第196話
「やあディンゴ。久しぶり、になるのかな?」
親しげな声。高級クラブのソファで複数の美女達に囲まれているディンゴへ、ひとりの男が近付いた。
「お前は…………ふん、前の名前はサイクスだったか? 便利なもんだな」
ディンゴはそう言うと、女達に席を外すように声を掛けた。男は通りすがりに熱っぽい視線を向けて来る女を無視すると、ディンゴの向かいに腰掛けた。
「顔を変えられるからね。仕事の上では非常に役に立つ。俺も一杯もらっていいかい?」
「どうせ飲んでも酔わねえだろうが。体内調整用のナノマシンってのは、アルコールだけ見逃してくれでもすんのか?」
「気分の問題さ。やろうと思えば酔う事も出来るけどね」
「ふん、そうかい……で、何の用だ。今のお前はガキのお守りで忙しいんじゃねぇのか。ファントムさんよ」
ディンゴはそう言うと、帝国でも広く名の知れた高級酒をグラスへ注いだ。ファントムはそれを受け取ると、老舗酒造企業による絶妙な調合によって作り出された芳醇な香りを楽しんだ。
「今の彼にはお守りなど必要ないさ。驚く程成長しているよ。驚く程ね」
「いくらか下っ端が死んだ程度でぴーぴー喚いてたあいつがか? 冗談きついぜ」
「彼は多分、ブーステッドマンだよ」
ファントムの発言にディンゴの頬がぴくりと引きつる。
「………………じじいのか?」
絞り出すような声。それにファントムが「いや」と否定した。
「恐らく彼の方がコールマンよりもずっと古い時代から来てるからね。もちろん帝国軍でもない。もしかすると、ロストエイジからなんじゃないかな?」
「おいおい、オールドエデン組って奴か? 眉唾もんだと思ってたぜ」
「まぁ、ただの想像だよ。近頃エデンという単語を耳にしたんでね…………さて、何に乾杯しようか。旧友の再会に?」
「ふざけろ。俺がおめぇに気付いたのは最近だが、どうせおめぇはずっとこっちを知ってたんだろうが。最近も何度か違う顔で探ってやがったな?」
「仕事とプライベートは分ける主義でね」
「ほざけ。それにお前と友人になった覚えもねぇよ」
ふたりはそう言って互いに小さく笑い合うと、グラスをぐいとあおった。
「ん、いい味だ。プラムはブレンドカクテルは充実してるんだが、ワインとコーヒーの品ぞろえが良くなくてね」
「てめぇの上司に言えよ。おい、それより本題に入れ。俺だって暇じゃあねえんだぞ」
「ふむ……なぁディンゴ。お前、ニューエデンにいたエッタという名の女を憶えてるか?」
「エッタだぁ? お前んとこにいるブーステッドマンがどうした」
「いや、あの娘じゃない。俺達と同世代の女だ。しょっちゅう白衣の連中とよろしくやってた女なんだが」
「20年も前のガキの頃だぞ。誰だか知んねえが…………あぁいや、思い出したな。あの売女か……あいつだけ明らかに待遇が違ってたからな。片っ端から上の連中に足を開いてやがった野郎だ」
「俺だって仕事や生存の為ならいくらでも女くらい抱くさ。それよりそのエッタだが、ニューエデンで何の強化処置を受けてたのかを知りたいんだ。わかるか?」
「さぁな。バイオロジーじゃあなかったのは確かだ。俺の班にはいなかった。お前の所じゃねぇのか?」
「いや、サイボーグでも無かったね。となると、脳改造系か……ふむ。特質は何だろう」
「知らねえな。あそこにはわんさか似たようなのがいやがったからな……そういや、確か双子の妹がいたはずだぞ。ヨッタとか言ったはずだ」
「ヨッタ? 確かうちのエッタもそんな名前を口にしていたな……」
「んで、あの売女が何だってんだ」
「あぁ、そのエッタなんだが、彼女は今、マーセナリーズコープのトップに立ってる。コープについては知ってるな?」
「…………自力で辿り着きやがったか。お前の力か?」
「いいや、テイローだよ」
「ふん。ガキはガキでも、生意気なガキだな」
「ふふ、褒め言葉と受け取っておくよ。ではそろそろお暇しようかな。何か思い出した事があったらこっちに連絡をくれないか?」
「あぁ、わかった。そっちも新しい情報が入ったらすぐに寄越せ。それと一応確認するが、マーセナリーズのトップがあの売女だってのは確かな情報だろうな?」
「もちろんさ。ちなみに今回の情報の対価は?」
「…………ふん。連中の狩場について心当たりがある。後で送ってやろう」
「そいつはまた…………ふふ、楽しみになってきたね。良い情報だ」
ファントムはそう言ってにやりと笑みを漏らす。彼は「それじゃあ失礼するよ」と軽く手を上げて席を立つと、来た時と同じように天井のダクトへと消えていった。ディンゴはそれを遠目に眺めながら、次からは普通に入口から来いと伝える事に決めた。
銀河帝国中枢から長々とスターゲイトを伝い、アルファ星系の関所を抜け、いくつものスターゲイトを抜けた先に、アルファ方面宙域の中では大きな規模を誇るローマ星系が存在する。かつてはエンツィオ同盟が、現在はRSが治めるそこをずっと進むと、やがてワイオミング星系や惑星ニュークが存在する辺境へと到達する。少し前までは相当の時間を要したその旅も、今では帝国から供与された最新式スターゲイトにより半分以下の時間で移動する事が出来る。
そしてさらにそこを抜けて何日もの航海を続けると、船はやがてザイードルートと呼ばれる荒れ果てた星系群へと到達する。古代銀河帝国の拡張期にあらゆる資源を吸い尽くされ、発展の見込みなしとして放置された星系が連なる、ドライブ粒子の揺らぎが作り出した蜘蛛の巣状の道。現在そこには帝国とEAPを繋ぐ細々とした交易路が存在するものの、それは利益を求めた形ではなく、アルファ星系ルートが閉ざされた際の為の保険として維持されているだけのものだった。
「このあたりの支配権ってどうなってんだろうな。やっぱEAP?」
談話室のソファにひっくり返った太朗が誰へともなく呟く。するとそれを「どうでしょうかね、ミスター・テイロー」と傍でティーカップを手にしている小梅が拾った。
「最も近距離に存在する明確な勢力と前提すればEAPがそれに該当しますが、彼らにその維持を行う意思は見えません。せいぜいが中立地帯といった所ではないかと小梅は考えます」
「中立かぁ。うーん、だとするとA案はボツだなぁ……あれ? てことは俺達がとっちゃってもいいの?」
「維持出来るのであれば、肯定です」
「……無理っすね。はい」
太朗達の駆る戦艦プラムを中心とした調査船団は、現在地であるこのザイードルートへ到着するまでに丸5日を要している。とても緊急時に駆けつけられるような距離ではなさそうだった。
「こっち向きのスターゲイトでもありゃ話は別なんだろうけど…………あー、それでもキツイか。維持する価値がみつかんねぇ」
「小梅もそう思います、ミスター・テイロー。領土は広ければ良いというものではありませんし、アルファ星系と違って唯一の関門があるという形でもなさそうです。手に入れる必要性が見当たりませんね」
「まぁ、そうっぽいな。もっと細い回廊みたいなのを期待してたんだけど」
「何事もそう都合良くは行かないという事ですよ。ところでミスター・テイロー、ひとつ質問があります」
「はいはい、なんでしょうかね小梅さん。全てを背中で語るハードボイルダーな俺に、何か語り尽くせていない事でもあったかな?」
「肯定です、ミスター・テイロー。先ほどから貴方はずっとその姿勢ですが、何か理由があるのですか? ケルラ・デラ星系にある惑星タザトラには確かに頭部が下に位置する生物が存在してはおりますが、残念ながら貴方は人間です。頭に血が上るのでは?」
ソファの上に寝そべり、ほとんど頭が床につかんばかりの姿勢である太朗。それを目だけで見下ろす小梅。
「小梅さん、そのゴミを見るような視線を止めて下さい。一部のマニアにはたまんねぇ視線なのかもだけど」
「拒否です、ミスター・テイロー。どうせロクでもない理由だろうと小梅は推測しておりますゆえ。ちなみにですが、その角度からですと相当至近距離を通りでもしない限り、女性社員のスカートを覗くのは難しいと思われます」
「くそっ! 責任者を呼べ! 俺に無駄な労力を使わせやがって! 何がハードボイルドだっ!」
「貴方以上の責任者はおりませんよ、この船には。ちなみにどうせ覗くのであれば、第二艦橋付近にある階段を用いるのがよろしいでしょう。最近、ミスター・アランがそのあたりでかなり挙動不審な動きを見せておりましたから」
「いや、そこはマールに潰された。手すりが床からの板状にされちまってよ……」
「いえ、そこではありません。また新しい場所を発見したようですよ、彼は」
「まじで!? くそ、あんにゃろう抜け駆けしてやがったのか……友達だと思ってたのに……」
「たかが覗きスポットの独占によりヒビの入る友情など、むしろ砕け散ってしまえと小梅は強く思います」
「…………うん、冷静に考えるとその通りだな」
「たかが1枚の布にそこまで執着する理由がAIである小梅にはわかりません。小梅としてはその中身の方が…………おや?」
小梅は太朗を見下していたその冷たい視線を上げると、しばらく中空を見つめた。
「ミス・エッタが何かを見つけたようですよ、ミスター・テイロー。BISHOPで彼女のスキャン情報をご確認下さい」
太朗へ促すように手をあおぐ小梅。太朗は「もう見つかったのか?」と驚きつつも言われた通りにすると、更新されたスキャンデータへと素早く目を通した。
「…………いや、船じゃないっぽいな。なんだろこれ。大型漂流物?」
スキャンデータには、遠方に何か大きな構造物が存在する旨が含まれていた。今回のザイードルート調査の目的のひとつは船であり、ゆえに太朗は一瞬どうでも良い情報だろうと流しかけたが、発見主がエッタである点を考えてそれを思い直した。
「エッタが見つけてわざわざ報告してくるって事は、電磁波だかドライブ粒子だかの活動があるって事だよな? EAPの軍事施設か何かか?」
「不明です、ミスター・テイロー。ですがこの場所に戦術的な意味合いがあるとは思えません。軍事施設という線は薄いのではないでしょうか」
「だよなぁ。絶対通る道でもねぇし、EAPからも遠すぎんだろ……まさか、またワインドの工場か何かか?」
「可能性としては十分に考えられますね、ミスター・テイロー。このあたりのワインド発生頻度は平均値と比べても非常に高く、既に出発から7回もの戦闘が行われております」
「エニグマ持ってきてっから楽な戦いだったけどな…………よし、一応偵察しとこう。このあたりでしばらく活動する可能性もあるし」
太朗はそう判断すると、すぐさま警戒態勢のレベルを引き上げる旨を艦内に放送した。すると談話室から連なる個室のドアが次々に開け放たれ、無数の人間が各々の配置に向かって駆け出し始めた。
「わお、うちのクルーはみんな優秀だな……よし、そんじゃ俺達もいこうぜ。マールも起きたみたいだしな」
太朗は寝ぼけ眼を擦るマールを見つけると、その手を引いて事情を説明しながら艦橋へと向かった。




