第190話
「ふざけんじゃねぇぞおめぇ! 何考えてやがんだ!」
通信機から聞こえる怒声。太朗は慌ててBISHOPで調音機能を発動させると、耳鳴りのする頭を軽く振った。
「や、そう怒るなよディンゴ。こっちも色々あってさぁ」
どうせ意味は無いだろうが、あははとフレンドリーに笑う太朗。
「あってさぁ、じゃねぇよクソ野郎。俺はな、この銀河の中で帝国軍程嫌いなもんはねぇんだ。何だ? 嫌がらせか? やる気ならいつでも相手になんぞ!」
「いやいや、そういうつもりはねぇから。その様子だとディーンさんから連絡があったんかな?」
「あぁ、そうさ。いつかの戦闘で傍観してやがったクソ野郎からだ。ちくしょう、おめぇらが帝国を抑えるってのが約束だったろうが。なんでこんな真似をしやがった!」
「さすがディーンさん、仕事がはえぇな…………なんでっておめぇ、普通に頼んでも絶対情報出してくれないじゃん。もしくははぐらかすっしょ」
「あたりめぇだろうが! そうしてやる義理もねぇ!」
「ちょっと相談したい事が……って、何をそんなにイライラしてんだ? ディーンさんが何かやらかした? 別に深い付き合いじゃねぇけど、お前らしくねぇぞ」
太朗の知るディンゴとは、短気ではあるが、必要な場所では感情を抜きにした冷静な判断を行う事が出来る人間のはずだった。罵声を飛ばしてくるのはいつもの事だが、今のディンゴはいくらなんでもしつこい感じを受けた。
「…………いや。あいつからは、いくつかクソみてぇな企業についての情報をおめぇに渡すよう要請されただけだ」
「まぁ、そよね。んじゃ何にカリカリしてんだ?」
「うるせぇ! それより、何かこっちに益になる情報を寄越しやがれ。一方的じゃあ割に合わねえだろうが」
「はいはい、わかってるって。交換って事ね。そだなぁ」
太朗はしばし思案すると、流しても問題無いと思われるいくつかの情報を提供した。主にEAP周辺に関するもので、そのほとんどはディンゴも知ってる事実のようだったが、反応からするといくつかは彼にとって新しい情報のようだった。
「連中の軍拡についての報告は受けちゃあいたが、そこまでとなると予想外だな……」
先ほどとは打って変わり、落ち着いた声色のディンゴ。彼はその後しばらくを無言で過ごしたが、やがて口を開いた。
「おめぇ、相手側を掘り下げて調べてみたか?」
「相手側? いや、だからお前んトコに情報くれって要請してんじゃん」
「そうじゃねぇ。今現在EAPの軍部とよろしくやってるんだろう各種取引先の事だ。外されたのがタカサキだけって事はねぇだろうよ。こっちの情報については、そうだな。把握してる分は全部送ってやろう。必要ならこっちの手で解体してやってもいいぜ」
「解体…………やけに協力的だぁね。ちょっと気持ち悪ぃぞ。何か思い当たる節でもあんのか?」
「…………無い事もねぇが、確かな話でもねぇ。とにかくEAP軍部に対する納入を行ってる業者を徹底的に調べ上げろ。他の事は一切無視で構わねえ。最優先だ」
「いやいや……え? そんなにヤバイ感じの何かなん?」
「さぁな。そいつは調べてみねぇ事には何ともだ」
何か煮え切らない様子のディンゴ。太朗はそんな彼の様子に、どうやらただ事では無い何かが起こりつつあるのだろうと嫌な汗をかいた。ディンゴは間違いなく、何かを警戒している。
「…………わかった。得られた情報はそっちにまわした方がいい?」
「おめぇの判断で構わねえが、出来ればそうしてくれ。こっちも何か用意しておく」
「おっけ。そんじゃその方向で……またな」
太朗はそう言って通信を終了させると、腕を組んでしばし考え込んだ。
「解体するって、4つの企業はどこも結構デカいとこだろ……そんなやべぇのか? くそっ、なんだってんだ。気になるな」
ぼそりとそう呟くと、太朗は急いでライジングサン首脳陣に対して緊急回線による通話を開始した。彼は先ほどの会話の内容を説明し、さっそくEAP軍部についての情報を全力で集め始めるよう指示を出した。
明らかに女性らしさを強調する事に特化してるのだろう、機能面からすれば無駄と思われる露出の多い宇宙服。人によれば下品ともとれるようなそれを優雅に着こなした女が、その服とは対照的に機能美の塊である軍艦の艦橋で副官からの報告に耳を澄ませていた。
「――――となっております。彼らは良くやってくれてるようですね、ミス・エッタ」
そう言って副官が笑みを見せる。エッタはそれに鼻を鳴らすと、「そうね」とつまらなそうに答えた。
「期待値よりはせいぜい若干高めといった所ですが、今後の改良でさらに効果が期待できると思われます。廃棄処理の割合もそれに比例して増えると予想されてはおりますが」
「別に構わないわ。いくらでも連れて来れるもの……そうね。来月までにもう1割程増産して頂戴。出来るわね?」
「はっ、了解です。ただ、例の問題から今後の増産は伸び悩む可能性が大きいと思われます」
「んー、困ったわね。麻薬制限法、だったかしら。どこかに代替え候補はないの?」
「はい。別ルートからの納入を急がせてはいますが、正直あまり芳しくありません。新たに精製工場と密輸ルートを開拓する必要がありそうです」
「別の宙域の麻薬は使えないものね……コールマンがあの時期に死んだのは本当に痛かったわ」
エッタはコールマンの死を想うと、その経済的な損失の大きさにため息をついた。エッタにとってコールマン個人の死はどうでも良い出来事に過ぎなかったが、巨万の富を生み出すはずだった彼の持つ知識となると話は別だった。
「しばらくは赤字になっても構わないわ。不当廉売でも何でもいいから、とにかく他の宙域にコールマン式麻薬の市場を作って頂戴」
エッタはそう指示をすると、今まで麻薬の供給元となっていたエンツィオ方面宙域の市場を考えて歯ぎしりをした。
先日発表されたRSアライアンスによる麻薬制限法は彼女の麻薬納入ルートに打撃を与える可能性が大きく、既にその兆候は表れていた。例えそれが無くなった所で彼女の会社が立ち行かなくなるような事にはならないが、ひとつの大きなプロジェクトが頓挫する可能性は大いにあった。彼女のプロジェクトにはコールマンが考案した方式のエンドルフィンブースターが必要であり、それは残念な事に生前のコールマンが活動していたアルファ方面宙域でしか生産されていない物だった。
「了解しました。急がせます。それと先ほどですが、ホワイトディンゴ及びライジングサンの首脳同士と思われる相互通信をミス・ヨッタが傍受しました」
「ふぅん……それで、内容は?」
「はっ、残念ながら。通信には高度な暗号処理が成されており、解析は難しいものと。恐らくかなり高度な暗号機を用いているものと思われます」
「あら、そう。ウチの情報部も大した事ないわね……ふふ、こんな事言ったらヨッタが怒るかしら」
エッタは実際にそうした所を想像し、不機嫌そうに顔を歪めるヨッタの表情を楽しんだ。想像しただけでこうなのだから、実際に目にしたらどれほど素晴らしいのだろうかと思いながら。
「ミス・エッタ。我々は現在ホワイトディンゴからの納入にかなり依存しております。これが無くなると大問題ですよ?」
「ライジングサンがこちらの意図に気付いて、ディンゴに根回しでもしてるって事? ありえないわ。気付いてるかどうかすら怪しいもの」
「それはそうかもですが……」
「ふふ、それにホワイトディンゴが麻薬を禁止するなんて有り得ないわ。本当の意味でのアウトローが集まる場所よ? 仮に表面上で禁止出来たとしても、裏でいくらでも作る奴がいるわ。そういう場所よ、あそこは」
「そういうものでしょうか。しかしRSという前例がありますよ?」
「心配性ね、あなたは。RSで麻薬の禁止なんて真似が出来たのは、たまたまそれをするのに最高のタイミングが重なったってだけよ。私達からすれば最低の、かもしれないけど。それにディンゴの会社自体が麻薬売買に手を出してるわ。自身の貴重な収入源を自分で潰す馬鹿がどこにいるのよ」
エッタはそう説明すると、「それに」と付け加えて薄笑いを浮かべた。
「あの男は利で動く人間よ。前に取引した時に私が"読んだ"から、間違いないわ。犬はしつけ易い動物だったって聞くし、大丈夫よ」
エッタは笑い出しそうになる自分をなんとか抑えると、この話はお終いとばかりに手を振った。
「いずれにせよ、アルファ方面宙域を絞り尽くす分には十分な在庫があるわ。しっかりやって頂戴」
そう言って立ち上がると、エッタは出口へ向かって歩き出した。身体をしなやかにくねらせ、舞台上を歩く夜のモデルのように歩く。彼女は副官が自分の後ろ姿に向けているだろう劣情の視線を想像すると、ぞくぞくとした興奮を覚えた。
別に副官について思う所があるわけでは無い。彼女はただ自分が好きなだけだった。




