第211話
銀河帝国側から見たザイードルートへの入口となる、カラバD2星系。アウタースペースを除けば帝国内で最も田舎とも呼べるそこには今、たったひとつしかないステーションとは不釣り合いな大艦隊を周辺に浮かべていた。
そしてその艦隊は良く見ればふたつの集まりに分かれており、それぞれはステーションを中心に向かい合うように布陣していた。
「臨検だと? 冗談じゃない。こっちは戦時なんだぞ!」
カラバステーションの桟橋ロビーにて、マーセナリーズ第4艦隊群の司令官が叫んだ。
「知った事ではないね。ここは銀河帝国領内であり、君らは我々帝国軍に従う義務がある」
司令官とは対照的に、完全に落ち着き払った声で帝国海軍大佐のディーンが言った。
ロビーは険悪な雰囲気に包まれており、互いに向かい合った数百名の人員は、まるで艦隊のそれと同じようだった。
「戦時下におけるあらゆる臨検は、それを無視して良いと法で定められているはずだ。軍が法を破るのか?」
「いいや。我々は立法者として、法は最大限に尊重しているよ。残念だが――」
ディーンはわざとらしく手の甲の電子シートを大袈裟に擦ると、現在の時刻を表示させた。
「宣戦布告申請が受理されたのが15時。しかし臨検の開始は14時と半分だ。法を順守する我々としては、この30分を見逃すわけにはいかないね。君らは少しばかりここを通過するのが早すぎたようだ」
「そんなものは詭弁だ! 貴様、軍を私的に利用していいと思っているのか!」
激昂した司令官がディーンに詰め寄る。するとディーンの後ろに控えていた警護の者達が瞬時に銃を構え、司令官の鼻先にそれを突き付けた。
「今の暴言は聞かなかった事にしてやる。だからさっさと旗艦へ戻り、おとなしくしていろ。たった200隻かそこらだ。数日もすれば全て終えるだろうよ」
ディーンが指を鳴らす。司令官に突き付けられていた銃が下ろされ、緊迫した空気がいくぶん和らいだ。
「私が君の立場であれば」
ディーンは鷹揚に司令官の傍まで歩み寄ると、その耳元に顔を近付けた。
「これは決して悪く無いハプニングだと認識する所だがね…………考えてもみたまえよ。君は誰の責任でもなく、ただ銀河帝国のせいで足止めを食ったのだ。不運だった事以外に君の落ち度はなかろう。誰かへ弁明する際、これ以上の言い訳があるかね?」
誰かを説得する際にだけ出す、人を安心させる声。司令官の表情が何かを悩むそれへと変わる。ディーンはそのかすかな変化を捉えると、ほとんどふたりだけにしか聞こえないような小さな声で呟いた。
「もし責任問題に発展するようであれば、私の所へ連絡したまえ。悪いようにはしない。200を率いる提督であれば、例えどこか適当な艦隊の長に据えても文句は出まい」
内緒話をするように、相手の脳へ直接届けと甘く囁く。ディーンが連絡先を記録したチップを司令官の胸ポケットへ入れると、司令官はびくりと身体を震わせた。
「帝国海軍情報部大佐の連絡先だ。私は、君がその価値のわかる人間だと思っているよ…………さぁ、さっさと取り掛かれ。あまり待たせてしまっては失礼だからな」
ディーンは司令官から身を離すと、部下へ向かって指示を飛ばし始めた。その後ろで司令官はしばらくの間を呆然としていたが、やがて胸ポケットを押さえると、その顔に小さな笑みを浮かべた。
「残念ですけど、お断りさせて頂くわ。世の男性方を敵に回したくはないですもの」
小さな執務室にそんな声が響く。声の主は中堅運送会社の社長であり、マーセナリーズが軍事行動を起こす際に兵站の一部を担っていた企業だった。
「"ミス・ロングヴィル。私は冗談が好きでは――"」
「それでは失礼。殿方を待たせておりますので」
通信機から聞こえるマーセナリーズトップの声を無視すると、ロングヴィルはさっさと回線を切断した。彼女の会社はマーセナリーズに頼り切った経営をしており、普段であれば今の行動はとても許されなかったろうが、もはや気にする必要もなくなっていた。
「これで満足かしら? 約束は本当に守ってくれるんでしょうね」
ロングヴィルは後ろを振り返ると、そこに佇むローブ姿の男へ向かって言った。男はひとつ頷くと、暇そうに弄んでいた銃を懐へとしまった。
「もちろんだよ、ミス・ロングヴィル。この稼業は信用が第一だからね。こういう仕事をしていると、我々はもしかすると、一般人なんかよりもずっと正直者なんじゃないかと思う事すらあるよ」
「ふふ、おもしろいジョークね、ミスター・ファントム。でも、そうね。貴方相手なら信じるわ。銀河でも指折りの有名人だもの」
ロングヴィルはそう言ってファントムのすぐ傍まで歩み寄ると、挑発的な笑みを浮かべた。
「望んでそうなったわけではないがね……だが君みたいな美人に信用されるのなら、それも悪くはないかな」
ファントムはしなだれかかってきたロングヴィルを受け止めると、その肩をそっと抱いた。ロングヴィルはうっとりとした表情で上目使いを作ると、実に楽しそうに笑った。
「私、ツイてるわね。取引先が帝国軍情報部だなんて、銀河中の企業が羨ましがるわ。それにハンサムなスパイさんとも知り合いになれたし」
「お褒めに預かり光栄だね。ただ、どうせ仲良くするのであれば、仕事を斡旋してくれる大佐の方をおすすめするよ。彼は近い将来将軍職に就く事になるだろうからね」
「あら、どちらかを選ばなければならないわけ?」
「…………負けたよ。一杯奢ろうじゃないか」
ファントムはロングヴィルを抱き上げると、そのまま情熱的な口づけをした。正直に言えば彼にとってロングヴィルはどうにも苦手なタイプだったが、それを表に出すような事はしなかった。
「色々、話が聞きたいね。君がうっかり口を滑らしそうな場所に心当たりはあるかい?」
過去の男の遍歴を調べ、好みの顔や声を作り上げる。それはサイボーグである彼にとって、造作もない事だった。ロングヴィルを抱いたまま出口に向かう彼は、聞き出すべき情報の優先度を頭の中で整理していた。
かつては銀河の中央へ向けて人類が忙しなく船や人を運んでいたが、現在ではほとんど誰も使わなくなった宙域。マーセナリーズの主力艦隊群を率いるエッタは、そんなザイードルートの寂れた様子を、旗艦ジェミニの艦橋でつまらなそうに眺めていた。
「…………まだなの?」
不機嫌そうに呟くエッタ。すると彼女の後方に控えていた副官が勢いよく立ち上がった。
「はっ、地元のスターゲイト管理局によると、残り24時間で再稼働が完了するとの事です」
副官は斜め前方を見たまま堂々とそう発したが、その手は恐怖によって小刻みに震えていた。エッタの副官に任命された人間は大抵が彼と同じように怯えているのが常であり、そしてエッタ自身、そのように怯えている人間を見るのが好きだった。
「そう…………ねぇ、ヨッタ。スターゲイトが自然発生的に故障する確率ってどの程度だったかしら」
通信機へ向かい、ぼやくようにエッタ。するとすぐに「"確か"」と声が返ってくる
「"数年に一度起きるか起きないか、といった所だったと思いますわ、お姉様。でもサブシステムと両方同時となると、ちょっと聞いた事がないですわね"」
いつも通りの声だが、明らかに不満を孕んだヨッタの声色。エッタは「そうよね」と相槌を打つと、しばし現状についてを黙って考え込んだ。
「不愉快ね。あまり良い状況とは言えないわ」
エッタは誰へともなくそう呟くと、行動を起こすべく立ち上がった。宣戦布告から現在までに起こっている様々なアクシデントは明らかに不自然であり、第三者の介入は間違いなさそうだった。
「護衛隊と共に来なさい。場合によっては実力行使に出るわ」
エッタはへそのあたりまでだらしなく空けていたファスナーを首元までしっかり留めると、慌てふためく副官を尻目に出入用ハッチへと向かった。そして船を降りてスターゲイト制御区画へ到着した頃には、300名近い重武装兵が周囲を固める形となっていた。
「ちょっと、危ないのでここは立ち入り禁止で…………え、ちょっ、何ですか?」
スターゲイトの中枢となる区画を警備していた男が、完全武装された集団を見ておののく。エッタが無言で手をかざすと、数人の兵が警備の男を壁際へと押しやった。
「失礼。通るわよ」
男の方を見るでもなく、そう言ってエッタは奥を目指す。彼女からすれば自分の邪魔をする男などすぐにでもこの世から排除してしまいたかったが、さすがに戦争相手でもない帝国市民を殺すわけにもいかなかった。
「お忙しい所失礼するわ。責任者は…………お前かしら?」
エッタは故障個所とされている座標算定施設へ到着すると、驚いた表情で固まる作業員達を無視してひとりの女の元へと歩み寄った。女は他の作業員と外見上何ら変わる所はなかったが、エッタにはその女が中心人物である事はすぐにわかった。
「申し訳ありませんが、責任者は現在――」
「なるほど、コルシー社から派遣されてきたのね。ギガンテックの系列という事は、奴らが敵に回ったという事かしら? だとすると、面倒ね」
エッタは女が発したBISHOP通信の内容を確認し、そう呟いた。使用されているBISHOPは銀河で広く使われているタイプのものであり、彼女からすればそれを読む事など非常に簡単な事だった。彼女は狼狽する女を無視して別の方向へと歩き出すと、今度は別の作業員へと足を向けた。
「座標の特定が出来ないとの事だけど、何があったのかしら。壊れているのはどこ? 進捗がどうなっているのか、教えて下さらない?」
返事に期待しているわけではなく、男が反射的にBISHOPを使用するよう話しかける。目論み通り男は作業の全体進捗を"頭の中で"確認する為にBISHOPを使い、進捗状況についての一式をエッタは読み取る事が出来た。
「アナライザーに損傷、もしくはプログラム側の未知のバグ……なるほど、良くわかったわ。こちらの戦艦に大型アナライザー用コアブロックがあるから、それとまるごと交換しましょう。直す必要なんてないわ」
エッタはそう言うと、後ろに控える彼女の護衛達の方へと振り返った。
「さぁお前たち、手伝ってやりなさい。どうやらここには、たかがアナライザーの修理に24時間以上かかる素人しかいないようだから。後で訴えられたりしないよう、丁寧にやるのよ」
護衛達は揃って2本指を額に当てると、横柄な様子で作業員達の方へと近付いていく。エッタはその様子に満足すると、振り返りもせずに自分の船へ向けて歩き出した。
「小物だとばかり思っていたけれど、なかなかどうして。随分と豊富な人脈をお持ちじゃないの…………ふふ、凄くいいわ。やはり戦争というのは、こうでないと」
エッタは妖艶な笑みを浮かべると、背筋をかけるぞくぞくとした感覚を楽しんだ。




