第179話
「…………てっ、敵侵入! 敵侵入!」
BISHOPで警報を発するのに声を出す必要は全く無いのだが、太朗は思わず叫んだ。己が手足をラダーベースの壁面へと突き刺し、ゆっくりと外壁を登る無数のワインドの姿。それは恐怖そのものだった。
「"テイロー、まだ敵との距離はあるぞ。誤報じゃないのか?"」
焦った様子のアランの声。太朗が「穴だよ! 地面に穴が開いてんだ!」と叫ぶと、通信機の向こうから舌打ちの音が聞こえてきた。
「"まだ15分しか経ってないんだぞ……くそっ、ファントムら全員をそっちへ向かわせる。大将は今すぐ全力で避難してくれ"」
「いやいや、避難ったって……どうしろってんだよ」
帰り道を塞ぐように立ちはだかる鋼の生物。一見した所ホーガンの方に意識が行っているように見えたが、実際の所どうなのかはさっぱりわからなかった。
「反対側を行けば――」
主砲の鎮座するタワーを回り込もうと身体をひるがえした所で、壁面をまさに乗り越えようとしていたワインドの一匹と目が合う。太朗は呼吸をするのも忘れて背中をまさぐると、何度もつっかえながらライフルを相手に向けた。
「う、うぉぉおおおおおおお!!」
引き金を一気に引き絞る。
銃口より炎とマズルフラッシュが幾度も迸り、射撃の衝撃が腕へと伝わる。見開いた目に不格好に踊るワインドの姿が映し出され、それは足の関節が砕けるのと同時に外壁の向こうへと消えて行った。
「はぁ……はぁ……」
震える足。引き金を引いた指が緊張で動かず、元の位置に戻すのに左手を使う必要があった。太朗は僅か数秒で全弾を撃ち尽くしてしまった事に思い当たり、慌てて弾倉を交換しようとする。
「"おい、テイロー。セントリーガンの射撃が止まってるぞ! なんとかしてくれ!"」
再び通信機よりアランの声。太朗はその声にびくりと体を反応させると、手にしていた弾倉を床に落としてしまった。
「あ、あぁ……わかってる。わかってる」
弾倉を拾い上げようと、床に膝をつく太朗。
ちらりと動く地面の影と、頭上を高速で通過する何か。
見上げるとそこには、外壁にめり込んだ手を引き抜こうと四苦八苦しているワインドの姿。その手がどういった経緯で壁に突き刺さるに至ったのかは、考えたくない事だった。
「………………」
再開したセントリーガンでの射撃に意識をとられているせいもあるが、すぐ目の前にいる人類の天敵が圧倒的な恐怖感を運んでくる。本当に恐怖を感じた時、人はこうも動けなくなるものなのかと、太朗は頭のどこか冷静な部分で考えていた。
(あ、こりゃ駄目か?)
目の前のワインドがどうにか鎌状の手を引き抜いたらしく、バランスを崩しながらも太朗の方へと体を向けてくる。そいつはほんの一瞬、その巨体に似つかわしく無い小さな頭を傾げると、鎌を大きく振り上げた。
「ホーガン、社長を頼むぞ」
振り上げたワインドの右肘が粉砕され、地面へと重力に従って落ちていく。ワインドは衝撃によろけながらも4本の脚で器用に体勢を整えたが、次の瞬間にはその足が一本ずつ関節部分で破壊されていった。
「アイ、アイ。任されました。さぁ社長、ちょいと移動するぜ」
ふわりと持ち上がる身体。太朗は顔を寄せてきたホーガンの顔をぼうっと見ると、ついでワインドの四肢を破壊したファントムの姿をその奥に見つけた。
「こうなると可愛らし…………くもないか。グロテスクな置物がせいぜいだな」
ファントムは悠然と足を進めると、手足を失って横たわるワインドを持ち上げた。彼はそのまま足取り軽く屋上の縁へと近づくと、手にした鉄の塊を下へと放り投げた。
「隊長、ストライクですか?」
「いや、そうするにはピンの数が多すぎるな。宇宙からのスペアに期待しよう」
ファントムはそう言って肩を竦めると、いつも懐に忍ばせている拳銃へと何事も無かったかのように弾丸を込め始めた。彼の奥からは屋上へ到達したワインドが次から次へと現れ、それぞれがファントムの方へとその巨体を向けてくる。
「やばい……助けないと」
なけなしの勇気を奮い、前へ出ようとする太朗。しかしその身体は再びぐいと引かれ、意識とは逆方向へと引きずられる。
「こう言っちゃ何だが、社長が行っても邪魔になるだけだぜ。ここは俺達改造歩兵に任せて下さいよ」
諭すようなホーガンの声。そして目の前で起きている出来事は、太朗に文句を付ける気を失わせるには十分な物だった。
ファントムはまるでダンスをするかのように、弾を込めながらゆらりゆらりとその身を躍らせる。ワインドの鉄をも貫く鎌はことごとく空を切り、太朗にはそれがどこかわざとらしくさえ見えた。ファントムは敵集団を縫うように足を進めると、ようやく弾を込め終えたらしい拳銃を持ち上げ、機関銃のような速度で6発を発射した。すると彼の回りには6つの動かぬワインドが出来上がった。どれも頭部周辺が破壊され、弾丸は貫通した胴体内部で小規模な爆発を起こしているようだった。
「…………いやいや、ねぇよ」
ホーガンに引きずられながらも、太朗はひとり突っ込みを入れた。彼にはそれが、とても人間に出来る芸当には見えなかった。
「俺達にあれを真似しろとは言わないでくれよ。出来るわけがねぇんだ」
「出来ないって、改造歩兵がみんなああなわけじゃ……あぁ、もう大丈夫。歩けるよ」
「そうかい。いや、みんながみんなあんな化け物だったら、陸戦は全員サイボーグになってんだろ。しかし現実は、違う。そうだろ?」
「まぁ、言われてみれば…………身体ひとつなら銀河帝国最強ってのは、伊達じゃないのね」
太朗は引きつった顔で苦笑いをしつつも、彼を雇う事となった当初と同じ感想を再び抱く事となった。すなわち、なぜ彼が自分の部下として動いていてくれるのだろうかと。より良い待遇の就職先だろうと何だろうと、彼であれば選び放題のはずだった。
「あぁ、そうだな。だが無敵ってわけじゃねぇし、いくら隊長がいてもこの数を全部どうこう出来るわけでもねぇ。持って10分かそこらだと俺は思うぜ」
太朗とホーガンとは逆方向へ走って行く、ファントムの部下達。太朗はあれに囲まれて10分も生きていれば十分だろうと呆れ半分で思ったが、それの意味する所が解った瞬間、思わず叫びそうになった。
「大変だ……避難させねぇと」
既にラダーベースの防衛は失敗したと判断して良さそうだった。湧き出る敵の数は尋常では無く、オーロラ作戦発動までの時間からファントム達が稼いでくれる時間を差し引いた5分もあれば、ベースを破壊するには十分な時間に思えた。
「アラン……アラン! 防衛は失敗だ! すぐに撤退準備を!」
「"…………わかった。戦車隊に突破指示を出す。全員5分で避難準備を完了させろ! 逃げ遅れた者は基地と共に爆破処理される羽目になるぞ!"」
アランの流した警報が鳴り響き、ヘルメットディスプレイが赤に染まる。太朗は徐々に溢れてきた悔しさに歯を噛みしめながらも、自らも脱出先である地下通路へ向けて走った。避難誘導や一秒でも長い足止めに身を投じたい所だったが、それよりもやるべき事があった。
「テイロー! 大丈夫? 怪我は?」
地下へ入ると、避難する人間達の中にマールの姿を見つける。彼女は太朗の元へ走り寄ると、アームドスーツの上からぺたぺたと身体をチェックし始めた。
「だ、大丈夫だから。どこも怪我はしてないよ。それより急ごう。爆破コードの起動と情報破棄は俺達がやらないと」
「えぇ、わかってるわ…………でも、残念ね。こんな結果になって」
「ん、しゃあねぇさ。敵の戦力も何もわかんねぇ上に時間が無かったんだ。慰めにもなんねぇかもだけど、頑張った方だろ」
「そうね…………ねぇ、これから戦車でNASAの本部に避難するのよね」
「そだな。避難計画だとそうなるけど、場合によっちゃ地表を走り続ける事になるかもやね。あの量だとNASAの地下都市がどれだけ持つのかわからねぇし――」
「私達が行ったせいで襲われる危険性がある?」
「…………まぁ、そういう事。様子を見ながら決めてくしかねぇだろ。割とマジで、戦車の方が足が速くて助かったわ」
「ずっと逃げ続けて、上から敵に向けて空爆…………そうなるともう、根競べね。それよりテイロー、あんたの言ってたオーロラ作戦だけど、本当に効果があるのよね?」
「おうよ。地球にいた頃はちょくちょくニュースになってるのを見たぜ。いつ頃の事だったかは忘れたけど」
「うーん、理論的にそうなるだろうってのはわかるんだけど、何か現実味が無いのよね。惑星上での戦闘なんて誰も考えてなかったでしょうから」
「まぁ、そりゃそうだわな。海が無い世界で海軍の研究する奴はいねぇだろうし、そもそも発想がねぇだろ…………にしても、あと5分か…………くそっ」
太朗はわずか5分足りないだけで負けとなってしまった現状に悪態をつきつつも、基地の最中枢へ向けて足を進めた。エラーや操作ミスでそれが起こらないよう、自爆処理や情報破棄は直接端末で操作する必要がある。
「よう小梅、ご苦労さん。全員分のオペレートは大変だっただろ」
中枢へ到着すると、幹部用カードキーを用いて小梅が控えている制御室へと入る。するとEMP対策用にと特殊シートに包まれていた小梅が現れ、ゆっくりとひとつ頷いた。
「いいえ、上に比べればここは天国でしたよ、ミスター・テイロー。起爆コードと情報の破棄ですか?」
「話が早くて助かるぜ小梅ちゃん。というわけで、ちゃちゃっと頼むぜ」
「了解しました、ミスター・テイロー。起爆コードの入力、及び全情報端末の抹消処理を行います。よろしいですね?」
さっさと頼むぜと口を開きかけた太朗だったが、その口を無言で閉じる。
軌道衛星エレベーターの開発設置には多額の資金と投資が行われており、たとえ基部だけでも失われれば莫大な損失になる。さらに惑星開発は地球探索という他へは言えない目的を根拠に、反対意見がある中をライジングサンが無理矢理押し通した面も大きかった。失敗による突き上げは避けられそうになく、それによってどんなネガティブな影響が出るのかは考えたくもなかった。場合によってはアライアンスの致命的な問題にもなり得る。そして何より、戦闘の中で失われていった部下達の事を想うと、やりきれなかった。
「5分……いや、3分だって何だっていい……なんとかあいつらを……」
悔しさから泣きそうになる顔を顰め、ぶつぶつと呟く太朗。脱出までの貴重な時間を費やしてしばらくをそうした彼は、ふと思い立ったように顔を上げた。
「…………なぁマール。上の主砲って、もう次が撃てたりする?」
「えぇ、そりゃ撃てるけど……でも今更砲撃したってたかが知れてるわ。あいつらの列がちょっと乱れるだけよ?」
「いや、列には撃たない。撃つのは――」
天井を指差す太朗。
「屋上だ。延伸性無しにして至近距離でぶっぱなしちゃろう。砲塔吹っ飛ぶかもだけど、構いやしねぇだろ」




