第204話
「銀河中の至る所に、あらゆる時代…………なんかの都市伝説っぽいっすね。地球にもそんな迷信がありましたよ。なんとか伯爵とかいう」
決して冗談を言っているわけではないのだろうと思ってはいるのだが、それでも信じ難いと訝しさを顔に出す太朗。そんな彼にファントムは、無言で手の平サイズのカードを差し出してきた。
「なんすかこれ……なんか貴重な金属だったり?」
銀に光るカードは完全な無地で、光りに照らすとぬらぬらと美しい反射を返した。
「いや、金属自体は何でもないよ。塗料が少し変わっていて、こうすると反応するんだ」
ファントムはそういいながらいつもつけている黒い手袋をはずすと、太朗の持つカードを人差し指と親指で挟み込んだ。
「おおっ、文字が浮かぶんすか。身分証みたいな感じなんすかね…………ちなみにこの"ナラザ"ってのは?」
カードに浮き出たナラザというホログラフの文字。それはファントムが指を放すと、すぐさま消えていった。
「ナラザは、アウトサイダーが参加する互助組織の名前さ。正式にはナラザ会。ちゃんと銀河帝国に登録もしてあるから、誰でも簡単に調べる事が出来るよ。会員数は約8000万で、会員は銀河中に散らばってる。今年で創立1000年ちょっとだったかな。活動内容はお互いの情報交換が主だが、時にはボランティア活動をしたり、資金を募って非営利団体を経営する事もある。社会に歓迎されない者達が手を取り合った、という所かな」
ファントムはそう語ると、引き出しから数枚のチップを取り出してきた。太朗はそれを受け取ると、チップの情報からナラザ会が確かにどこにでもある非政府組織であるらしい事を確認した。
「特にこれといって変わった所があるようには見えないけど…………まぁ、そういう事なんすよね。これがファントムさんの秘密の情報源ってトコか」
独り言のようにぼやく太朗。銀河に散らばる8000万の情報源があれば、確かに大抵の情報は集められそうな気がした。
「ふふ、そうなるかな。ただし、各々が自分の立場を危うくするような行動や情報提供を行う事は禁止されてる。ナラザ会自体が社会から危険視される事態というのが最悪のケースだからね。もちろんライジングサンの機密に触れるような情報を流した事はないし、そのつもりもないよ。それは信じて欲しい…………あぁ、調べればすぐにわかるような、例えば概要や印象程度は話した事があるよ?」
「いや、まぁ、そりゃ構わないし信じますけど、そんなラフな感じで集められる情報に価値ってあるんすか?」
「そりゃあ、あるさ。例えば俺を情報源として考えた場合、RSアライアンスやライジングサンについての情報はご法度だ。絶対に提供出来ない。しかし、例えばEAPについてならどうだい?」
「…………なるほど。うちに影響が出ない範囲での、他社の秘密とかか」
太朗はなるほどと腕を組むと、もうひとつの疑問を口にした。
「でもそれって、結局はファントムさんみたいに重要な情報を手に出来る立場にないと出来ない芸当っすよね。まさか全員が諜報員とか? 会員はアウトサイダーがほとんどなんすよね?」
太朗の疑問に、ファントムが小さく笑った。
「まさか。ほとんどはただの会社員だよ。それに立場については、そういった情報を自由に扱えるだけの地位につけばいいだけじゃないか。ちゃんと正規の手段で出世すればいい。君の言う通り、普通のアウトサイダーにはちょいと難しいとは思うがね。生活するだけで精いっぱいの者もたくさんいる」
「なるほど。でもそれ、えらい気の長い話っすよね…………あぁ、いや――」
太朗は顔の前で手を振ると、何かがストンと心に落ちるような心地よい感覚と共にソファへ大きくくつろいだ。
「現にそれをやってる人が目の前にいましたっけか…………しかし、なるほど。それがいつか言ってた、俺に協力してくれる理由ってわけっすね。さっきの自身に影響が出ない範囲での情報に限るって話、それって例外がありますよね?」
含みを持たせた視線を送る太朗。それに「あぁ」とファントムが目を閉じた。
「アウトサイダー全体に悪影響を及ぼすような情報であれば、話は別だ。組織を危険に晒す可能性を極力抑えた上でだが、自由に行動する事が許される」
予想通りの答えに、太朗は得意気に人差し指を天井へと向けた。
「つまり、監視ってわけっすね?」
突き付けるような、あるいは伺うような口調。それにファントムはいくらかばつの悪そうな表情を見せた。
「それ目当てだけで君に近づいたというわけではないが、その理由があったのも事実だ。アウトサイダーはその多くがアウタースペースで生活をしているわけだからね。自衛の為に、新興勢力には目を光らせておく必要がある」
ファントムの答えに、太朗は満足して頷いた。
「んじゃまあ、俺は合格点って事でいいんすかね。今の所首と胴は繋がってますし」
太朗の皮肉めいた物言いに、ファントムが肩を竦めて両手を開いた。
「勘弁してくれ。君が我々の暗殺対象になるような人間でない事は、最初に会った時からわかっていたよ。俺はどちらかというと、監視の為というよりも、むしろ君の可能性の方に賭けてみたかったんだ」
ファントムの言葉に、太朗は「可能性?」と疑問符を浮かべた。
「そうだ。可能性だ。君は知らないかもしれないが、義憤、正義感、仲間意識、博愛、そういった物を採算度外視で追える経営者というのは、それこそ非常に珍しいんだ。アウトサイダーに差別意識を持っていないとなるとなおさらだね。十分に発達したネットワークは企業間の自然淘汰を無慈悲に加速させる。甘い事を言ってる企業は生き残れないのさ」
ファントムはそう言うと、「これからは違うかもしれないがね」と付け加えた。太朗は旧ニューラルネットの崩壊を思い浮かべると、これから訪れるのかもしれない多様性の時代を想像した。
「俺はそんな大したもんじゃないと思うけどなぁ…………少なくとも地球じゃあ、俺みたいな考え方が主流だと思いますよ。たぶん」
「ほぅ、そうなのか。ではますます楽しみだね」
「そっすか…………ん? あー、ひょっとして地球にも何か期待してたり?」
「そりゃあ、もちろん。君の話からすると、地球人は全員がアウトサイダーなんだろう? アウトサイダーだけで成り立つ社会。素晴らしいじゃないか。我々からすれば理想郷だよ。次世代からはBISHOPをオーバーライドされていくんだろうが、それでも何らかの参考にはなるはずだ。惑星ニュークは、なんというか。少し中途半端だったからね」
いくらか残念そうなファントム。太朗は苦笑いを返しつつ、「それじゃあ」と右手を差し出した。不思議そうに首を傾げるファントム。
「これからもよろしくって事で。色々衝撃的な話ではあったけど、別にライジングサンに不利益があるわけでもないっすからね。むしろ今までのファントムさんの働きとかを考えると、うちがナラザに世話になってる事の方が多い気がするし」
太朗はそう言って、手を差し出したまま待った。ファントムはしばらくきょとんとした顔をしていたが、やがて苦笑いをしつつ太朗の手を取った。
「やれやれ…………本当に君は、いい人のようだ。こちらからもよろしく頼むよ。ただ、握手の手を差し出すには少し早いと思う」
ファントムは握手しているのとは反対の方の手で腰からいつもの手袋を取り出すと、太朗の右手へと装着し始めた。手を覆う、対衝撃硬化素材の手袋。太朗は「なんすかこれ?」と厚手の手袋をにぎにぎと感触を確かめた。
「君には、まだしていない質問がひとつあるはずだ」
ファントムの短いひと言。太朗は視線をファントムへ向けると、それを床に落とした。
「まぁ、そっすね…………んじゃ一応聞きますけど」
太朗は一度呼吸を止めると、本当に言って良いのかどうかを迷いつつ発した。
「何で今、この話をする必要があったんすかね。コールマンについてはともかく、ナラザからのくだりがわかんねぇっす。なんか秘密結社っぽい雰囲気だし、ファントムさんからすればそのまま内緒にしといた方が良くないっすか? 今までそうだったんだし」
単純な疑問。ファントムが良心の呵責からそんな告白するような人間には思えず、また、無駄話でするような内容にも思えなかった。とすれば、何か理由があるはずだと太朗は思っていた。
「…………知ってるかもしれないが、そいつは衝撃を受けると硬化する素材で出来てる。いくらか痺れはするだろうが、鉄の壁を殴りつけても拳は痛まないよ」
太朗の手を指さすファントム。太朗がなんのこっちゃと首を傾げると、ファントムが続けて口を開いた
「君の同情を引く為さ、マスター・テイロー。それと脅しもあるかな。ナラザ会は例のステーションをなんとかしてやりたいと考えているが、ただの互助会にそれをするだけの力はない。会としては戦闘艦一隻すら持ってないんだからね……しかし、君はそうじゃないかもしれない」
目を細めるファントム。太朗は元よりそうするつもりだったので、何をいまさらと口を開こうとした。
「アルジモフ博士が、地球が存在すると思われるおおよその方向を割り出した」
太朗の言葉を遮り、ファントムが発した。それを聞き、固まる太朗。
「かなり信憑性の高い数値のようだぞ。当時の船では相当に高い粒子密度がないとオーバードライブが出来ないだろうと、研究チームがニュークの遺跡から結論付けたようだね。ドライブ粒子の経過時間密度とニュークにあった宇宙船の性能とを照らし合わせ、おおよそ現実的だろう航路を逆算したそうだ。後は調査をしつつ、その航路を辿って行けばいい」
ファントムはそう言うと、太朗とファントムとの間にあったテーブルは脇へどかした。彼は太朗の前に立ち上がると、「そしてもうひとつ」と言った。
「もう少ししたらマーセナリーズから、例のステーションから手を引くという条件で、現状の経済封鎖と今後予定している宣戦布告を取りやめるとの提案が来るはずだ。帝国軍を介した契約書を発行しても良いとの事だから、嘘ではないだろう。常識的に考えれば、この提案は受けるべきだろうね。そして地球探索をより本格化させるべきだ」
感情のないファントムの声。太朗はそれを聞くと、しばし考え、立ち上がり、そしてため息を吐いた。
「でも、それじゃあ困ると。そんで同情を引いた上で脅すと…………まぁ、一応ご要望っぽいんでやっときますけど、あんま期待しないで下さいよ。殴り合いのケンカとか最後にいつしたのか覚えてないんすから」
太朗はそう口にすると、全力でファントムの顔面を殴りつけた。硬化素材と鉄とがぶつかる甲高い音が部屋に響き、ファントムが一歩後ろへ後ずさる。太朗は衝撃でしびれる手から手袋をはずすと、ソファの上へ放り投げた。
「そんな事されなくても、マーセナリーズの提案を飲む気なんてありませんよ。いい人ってのは、ああいうのを無視できない人の事を言うんじゃないんすか?」
太朗はそう言うと、口から血を流すファントムを尻目に部屋を後にした。
「あら、テイロー。話は終わったの? 随分時間が……って、どうしたの?」
ファントムの部屋を出た太朗を待っていたのは、小梅と共に壁に寄り掛かるマールの姿だった。彼女は訝しげに太朗の顔を覗き込むようにすると、「最悪の顔色よ」と心配そうに言った。
「そっか…………まあ、相当に我慢してっからな」
太朗はそう言うと、マールから顔を背けるようにしながら歩き出した。それにやや遅れるような形でついてくるふたり。太朗はしばし無言で歩き続けた後、口を開いた。
「博士が地球についての有力な手がかりを見つけたってのと、しばらくすっとマーセナリーズがあのステーションから手を引けば許してやるって言ってくるらしい。常識で考えれば話を受け入れるべきだろうけど、ファントムさんは頼むからそうするなってさ」
太朗はそう発すると、下を向いて胸を押さえた。マールと小梅は無言のままだったが、そのまま続きを口にした。
「そんなん、言われなくったってそうするに決まってんじゃん…………でもマーセナリーズとぶつかれば、当然沢山の犠牲が出る。あの人、俺がそうする事で感じるだろう責任や後悔を引き受けようとしたんだ…………くそっ、なんで俺の周りはこんなに優しい人ばっかなんだろうな」
太朗はそう言って地面を蹴りつけると、手の甲で涙を拭った。




