第216話
ちょっとだけ時間がとれたので、更新です。
完璧なはずだった。
女は会戦から現在に至るまでの時間を使い、じっくりと戦場に流れる情報の渦を観察してきた。やがて多重に張り巡らされた欺瞞を掻い潜り、目的となる敵旗艦の正確な座標を見つけ出す事に成功した。それは専用の情報走査大型船でもなければ難しい芸当だったが、ソナーマンとしての資質を持つ彼女にとっては実に簡単な事だった。
そして、複数個所からの同時攻撃。
女は今現在に至るまでのいくつもの戦場でこの戦法を用い、そのほとんど全てを成功させてきた。時には撃沈を免れる運の良い船も存在したが、それでも継戦能力を失わせる程度には深手を与える事が出来た。この攻撃方法に彼女自身絶対の自信を持っていたし、失敗するはずがないと思っていた。
「大丈夫ですか、ミス・ヨッタ」
すぐ傍から聞こえる女の声。派遣艦隊群を構成する艦隊のひとつを担うヨッタはその身体をびくりとこわばらせると、声の主である彼女の副官の胸ぐらをつかんだ。
「どうなってる!! 何故避けられた!!」
怒鳴るヨッタ。BISHOPに表示されている敵旗艦のマーキングには、「健在」の文字が躍っていた。撃沈はおろか、小破判定すら降りていない。いわゆる無傷だ。
「か、艦隊はいつもと同じように行動したはずです。今リプレイを確認していますが…………出ました。砲撃は95%の正確さをもって行っています。ミスショットは1隻のみです」
胸ぐらをつかまれた副官が怯えながらそう答えると、ヨッタは突き放すように彼女を解放し、リプレイの流れるレーダースクリーンを凝視した。
「全方位50か所からの同時狙撃よ。避けられるはずがないわ」
マーセナリーズ派遣艦隊提督ソドの展開する包囲陣に紛れ込ませたヨッタの艦隊は、ターゲットを半球状に包み込むように攻撃を加えた。しかもそれぞれが意図的に照準を少しだけずらしており、狙撃に気付いた対象がどう逃げようと、必ずどれかが有効打を与えられるように計算してあるはずだった。
「偶然、でしょうか。何かの行動を起こすタイミングと合致したとしか……」
額に汗を浮かべた副官がぼそりと言った。それに対し、ヨッタが視線で彼女を殺さんばかりに睨みつけた。
「敵に横腹を晒すような真似をして、いったい何をしようとしていたというの? 砲撃を避けた後に元の姿勢に戻っているのは何故? 行動をしたのがターゲットの船だけというのはおかしくはなくて? 少し口を閉じていろ、この無能め!!」
ヨッタはそう恫喝すると、ベッドの上以外ではさして役に立たない――と少なくとも彼女は思っている――副官をブーツで無造作に蹴り飛ばした。
「うぐっ、うっ……も、申し訳、ありません」
蹴られた腹部を押さえ、蹲る副官。ヨッタは苦しそうにしている副官を見ていくらかの満足を覚えると、鷹揚に足を組んでリプレイをじっと観察する事にした。
「計算は間違って無いはずだわ。予想行動範囲は全てカバーしてる。となると――」
ヨッタはリプレイを砲撃開始前後まで巻き戻すと、スローモーションでの再生を開始した。
「…………こいつ、砲撃前に既に回避行動を起こしてるわ」
もごもごと口の中で呟くヨッタ。彼女は姉であるエッタそっくりの顔に深く皺を刻むと、怒りの表情のままに派遣艦隊提督ソドにさえ知らされていない重要機密事項の記された船体データベースへとアクセスした。
「戦場に流れる無数の波から、スキャン波だけを特定。多重スキャンの交差部からターゲットを割り出したって所かしら。そんな真似――」
ヨッタはデータベースのとある人材リストに検索をかけると、ある条件に合致する人材を見つけ出した。
「ソナーマン以外には不可能だわ…………EY001、エッタ。エンツィオ戦役時に行方不明となり、その後の消息は不明と。他のソナーマンは粗方特定されてるから、いるとすればやっぱりこいつね」
ヨッタは見つけた人材情報をBISHOP内へダウンロードすると、添付されていた感情の無い少女の顔写真を脳内でじっと見つめた。
「電磁波受容能力に特化し、受容及び解析において極めて優秀。ただし期間内における一定時間の睡眠が無い場合、著しく能力が低減。性格に難ありゆえ、運用には条件が求められる…………型番も名前もエッタシリーズなのに、能力的にはヨッタシリーズと。年齢的に考えて、私かお姉様から派生した出来損ないね。コールマンの玩具だわ」
ヨッタは姉と共に最悪の青春時代を送った強化人間研究施設ニューエデンでの日々を頭に思い描くと、写真の顔に合致する存在がいないかどうかを探った。
「記憶にないわね。別プロジェクトかしら…………へぇ」
興味深げな声。厳しい顔つきだったヨッタの顔が緩み、歪んだ笑みを浮かべる。彼女のソナーマンだけが見る事の出来る極彩色で彩られた粒子の視界には、ターゲットの船から放出される淡い球状の波が連続して映し出されていた。それなりの強度を持つ、詳細スキャンの波。
「やり合おうって事? ふふ、おもしろいじゃない。相手をしてあげるわ」
複数個所から放たれた波同士はお互いに干渉し、より強く、より正確な情報を得る事の出来る重なり合った部分を作り上げる。それがどこへ向かい、どれだけの量を放たれているかを観察すれば、相手が何を探し、何を見つけたのかを知る事が出来る。
「エンツィオから電子戦技術を引き継いだようだけれど、それの供給元がどこかを思い出して欲しいものね…………全スキャナー部隊、再放射の準備よ」
ヨッタは彼女の艦隊にいる15の索敵へ特化した電子戦機へそう命令を下すと、あとはゆったりと構えてその時を待った。
彼女の電磁波受容能力は施設において群を抜いて高く、負ければ廃棄とされる選別試験を常に打ち勝ち続けてきた。彼女はそんな試験の繰り返される日々を4年近くも生き残り、そして施設を出る事の許された、極めて限られた存在だった。ソナーマン型ブーステッドマンの研究カテゴリとなるヨッタシリーズでそれだけの記録を出した者は他におらず、彼女は自分の能力に絶対の自信を持っていた。
「せいぜい逃げ回る事ね。楽しませてもらうわよ」
彼女はそう言うと、かつて戦争を愉しむ姉をたしなめた時の事を思い出し、あまり姉の事をとやかくは言えないなと小さく笑った。
「"こちらRS08。敵に多重ロックオンをされた。回避行動に移る"」
「"こちらRS31。こちらも同様だ。先ほどから敵の砲撃が急に正確さを増し始めてる"」
「"こちらRS17。残念だが戦線を離脱する。機関部を狙撃された"」
「り、了解……各自防御を優先して行動して!!」
間一髪で敵の集中砲撃を避けた後、通信から送られてくる報告と、それに答える太朗。太朗は同じような内容のやり取りを何度も繰り返すと、その共通点から今何が起こっているのかを知る事となった。
「ジャミングが全く効いてねぇんだ…………丸裸になってんぞこれ」
青い顔で呟く太朗。それにマールが「そんなはずないわ」と振り返る。
「計器は全部正常だし、ジャマーもちゃんと稼働してるわよ。何度もチェックしたから間違いないわ」
「あ、あれ? でもどう考えても効いてねぇぞ。こんな長距離でロックオンとか――」
「ひとつよろしいでしょうか、ミスター・テイロー」
ふたりの会話に割入るように、小梅の声。彼女は首をぐるりと巡らせると、シートの上で遠くを見つめているエッタの方を向いた。
「ミス・エッタが何かに気付いているように見えます。彼女の話を聞いてみてはいかがでしょうか」
小梅の言葉に、視線がエッタへと集まる。その視線に気付いたのかどうか、エッタはゆっくりと目を瞑ると、やおら太朗の方へ顔を向けてきた。
「向こうに、エッタと、同じようなのがいるわ」
エッタの短いひと事。訪れる沈黙。
「…………それって、その……力量も?」
おずおずと質問する太朗。それに頷くエッタ。太朗は元々青ざめていた顔をさらに青くし、マールも一瞬遅れて彼女の言った言葉の意味を理解したらしく、その整った顔に厳しい表情を浮かべた。
「エッタと同じって、ソナーマンよね…………ジャミングもあれだけど……もしかして、逃げられない?」
マールが震えた声で言った。誰もその疑問に答える者はいなかったが、それはすなわち肯定でしかなかった。
「……正確には、逃げてもすぐに見つけられてしまう、でしょうか。ミスター・テイロー、貴方の力でジャミング能力を強化する事は出来ませんか? いつか帝国の艦隊を手玉に取ったように」
無表情な顔の小梅がそう言って太朗を振り返る。太朗はそれに首を振ると、「いくらなんでも多すぎる」と否定した。
「それにあの方法は指向性が限定されんだよ。こう四方八方に敵がいると無理だし、何よりエッタみたいなのがいんだろ? 電子的に騙すも何も、発信元が丸見えだ」
「全ては無理でも、いくらかは可能でしょう、ミスター・テイロー。違いますか?」
「そらまぁ……そうかも、だけど…………くそっ!!」
逃がす船の選別をしろ。小梅のいわんとする事を察し、シートを殴りつける太朗。
「…………あんたのジャミングを他の船にも中継出来るよう、調整急ぐわね」
マールがそう言って作業を開始する。太朗は「頼んだ」と小さく頷くと、痛む胃を押さえるようにして深呼吸をした。
「余力がある状態で逃げられないように、出し惜しみしてやがったんだな…………」
太朗は悔しさから唇を噛みしめると、少しでも被害を抑えるべく船の選別を開始した。命を選択するなど、平時であればとても出来るような作業ではなかったが、残念な事に今は有事だった。
「主力艦隊の衝突前で良かったと考えましょう、ミスター・テイロー。わかっているのであれば対策も立てられるはずです。残念ではありますが、有意義でもあるはずです」
小梅が落ち着いた声色で発した。太朗も頭ではその通りだと同意したが、感情が頷かせる事を拒んだ。
「…………テイロー、大丈夫よ」
エッタのゆっくりとした声。「どの辺が大丈夫なんすかね」と自嘲気味に小さく笑う太朗。
「大丈夫。エッタに、任せて」
先ほどの激昂して暴言を吐いていたエッタとは対照的に、非常に落ち着いた柔らかな声。太朗が何か妙な様子だとエッタの方を見上げると、彼女は実に落ち着いた柔らかい笑みを浮かべていた。
「木で出来た櫛。カトのぬいぐるみ。ベラとのおやつ。ライザの絵本。ふかふかのベッド。どじなテイロー。やさしい小梅や、マール。アランやサクラも、別に、嫌いじゃないわ」
何か、歌うように言葉を紡ぐエッタ。彼女の髪がふわりと持ち上がり、放射状に広がる。それはうっすらと虹色に染まり、銀河のように七色に光る粒子が髪の流れに沿って這いまわっていた。時折走るスパークさえなければ、それはまるでオーロラだった。
「エッタの幸せは、誰にも邪魔させない」
エッタの目が見開き、その瞳孔が大きく広がる。船内の線量が基準値を遥かに超え、艦橋にアラートが鳴り響き始める。
「誰にも、邪魔させない」
エッタがゆっくりと手を上げると、それに連動してプラムの電子機器が動作を開始する。
やがて周囲に浮かぶ全ての船の電子機器が、同様に動き始めた。




