第192話
「モリス星系、アデラ星系、E442星系……おい見ろてみろ、ラ・ガラ星系なんて所まであるぞ。こいつは銀河の反対側だ」
いくつもの最新型コンピューターや記憶装置が立ち並ぶプラムの情報管理室。演算ユニットの発する排熱からチップを守るために低い気温へ保たれたそこで、アランが備え付けのモニタを指差して言った。
「反対側て……わざわざそんなトコから遠征商売なんて出来んの?」
アランの指摘を受け、太朗が疑問を口にする。それに「肯定、及び否定です」と小梅がすました口調で発した。
「理論的には可能ですが、常識的には有り得ないと考えるべきでしょう、ミスター・テイロー。それだけ離れてしまうと、コスト的に相互のやりとりが電子的なものに限定されてしまいます。デジタルデータやライセンス管理を生業とするのであれば話は別ですが、今回のケースはそれに該当致しません」
小梅はそう続けると、テーブル上の湯のみを手にして香りを楽しむような仕草を見せた。その行為に何の意味があるのか太朗にはわからなかったが、何か楽しそうな様子だったのでそっとしておいた。冷えた室内にコタツが心地よい。
「要するに、てんでデタラメって事よね。情報が間違ってるって可能性はないかしら」
マールが真剣な表情でモニターへと顔を寄せる。そこへライザが「それは考え難いのでなくて?」と首を傾げる。
「情報元はあのタカサキでしてよ? ある程度の信憑性は確認済みだと見るべきですわ。これから信用を得ようという相手に間違った情報を渡すような方々かしら」
ライザの指摘に、集まった一同が「確かに」と頷く。
太朗達が解析検討しているのはサクラから提供されたEAP軍部についてのデータであり、その中でも優先度が高いと思われる造船関連の新規取引先についてだった。先日ディンゴが指摘した部分であり、タカサキが外された穴を埋める事となった企業達である。
「しっかし、良くこんだけコンパクトに選別できたな。俺だったらざっとリスト見ただけで投げ出しちまいそうだ」
企業名の書かれたリストの表示されているモニタへ目をむけ、太朗が溜息を吐いた。
ひと口に造船関連と言っても、それは宇宙船を構成するあらゆる部品、設備、そしてサービスを提供する多種多様な企業がそれに該当する。小型のフリゲート1隻ですら何千万という部品から成り、当然それら全てには製造元となる企業が存在した。よって元々のリストは数千社を超える数があり、それらひとつひとつを詳細まで検討するというのはとても現実的ではなかった。
「まぁ、それが仕事だからな。おかげでここ数日間はまともに寝れてないが、まぁ、これでいくらかは無駄飯食らいだと陰口を叩かれる事も減るだろう」
情報部は他部署に比べて目立たず、いわば裏方である。普段表に出ない彼らは他人から見て何をしているのかいまひとつわかり辛く、そうであるのに多くの予算が必要という妬みを買いやすい立場にあった。特に最前線で体を張る警備部からは白い目で見られる事が多く、部署間で諍いが起きる事も度々あった。
「使う側からすっと、情報部ほど大事な部署もねぇんだけどなぁ……もっと交流を持たせねぇとダメだな。またカバディ大会でも開くか? いっそ関連会社の人も呼んでさぁ」
「止めなさいよ。昔みたいな人数ならともかく、今やったら何万人集まるかわかんないわ。いくらかかると思ってるのよ。オリンピックの予選じゃないのよ?」
「おりんぴっく? なんだっけそれ……なんか聞いた事があんな……」
「4年に一回開かれる全銀河スポーツ大会よ。次は来年だったかしら?」
「おふたりさん、話が脱線してますわよ。それよりこちらをご覧になって」
ライザが何やら端末を操作し、モニタに新しい企業リストが表示される。
「兄の方にも問い合わせてみて、怪しいと思う企業をピックアップしてもらいましたの。過去に大きな法律違反をした企業と、実体の無い企業ですわね。比率的にはほとんどが後者でしてよ」
ライザが青いマニキュアの塗られた指をつっと走らせると、リストが高速でスクロールを始める。それは結構な速度にも関わらずしばらくの間続いた。
「…………随分と多いな」
アランが低くうめく。太朗も同感だと頷くと、「そもそも」と腕を組んで眉間に皺を寄せた。
「なんだってこんな怪しい企業が入札に参加してんだ? 普通にEAP軍部から受注を受けるんなら、堂々とやりゃあいいじゃねぇかよ。別に犯罪でも何でもねぇぞ?」
「いや、武器商人や保険会社、それにうちみたいな商品を作ってる所がペーパーカンパニー越しに商売するってのは良くある話だ。それなりに恨まれる商売だしな」
「あー、なるほど。それと企業イメージは壊したくねぇけど、そっち方面の商売に参入したいって連中だな? くそっ、こっちは初っ端からアダルトグッズ輸送会社からスタートしてんだぞ。堂々と行けってんだ堂々と。むしろすげぇ好感度たけぇんだぞウチは」
「ははっ、そうだな…………だがまぁ、こいつらはそういった理由じゃあないだろうな」
「おうふ。断言する根拠は?」
「いくら辿っても根っこにたどり着かないからだ。一応は終点と思われる企業には行き着くんだが、そこが出発点かと言われると疑問が残る。普通、宇宙船の様にセット販売される商品は大体が横の繋がりでガッチガチになってるもんだ。例えばタカサキがそうだが、細かい部品は他社で作っても、結局はそれをまとめる造船のタカサキが窓口になってる。それに資本の出資や融資元も多くがタカサキの関連企業だな。しかしこいつらにはそれが無い。てんでバラバラだ」
「あー……隠すにしても、徹底的すぎるって事か。一般消費者はそこまで調べねぇだろうから、イメージ戦略にしてはやりすぎだな」
太朗は納得の声と共に腕を組むと、それが何を意味するのかをじっと考えてみた。
リトルトーキョーとそれに繋がりの深いタカサキを引き摺り下ろそうとする対抗勢力がEAP内にあり、それが他企業を呼び込んだというのは間違いない。対抗勢力とは近頃台頭してきた軍部であり、リトルトーキョーはそれによって追い詰められ始めている。
しかしいくら発言力の増した軍部とはいえ、EAPの所有する艦艇の最大手取引先であったタカサキをそう簡単に排除出来るとは思えない。イメージだけで比較的民主化の進んだEAPの議会がタカサキ排除に動くというのは、あまりに不自然に思える。
とすると、新しい取引先一同はかなりのパフォーマンスをはじき出しているはずである。非常に高性能な製品か、非常に廉価な商品か。あるいはその両方か。EAPは電子戦機を保有し始めたという報告もあり、両方の可能性も大きい。
「……ダンピングか?」
不当廉売。すなわち赤字であろうがおかまい無しに商品を安く提供し、競合相手を市場からはじき出す手法。ただし大抵の法律や市場では禁止されている行為であり、なにより――
「タカサキとその関連会社全部を相手に、どこかの企業が経済戦争を仕掛けてるって事? それって、例え勝ったとしても回収するのにどれだけ時間がかかるのよ。もし負けたとなったら単なる大損じゃ済まないわよ? そんな割の合わないギャンブルをする企業がいるかしら」
太朗が感じた問題点を、マールがそのまま代弁する。
「そうなんだよなぁ……船舶の売買なんつー巨大市場でダンピングかますくらいなら、正攻法で商売した方が絶対儲かるはずなんよ。しかも電子戦機を売ってるらしいじゃん? そんなん海賊やらワインドやら相手に使う代物じゃねぇし、どことやりあおうってんだ。うちにはエッタがいんだぞ?」
太朗は足を伸ばすと、コタツの中で丸くなっているエッタを小突いた。何やらむにゃむにゃと聞こえて来る抗議の寝言。声の主は一日の半分において、電子戦機の最大の利点とも言えるステルス能力を無視する力を持っている。
「ディンゴんトコはウチと半同盟状態になってきてるし、帝国相手にドンパチやる程馬鹿じゃねぇだろ。となると、それこそリンやサクラが言ってた通り…………でも、どうやってだ…………なーんか、頭の中に引っかかるんだよな」
思考の海に沈んで行く太朗。それが十分に深くなると、やがて無数の自分による討議へと変わって行った。
「いや、違う……それじゃ無理だ……それも違う……それも……いや、違う……」
考えのまま、ぶつぶつと声を出す。頭のどこか隅の方に仕舞われた記憶のかけらが、早く掘り起こせと太朗に呼びかけている。
「ねぇテイロー、大丈夫?」
太朗の様子を心配に思ったのだろう、マールが不安気な声を発する。太朗はそれに気付いたが、特に返事はしなかった。もっと集中しなければならない。
そしてひとりぶつぶつと5分もそうしていただろうか。思い付くままに喋っていた言葉がぴたりと止まる。
「…………オーバーライドだ」
小さくひと事。太朗はすぐに長距離通信回線を開くと、自分の手がいつの間にか震えている事に気付いた。相手はディンゴとリンであり、大急ぎで確認しなければならない事がある。
「……あー、もしもし? リン、俺だ……うん、そう。大丈夫。それよりちょっと聞きたい事があんだけど」
いったい何事かと視線を向けて来る一同を気にするでもなく、確認事項を口にしていく。やがてひと通りの質問を終えると、太朗はそっと通信を終了させた。
「…………くそっ、儲ける為ならなんでもアリってか?」
音がする程に歯ぎしりをすると、ひとつ大きく息を吐き、今度はディンゴ相手に同じように質問を続けた。質問を口にする度に太朗の表情が険しくなっていき、通信を終了させた頃には明らかな怒りの表情となっていた。
「みんな……ちょっと調べて欲しい事がある」
太朗は短くそう言うと、机の上に両手を置いて身を乗り出した。頭の中で必要な情報を整理し、メンバーひとりひとりに調べるべき事柄をゆっくりと告げていく。そしてそれらの情報を集める事で導き出されるだろう仮説を口にすると、部屋の中には完全な静寂が訪れた。仮説にしても、それはあまりに衝撃的な内容だった。
「ん……もう朝?」
急に訪れた静けさに懸念を持ったのだろう、エッタがこたつより這い出てきて場違いな声を発した。
それでも、部屋は静かなままだった。




