第209話
「もちろん出来るだろうとも。過去を知る上で、光というのは実に様々な情報を運んできてくれるものだからね。例えば優秀な探偵事務所は、過去の事件を知る手掛かりとして同じように光学的な手法を用いている所もある。もちろん今回のように、そして我々考古学者が普段やるようには、長期間を遡ったりはしないがね」
アルジモフ博士の言葉。その答えに太朗とマールの表情が明るく輝く。
ふたりはワイオミング星系にあるアルジモフ博士の研究室に来ており、光学的に過去を調査する事が出来ないだろうかとの相談をしている所だった。研究室は相変わらず雑多としており、アルファ星系にいた頃と変わらないふたりの助手が忙しそうに片付けをしていた。
「博士。急な話で申し訳ないんすけど、大至急お願いします。地球探索についてはちょっと後回しになっちゃうかもですけど…………」
太朗は博士に向き直ると、そう言って申し訳無さそうに頭を下げた。続いてマールも同じように頭を下げたが、博士は「よしてくれたまえ」とにこやかに首を振った。
「私だって、客員とはいえ一応は社員のひとりでもあるんだ。社の貢献になるなら喜んでやらせてもらうよ。普段から随分と無茶な要求をさせてもらっているのは自覚しているからね。むしろ目に見える成果のある貢献が出来るというのであれば喜ばしい事だ」
歳を重ねた大人だけが出せる優しい笑みを浮かべるアルジモフ博士。太朗はついその笑顔に甘えてしまいそうになったが、「いえ」と表情を硬くした。
「地球探索への有力な手掛かりが見つかったって聞きました。本来であればそっちに集中すべき所なのに、予算のほとんどを防衛の方にまわしてます。俺のわがままでそうしたようなもんだし、振り回すようで申し訳ないです」
そう言ってもう一度頭を下げる太朗。アルジモフ博士はそんな太朗を見ると、「大体の話は聞いているよ」と後ろ手を組んでゆっくりと立ち上がった。
「私だって愚かではないよ、君。研究こそが全てより優先される事柄だなどとは思っていないし、君の立場だって理解しているつもりだ。生意気な口を利く部下かもしれないが、年寄りのつまらない話だとでも思って聞いてくれるかな」
博士はそう前置きをすると、部屋の中をゆっくりと歩き始めた。太朗とマールの視線がそれを追い、部屋の中には静かな時間が流れる。
「考古学というのはだね。ありていに言えば、未来を知る為の学問なのだよ。過去を知るというのは手段であって、決して目的ではないんだ。過去を知り、それがどう未来へ繋がっていったのかという事実を知る事が、必ずより良い未来を作る為の教訓や糧となる。私が人類の起源を知りたいと願っているのは、今後の人類がどうしていくべきかを考える手助けになればと思っているからだね」
学生へ講義をするかのように、ひと言ひと言を丁寧に話す博士。太朗は年配の貴重な意見を逃すまいと耳を傾けた。
「もし君がだよ。話に聞く犯罪的な施設を見捨てるべきだと決定しようものなら、きっと私はおおいに失望していただろうね。君自身に対してか、あるいは人類に対してか。君らは若く、これからの世界を作っていく人間のひとりだ。望む望まざるに限らず、そうなのだよ。少なくとも、私のような年寄りはそう見ている」
博士の視線が太朗、そしてマールを捉える。太朗がそれにゆっくりと頷き返し、隣ではマールも同様にしていた。
「人が罪を犯し、そしてそれを正そうとするのであれば、存分にやりたまえ。人とはそうあるべきだし、未来とはそのように作られていくものだと私は考えているよ。そんな君をとやかく言う者がいるとしても、そんな者は放って置けば良いのだ。君を理解出来る者は君についていくし、そうでない者は去っていく。それで良いのだよ。人は全てを手に入れる事など到底出来ないのだからね」
にやりと笑う博士。彼は陽気な表情を作ると、力強く両手を打ち合わせた。
「さぁさぁ、忙しくなるぞ。時間がないのだろう? 必要最小限の機材はここにあるが、急ぐのであればもっと必要だ。ギガンテックの力が借りられるのであれば、彼らの持つ最高の光学機器を持ってこさせよう。人も、予算も、船も、何もかもを彼らのところから引っ張ってくればいい。彼らが君を利用するのと同様に、君も彼らを利用してやるのだよ。それが企業同士の正しい付き合い方というものだ。ほれ、若者らしくその2本の足で急ぎたまえ」
博士はそう言うと、太朗達を追い立てるように手を振り始めた。太朗はそれに笑顔で応じて立ち上がると、何度も謝意を述べてから部屋を後にした。
「なんていうか、大人って感じよね。うちの会社は若い人がほとんどだから、凄く貴重な気がするわ」
船へ向かう廊下で、マールが思い出すように言った。それに「んだな」と同意する太朗。
「経験ってのは大事だし、もちっと周囲の意見を聞けるようにならないと。普段が忙し過ぎるってのがあれだけど、それで遠回りしてちゃ世話ねぇしなぁ」
今後は博士はもちろんの事、もっと周囲の人々と積極的にコミュニケーションを取るべきだろうと太朗は頭の中で反省した。今回の件についても、場合によってはもっと早い段階で解決法を得られたのかもしれなかった。
「立場的に言えない事が多すぎるってのもあるわよ。でもせめて博士くらいには相談したいし、何か今後の対策を考えておいた方がいいかもね」
「だよなぁ。情報レベルが経営陣限定とかになってるとうっかり漏らすわけにもいかねぇし…………いっそ博士にも経営者側にまわってもらおうか。参謀……だと堅苦しいな。経営オブザーバーとかそんな感じで。それなら周りの文句もでねぇだろ」
「あはは、それいいわね。今回の件が上手く行けば間違いなく博士のお手柄になるわけだし、タイミング的にもバッチリだわ。博士が同意するかどうかはちょっとアレだけど、いざとなったらベラさんからお願いしてもらえばいいわ。孫にはすっごい甘いみたいだし」
「未来世界でもそこは一緒か。まぁ、なんにせよまずは目の前の脅威をなんとかしなくちゃな」
「そうね。ねぇ、テイロー」
マールは振り返ると、太朗の方へ拳を突き出してきた。
「頑張りましょうね」
明るい表情のマール。太朗は拳を合わせる為に腕を上げようとするが、彼女の顔を見て一瞬躊躇した。
「あぁ……そうだな。頑張らないと」
歯切れの悪い答えと共に、拳を打ち合わせる。マールはそんな太朗の様子を、何か不審そうな顔で眺めてきた。
「最悪のケースだな」
自らの執務室でひとり、部下より上げられた報告書を見て男が呟いた。報告書にはライジングサンが何らかの方法でギガンテック社の助力を得た旨の事が書かれており、それは男にとって悪夢に等しかった。
「どんな方法かは知らんが、何か証拠を得る術を得たという事か? そうでなければこうまで露骨に巨人が動くとは考え難いな」
男は長い間マーセナリーズの実務をトップとして取り仕切って来たが、かつてこれ程までに脅威を感じた事はなかった。ギガンテック社は銀河帝国そのものを除けばまさしく絶対の存在であり、決して敵として向かい合ってはならない存在だった。
「しかし、こうも短時間で見つけられる何かがあるとは思えんが…………」
男は険しい表情で無言の思考を続けると、やがておもむろに立ち上がった。
「秘匿通信回線、対象、エッタ」
ぶつぶつと呟き、BISHOPを通した通信を開く。男は回線が繋がった事を確認すると、少しだけ天井を見上げて間を空けた。
「エマージェンシーG、ライジングサン」
男はそう嘘をつくと、返事を待たずに回線を切った。それは証拠が間違いなく露呈したと確定した場合に発せられる暗号であり、懸念という段階で発動されるべきものではなかった。
「あれらが負けるとは思えんが…………万が一という事もある。急がなくてはならんな」
暗号発動から24時間後には、所定の手順に従って自動的に宣戦が布告される手はずとなっていた。男はジャケットを掴み取ると、やるべき事を成す為に部屋を飛び出した。
太朗達が情報の証人、探偵達、そして科学者といった数十名のギガンテック社員と大型観測機を積んだ調査船団をザイードへ向けて発進させたのとほぼ同時期。マーセナリーズによるRSアライアンスに対する遺憾の意が表明された。
マーセナリーズは重大なワインド発生地と化しているザイード周辺を放置しているRSアライアンスの管理責任を挙げ、これの甚大なる被害を訴えた。RSアライアンス側はそもそもザイード宙域を支配しているという認識すらなかった為、それを言いがかりであると主張した。もちろんそれらが事実かどうかは第三者機関によって調査される事となったが、調査が終了するまでにRSアライアンスが存続しているかどうかは誰から見ても疑問だった。マーセナリーズによる遺憾の意は、そのまま戦争へと直結するのが常だった。
その後マーセナリーズはザイード周辺宙域に対するワインド討伐の為とする大規模な艦隊を派遣し、討伐後のザイード周辺宙域支配権を主張した。これに対しRSアライアンスはザイード周辺宙域に散らばる非人道的施設の存在を訴え、調査終了までは待つべきだと主張した。
それにマーセナリーズはザイード占領後の調査団受け入れを約束するとしたが、RSアライアンスは当事者の介入にあたるとこれを拒否。マーセナリーズはRSアライアンスの主張が全くの事実無根による業務妨害にあたるとし、銀河帝国政府に正式な宣戦布告を申請した。
太朗達の行った最終段階までの施設の秘匿はマーセナリーズ側からの先手介入という最も望ましい事態を生み出し、目論見通り世論はRSアライアンス側に同情的な形となった。そしてそもそもライジングサンが外宇宙へむけてせっせとポルノ動画を運ぶ小さな会社と認識されている事もあり、世間からすれば純軍事企業であるマーセナリーズの攻撃的行動はライジングサンの主張を裏付けているかのようにも見えた。
結果として、マーセナリーズはほぼ単独による戦争行動を余儀なくされた。それは本来彼らが発揮出来ただろう軍事力の4分の1以下であり、これは太朗達の戦略的勝利だった。
しかしそれでも、太朗達が窮地に立たされている事に変わりはなかった。400対2000という数字は、誰もに動かしがたい結果を連想させた。
彼らの最終的勝利は、証拠発見までの残り時間、ザイード周辺宙域を防衛し続ける事が出来るかどうかに全てがかかっていた。




