第208話
「証拠……証拠……冷静になって考えてみっと、あるわけねぇって結論になるよなぁ」
移動用快速船の艦橋で寝そべり、折り曲げた足をシートへ乗せた姿の太朗がぼやいた。3メートル四方程しかない狭い艦橋には、太朗、小梅、マールの3名がおり、それぞれつまらなそうに目的地へつくまでの暇つぶしをしていた。
「例の施設とマーセナリーズとの繋がりよね? とんだ間抜けでもなければ完璧に消してるでしょうね。そもそもアランやファントムが見つけられないくらいなんだから、かなり徹底してると思うわ」
慣れないシートが不愉快なのだろう、身じろぎしながらマールが言った。それに太朗は「だよなぁ」と同意するが、しかし諦めるというわけにもいかなかった。
「ときにミスター・テイロー。証拠とひと口に仰いますが、物事の痕跡というのは実に曖昧なものです。ギガンテックコーポレーション側から要求された証拠というのは、いったいどの程度のものなのですか?」
先頭にあるシートで操船作業を行っている小梅が、首だけを後ろへ向けて言った。
「ん、なんでもいいからちゃんとした繋がりさえあれば構わねぇってさ。状況データから見て無関係の人間があそこの宙域にいる事はありえねぇかんな。もし見て見ぬふりをしてただけだったとしてもオッケーだとよ。大企業の資格だかなんだか、十分に宣戦の理由になるっぽい。つか、ギガンテック社やる気まんまん過ぎじゃね?」
会談の後に決められた細かい取り決めを思い出しながら語る太朗。それを聞いたマールが「うーん」と人差し指を頬にあてて考え込む仕草を見せた。
「エニグマが凄いのは良くわかるし、ギガンテック社だってそれが欲しいと思うのはわかるわ。でも、それだけでここまで積極的に動いてくれるかっていうと疑問よね。あそこはもう10年以上も他社との戦争をしてないはずだし、開戦するってだけでもデメリットが凄そうじゃない?」
「そうそう、そうなんよ。俺も会談するにあたって色々調べたけど、その時点では望み薄って感じだったからな。そもそもその必要がないってのもあるんだろうけど、戦争には基本的にかなり慎重な姿勢なんよね」
マールの言う通り、ギガンテック社が最後に戦争を行ったのは12年も前の事だった。対象は不正に大規模な為替操作を行った証券会社であり、その会社は戦後賠償で取締役がギガンテックグループの社員に総取替えされている。為替操作で失われた天文学的損失は、残り288年のローン返済で返される形となっていた。
「昔ほどじゃないらしいけど、それでも正社員数だけで私達のアライアンスの人口より多いんだものね。今は確か4億人くらいだっけ。小さな会社ならひと睨みされただけで即倒産だわ」
ライジングサンがその対象となる絵を想像したのか、ぶるりと震えるマール。
「4億とか、規模がでか過ぎて想像がつかねぇよ。マーセナリーズで120万だろ? あそこの400倍で、うちの2万倍か。なんだよ2万倍って。競争する気にもならねぇよ」
太朗もつまらないプライドを持つ男のはしくれとして狙うなら頂上という気持ちは持っていたが、さすがにこれだけの差をどうこう出来ると思う程に楽観的ではなかった。
「500年くらいうちに幸運が続いて、他社全部が不幸続きなら、10代目イチジョウあたりになればいけんのかなぁ」
「あら、2代目が出来るかどうかだって怪しいのに」
「言わないで! それは言わないで!」
両手で耳を押さえ、体をくねらせる太朗。反動で体が浮き、天井へ向かってぷかぷかと浮かんでいく。エンジンやドライブ装置の出力を優先する為、船の重力制御機器はオフとなっていた。
「これはただの予想ではありますが」
小梅が口を開く。彼女は首を傾げて天井を見上げるという、およそロボットらしくない仕草をした。
「恐らく人気取りではないだろうかと、小梅は考えます。エニグマも例の施設に対する懲罰的戦争も、成功すればギガンテック社の株を大いに上げる事でしょう」
当然の事のように語る小梅。太朗が「人気なら既にあんじゃね?」と口を挟むと、彼女はやんわりと首を振った。
「絶対値として考えるのであれば、間違いなく銀河最高峰でしょう。帝国軍を除けば銀河最大の組織である上に、これといって目立つ欠点もありません。人気がないはずがありません。しかし過去からの相対値で考えると、明らかに現在進行形で下降していると思われます」
ぴしゃりと言い放つ小梅。しかし太朗はそれに首を傾げた。事前にギガンテック社を調べた際には、そういった情報は特に見当たらなかったからだ。
「銀河最大の企業には銀河最大の責任が負わされるという事ですよ、ミスター・テイロー。銀河はここ数年の間に、ニューラルネット崩壊、ワインド危機と、大きな事件が立て続けに起こっています。しかしながら軍は小規模で不便ながらもニューラルネットの再構築という快挙を成し遂げたのに対し、ギガンテックグループはこれといった活躍を見せておりません。もちろん銀河のどの企業よりも社会に貢献し続けているのは間違いないでしょうが、民衆というのはもっと目に見えてわかり易い成果を評価するものです」
小梅はそうすらすらと考えを述べると、「違いますか?」とでも言いた気な視線を向けてきた。太朗はそれを苦笑いと共に受け止めると、「君は本当にAIなんすかね?」という言葉を飲み込んだ。
「要するに、低くなりつつある存在感をなんとかしようって事よね…………考え方としては有りなんじゃないかしら。大企業になるほど人気とか評判ってのは重要になるわ。マーセナリーズがウチなんかに本気になってるのもそこがネックなわけだし、より規模の大きいギガンテックグループだともっと顕著でしょうね」
マールが納得した様子で言った。太朗も「そうかもな」とそれに同意したが、それ以上考えを進めるのは止めた。ギガンテック社に興味がないわけではないが、差し迫った状況が意識を散漫にした。
「ギガンテック社の意図が何にせよ、協力してくれるっつーならそれでいいさ。問題は証拠だよ、証拠。それがねぇと結局協力だって得られないわけだし…………今の防衛力じゃ全く足りてねぇしさ」
戦後のエニグマの占有契約を結ぶ条件で得たギガンテック社からの融資。それによって新設された1個艦隊と、義勇軍からなる1個艦隊。それぞれの合計100隻という戦力の増強こそあったが、それでもやがて来るだろうマーセナリーズの派遣艦隊とやりあうには大きく不足していた。
「戦艦2隻は別だけど、その2個艦隊は基本的にフルモジュールタイプだもの。実質戦力は1個艦隊換算になるのかしら」
全てが汎用互換部品で作られるフルモジュール規格船は、訓練による習熟期間が短く、生産も容易で、そのものの値段から維持費まで全てが安上がりであるという利点がある。ただし戦力的にはどうしても通常の船に比べると低くなってしまい、戦力比で大体7割程度と見積もられる事が多かった。今回のように義勇軍や傭兵が扱うとなるとそれはさらに低下する。
しかし戦艦1、特務艦5、巡洋艦15、駆逐艦30からなる通常編成――戦艦はあったりなかったりだが――の通常規格1個艦隊を揃えるとなると、とてもではないが時間が足りなかった。太朗はファントムからマーセナリーズが戦争準備を急ピッチで進めているとの報告を受けており、既にいつ開戦してもおかしくない状況だった。
「そんなもんだろな。特に第8艦隊は緊急離脱装置関係に相当スペース割いてるらしいし、しゃあねえさ。文句言ったらバチが当たるだろうしな…………ん? なんだあれ」
窓の向こうを指さす太朗。マールは太朗が指す先を向くと、「何って」と訝しげな視線を向けてきた。
「あの動いてる光体よね? 各種センサーに反応はないわ。ゴーストでしょ」
「ゴースト……あぁ、偏差虚像とかいう奴だっけか。プラムに窓はねぇからなぁ」
太朗は納得の声を発すると、光速の遅延による不思議な現象をまじまじと眺め見た。船のセンサーは光体の見える位置に何も存在していない事を示しており、そしてカメラが捕らえている以上ステルス艦という可能性もなかった。
「光速って、宇宙の広さからすると遅く感じる事があるわよね。ドライブ粒子がなかったらきっと、帝国はここまで大きくなってなかったでしょうね」
マールがしみじみとした様子で言った。そしてしばらくすると、窓向こうの光体は青い光と共にどこかへと消えて行った。
「光点までの距離はおよそ1800光秒。先程まで見えていたのは約30分前の景色という事になりますね」
小梅が当然の事のように言った。太朗は「ふぅん」とそれに当たり障りのない相槌を打った。
「今見えてる星は既に存在しないかもしれないって、良く言うよな。実際にもそうなんだろ?」
「えぇ、そうね。でも今のセンサーはどれもドライブ粒子を飛ばして調べてるから、偏差の事を気にする人なんてほとんどいないけど。小梅、何か適当なのない?」
マールの言葉を受け、小梅が「少々お待ちを」と黙りこくる。彼女はしばらくすると窓向こうに見える星のひとつを指さした。
「あのひときわ赤い恒星が見えますでしょうか。あれはDAC_KLL55652という、現在地より650万光年先にかつて存在していた恒星です。今より約200万年前に超新星爆発により消滅している事が確認されておりますので、目で見る事は出来ますが、現実には存在していない虚像という事になります」
小梅が窓へ向けて手を振ると、窓にカメラが捕らえた映像が映し出され、それはやがて赤くぼやけた光点をズームアップさせた。
「650万光年って、気が遠くなるレベルの遠方銀河だな。超光速粒子があれば、そんな遠くの出来事もわかるのか……」
「そうね。でもドライブ粒子だって、厳密には光速より早いわけじゃないわよ。空間をジャンプしながら伝わるから見掛け上では超光速になってるだけで――」
「あー、そういう難しい事は興味ないんで大丈夫っす。聞いても理解できねぇだろしな」
太朗はそう言って手を振ると、遥か彼方からやって来たのだろう光が描く星々を見つめた。
地球出身者の太朗からすれば銀河帝国ですらも理解の範疇を超えるレベルで巨大だったが、宇宙の広さはそれすらもただただちっぽけな存在へと変貌させてくる。無数の銀河が銀河団を構成し、それがさらに集まって超銀河団を作り上げる。そして無数の銀河団が銀河フィラメントと呼ばれる不思議な構造を作り出し、それは観測可能なあらゆる方向へ無限に続いているらしい。
それら銀河の中にも沢山の銀河帝国のような知的集団組織が存在するのだろうと考えると、太朗はなんとも言えない不思議な気持ちで一杯になった。
「こうして星を眺めてると、目に入ってくる情報のほとんどは過去からやってきたものになるのよね…………不思議な…………あれ?」
うっとりとした目で語っていたマールが、何かに気付いたかのように顔を顰める。太朗は何事だろうかと彼女の整った横顔を見るが、次の瞬間彼女の気付いた事に思い当たり、その身が固く強張った。
「………………」
無言の時が流れ、エンジンの発する重低音に耳鳴りが混ざり始める。太朗はぎこちなく顔を巡らせると、小梅の方へ向けて口を開いた。
「…………小梅先生、質問です」
真剣な眼差しで眉間に皺を寄せ、頭の中で様々な可能性を戦わせる太朗。そんな彼に「何でしょう、ミスター・テイロー」と小梅が得意気な様子で答えた。
「その…………もし、もしだぞ。もしそこにある星から5光年離れた場所にオーバードライブすれば、その星の5年前の姿が見えるわけだよな?」
「肯定です、ミスター・テイロー。ただし各種天体等の重力による空間の歪みや何かが乗りますので、厳密に言えばいくらか異なりますが。見た目も距離に応じて曖昧になっていくでしょう」
「ノイズって奴か…………ちなみにそれの除去って、何か専門知識が必要だったりする? 小梅は出来る?」
「肯定、及び否定です、ミスター・テイロー。光線追跡雑音除去法にはかなり高度な天文学の知識が必要となります。残念ですが、小梅にはそこまで専門的な知識が存在しておりません。というより――」
小梅は言葉を止めると、にやりと笑った。
「我々の仲間には、その道の第一人者がいるではありませんか、ミスター・テイロー。彼が調べているのは、まさに過去の世界そのものなのですよ」
小梅の指摘に、マールが「そうよ!」と立ち上がった。
「アルジモフ博士なら十分な知識を持ってるはずだわ! 考古学の専門家じゃない!」
興奮した様子のマール。太朗はそれに何度も無言で頷くと、「小梅、何が必要だ!」と上ずった声を発した。それを受け、小梅が「そうですね」と考え込んだ様子を見せる。
「まず、マーセナリーズの船が例のステーションへ寄港した正確な日時が必要です。次にノイズ除去の為のザイード周辺宙域の詳細な天体情報。光の情報は放射状に広がりますので、複数個所での観測が望ましいと思われます。また、観測に不正がないと証明する為の第三者、例えばギガンテック社の専門家等に行動を共にしてもらう必要もあります。現時点での問題は2点。船とマーセナリーズの関係を見つける必要がある点と、ノイズの除去に膨大な計算量が必要だろうという点です」
小梅がいつも通りの澄ました様子で答えた。それにマールが「船は」と前置きをして口を開く。
「どんな形にせよ、必ずマーセナリーズの本拠地か関連した施設へとアクセスしてるはずよ。直接か、それとも乗り換えての間接かはわからないけど、そこは問題じゃないわ。人は情報じゃないから、最終的には必ず物理的に運ぶ必要があるもの。絶対に追跡できる。計算については――」
ちらりと太朗の方を見やるマール。太朗はその視線を受けると、自らの胸を力強く叩いた。
「そういうのは得意中の得意だぜ。任しとけ」
にやりと笑う太朗。彼は「急ぐぜ」とそれに続けると、博士のいる星系へ向けて船を急旋回させ始めた。




