第217話
お待たせして、大変、大変申し訳ありませんでした。
ようやく、なんとか執筆を再開できそうな感じです。
エッタは気分が良かった。
プラムの艦橋を見渡せば、そこには不安気な表情を覗かせる仲間達がいたが、それでも彼女は気分が良かった。理由はわからないが、きっと太朗達の役に立てるという事が嬉しいのだろうと思った。
「エッタと同じ相手……エッタと同じ相手……ふふっ」
エッタはぶつぶつと小さく笑うと、電磁波の描く極彩色の視界をぼうっと眺め見た。壁はもはや視線を隠すという意味では何の役にも立たず、離れた位置にある第2艦橋の人々を視認する事も出来た。やがてそれはエッタの放つ放射線から船を守る為に、小梅が即座に起動したのだろう対線モード移行により見えなくなってしまったが、それは大した事ではなかった。船の外を見る方法はいくらでもあった。
「かくれんぼは、好きよ。探すのは、得意なの」
エッタはそう呟きながらプラムの端末へとアクセスすると、流れるような動作でBISHOPを操作した。彼女の優秀な上司――と少なくとも彼女は思っている――である太朗は、何の説明もされていないにもかかわらず、彼女が求める電子機器中枢へのアクセスを即座に許可してくれた。
エッタは、太朗にそこまで信用されるような何かをした憶えなどないし、それはきっと船の責任者として褒められた行動でもないはずだとも思っていた。マールやアランは太朗の事を「お人好しだ」などと言っていたが、まさにその通りなのだろうとエッタは思っていた。しかしながら彼女は、太朗のそんな所が好きだった。
「そう、かくれんぼ。でも、違うわ。あなたが誰だかは知らないけど、違うのよ」
エッタは高揚した気分でまだ見ぬ相手へそう語ると、プラムに搭載されている高性能通信システムを起動した。情報の発信元として必要な機能を備えたそれは、エッタが望む全てをもたらしてくれた。
「違うの……違う……」
集中により、意識を深い場所へと沈めていく。通信システムが艦隊全ての船が持つスキャンデータをエッタの脳へと送り、彼女はそれを適切に処理していった。敵艦隊の放つスキャン波や通信用ドライブ粒子の流れを、絡まりきった毛糸玉をほぐすかのように、ひとつひとつ丁寧に。
「あなたは、私達の事を、探してるつもり。でも、そうじゃないわ」
エッタは複雑な偽装の施された情報の渦をさらうと、それを単純作業の形に変換して太朗へと送り届けた。そしていつもいつも彼女の驚愕を誘う通り、その暗号化された情報はすぐさま解読された形で返された。
「隠れるのは、私達じゃない。それじゃ、駄目」
生粋のソナーマンであるエッタは、手に入れた情報全てを頭の中でさらうと、かつて彼女が生活していた施設でそうしていたように、たったひとつの情報を導き出すべく努めた。
それは傍から見れば気の遠くなるような作業量であり、文字通り命を削るような作業だったが、彼女からすればそれは当たり前の事だった。エッタは太朗のような超演算能力こそ持たないが、物事を抽象的に捉え、組み合わせ、処理し、そして論理的に返す事が出来た。彼女が施設での過酷な競争を生き抜く事が出来たのは、まさにその力のお陰だった。
「鬼は、わたし」
エッタは無数の情報の渦からひとつの座標値を見つけ出すと、にやりと笑った。相手はあらゆる通信やスキャンに巧妙な偽装を施しており、なかなかに優秀なようだったが、彼女からすれば大した事はなかった。彼女からすればこの程度の手合いなどいくらでも下してきたし、顔や名前を記憶するにも値しない程度の相手だった。もしかすると3年か、あるいは4年を施設で生き延びた者かもしれないとエッタはあたりを付けていた。
「3年生、みつけた」
小さく呟くエッタ。彼女は歪んだ笑みを深くすると、今度はより楽しそうに、「みぃつけた」と笑いながら繰り返した。
コールマンの施設において、エッタは常に勝ち続けてきた。
生まれてからの20年以上を、ずっと。
「一丁前に探してるみたいね。ふふっ、でも甘いわ」
マーセナリーズきってのソナーマンであるヨッタは、敵のソナーマンがこちらの座標を特定しようとあがいている様子を感じ取っていた。向こうのスキャンは射撃目標のロックオンとしては明らかに散漫であり、そしてオーバードライブ先の空間予約用というわけでもなさそうだった。
「そんなに一度に波を飛ばしたら駄目じゃない。場が見えにくくなるし、情報がオーバーフローするわ。もっと順序だってやらないと」
ヨッタは教師が幼い生徒に対してそうするように、優しく、楽しそうに言った。
彼女は相手が各スキャンからそれぞれ得ただろう情報を推測し、それの対処を何重にも行っていた。そもそも常にかけ続けているジャミングが破られるとは考えておらず、情報自体を相手が捉えられているかどうかも疑問だったが、念には念を入れるつもりだった。先の狙撃を避けた動きを見るに、相手はそれなりに優秀らしかった。
「あぁ、もう。駄目ね。てんで見当はずれの所を探してるわよ」
ヨッタは敵のソナーマンが無意味としか思えないスキャンを飛ばしているのを確認すると、そう言ってくすくすと笑った。それはどう見ても、目標を見失い、焦ったソナーマンが、それこそ山勘に頼って行っているかのような行動だった。
「戦況も順調ね…………うふふ、これは決まりかしら」
しばらくの間を電子的な戦いに興じていたヨッタは、戦術スクリーンに映し出されている戦況に気付いてそう呟いた。状況は明らかに自軍に有利な形で推移しており、相手の壊滅も時間の問題と思われた。既に戦艦のひとつと戦力の3割を削っており、包囲自体もほとんど完成しているといって良い程だった。
「残念ですけど、エッタお姉様の出番はなしね。後で怒られるかしら?」
この戦闘はそもそもが敵の寡兵による遊撃戦であり、第2主力艦隊である自分達とは開戦当初から圧倒的な戦力差が存在していた。ここから逆転が起こる事などおおよそ有り得ず、長い銀河帝国の歴史の中にさえも存在しないだろうと彼女は断言できた。予備兵力も含めれば、ざっと10対1の戦いとなっていた。
「それにしても、まさか旗艦が直接出てくるとは思わなかったわね」
レーダースクリーンに映る、今も最前線で戦う敵旗艦のマークを見てヨッタは呟いた。それに対して返事をする者は誰もいなかったが、彼女がちらりと視線を上げると、彼女の副官が慌てた様子で頷いた。
「は、はい。式の解から、可能性の一部として検討されてはいたよう、ですが……」
後半になるにつれ、もごもごと口ごもる副官。ヨッタは「式」という単語が出た事に不機嫌さが沸き起こってきた――式は最近あまりあてに出来ない――が、順調過ぎる程に推移する戦況を見て気持ちを宥める事にした。
敵が何らかの妨害工作を仕掛けてくる事は予想していたが、代表取締役自身がそこへ現れるというのは想定外だった。しかしマーセナリーズ側が最も恐れるシナリオは長期に渡るアウタースペース上でのゲリラ戦術を採られる事であり、そういった意味では非常に好都合と言えた。大抵の組織は、頭を潰せばどうにもならなくなるものだった。トップが信仰の対象になりえる程度の強大なカリスマでも持っていれば話も別だが、少なくとも今回はそういった情報は上がってきていなかった。
「わお、ストライクだわ。当てたのは誰かしら。ボーナスを弾まなきゃ駄目ね!」
レーダースクリーンを楽しげに眺めていたヨッタが、思わず立ち上がって言った。スクリーンには敵旗艦のすぐ脇に「直撃」の文字が躍り、それはやがて彼女が今最も望む文字へと姿を変えた。脱出艇の存在も確認出来ず、誘爆だか何だかは知らないが、船はあっという間に致命的な被害を被ったらしかった。
「敵旗艦、戦艦プラム"撃沈"よ。あははっ、いい気分だわ! 最高よ!」
ヨッタは興奮から息苦しくなった胸を掻き毟ると、衝動のままに副官の唇を奪った。副官は最初こそ驚いた様子だったが、やがてされるがままに大人しくなった。
「みなさい、負け犬の末路を。強大な力に刃向った、愚か者共の末路よ。弱者が強者に従うのは自然の摂理。それを破った者はああなるのよ!」
ほとんど壊滅状態に近い戦況を表示するレーダースクリーンを、あごで指し示すヨッタ。副官はうつろな目でそれを確認すると、ひとつ頷き、そして何かに気付いたかのように口を開いた。
「はい……あの、ミス・ヨッタ。先ほどよりソド提督からの通信があるようですが――」
「放っておきなさい。今こんなにも気分がいいのだから邪魔をしないで!」
副官の声に、ヨッタが不機嫌そうに被せて言った。副官は一瞬不安そうにしたが、すぐに尻尾を振る犬のような表情に戻った。
「恐らく降伏の入電でしょうけど、そんな事はさせないわ。残念ですけれど、彼らにはここで消えてもらわなければならないのよ」
ヨッタはそう言うと、「わかるでしょ?」とでも言いたげな表情で副官を見た。副官は「はい」と恍惚とした表情で答えると、上司の手がブラウスの中に侵入していく様を見守った。
――"緊急入電:艦隊司令部ソド提督"――
脳裏に走る赤いBISHOPの文字。ヨッタは副官の身体をまさぐっていた手を止めると、手近にあったスクリーンを力任せに蹴とばした。
「うるさいわね! いったい何だというのよ!」
激昂して叫ぶヨッタ。戦場は全て彼女の支配下にあり、イレギュラーなど起こるはずがなかった。いまもまさに敵の最後の一隻が撃ち落とされる所であり、緊急で受けるべき報告があるとは思えなかった。スクリーンの伝えて来る所はまさに完全勝利であり、彼女は自分を賞賛する声以外を聞きたいとは思わなかった。
「あの石頭、どうでもいい用事だったら来月には解任してやるわ!」
ヨッタはそう毒づくと、嫌々ながらもソドからの回線を繋げた。
「"何をやってるんだ、ミス・ヨッタ! レーダーを見ていないのか!"」
音量自動抑制装置が働く程の怒鳴り声。ヨッタは思わずびくりと体をこわばらせると、すぐに湧き上がってきた怒りから罵声を返そうとした。しかし――
「"今すぐそこを脱出しろ! そちらに大型の弾頭が向かっている! 例の実弾兵器だ!"」
続けられた言葉に、きょとんとするヨッタ。彼女はレーダースクリーンをちらりと確認すると、何を言ってるのかとため息をついた。実弾兵器などが舞っている様子は見えない。例えステルス化していようがいまいが、飛来する弾頭をみつける事くらい、彼女にとっては簡単な事だった。
錯乱しているのだか何だかしらないが、ソド提督はわけのわからない事を言っており、ヨッタはため息と共に怒りも飛んで行ってしまった事を感じた。
「馬鹿を言ってないで、さっさとゴミ処理に移って頂戴。生き残りがいると困るのよ。脱出ポッドがいくらか逃げ出したでしょう?」
うんざりした様子のヨッタ。それに対し、心底驚いたといった表情を見せるソド。
「"いったい何を言ってるんだ!? ミス・ヨッタ、敵は既にオーバードライブでどこかへ飛んで行った後だ! それより早くそちらを脱出しろ! 時間がないぞ!"」
こめかみに血管を浮かべ、カメラへ詰め寄るようにしてくるソド。ヨッタはここへ来ていよいよ何かがおかしいと感じ、意識をBISHOPへと集中させた。
「…………これは……これは、なに?」
数秒の後、呆然と呟くヨッタ。彼女の脳には、彼女の知らないカウントダウンタイマー関数が躍っていた。
「いったい誰が……何の――」
タイマーの数字がやがてゼロになると、それは訪れた。
「あ……あぁ……」
絞り出すようなヨッタの声。
船内の警報が鳴り響き始め、照明が真っ赤に染まる。彼女の船が伝えて来ていた情報が上塗りされ、今までとは全く違ったそれへと取って代わっていった。ヨッタがほとんど無意識のうちに戦術スクリーンへ目を向けると、そこには確かに敵はいなかったが、代わりに敵の残骸も存在せず、そして自艦へと飛来するひとつのデブリが表示されていた。
「姉、様――」
彼女は、その意識が熱核エネルギーによって物理的に消滅する刹那、ようやく自分が電子的に騙され続けていたのだという事を悟った。




