第205話
「先方は講和の打診を断ってきたぞ。もう式はあてに出来んかもしれんな」
マーセナリーズの誇る最新鋭戦艦ジェミニの作戦会議室にて、実務を取り仕切る男がふたりの女上司へ向けて言い放った。
「RSアライアンスの体質が異常すぎるのよ。式は民主主義だとかいうふざけた政治形態に対応できるようには作られていない。イレギュラーよ。式がおかしなわけではないわ」
いらいらした様子のエッタが言った。男は彼女の言葉に同意出来なかったが、黙っていた。
彼は、彼女がコールマン――当然それが作った式も――にある種の尊敬の念のようなものを持っている事を知っていた。それゆえいくらか盲目になっているとも感じていたし、いずれ問題を起こすだろうとは考えていたが、それでも今は余計な口を挟む必要がないと思っていた。実際におかしいのがどちらであろうと、どうでも良い事だったからだ。どちらの場合においても、今回のケースで式が使えない事に変わりはなかった。
「他にも色々と入力値に大きな差異があるわ。これじゃ正しい答えは出ない。例えばトップのテイローについてだけど、あまりに過小評価しすぎてたわ。マインドテストにC判定が出てるのは、おそらく欺瞞でしょうね。業種も業種だし、偽る理由が他にないもの」
ホログラフ上のライジングサン代表に向かい、厳しい視線を向けるエッタ。男は「そのようだな」と今度は同意すると、同じ顔をしたもうひとりの女の方へと視線を向けた。
「お前は直に見てきたんだろう。どうだったんだ」
ぶっきらぼうな声色。それに妹であるヨッタが鼻を鳴らした。
「馬鹿じゃないわ。周囲に見せている姿は偽物よ。いつもへらへらといけすかないガキみたいな奴だったけれど、思考の速さは驚異的ね。BISHOPとの通信量が常人の5倍はあるんじゃないかしら。恐らくギフテッドだわ」
当時の事を思い出すように語るヨッタ。それにエッタが興味深そうに笑った。
「それは素敵ね。アクセラレータ?」
「いいえ、違うわ、姉様。複数同時だったから、恐らくマルチタスクよ。ニューエデンにも似たようなのがいたわ」
「おい、聞いてないぞ。ギフト持ちはマールという女だけじゃないのか?」
男が割って入る。ヨッタは気分を害されたかのように、男に細い視線を向けた。
「戦闘に特化したギフトをお前に話してどうするのよ。どうせ前線には立たないんでしょう?」
「…………専門家へ口出しする程に愚かではないからな。しかし、そうか。戦闘特化か。それならいいんだ」
マーセナリーズの実務を取りまとめる男は顔の前で手を振ると、小さく安堵のため息を吐いた。彼はブーステッドマンやギフテッドの持つ能力がいかに恐ろしいかを普段から非常に強く実感していた。今現在も、自分の目の前にはその恐ろしい存在が二人いるのだから。
「このマールというギフテッドだが、なんとか殺さずに捕えるようにしてくれ。戦後賠償の一貫としてぜひこちらに欲しい。賠償金なんかよりもずっと役に立つはずだ」
男がディスプレイにマールの姿を表示させながら言った。それを見てエッタが小さく笑いながら口を開いた。
「あら、小児性愛者だったとは知らなかったわ」
「ふざけろ。もう少し下からのレポートに目を通したらどうなんだ。このマールという女だが、正真正銘の化け物だぞ。ライジングサンが製造している製品のマザーマシンだが、それの6割以上は彼女の独自設計によるものだ。特許登録してあるものだけでそれなのだから、実態はもっと上だろう。たった1年足らずだぞ? その意味がわかるか?」
マザーマシンとは機械を作成する為の機械であり、製造業を行う上で最も重要な機械となる。マザーマシンで作られた機械がマザーマシン以上の精度を出す事は難しい為、その後作られる製品は全てマザーマシンの性能に影響を受ける事となる。
一般的なマザーマシンは3D図面を読み取って削り出すという汎用性の高い3Dプリンターが使われているが、特殊な用途で使われる機械を作る場合はそうもいかない。超高精度だったり高耐久性だったり、あるいは超大型だったりと様々だが、いずれも設計製造が非常に難しく、大抵の場合は専門の開発企業が存在する。つまり個人が次々と新設計を生み出して良いような代物ではなかった。
「ふぅん…………うちの基礎開発チームより優秀という事?」
「話にならんよ。お前らがファントムとソナーマンを取るというのなら、俺はこの女とドクトル・アルジモフをもらう。構わんだろう?」
「そう。好きにするといいわ。それより宣戦布告の準備についてだけど、あまり芳しく無いと聞いたわ。結局どうするつもりなの?」
エッタがつまらなそうに言った。男はその無関心な様子に腹を立てたが、ぐっとそれを飲み込んだ。
「残念ながら、適当な言い分をでっちあげるしかないだろうな。奴らがG3についての非難声明でも発表してくれていれば良かったんだが…………」
アウタースペースに住まうアウトローコープとは違い、銀河帝国内で商売を行うマーセナリーズにとって、宣戦布告の為の大義名分を用意する事は非常に重要な事だった。相手が同様の帝国内企業でないゆえにいくらかましであるとは言え、無視して良い事柄ではなかった。
そしてマーセナリーズの筋書きとしては、G3計画用ステーションに対するライジングサンの非難を事実無根の誹謗中傷であるとし、それを宣戦布告の大きな理由とするつもりだった。ステーションは戦時のどさくさに紛れて破壊してしまえばよく、流れ如何によっては占領後に余所へ移動させる事も出来た。
「頭の回る奴がいるという事ね。政治的な判断が出来るとなると、このベラという女かしら…………ベラ。どこかで聞いた事があるわね」
「アルファ星系のマスターだ。元ガンズアンドルールのトップで、艦隊を持たずにアウタースペースとの境界を守り続けてた事で有名なスペースマフィアだな。政治的な駆け引きは得意だろう。確かうちのHADを納品してたはずだぞ」
「あらそう。嫌ねぇ、取引先と戦うだなんて」
「……………………」
男はエッタの話し様に軽蔑の視線を向けると、一度深呼吸をしてから「関連してもうひとつ問題がある」と切り出した。
「関連企業からの主体的な協力を得られる望みが薄い。恐らく、ほとんど本社単体で向かう形になるだろう」
「そう。でも別に構わないじゃない。元々そのつもりだったし、G3が絡んでる以上は本社以外があの宙域へ向かうのはあまり望ましくないわ」
「単独でやるつもりだったのか…………勝てるのか?」
戦闘に関する話は聞かされていなかった為、そう問いかける男。それにエッタが不愉快だとばかりに「ふざけないで」と吐き捨てた。
「戦力比は8対1で、総生産量は10倍以上よ? 考え難い事だけど、万が一に艦隊決戦で負けるとするわ。でもそれが何よ。すぐに次の艦隊を作ればいいだけの話じゃない。私達にはそれが出来て、向こうには出来ない。これでどう負けろというの?」
そう言って立ち上がるエッタ。男は「ふむ」と鼻を鳴らすと、ドアへ向かって歩き出す彼女を目で追った。
「貴方は黙って実務を取り仕切ってくれていればいいわ。予定通りの船を揃えて頂戴……あぁ、そうそう」
エッタは開いたドアの前で振り返ると、男に向かって首を傾げた。
「一応、理由を聞かせてもらっていいかしら。関連会社の主体的な協力とやらが得られない理由を」
エッタの質問に、男は目を閉じてから答えた。
「…………ポルノグッズ製造会社に対する武力行使を前提とした宣戦布告だぞ。どの会社も同じ返信を返してきたよ。"いったい何の冗談だ"ってな」
銀河帝国中枢における最重要ヶ所を挙げろと言われれば、大抵の銀河帝国市民はデルタとアンドアのふたつを答える。ひとつは経済の中心地としてであり、もうひとつは政治の中心地として。
「ん? どうした婿殿。何か珍しいものでもあったか?」
太朗の前を歩くサクラが後ろを振り返りながら発した。太朗は「い、いや」と引きつった顔で答えると、左右に連なる巨大な建造物を眺め見た。
超大型ステーションの中央を走る一本の空中回廊。そこから左右に延びる枝道の先にある建造物は、ひとつたりとも地面と接していない。全てはステーションの天井からぶら下がる形で下へと延びており、それはまるで白く巨大な鍾乳洞だった。
建材のあらゆる場所に細かな彫刻が彫られたそれらはステーション全体の落ち着いたデザイン色調と合わせて作られており、モノクロの他には時折茶色が存在するのみだった。それら全ては木や石といった自然物で作られており、それは見る者を圧倒させた。地球育ちの太朗でさえここまで圧倒されるとなると、銀河帝国市民が感じるだろう畏怖はどれほどのものだろうかと太朗は想像した。
「さすがにパレスには入れないぞ。例年通り交流会は開かれてるだろうが、今は招待状を持ってないからな」
中央を走る空中回廊の行き着く先となる、はるか前方へと目を向けるサクラ。太朗もつられるようにそちらを向くと、銀河帝国を統べる皇帝陛下の住まう宮殿を見上げた。先ほどから歩けども歩けども一向に近づく気配を見せない、白い巨大な宮殿。磨き上げられた外壁が周囲の光りを反射し、それはまるで水晶のように輝いていた。
「い、いや、入るつもりはねぇし、今後入る機会があるとも思えねぇよ……サクラはあそこに行った事があんのか?」
「もちろんあるさ。母が伯爵の流れを引いてるからな。今はめっきり機会も減ったが、昔は良く誘われて交流会へ赴いたものだ。陛下にお会いした事はないが、声なら聞いた事があるぞ」
腰に両手をやり、自慢気に胸を張るサクラ。太朗は「ほえぇ」と気の抜けた声を発すると、本当の意味で育ちが違うというのはこういう事なのだなと妙に感心した。おぼろげとなってしまった記憶の中には小奇麗な家に住む同級生だか何だかを羨んだ経験が含まれていたが、そんなものは結局、こういった本当の意味での上流階級と比べればどんぐりの背比べでしかなさそうだった。
「ほら、ついたぞ。あれがそうだ」
ふたりでしばらくアンドアステーションのメインストリートを歩いていると、サクラがやおら立ち止まってそう発した。太朗は彼女が目を向ける先を確認すると、その圧倒的存在感を放つビルに掲げられた巨大な看板の文字を睨みつけた。
「……よし。挑戦するのはタダだしな。やったろうじゃねぇか」
太朗はそう意気込むと、その大きな看板の下を足早にくぐって行った。
「ギガンテックコーポレーション」と書かれた、その看板の下を。




