第159話
「巨大な空間、ね。なんていうか、嫌な予感しかしないわ」
アルコールの入ったグラス――本物のガラスだ!!――を手にしたマールが、軌道エレベータ基部の基地内にある幹部用の談話室で胡散臭そうに言った。入室するのに幹部クラス権限のあるカードキーが必要なそこは、重要な話をするのにうってつけだった。
「俺も同感だな。これさ、どう考えてもワインドの巣だろ」
太朗はファントムが持ち帰ったデータを端末で確認すると、うんざりして両足をソファへと投げ出した。
「ミスター・テイロー、足を持ち上げるのはおよしになった方が賢明ですよ。ここはステーションと違い、多量の砂や塵が存在します」
小梅の指摘に太朗は、「あぁ、そだそだ」と慌てた様子で足を下した。続いて足を持ち上げて靴底を覗くと、彫られた滑り止めの窪みにいくらかの砂汚れが確認出来た。これは清潔に保たれたステーションでの生活では有り得ない事だった。
「大将の言う通り、あらゆる機材に気密保護をしといて正解だったな。スタッフが個人的に持ち込んだ端末や何かがかなり砂でやられたらしい」
ゴム製のカバーが付けられた端末を掲げて見せてくるアラン。太朗はそれに「だろ?」と得意気な笑みを返した。
「地球には砂漠っていう砂しかねぇような場所があってさ。そこだと精密に作られたカメラや何かにも砂が入り込むって聞いた事があったんよ。宇宙で使う前提で作られたもんはことさら弱ぇと思ってな」
太朗はそう言うと、「今はどこもかしこも砂漠みてぇだけどな」と心の中で付け加えた。
「でもこうして実際に地上へ降りてみると、惑星上の生活に関する情報の少なさが本当にわかるわね。いくらニューラルネットで検索しても、出て来るのはほんの一部の情報だけよ。なんでこんなに少ないのかしら」
少し不機嫌そうなマール。それに小梅が「恐らくですが」と続けた。
「単に誰も興味が無いからでしょう。ご存知の通り大多数の人間は宇宙ステーションに居住しており、地上を生活の場としているのは極わずかな人間のみです。また、居住可能惑星を所有する企業は独自のノウハウを持ってはいるでしょうが、その情報を外には出したがらないと思われます」
「そっかぁ……でも言われてみるとそうかもね。私もこんな状況になるまで全く興味なんて無かったかも」
「帝国市民の中には居住可能惑星を、単に大きな小惑星程度に捉えている方も多いようですよ、ミス・マール。大きな小惑星とは妙な言い回しではありますがね」
少しおどけた様子の小梅。太朗はそれに小さく笑うと、近頃ようやく慣れてきた強めの酒をあおった。
「惑星をまるごと探検しようってんだから、ちょっとずつ確かめながらやってくしかねぇさ。一応リンに情報提供をお願いしてはいるんだけど、あんま芳しくはねぇみたいだな。傘下の企業の反対意見が多いみたいだわ」
グラスを指ではじき、片眉を上げる太朗。そこへ「ディーンの所はどうだ?」とアラン。
「多分それが本命になるやね。惑星開発機構に連絡を付けてくれるって言ってたから、もうちょい待てば色々情報が来ると思う。すっげぇ金取られるけどな」
不満気な太朗。そこへアランが「いや」と腕を組んだ。
「独自に全てを調査するよりはずっと安上がりなはずだ。危険を減らせるならそれに越した事は無いしな……しかし、そうか。それなら期待できる」
いくらか安堵した様子のアラン。惑星開発機構は基本的に帝国領を開拓する為の組織であり、広く知識を普及させる為の研究所というわけでは無い。有料とはいえ、潜在的な脅威になりうる辺境の企業に便宜を図る事自体が珍しかった。
「まぁ、そうなんだろうけどな。ちなみにSOSの発信元に行くのはちゃんとした装備が整ってからにしたいんだけど、ファントムさんそこんとこどう?」
太朗の振りを受け、「ふむ」と鼻を鳴らすファントム。
「相手が何者だかわからない以上、迂闊な行動は避けたいね。地上型のワインドがどのような物なのかはわからないが、簡単に排除できる相手では無いはずだ。少なくとも当時の警備隊は彼らに勝てなかったわけだろう?」
ニュークはワインドの進入を受け、そして人類を駆逐したという事になっている。ディーンによる予想。すなわち帝国が見捨てたのではという予想からすると、恐らく帝国の陸戦が正面切って戦ったわけでは無いのだろうが、それでも当時の企業が治安維持用の警備隊を置いていなかったとは考え難かった。
「まぁ、そうですよね。そうなっと、やっぱり大型の地上兵器が出来てからか」
ぼんやりと、技術開発部へ発注した兵器を思い出す太郎。かすかな記憶を頼りにマキナへ発注したそれが役に立つのかどうかはまだ未知数だったが、無いよりはずっとマシだと思われた。
「例の戦車って奴よね? 確か10メートルかそこらって聞いたけど、それって大丈夫なの? 相手が戦艦クラスの地上兵器を持ってた場合を想定すると、こっちもそれに対抗する必要があるんじゃない?」
首を傾げ、身振りで巨大さを表現するマール。
「いいえ。それは恐らく無いでしょう、ミス・マール」
いつもの無表情で、マールの方をみやる小梅。「なんで?」というマールに、小梅は端末を掲げて見せた。そこには何やら、複雑な数式。
「接地圧の問題ですよ、ミス・マール。宇宙と違い、ここには消す事の出来ない重力と、そして物質を支える地面という2つの要素が存在します。あまりに大質量の物体を作成すると、それは地面に沈んでしまいます。ミスター・テイローが仰った戦車という兵器に無限軌道が用いられているのは、恐らく踏破性の問題だけでは無く、接地圧についての問題があるからだと思われます」
小梅の端末の表示が切り替わり、履帯のついた戦車と思われるかわいらしい落書きの様な画像が表示される。それは線で書かれた地面を進んでいくと、やがて地面へめり込んで動けなくなってしまった。
「なるほどねぇ……でも固定式だったらいけるんじゃないの? ビルや何かが立つくらいなんだもの」
マールの質問に、今度はアランが手を上げた。
「もちろん可能だが、動けない兵器なんぞ何の役にも立たんぞ。宇宙のようにビームやシールドを使えるならともかく、地上ではただの的になっちまう。いたらいたでやっかいだろうが、せいぜいそんなもんだ。相手をせずに、遠距離から誘導弾でも打ち込んでやればいい」
アランの説明に納得したらしく、マールはなるほどといった様子で頷いた。
「よし、そんじゃしばらくはSOSの通信元の確認と調査を主軸にして、控えめな行動にしとこう。何か情報があれば、どんな細かい事でもいいんで俺に送ってくれ」
立ち上がり、ぐるりと周囲を見渡す太郎。反対意見は上がらず、それは決定となった。
「"こちらパンター1。周囲に異常は見られず。予定ポイントへ到着したが、特に何も見当たらない。指示を請う"」
車内へ送られて来る、雑音の混ざった通信。太朗は狭苦しい装甲車の後部座席で通信機を引っつかむと、通信帯域の狭いBISHOPに小さく舌打ちをした。宇宙船と違い、地上を走る装甲車に大きなBISHOP通信機構を積む事は出来ない。
「こちらチハ。そっちはパンター2と共にそのまま周囲の警戒にあたって欲しい。SOSは2時間毎に送られてきてるから、そろそろ次のが来るはずだぞ」
太朗は腕の電子シートで時間を確認すると、助手席に座るマールへと目を移した。
「こっちは準備できてるわよ。他の2両も定位置についてるから、正確な位置が割り出せるはずよ」
そう言って親指を立てて来るマール。太朗も同様のジェスチャーを返すと、シート状の戦術スクリーンへと目を移した。宇宙と違い、スクリーンは平面で十分だった。
「今回こそはみっけてやっからな……くそっ、モグラ叩きじゃねぇんだぞ」
試作戦車を含む戦闘車両200両による偵察調査は、既にこれが5回目となっていた。そしてそのいずれもが発信元を特定出来ず、手ぶらで帰るはめとなっていた。理由はSOSの発信元が毎回異なる為で、それはかなり広い範囲に分布していた。当初は設置型のレーダーをそこら中に配置しておくという案も考えられたが、それは難しかった。機器が砂でやられてしまうからだ。
「整備費も馬鹿にならないし、本当に助けて欲しいのかしらって感じよね」
うんざりした様子のマール。それに操縦席でハンドルを握る小梅が、「何か事情があるのかもしれませんよ、ミス・マール」と正面を見たまま答えた。
「理由か……」
座席を倒し、頭の後ろで手を組む太朗。
「俺達以外にも何者かが存在してて、そいつらに発信元を辿られたく無いからってのはどうだ? 人間が隠れ住んでて、ワインドに怯えて暮らしてるとかそんな感じだな」
視線を再びマールの方へ向ける太朗。それを受け、少し考え込んだ様子を見せるマール。
「どうかしらね……難しいとは思うけど、有り得ないとも断言できないわね。普通に考えると自動送信型の通信機がいまだに動いてるって可能性が一番高いけれど、それだとおもしろくないわね。ワインド同士が争ってるってのはどう?」
「いやいや、ありえねえだろ。そんなんだったら宇宙はもうちょっと平和だぞ」
「まぁ、そうよね…………テイロー、来たわ!!」
くつろいだ様子だったマールが、真剣な表情で助手席の装置へと向き直る。太朗も急いで身を乗り出すと、モニタのついたそれを凝視した。
「近いぞ…………南南東へたった25キロの地点だ。本部から全車へ通達!! 座標を送るからそこへ移動。警戒を怠らないように!!」
「"パンター1、了解"」
「"パンター2、了解した"」
「"ティーガー1、了解。第2種警戒隊形にて先導する……なぁテイロー。今回のは当たりだと思うか?"」
各車から返る了解の声。ティーガー1部隊の隊長であるアランの言葉に、「さぁな」と返す太朗。
「当たってもはずれても、どうせ今回が最後さ。これで駄目だったら気長に穴掘りだな」
太朗は既に、大型の掘削機を大量に注文していた。SOSの発信元が常に地下に広がる空洞の上に位置している事から、下からの呼び掛けである事は間違い無かった。だったら掘ってしまえば良いという安直な案だが、少なくともそれは確実だった。
「人も金も時間も桁違いにかかるけどな……でもまぁ、今回で見つかってくれる事を祈るぜ」
太朗は祈るようにしてそう呟くと、そう思っているのは自分だけじゃ無いだろうなと苦笑いをした。陸戦による訓練経験のあるアランを除き、ほとんど全員は慣れない揺れと振動に辟易としている事だろう。太朗自身も尻が腫れ上がっており、近頃のニュークで最も必要とされている消耗品は湿布では無いだろうかと考えていた。
「まぁ、後1時間かそこらでわかるわな」
戦術スクリーンへ配置したマーカー。目的地であるそれは、時間と共にゆっくりと近付いてきていた。
デジャヴ? 気のせいじゃないかな!!




