第169話
「うぅ……あんまりです。袋の中に押し込めるなんて」
椅子に腰かけたNASA代表であるオリヴィアが、べそをかきながら恨めしそうにファントムを睨みつけた。
「君の皮膚は耐熱加工されていないだろう。そのまま外は通れないし、片手であの絶壁を上り下りするのも御免だ。火傷が無いだけ有り難いと思って欲しいね」
ファントムはそう冷たく返すと、じきに交渉相手が映るはずのモニターへと視線を固定した。周囲のNASA戦闘部隊の面々からは彼らのトップに対するぞんざいな扱いに対する抗議の視線が送られてきていたが、それらは完全に無視をした。友好的に扱う必要があるかどうかは、今後の流れ次第だった。
「…………見ろ、お出ましだぞ」
モニタに映ったひとりの男。地下都市の人間達がもれなくそうであるように、青白い顔と薄い色素の頭髪。ファントムは男の顔が元々の色を抜きにしてもかなり具合が悪そうに見え、恐らくストレスから憔悴しているのだろうと予想した。
「"やあ、ミス・オリヴィア。いったいどうやってそこまでたどり着いたのか聞かせて欲しいね。横の男は魔法使いか何かか?"」
薄く、苦々しい笑みを浮かべる男。それに対し、オリヴィアが怒りの声を上げた。
「アントニオ、貴方はいったい何をしてるの!! こんな事をしでかして、何人が亡くなったと思ってるのですか!!」
激昂するオリヴィアに対し、アントニオはふんと鼻を鳴らした。
「"せいぜいまだ15人かそこらだろう。ワインドとの戦いがあれば、いつもそれ以上の犠牲が出ている。何をそんなにいきり立ってるんだ?"」
「こ、このっ!!」
椅子から立ち上がるオリヴィア。今にもモニタに飛び掛からんばかりの彼女を、ファントムは片手を上げる事で押し止めた。
「交渉に不慣れだとは聞いていたが、酷い物だぞ。気持ちはわかるが落ち着くんだ…………さて、ミスター・アントニオ。はじめましてかな? 俺はライジングサン警備部所属のファントムだ。残念な事に、現時点での最高責任者になるらしい」
ファントムはゆったりとした視線でモニターを見つめると、顔色の悪い交渉相手の様子を観察した。オリヴィアの話によると冷静沈着な人物であり、部下からの人望も厚いとの事らしい。常にどっしりと構え、表情ではなく言葉で語る人物。なるほど指導者としては悪くない、というのがファントムの感想だったが――
(とてもそうは見えないな……)
モニタ上のアントニオはせわしなく視線を泳がせ、落ち着かない様子で体をそわそわと動かしている。ファントムはちらりとNASAの戦闘部隊の方を見ると、彼らが何か困惑しているかのような様子である事を確認した。
(普段の彼とは様相が違うという事か。挑発は逆効果かな?)
精神的に追い詰められているのであれば、やりすぎると暴発するおそれがある。ファントムは交渉態度の方向性を決めると、じっと相手の反応を待った。
「…………俺は、死刑になるのかな」
ぼそりと呟かれた声。そのあまりに意外な内容に、ファントムは思わず目を見開いた。
「……死刑? ふむ。場を穏やかに収束させる気があると期待していいのかな?」
「条件によっては、もちろん」
「言ってみてくれ。場合によってはかなり譲歩できるだろう」
「塔の場所が知りたい」
さらりと答えられた要求。ファントムは少し首を傾げると、内心とは裏腹に、非常に残念そうに口を開いた。
「塔というのは、軌道衛星エレベーターの事かな?」
「そうだ」
ファントムは男の答えに疑問符を浮かべ、続いてそんな事くらいならいくらでも教えてやると言おうとしたが、逡巡の後にそれを取りやめた。
「…………ふむ。申し訳ないが、それは聞いてやれない」
「そうか。それは教える気が無いという事か?」
「いや、違う。知らないし、例え知っていたとしてもそれを君に教える権限が俺に無いからだ。社長の直接許可が必要となる」
「……………」
「本当だ。それに君自身が信用出来るとしても、全ての人間をそうする事は出来ない。まだここへ来たばかりで、我々は何も知らないわけだからね。どこかにテロリストがいないとも限らないだろう?」
ファントムは肩を竦めると、同意を求めるように片眉を上げた。
実際の所、ベースの位置は方位磁石無しに歩いて到達出来るくらい正確にわかっていたし、それを教えるのに社長の許可など必要なはずがなかった。しかしある点における不可解な状況から、彼は嘘をつく事にした。
(何をそんなに慌ててるんだ?)
確かに地表を吹き荒れる砂嵐は電波をかき消すし、検問も徹底している。だが、NASAの人間にエレベーターを使わせないなどというつもりはさらさらなかった。つまりラダーベースの座標など、時間が経てばいずれ知れ渡る情報でしかない。
「私ひとりが丸腰であそこへ向かうというのも、無理なのか?」
隠しきれない不快さが滲み出すアントニオの声。
「何故そんなにもアレに拘る。長期的な目でみれば、あれを抑える事に意味などないぞ。第2、第3のはしごが作られるだけだ」
「抑える、ね……別に何もしないさ。死ぬ前に一度、宇宙へ上がってみたかっただけだ」
ファントムの突っ込んだ質問に、アントニオはにやりと見下すような笑みでそう答えた。ころころと変わる表情に、何か得体のしれない不気味さを感じるファントム。
「頼むよ。昔からの悲願だったんだ。死ぬ前に一度だけ…………うっ……ぐっ……」
言葉の途中で、急に頭を抱えて苦しみだしたアントニオ。ファントムは持病でもあるのだろうかと、隣に座るオリヴィアへと視線を向けた。
「いいえ、メディカルカプセルはNASAにもあります。彼に治らない病気があるなんて話は…………」
首を振るオリヴィア。ではいったい何なのだとファントムがモニターへ視線を戻すと、画面上の男が丁度薬を服用している所だった。
「カプセルがあるのであれば、精神の方か、もしくは麻薬といったところか?」
ぼそりと、口の中だけで呟くファントム。いずれにせよろくでも無い相手と交渉する必要があるのだなとうんざりした彼だったが、ふと気付いた事実に危うく叫び声を上げるところだった。
(誰だ? いつからそこにいた?)
アントニオのすぐ脇に立つ、もうひとりの男。ファントムは確かに視線をオリヴィアへと移しはしたが、それは一瞬の事であり、何より完全に視界から外したわけでは無かった。わずかでも視界に入っていれば、動くものがあれば確実に気付くはずだった。音速を超える弾丸でさえ視認する事が出来るのだ。
「ヘンリー、か…………大丈夫。すぐに話は……ぐっ!! く、くそっ!! 駄目だ!! 絶対に座標を教えてはならない!! こいつはっ…………ち、違う。ヘンリー、そうじゃない。俺は、俺は神を信じているんだっ!!」
アントニオは椅子から立ち上がると、両手で頭を抱えるように蹲った。
「いったい何が……ミス・オリヴィア。あのヘンリーという男は何者だ。側近か何かか?」
狂人のすぐ傍で薄ら笑いを浮かべている男。自分で言っておいて何だが、側近にしても様子がおかしい。仲間が苦しんでいる横で、あのように笑えるものだろうか。
男を睨みつけたまま尋ねたファントムに、オリヴィアが訝しげな視線を向けてきた。
「ヘンリー、ですか? も、申し訳ありません、どちらのヘンリーでしょうか。聞き憶えの無い名前なので……」
記憶を探っているのだろう。痛々しい眼差しをモニターへ向けながらも、首を傾げ、考え込んでいる。ファントムは話のわからない奴だとモニターの方へ手を振ると、「彼の隣にいる男だ」と小さく言った。
「彼とは……その、アントニオの事ですか?」
「当たり前だろう。他に誰がいるというんだ」
「いえ、その……」
困惑したように顔を歪めるオリヴィア。彼女は何度かモニターとファントムとを見比べると、すまなそうに口を開いた。
「私には、アントニオの他に誰かがいるようには見えません。もしかしたら見逃してしまったのかもしれませんが……」
オリヴィアの答えに、思わず彼女の方を見やるファントム。冗談を言う場では無いと怒りが込み上げたが、それは一瞬の後に引いて行った。彼は集音マイクのスイッチを切ると、極力口を動かさないように「今もか?」と質問をした。
「…………はい、そう見えますが」
モニタをちらりと見てから、オリヴィアは小さく頷いた。
「……君らはどうだ。アントニオの他に何か見えるやつがいるか?」
後ろを振り向き、NASAの戦闘部隊へと声をかける。すると彼らはお互いに顔を見合わせ、その後左右へ顔を振った。
(どういう事だ? 本当に見えていない?)
ファントムは自分の頭がおかしくなったのだろうかと頭を振ると、確かにはっきりと見えているヘンリーと呼ばれた男をじっと睨みつけた。金髪で長身。間違いなくそこに見えており、今も不気味な笑顔を浮かべている。
「あ、あの……自分には見えるんですが……金髪の……」
戦闘部隊のひとりがおずおずと手を上げる。ファントムは声の主を確認すると、その男が身に着けているヘッドギアに気付き、はっと息を飲んだ。
BISHOP対応のヘッドギア。
アウトサイダーだらけのNASAの人間達。
「くそっ!! こいつっ!!」
悪態と共に、再びモニターへと目を向けるファントム。
彼の目に映ったのは、自分の額へ銃口を押し当てているアントニオの姿だった。




