第166話
「馬鹿な!」
暗い倉庫の片隅で、ファントムは吐き捨てるように言った。普段は最前線にあっても常に冷静さを失わないでいる彼が、今はその怒りに吐き気さえ覚えていた。
「申し訳ありません……私の責任です」
床に座り込んだオリヴィアが、暗く俯いたまま絞り出すように言う。ファントムはそれに「当たり前だ」と苛立たしげに答えると、しょぼくれたNASA盟主をきつく睨みつけた。ほとんど銀に近い金の長髪が床に垂れ、扇状に広がっている。
「どんな理由があるにせよ、問題があるのであれば君は事前に言うべきだった。これは避けられた事態だったのかもしれんのだぞ」
NASAの内部に不満分子があり、それが何らかの強硬策に出るかもしれないという事を、オリヴィアはRSとの会合において伏せていた。
いわば一族の存亡という重要な案件であるゆえに、その気持ちはファントムにもわからないでもなかったが、彼はだからこそ相談すべきだったはずだと考えていた。結果論かもしれないが、少なくとも現状は双方にとってよろしくない方向に進んでいる。
「仰る通りです。言い訳がましい言い方かもしれませんが、交渉事に不慣れだった我々に原因があると思います。なにぶん話し合う相手がいなかったもので…………その、これからどうなるのでしょうか」
何か、すがるようにファントムを見上げてくるオリヴィア。ファントムはその視線を無視すると、どうしたものかと考え込んだ。
「どうも何も。このまま社長にもしもの事があるようなら、ライジングサンとその関連企業はあらゆる手段で報復に出るぞ。君らははしごさえなんとかすれば良いと思っているようだが、それは思い違いだ。あれの主な役割は上に登る為の物で、攻撃の為に降りるだけなら惑星降下艇があれば事足りる」
軌道衛星エレベーターが必要とされるのは、あくまでコスト面からの問題がほとんどだった。安全や快適性といった点ももちろんあるが、それも突き詰めればコストという一点に集約する。であれば、それを無視さえしてしまえば惑星との行き来はさして難しい事でも無かった。
「そうなんですか…………私達は、本当に無知ですね……」
オリヴィアは下を向くと、肩を震わせ始めた。水滴がぽたぽたと落ち、床に小さな染みが広がる。
「……泣くより、これからの事を考えろ。そしてもし本気でそう思っているのなら、これから学べ。BISHOPが使えなくとも、脳を働かせる事は出来るだろう。社長はアウトサイダーであろうと何だろうと差別する事は無いだろうが、無能を抱える程お人よしでは無いぞ」
ファントムはそう冷たく言い放つと、携帯端末を取り出して地図を確認した。
「RSへの参加が君の独断でないのなら、当然味方がいるはずだろう。相手を説得するにしろ何にしろ、行動を起こすのなら合流すべきだ。どこへ行けば接触出来るんだ?」
端末をオリヴィアの足元へと放るファントム。オリヴィアはそれを掴むと、手の甲で涙を拭いながら端末を操作した。
「マイクのいる戦闘部隊が、第6区画方面にいるはずです。しかし中央区画が封鎖されていますので、とても向こうへはいけません。管理機構の人間なら――」
「文官はどうでもいい。今はな。必要なのは銃とそれを持つ手だ。さっさと移動するぞ。動きながら詳しい勢力関係についてを詳しく説明してくれ」
ファントムはオリヴィアの言葉を遮ると、そう言って立ち上がった。医務室付近から外へ逃げたと見せかけた上で中枢内部の倉庫へともぐりこんでいたが、いつ捜索の手が戻されるとも限らない。
「……………………」
ホルスターから銃を引き抜き、安全装置をはずす。ファントムは込められた弾丸を交換すべきかどうかを迷ったが、結局そのままにした。
「中央を通り抜けるんですか?」
不安気な様子のオリヴィア。ファントムはだからどうしたと文句のひとつでも言ってやろうかと思ったが、ふいにそれを思いとどまった。
「…………あんたもアウトサイダーなのか?」
オリヴィアの方を見ずに、ファントムが呟く。それに「はい」とオリヴィア。ファントムはそれにうめき声を上げると、懐から予備の弾丸を取り出した。
「あんたに限らず、敵も味方もみんなそうか……くそっ、とんだ皮肉だな」
かつてファントムはアウトサイダーを守る側として戦ったが、今はその逆を行おうとしている。もちろんNASAの造反組がアウトサイダーの守り手として正しい行動を取っているとは思っていないが、連中はそういう気持ちでいるはずだった。
「こいつはゴム弾だ。当たり所が悪ければ死ぬだろうが、大方は無事なはずだ。それがわかったら、仲間が撃たれる様をみて喚き散らすような真似はしないでくれよ」
ファントムは銃にゴム弾をセットすると、オリヴィアを抱えて走り出した。急激な加速にオリヴィアの小さな悲鳴が上がったが、どうでも良い事だった。彼の持つリボルバーの発砲音は非常に大きく、どうせ居場所などすぐにばれてしまうのだから。
入り組んだ迷宮のようになっている地下都市中枢部は、まるで蜂の巣を叩いたような騒ぎとなっていた。
武装した侵入者がおり、それが中枢のクリティカルな部分に向かっている。
そう最初の報告があったのが15分も前の話であるのに、いまだにそれを排除する事が出来ないでいた。敵はひとりであり、さっさと片が付くはずだった。
「何をやってる!! お前らはネズミ一匹片付ける事すら出来んのか!!」
部下へ向かい、叱咤の声をあげるアントニオ。部下達は申し訳なさそうに下を向いていたが、同時に何か困惑しているようにも見えた。アントニオは部下の前で足を止めると、口を開いた。
「……どうした。何か言いたい事があるなら言ってみろ」
「はっ……その、相手はおよそ人間には不可能な動きをしているとの報告が上がっております。恐らく相手はサイボーグなのだとは思うのですが……」
歯切れの悪い様子の部下。アントニオは苛立たしいと鼻を鳴らした。
「それがどうした。高磁力体を使えば良いだろう。サイボーグであれば動きを止めるはずだ」
サイボーグの身体は金属で出来ている。大抵の場合は絶縁体となる表皮で表面を覆っているが、全ての箇所を守り切れるというわけでもない。わずかでも隙間があれば、高磁力体は相手に強烈な負担を強いるはずだった。
「いえ、それが……敵は磁力に反応を示しません。電気銃についても同様です」
「どういう事だ? 人間なのか?」
「人間にしては、サイズに対する質量が大きすぎます。何やらわかりませんが、上は新種のサイボーグを作ったのではないでしょうか」
「ふむ。では、区画ごと封鎖しろ。エアコンを切り、蒸し焼きにしてやればいい」
「エアコンをですか? しかし、付近にはまだ仲間がいますよ?」
「構わん、やれ。今のまま無駄に犠牲を増やすよりはよっぽど、マシ……だ」
強烈な頭痛を感じ、こめかみを抑えるアントニオ。彼は「さっさとやれ」と短く発すると、この件はお終いだとばかりに背を向けて歩き出した。
「…………」
無言で廊下を進み、やがて自室へと到達する。アントニオは力無くベッドへ座り込むと、両手で頭を抱え、唸り声を上げた。
「俺は……何をやってるんだ? 何故NASAとRSが敵対している? いつからだ?」
もやがかかったような曖昧な記憶。アントニオはここ数週間に渡って起こるようになった頭痛に顔を顰めると、痛み止めの薬を無造作に口へと放り込んだ。
「おいおい、あまりそいつを飲みすぎるなよ。それなりに副作用があるんだ」
何時の間にいたのか。アントニオのすぐ隣へ腰掛けているヘンリーが、心配そうに言った。
「ヘンリーか……あぁ、わかってる。大丈夫だ」
アントニオは胸元から十字架のペンダントを取り出すと、それを額に付けた。ヘンリーはそんなアントニオを見て、笑顔を作った。
「なぁ、アントニオ。お前、神を信じているのか?」
「いったい何がどうなってんだ。不気味ってレベルじゃねぇぞ」
ゆるゆると動く装甲車の中、戦術スクリーンを睨みつけた太朗が発する。スクリーンには味方を表す青い光点の塊と、そこからかなり離れた場所で大きく広がるように布陣する赤い光点の帯が見てとれた。
「なんで手を出して来ないのかしら……襲われる側が言うのもおかしいけど、襲撃するなら今がチャンスだと思うんだけど」
赤外線スコープを覗き込むマールが、周囲の警戒を行いながら呟く。現在太朗達機甲部隊は遺跡へ向けた移動を行っており、その道程もほぼ終盤に差し掛かろうとしているところだった。
「黙って行かしてくれるっつーんなら喜んでそうするんで、ひと事言って欲しいところだけどな。どうぞお通り下さいってさ」
ワインドの群れは遠距離から太朗達を見張るように、常に付かず離れずの距離でついてきていた。既に隔壁前を脱してから2時間近くが経過しており、進行先が偶然一緒だという可能性は考えられなかった。
「いっそ声を掛けてみてはどうでしょうか、ミスター・テイロー。街中で女性に声を掛ける為の良い訓練になるかもしれませんよ」
「いやいや、大砲持ってビーム撃って来るような相手が街中を歩いてるわけがねぇだろ。つーか、いたとしても近寄りたくねぇよ」
「ほぅ、では聞きますが、ミスター・テイロー。もし銀河帝国でも指折りの美人がたまたま個人携行用ビームランチャーを運搬中だったとしても、貴方は声をかけないと?」
「…………うーん、そーなると難しいところだな」
「ほんっっっと、どうでも良い話してるわね、あんた達は。ちょっとは緊張感を持ったらどうなのよ…………ちょっとテイロー、見て。景色が変わってきたわよ」
やや興奮した様子のマールの声に、太朗はモニターの表示を外部カメラへと切り替えた。
「これは……なんだ? 石造り?」
鉄で出来た床や壁は、いつの間にか切り揃えられたのだろう石の洞窟へと変わっていた。道は十分に広く、戦車の通行にも全く問題は無さそうだったが、時折大きな鉄板が敷かれている事もあり、太朗は恐らくNASAが補強の為か何かに設置したのだろうと予想した。
「そうみたいね……それにしても、随分大掛かりだわ。いったい何の為にこんな物を作ったのかしら。ねぇ、信じられる? これ、きっと全部石よ?」
「いや、信じられるもなにも見たまんまだからな。宇宙ではあれだろうけど、地上で石造りは珍しくも…………あぁいや、そんな事はねぇか。コンクリならまだしも、21世紀の日本だって石造りなんぞ滅多にみかけねぇか」
「コンクリートって、石や何かの自然物を混ぜ込んだセメントよね。強度的に大丈夫なの?」
「いや、わかんねぇけど、大丈夫なんじゃねぇの。中に鉄骨入れたりして補強したりしてたし、古代ローマの建造物とかはそういうの無しで何千年も残ってたしな」
「へぇ~、意外ね。きっと鉄だって大気中じゃそんなにもたないわ。耐腐食処理をされてなければだけど」
「まぁ、新旧のコンクリの何が違うのかってのはわかんねぇけどな……うお、なんかアーチがあんぞ。ますます時代がかってきたな」
通路を進む車列の頭上には、石で組まれた巨大なアーチが存在していた。何か入り口めいたその形状に、太朗は車を降りて観察してみる事にした。
「呼んだらすぐに戻ってくるのよ。ワインドがいつ襲ってくるのかわかんないんだから」
通信機を押し付けるようにして太朗へと渡すマール。太朗は「わかってるって」とそれを受け取ると、アーチへ向けて歩き出した。
「うおぉ、中にいるとわかんねぇけど、すげぇ音だな」
洞窟内に響く戦車のエンジン音は、耳を塞がずにはいればすぐにでも難聴になってしまいそうな程の騒音となっていた。太朗は爆音の中を小走りに移動すると、アーチを構成する柱の根元で足を止めた。
「ほんとに石だな…………うお、これ大理石か?」
太朗が足を使ってガリガリと柱の表面を削ると、砂やら埃やらが堆積した層の下から茶色い独特なマーブル模様が現れた。
「これ全部そうなんかな。どんだけ金かかってんのかと…………ん? なんぞこれ」
足元にぶつかった何か。太朗がしゃがみ込んで砂を探ると、長さ1メートル程の薄い金属板がそこから現れた。太朗はいったいい何だろうかとそれをしげしげと見つめると、何の気なしに裏返してみた。
「………………」
そこに見つけた、浮き彫りされた文字。太朗は震えだした手で金属プレートに触れると、邪魔な砂を不器用に叩き落とした。
「…………これ……英語だ………………なさ……ころにー……めもりある……みゅーじあむ……銀河標準語で言うと……NASA殖民記念博物館? うわ、ここ、アメリカか?」
NASAの博物館であればアメリカだろうと、何の気なしに発する太朗。しかしその声は、やはりこの荒れ果てた大地は地球だったのかと、自身を大きく落胆させた。
「アメリカ……アメリカかぁ…………はぁ。一応、みんなに見せるか」
天井を仰ぎ、大きく溜息を吐く。太朗はもう一度プレートへ目を落とすと、懐かしい英語の文字を愛おし気になでた。
そして見つけた、下部に書かれた小さな文字。
目を見開き、顔を上げ、そして駆け出す太朗。彼は金属板を大きく掲げ、もつれそうになる足を必死に回転させた。
「違う!! 違ったぞ!! やった!! 違うんだ!!」
仲間達の待つ装甲車へ向け、太朗はがむしゃらに走った。
彼の持つプレートの小さな文字列には、以下のように書かれていた。
――記念すべき最初の殖民惑星であるこの地に、神と合衆国の名においてこれを建立する――
書籍化関係の作業により、次話の投降が少し遅めになるかもしれません。
販促用のおまけSSを作ったりしてます。
お詫びと言っては何ですが、結構長めの1話です。




