第199話
「ほんじゃまた帰りに寄りますんで、くれぐれもお願いしますよ?」
モニタに映るガルダステーション代表の老人へ向け、太朗はそう言って手を振った。
「はい、もちろんです。業者がステーションへ入ってくる事はほとんどありませんので、大丈夫でしょう。ほんとうにありがとうございました」
老人がにこりと笑い、頭を下げる。太朗はそれにひとつ頷き返すと、ステーションとの映像通信を終了させた。
「……じゃあ、出すわよ」
元気のない様子のマールが、そう言ってプラムのエンジン出力を上げた。彼女は既に事のあらましについてを聞いており、それに酷いショックを受けていた。
「ちょいと心配ではあるけど、まずは目的を果たさないとな」
目的。わざわざ艦隊まで率いて遥かザイードルートまで来た理由であり、それは目下の所最も優先されるべき事柄だった。他人を助けるのは結構だが、その為にはまずは自分がしっかりと立っていなくてはいけない。まず成すべきは、マーセナリーズの謀略に対する対処だった。
「残していく船は例の新設部隊ですから、そう心配せずとも大丈夫でしょう、ミスター・テイロー。彼らの実力は我々も良く知る所です。いくらか別の艦から不満の声が上がってはおりますが」
小梅がいつも通りの声で発した。
彼女が言っているのはしばらく前に新設された電子戦機部隊であり、メンバーは旧エンツィオにおけるサンフラワー部隊に所属していた者達で構成されていた。新設に際しては内部からかなりの反感――彼らに身内や仲間を殺された人もいる――もあったが、現在は比較的おとなしくなってきている。普段はベラの主力艦隊をサポートする形で活動をしており、その活動が徐々に認められつつあるという事だろう。実際彼らは有能であるし、何より失った名誉や信頼を取り戻すべく肩身の狭い中でも必死に働いていた。
そして今回、高いステルス能力を買われて例の業者を隠れて待ち受ける役割に抜擢されている。場合によっては拿捕も検討に入っている為、危険な任務だった。もちろん業者が現れるのはひとつあたり数年に一度との事なので、実際に現れる可能性はかなり低かったが。
「本番でも頑張ってもらう事になっから、今の内に艦隊内での信用や何かを掴んでもらわないとな。本番で連携出来ないようなら、ぶっちゃけゲリラにでも使うしかねぇよ」
部隊新設を促した太朗からしても、まだ全てのわだかまりが取れたというわけではない。彼らの電子攻撃によってあわや艦隊が全滅する寸前まで追い込まれた経験もある。しかし急速に肥大化する会社と社会を支えるには、実戦経験のある元軍人という人材を放っておくわけにもいかなかった。さすがに戦犯として牢へ入った人間を使う事は出来ないが、それ以外には出来るだけ声をかけていた。優秀な人材が流出しても困るという点もあるからだ。
「ちなみに、心配なのは俺達の干渉が業者にバレるんじゃないかって方ね。相手はクソみたいな悪党なわけで、証拠隠滅の為にステーションの破壊とか平気でやりかねねぇだろ」
そう言って首を振る太朗。それに小梅が「そちらも大丈夫でしょう」とゆっくり頷いた。
「先程ミスター・サントルが仰っていた通り、例の業者はステーションの生活には一切立ち入っていないようです。監視カメラや各種映像を調べましたから、確かでしょう。それに彼らも、このような『大艦隊』を擁する我々との取引をないがしろにするとは思えません」
大艦隊を冗談めかして強調する小梅。それに「大艦隊ね」と苦笑いをする太郎。この艦隊は、太朗の感覚からすればせいぜいが「それなりの艦隊」といった程度の規模だった。大部分はアライアンス領に残してあるし、あくまで調査艦隊に過ぎない。
「色々と致命的な理由があって、我々は他の業者にその存在を知られてはいけないのです。些細な痕跡でも見つかってしまったら、残念ですが今後の取引は諦めてもらいます。だとよ…………へっ、俺も同じ嘘つきだな。賄賂も渡してあるし」
太朗はサントルに伝えた内容を繰り返すと、自嘲気味に笑った。
「いいえ、ミスター・テイロー。それは彼らの為の嘘であり、同じではありませんよ。時に真実を話す事が害悪を呼び寄せる場合があり、今回のケースはそれに相当すると小梅は考えております。少なくとも小梅は、ただ正直に生きる事が正義に繋がるとは全く思っておりません」
ぴしゃりと断言する小梅。そこへマールが「賄賂ってあんた」と割って入る。
「単に向こうが望む物資を融通してあげただけじゃない。小梅が言う通りだし、ちょっとネガティブに考えすぎよ…………まぁ、気持ちはわかるけどね」
そう言って肩を竦めて見せるマール。太朗は「そうかもな」と小さく笑って見せると、ひとつゆっくりと深呼吸をした。
「考えてみりゃあ、普段から騙し騙されの世界で切った張ったやってるわけで、今更か」
太朗はそう締めくくると、気持ちを本来の任務へ向けて切り替える事にした。
「…………つっても、暇なんだよなぁ。地図作るったって、基本的には飛んでるだけだし」
ちらりと視線を移し、更新される大量のデータを眺める太朗。艦隊を構成する各艦のスキャン情報が常時プラムに集められており、それを太朗は片手間で処理し続けていた。
「あのねぇ、実際にはデータの解析や照合や何かで大変なんだからね。あんたと……違うわね。エッタが優秀なのと、あんたが異常なだけよ」
「いやいや、別に俺が異常って言い直す必要なくね? 俺とエッタが優秀で良くね?」
「うるさいわね。毎回あんたのわけわかんない処理能力と要望に応えてピーキーな設備装置を設計するこっちの身にもなりなさいよ。過去データが役に立たないからほとんど一から設計しなきゃなんないのよ?」
「あっはっは、いつも助かってますよマールたん。今回の観測調査だって、君の作った謎の装置があればこそ出来るんじゃないかぁ」
「謎の装置ってあんたねぇ……大体、観測処理装置を一般の200倍の精度にしてくれなんて、どー考えてもおかしいでしょ。普通は何%増しにしてくれとか、せいぜい盛ったって2倍とか3倍じゃないの? 何よ200倍って。ソフィアの弟だって言わないわよそんなの」
「あ、あはは…………」
「結局プラムのBISHOP処理機構があるからそれでなんとかなったけど、それでも我ながら良く実現したなって思うわよ。ほんとにもう、どっかのアイデア豊富な発明家あたりと組んだら億万長者になれるんじゃないかしら…………あれ、これって結構イケる考えなんじゃない? もしかしてパートナー間違えた?」
「え? いやいやいやいや、ちょ、ちょっと待って! 大丈夫、大丈夫だから! 捨てないで! 太朗ちゃんひとりは寂しくて死んじゃうから!」
恥も外聞もなくマールへ縋り付く太郎。それを鬱陶しげにしつつも、どこか楽しそうな表情で振り払うマール。小梅はそんなふたりを穏やかな目で見つめていた。既に先程までの沈んだ空気はなく、いつもの慌しくものんびりとした第1艦橋となっていた。ただ、ひとつ違う点があるとすれば、それはひとり無言で佇むエッタの存在だけだった。
その後23日間と半分という長い調査を終え、プラムと艦隊は無事にアライアンスへと帰還する事となった。
最も大きな障害であるワインドは、確かに危惧していた通り驚く程の頻度で現れたが、それらは贅沢にも全艦艇へ搭載した対ワインド用行動予測装置の力によって退ける事が出来た。最終的に1隻の駆逐艦と2隻のフリゲート艦が失われる事にはなったが、幸いな事に死者は出なかった。かつてマールが漂流した際の教訓を元に脱出関連の設備が刷新されており、それらが高い効果を発揮した。
残念な事にもうひとつの目的であったガルダの業者は現れなかったようだが、それはもとより確率的にあまり期待されてはいなかった。現在艦隊の船のひとつにガルダステーションからの代表5名が乗っており、太朗としてはそちらの方が気がかりだった。当たり前の話ではあるが、帝国や業者についての説明――かなり慎重に言葉を選んだ――を受けた所、かなりのショックと混乱で取り乱したらしい。アライアンスに到着して話が真実であると確認したら、それこそ自殺でもするのではないかと太朗は半ば本気で心配していた。なお、当然ながらサントルも話を聞いているが、今回は同行しない事になっている。例の業者が現れた際に、彼が対応に出なければ怪しまれてしまうからだ。
「今回は入れなかったけど、次は直接中を見てみたいわね。不謹慎な言い方かもだけど、生きた博物館なんて中々お目にかかれないわよ」
ガルダ星系の傍を通り過ぎながら、マールが発した。各種設備のあまりの古さから、安全性を考えてプラムの主要メンバーはステーションには降り立っていなかった。現在も残っている数名の調査班による報告からすると、かなり貴重な古い時代の品々が残っているとの事らしい。
「色々と無理無茶絶望に溢れてはいるものの、なんとか戦略的な目処も立ったしな。これからマーセナリーズの連中にひと泡吹かせる為の準備で忙しくなるぞ」
太朗が来るべき近い未来を出来る限り明るく思い描きながら言った。
超光速通信設備の生む遠距離での経営も、これだけ離れているとリアルタイムでのやり取りとはいかない。当然現地に残る製造部取締役となったウェルズとクラーク本部長がいつもより前に出て指揮を執る事となり、そうなると太朗達には時間的な余裕が出来る事となった。
そして太朗達はその時間を利用し、対マーセナリーズについてを徹底的に話し合った。太朗が素案を作成し、アランが練り上げ、ベラがそれを戦術的に可能かどうか検討する。マールは作戦に必要な機材が調達可能かどうかを判断し、ライザはそれら作戦が会社の経営に及ぼすだろう影響を算出。おろそかになりがちな周囲の警戒は、エッタが常にその目を光らせた。そして人間では見落としがちな点を指摘する小梅と、EAP側が取るだろう反応を予測するサクラ、定期的に送られてくるファントムからの情報は、作戦立案全体を通して非常に役に立った。
敵は確かに大きいが、誰も諦めようとはしていなかった。負けるつもりで事に当たるつもりなど、誰も考えてはいなかった。そこにいた誰もが、自分達の勝利に疑いを持っていなかった。
「絶対ぎゃふんと言わせてやるんだから……あ、そろそろジャンプが始まるわよ」
鼻息を荒くしていたマールが、手元のモニターを見て太朗へ注意を促した。太朗は「了解」とそれに応じると、揺れに備えて手元の飲料水をシートに固定した。
「…………待って!」
普段なかなか聞く事のない、エッタの切羽詰まったような声。太朗は視線と頷く事でマールへジャンプの中止を伝えると、「どした?」とエッタへ尋ねた。
「もやもやが……ドライブ粒子が揺らめいてるわ。広がって、広がって、大きな丸い波紋になってる。誰かがあそこで、ジャンプをしたんだわ。ほんの、数時間前」
エッタが艦橋の壁を指差す。すると小梅が「規模はわかりますか、ミス・エッタ」と発し、それにエッタが「凄く小さいわ」と答えた。
「ここまで運が良いと、ちょっと今後の展開が心配になるレベルだな。相手は十中八九例の業者だろ? 出口、塞ぐぜ」
太朗が歪な笑みを浮かべながら言った。ガルダ星系からオーバードライブ可能な全ての宙域へ船を配置する事が可能な構成を割り出し、艦隊へ命令を送る。すぐさま足の速いフリゲート達が旋回を開始し、ガルダ周辺の宙域へと青い矢となり消えていった。
「そんじゃ、外道とご対面といこうじゃねぇか」
ガルダステーションへ向けてのオーバードライブを指示する太朗。船はゆっくりとその巨体を旋回させ、肉眼では点でしか見えない恒星へ向け、船体を長々と引き延ばした。
太朗はガルダステーションで出会うだろう、まだ見ぬ人の形をした邪悪を想像していた。
しかしそこに居たのは、予想外の人物だった。




