうが、それは少なくとも今ではないし、何より彼の知るその人が返って来るわけでもなかった。
「相討ち覚悟の勝利など、所詮は机上の空論にすぎない。ですか?」
副官が冷静に言った。ソド提督はそれにひとつ頷くと、「そうだ」と言って腕を組んだ。
「我々は狂戦士ではないのだからな。かのグンマー星系守備隊のように、最後の一兵までというわけにはいかんのだ……何万もの遺族へ手紙を書くという行為は遠慮したい。そうするくらいなら、俺はこの銃で自分の頭を撃ち抜くぞ」
ソドはそう言ってベルトに吊り下げられた銃を2、3度軽く叩くと、改めて副官の方へと向き直った。
「追撃は行わない。要救助者の回収を急がせろ。船艇の修理もだ。足りない部品は、沈没船や既存の船を分解してでもかき集めろ。一隻でも多くの船を動かすんだ」
ぴしゃりと言い放つソド。そして「はっ!」と敬礼をする副官。副官は命令を実行すべく出口へ向けて足を進めたが、やおら立ち止まって首を巡らせた。
「提督。これは命令不履行にあたりませんかね。我々は現地急行を最優先に命じられておりますが」
少し惚けたような声。ソドはその声ににやりと笑った。
「知った事か。何か言われたら、急がば回れということわざでも伝えておけ。このまま退却するわけでもないしな。それに――」
ソドはそう前置きすると、話は終わりだとばかりに手を振った。
「お目付け役のあの女は、もうこの世にはいない…………まったく、残念な事だ」
そう語る提督の表情は、非常に晴れやかだった。
「うーん、こりゃ予想外だな。てっきり追撃してくると思ったんだけど」
戦艦プラムの艦橋で、太朗が難しい顔をしながら言った。
「そうかしら……向こうは、ソナーマンを失ったわけだし、一度、その、立て直したいんじゃないの?」
忙しそうに視線を動かすマールが、ぼんやりとした調子でそう返してきた。太朗はそれに返答しようとしたが、見た目に反して忙殺されているのだろう彼女を想って口を閉ざした。
マールは今、プラムの通信機能を使い、艦隊を構成するあらゆる船に対しての修理と検査を実行していた。当然各々の船には設備管理の専門家が多数搭乗していたが、それでも彼女がこうして作業を手伝った方がずっと効率的だった。マールは既にいくつかの重傷を負った船のサルベージを済ませており、本来の予備在庫を含め、どの船の、どの装置の、どの部分に使える部品が、それぞれいくら存在するのかすらを正確に把握しているようだった。
「相手側がソナーマンを喪失したのは確かですが、そうであるからこそ、当方を捕捉出来ている今が絶好の機会ではないかと小梅は考えます。また、敵が保有しているソナーマンがひとりだけと考えるのは危険ではないでしょうか、ミスター・テイロー」
そんな太朗の気持ちを知っているのかそうでないのか、小梅がそう言って首を巡らせてきた。太朗はそれに「あぁ、うん」と頷くと、続いて「え?」と聞き返した。
「え、とは何でしょうか、ミスター・テイロー。まさか想定していなかったなどという情けない答えだとすると、小梅はあまり聞きたくありませんね」
「…………あ、あっはっは。当然考えてたに決まってるじゃあん。ほら、あれよ。むしろそうだからこそ、なおさら追撃してこないのが不思議だから、その事を考えててね?」
「あっはっは、そうですよね、ミスター・テイロー。これは大変に失礼をいたしました。ミスター・ファントムからの資料によれば、最低でも10名近いソナーマンの存在が確認されているとありますしね」
「う、うん。そうだね。いやー、それにしてもアウトサイダーのスパイって便利だよな。BISHOP使えないから考え読まれる事もないし。ちょっと便利な状況が限定されすぎだけど」
太朗はそう言って誤魔化すと、他と比べてひと際小さなシートをちらりと覗き込んだ。そして先ほど行われた電子的な戦いを思い出すと、現状がいかに危険かを認識してぶるりと震えた。
「向こうには予備がいっかもしんねぇけど、こっちはエッタだけだからな…………眠り姫を起こさないように、さっさととんずらすっか。欲張るとロクな事はねぇだろうし」
太朗はほとんど微動だにせずに眠るエッタを見てそう判断すると、マールの方へ向き直った。彼は身体を突き出して肘を折ると、いやいやをする子供のように身体をふるふると震わせた。
「…………なにやってんのよ。かなり気持ち悪いわよ」
「……あれ? 退却の合図ってこうやるんじゃねぇの? 小梅から教わったんだけど」
「各艦、再オーバードライブの準備が整ったようですよ、ミスター・テイロー。さすがミス・マールは仕事がお早い」
胡散臭そうな目を向けて来るマールと、それを受けて小梅に抗議の視線を送る太朗。小梅は頭をぐるりと回転させ、明後日の方を向いた。
「最近、こいつが本当は人間なんじゃないかって思えてきたんだけど…………」
「中の人などおりませんよ、ミスター・テイロー。このような動き、人間にはとても真似できまいというやつでしょう」
高速で回転する小梅の頭。遠心力で髪が傘のような形に浮き上がっていく。太朗が「おぉ」と感嘆の声と共に拍手をすると、彼は後ろから加えられたマールの蹴りでシートから派手に転げ落ちた。
「戦! 争! 中! オーケイ?」
「お、おーけいマム……くそっ。こいつはこいつで、なんでこう、毎回急所を的確に狙ってきてんだ」
「なあに?」
「すいません、なんでもないっす! リンケージオーバードライブ、どん!」
一瞬の浮遊感と、加速による若干の慣性の移動。太朗はレーダースクリーンで艦隊同時ワープが成功したのを見てとると、若干の安堵と共に地面へ横になった。
「…………正直、ちょっと死ぬかと思った」
ぼそりと漏らす太朗。それにワープによって作業を中断したマールが「私もよ」と静かに立ち上がった。
「エッタに感謝しないと駄目ね。ふふ、良く寝てるわ。やっぱり疲れたのかしら」
マールはエッタのシートへ寄り掛かると、エッタの髪を優しく撫でた。
「時にミスター・テイロー。先ほどの電子欺瞞に作戦上不必要と思われる仕掛けが施されていたのに気付きましたが、あれは貴方が作成したものですよね。小梅にはその必要性が不明なのですが、理由をお教えいただけますか?」
何か不具合が生じたのか、頭だけを後ろに向けたままの小梅が言った。太朗はそんな小梅を不気味だと思いつつ、「まぁ」と曖昧な声を出した。
「必要ないっちゃ必要ないんだけど、気分的なもんかな。環境のトレースと再現はいつかのマール捜索でノウハウが出来てたし、電子的な作業やら何やらは全部エッタがやってたから、いくらか余裕があってさ。連中がやってきた事を考えっと…………いやまあ、大人気なかったかもな。良くわかんねえや」
特に隠すでもなく、敵に送りつけたカウントダウンタイマーについてをそう答える太朗。小梅は「なるほど」とそれに頷く――後ろへだ――と、元に戻すのを諦めたのか、まるで漫画のようにすぽんと自らの頭を取り外した。
「AIである小梅にはわかりかねますが、人間というのはそのようなものかもしれませんね。しかしながら脅威度の高い目標を撃破したのは確実だと思われますし、あれだけの力量を持っているのであれば、恐らくかなりの重要人物である可能性が高いでしょう。それを除いたというのは我々にとって大きいと言えます。ちなみに正直な感想を述べさせてもらうとしますと――」
小梅は取り外した頭部を腕で脇にかかえると、両手を上に向けて肩を竦めた。
「いくらかすっとはしましたね。ざまあみろ、という奴です」
脇に抱えられた小梅の顔が、まるでふんぞり返った得意気な女のするようなそれに代わる。太朗はそれを「そっか」と笑うと、マールも同じように「そうね」と笑った。
「でもまあ、せいぜい最初のラウンドにかろうじて勝利したってだけの話だからな。本番はこれからだぜ」
太朗はマールの手を借りて起き上がると、そう言って表情を戻した。
「肯定です、ミスター・テイロー。多少の打撃を与えたとはいえ、敵第2艦隊は依然として脅威のままですし、主力艦隊もこちらへ向かってきています。戦いはまだ始まったばかりと見るのが適切でしょう」
既にいつも通りの無表情に戻った小梅が、脇の下からそう発した。
「そうよね。まだ、第一ラウンドなのよね…………」
マールがうんざりした様子で呟き、各々がそれに頷く。
博士を含めた調査チームから送られてくるはずの通信。3人の視線はばらばらだったが、BISHOP上では同じように、その通信を受信するための関数をじっと眺め続けていた。




