第210話
太朗は戦艦プラムの艦長席に深々と座り、目を閉じたままじっとしていた。船はマーセナリーズの大艦隊を迎え撃つべくザイードへと向かっており、もう何日もしないうちに会戦すると予想されていた。
「アルファ星系の封鎖が予定通り完了したとの事です、ミスター・テイロー。周囲の星系も多重封鎖の構えに入れる状態で待機しており、おおよそアルファルートからの敵侵攻はないものと見て良さそうです」
小梅の無機質な声が艦橋に響く。太朗は返事をする代わりにひとつ頷くと、大きく深呼吸をした。
「これでザイードに全力を向けられるな…………各艦隊の様子は?」
目を開き、マールの方を見やる。すると彼女は少し表情を曇らせた。
「特に変わった様子は無いわよ、テイロー。気になるのはわかるけど、5分前にも同じ事を聞いてきたわね」
「あぁ、そうだっけか……いや、それならいいんだ……」
「………………」
マールは心配そうな表情で太朗の方を見ていたが、やがて無言のまま正面の方へと向き直った。
「頭が痛ぇ。頭痛薬は……あぁいや、駄目だ。判断が鈍るかも」
太朗はメディカルバッグを掴みかけた手をシートの手すりに戻すと、そわそわと所在無げに体を動かした。
「何か気にしている事があるのであれば、戦いが始まる前までにミス・マールへ相談しておく事をお勧めしますよ、ミスター・テイロー」
「いや、大丈夫だよ…………どこ行くんだ?」
艦橋の出口へ向けて歩みを進めていた小梅に気付き、太朗が声を上げた。小梅はその場で足を止めると、横を見るように少しだけ顔を巡らせた。
「ふたりきりの方が話し易い事もあるでしょう。例え解決策が得られなくとも、誰かに心の内をさらけ出すというのは精神を安定させる上で非常に重要な事です。残念ながら小梅は人の心を癒す術を持ち合わせておりませんので、この場合はミス・マールの方が適任と判断致しました。というわけでしばし失礼を」
小梅はそう言って軽く頭を下げて一礼すると、そのままドア向こうへと消えていった。
「テイロー、大丈夫?」
唖然としたまま小梅を見送った太朗に、マールが声を掛けてくる。太朗が「へっ?」と疑問符を浮かべて振り向くと、すぐ近くに心配そうな表情を浮かべたマールの姿が。
「大丈夫って、そら大丈夫に決まってるだろ。今までだって何とかやってこれたわけだし。なんか変だぞ、小梅もマールも」
そんな顔をされる憶えなどないと首を振る太朗。マールは少しだけ悲しそうな顔をすると、太朗の手に自分の手をそっと添えた。
「変なのはあんたよ、テイロー。震えてるわ」
マールの指摘に視線を下すと、自分でも驚くくらいに震える自らの腕が見えた。
「…………武者震いって奴だろ。これからドンパチやらかすわけだからな」
「そう…………ねぇ、話しなさいよ。今更隠し事するような仲でもないでしょ」
マールは太朗の座るシートの脇へ腰を下ろすと、手すりの上で腕を組み、太朗を見上げるようにして覗き込んできた。そのきつい口調とは裏腹に、柔らかい笑みを浮かべている。
「別に、どうってあれでもないんだけどさ…………今回は……俺のわがままだから……」
もごもごと尻すぼみに消える声。太朗はしばし黙り込むと、息苦しさを感じる胸を強く掴んだ。
「博士の前でも言ってたわよね、その"わがまま"っていうの。私にはあんたがわがままを言ってるようには見えないけど?」
少しだけ首を傾げるマール。太朗は「いや」と左右に首を振ると、その向こうが透けてみえやしないだろうかと艦橋の壁を睨みつけた。
「今回は……使ってねぇんだよ」
「使ってない? 何の事?」
「………………だよ」
「ごめんなさい。良く聞こえないわ。何を――」
「…………オーバーライドだよ!! 使ってりゃあ、もっとマシな状況だったかもしんねえ!! 証拠のひとつやふたつ、あれになら入ってるんだろうよ!!」
鬱屈した何かを吐き出すかのように叫ぶ太朗。しかし彼は自分が大声を上げた事に驚き、すぐに困惑した表情で首を振った。
「ごめん……いや、ほんと、ごめん。八つ当たりだ……くそっ、俺はまいってるな」
太朗は謝りながら目を閉じると、目頭を指で強く抑えた。思った以上に自分に余裕が無い事がわかり、歯を食いしばる。
しばらく無言の時間が過ぎ、部屋に呼吸音とエンジンの僅かな振動だけが流れていく。
「確かにそうね。今回は使ってないわ」
沈黙を破ったのはマール。彼女は太朗の目をしっかりと見据えてきた。太朗は視線を俯きがちに逸らすと、「今回は」と口を開く。
「帝国法の範囲内で行う戦争だから、エンツィオの時や何かに比べれば人的被害も少ないんだろうなとは思う。けどそれって割合の話であって、絶対数で言えばどうなっかわかんねぇ。もしかすっと、俺があの装置を使わなかったせいで、これから大勢が死ぬかもしんねぇんだぞ?」
助けを求めるようにマールの方を見やる太朗。それにマールは「言いたい事はわかったわ」と何度も頷くと、強い語気で発した。
「だから、どうだっていうの?」
太朗の手を強く握り、伸びあがるようにして詰め寄ってくるマール。驚いて身を引こうとする太朗だが、マールがぐいと腕を引いてそれを邪魔した。
「それが普通なのよ、テイロー。それが普通。みんなそうしてるし、あんたもそうしなくちゃいけない。あんなもの、無くて当たり前なの。あんたのわがままなんて関係ない!」
悲しそうな、それでいて怒っているかのような表情。太朗が「でも」と口にすると、「でもじゃない!」とマール。彼女は手にしている太朗の手をさらに強く握ると、小さく何度もそれを振った。
「困っている人を助けたいって思う人はいくらでもいるわ。でも何もかもを投げ打ってまでそうしようとする人なんていない。そういうのは聖人にでも任せておけばいいの。あんたは普通の人間なんだから、それが出来ない事に責任なんて感じちゃ駄目よ…………小梅、どうせ聞いてるんでしょ! あんたからも何とか言いなさいよ!」
マールが入口へ向かって声を上げる。すると扉が横にスライドし、物陰に隠れるような姿勢をした小梅が姿を現した。
「おや、バレておりましたか。流石です、ミス・マール。日常的なミス・エッタとの訓練により、かくれんぼの達人とまで称された小梅を見つけ出すとは恐れ入ります。貴女の直観は名探偵並みであると申しておきましょう」
何か偉そうに胸を張った小梅が歩を進める。彼女は太朗のすぐ脇で立ち止まると、「ミス・マールの仰る通りですよ」と言った。
「ミスター・テイロー。貴方が何をしようとしているのか、それを完全に理解して行動している者は少ないでしょう。しかし彼らはそんな中でも自分の意思で貴方につき従う事を選んだ者達であり、その選択は尊重せねばなりません」
小梅はマールとは対照的に太朗を見下ろすように視線を下げると、再び口を開いた。
「そこでひとつ質問です、ミスター・テイロー。貴方が例の装置を使用し、そしてあらゆる局面を打開してくれるものと彼らは期待しているのでしょうか。彼ら自身は全くの白痴であり、無力であり、全てを貴方とあの装置に依存していると?」
「それは…………」
小梅の質問に、太朗の言葉が詰まる。プラムのオーバーライド装置についてを知っているのは、極々一部の人間に過ぎなかった。それに仲間を無能だなどと思った事はもちろんなかった。
「であれば、貴方は期待されている分の責任のみを負えばよろしいでしょう。それ以上は不要です。そして今となっては、貴方に期待されている事柄の中には、貴方自身の成功や健勝も含まれているのですよ、ミスター・テイロー。貴方は必要以上に自分を犠牲にするべきではないし、それは下の者達への侮辱にすらあたるかもしれません」
「そうなんかな…………でも前は――」
「そうなのかな、ではありません。まさにそうなのです、ミスター・テイロー」
太朗の声を遮り、小梅がぴしゃりと言い放つ。彼女は機械で出来た腕を持ち上げると、太朗の目の前に人差し指を突き出してきた。
「以前うまくいったのだから、今回もそうであるとは限りません。簡潔に述べるのであれば、以前とは違うという事です、ミスター・テイロー。民主主義という政体は人々に自己責任と自由を与えました。それにより、既に貴方やミス・マールが独断で物事を推し進める段階は終わり、決断は多人数の総意によってもたらされているのです。割合の大小はあれど、それは事実です。そうであれば、例えどのような決断がそこで成されようとも、その責任は共有されなければなりません」
すらすらと、淀むことなく語る小梅。彼女はまるで演説をするかのように、言葉に感情を籠めていた。
「小梅が考察するに、それこそが民主主義の根幹であり、そうあるべきなのです。それは義務であり、民主主義の崩壊とはすなわち、多くの人間が責任の共有を放棄する事なのです。すなわちそれは、誰かが必要以上の責任を一手に引き受けようとする事と等価です。独裁者や王というのは、そうやって生まれていくのです」
小梅はそう断言すると、腕を下ろし、太朗を真っ直ぐに見据えた。
「貴方が責任についてを考えるのであれば、まずは民主主義を掲げる人間の代表として、そして第一の市民としてその義務を果たさねばなりません。貴方には課された責任をまっとうする義務があり、それは何も戦いに勝つ事だけではありません。良き親とは子を叱るものであり、甘やかすだけでは駄目なのです。より良い未来を願うのであれば、貴方もそうするべきなのです」
いつもの無表情だが、明らかに感情の籠った声で語る小梅。彼女はそう言い終えると、太朗の前で優雅に一礼をした。それを見た太朗はしばらくぽかんとしていたが、やがて苦笑いを浮かべ、そして小さく拍手を送った。
「小梅。お前なら多分、立派な政治家になれそうだな…………ん、小梅の言う事ももっともかもな」
太朗はそう言ってしばし考え込むと、ふたりの言葉を心の中で何度も反芻させた。それは徐々に染み入り、段々と心を軽くしてくれた。
「ごめんな。弱気になってたのかも」
じっと傍に立ち尽くすふたりに謝罪する太朗。それにマールが「ううん」と首を振った。
「こんな状況なら誰だって弱気にもなるわよ。大勢の社員の生活や命を預かるわけだし、平気な人がいたらそっちの方がおかしいわ。そんな事が出来るのは小説の中の主人公だけよ。あんたも私も脇役なんだから、脇役らしく右往左往してましょ」
「脇役は、脇役らしくか…………へへっ、そうだな。その通りだ。おろおろしてる方が俺達に似合ってんな」
「そうよ。もし今回が駄目で、それで回りのみんながあんたを責めてくるようなら、その時はまた3人から頑張ればいいじゃない」
マールがにこやかに笑う。太朗がおうむ返しに「3人から?」と尋ねると、マールが「えぇ」と頷いた。
「そうよ、3人から。たった2年くらい前まではそうだったんだしね。私は3人で頑張ってた頃も、そりゃ大変だったけど、それでも十分楽しかったわ。テイローは違うの?」
質問はしているものの、答えは知っているとでも言いたげなマールの表情。横を見れば、小梅が同じように得意気にしている。太朗は一気に熱いものが込み上げ、誤魔化すようにして目頭を擦った。
「楽しかったに決まってる……そうだな。それがいい。そうしよう…………」
太朗はそう言って鼻をすすると、泣いているんだか笑っているんだかわからない顔をふたりに見せつけた。そして3人は誰からともなく手を繋ぐと、しばらくそのままそうしていた。
そして太朗は、今が戦いの直前である事を感謝した。
もし少し前の段階でこんなやりとりをしていたら、間違いなくオーバーライド装置の前に立っていただろうから。
チートはきっと、麻薬の味がする




