第155話
ワインドに感情という物は存在しなかったが、それに近い回路は形成されていた。長い年月において度重なる自己改善を行った結果、複雑な事象を総合的に判断する上で、それは非常に役に立った。
そして狭い回廊を住処として300年を生き続けた彼の回路は今、「不可解である」という結論で埋め尽くされていた。彼のコロニーを構成する船の数は既に3分の1を下回っており、それらがゼロになるのも時間の問題と思われた。
ワインドの論理予想回路が戦闘開始前にはじき出した勝率は、99.95%という確固たるものだった。それも最悪を想定したのものである。
そもそもが大した数の相手では無い。大型艦が存在する事は感知していたが、数の力で押し切る事が可能なはずだった。不慮の事態が起きる可能性は限りなく低く、近頃3度程あった戦いと同様に勝利できるはずだった。
しかし彼のコロニーは現に破壊されつつあり、勝率は限りなくゼロに近い値を示していた。彼のAIは少し前まで勝利の為の演算を可能な限り繰り返していたが、今は完全に沈黙していた。演算結果全てが悪い結果を生み出した為、自分の回路に異常があると判断したからだった。
全ての戦術的行動は失敗に終わり、全く役に立たなかった。まるで未来を読まれているかのように、相手は常に自分達の行動の裏をかいてきた。
そして彼は今、自らへ向かって飛来する巨大な金属の塊を光学センサーでじっと見つめていた。大口径の砲から放たれたそれは容易く自分を打ち砕き、周囲の建造物へ甚大な被害をもたらす事だろう。
そしてそれに抗う術は、彼の中に存在しなかった。
「主砲、全弾命中。敵大型施設に大規模な損害を確認。ジャミングが解除されました」
戦艦プラムの艦橋で、太朗は小梅の報告にゆっくりと頷いた。戦況は文句無しに味方有利で推移しており、問題は起きそうに無かった。強いて言えば大口径レールガン用の弾薬費が笑えないレベルの額になりそうだという事実があったが、得られる物はそれを上回るはずだった。ニュークが地球の末路であるかどうかをさておいても、周辺の治安回復は目下の課題だった。
「第1艦橋から第2艦橋へ。アラン、エニグマの様子はどうよ。結果との乖離は出てない?」
BISHOPを通じ、呼びかける。するとモニタのひとつに常時表示されている第二艦橋のアランが振り向き、太朗へ向かってにやりと親指を立ててきた。
「"完璧だぜ大将。こいつはとんでも無い代物だな……扱ってる手が震える程だぜ"」
アランは後ろを振り向くと、艦橋に設置されている高さ1メートル程の箱型装置をあおいだ。
エニグマと名付けられたそれは、今回の戦いにおける最も重要な役割を果たしていた。太朗の知る地球の歴史上で使われた暗号機の名で呼ばれるそれは、ワインドの通信を傍受し、その内容を解読する為の装置だった。
「前に巡洋艦だった時のプラムとベラさん達とで、100以上のワインドを始末した事があっただろ?」
アルジモフ博士を探してアルファへ辿り着いた際の事を思い出す太朗。
「それを考えるとさ、今の艦隊で2000かそこらが倒せないはずがねぇんだよ。つまり最近のワインドがやっかいなのは、連中が戦術って奴を使うようになったからなんだよな」
「"なるほどな……つまり、そいつを封じちまえば前と同じように駆逐できるってわけか。しかし理屈はわかるが、それを実現出来るかどうかってのは別問題だぞ。テイロー、やっぱりお前はとんでもない奴だな"」
「うひひ、そいつはどうも。作ったのは小梅とマールの3人でだけどな。制限時間はあるだろうけど、しばらくはこいつで楽を出来るんじゃねぇかな」
「"制限時間? どういう事だ?"」
「どういう事だって、そのまんまよ。ワインドの成長速度って異常だろ? あいつらも馬鹿じゃねぇわけで、色々と対策を練ってくるだろ。高度に暗号化してくるとか、通信方式そのものを変えてくるとかさ」
太朗の言葉を受け、しばし考え込む様子を見せるアラン。
「"ふむ……確かにそうかもしれんな。というより、そうで無ければとっくに滅びてるはずか…………ちなみに大将、こいつを量産する気はあるのか?"」
「ぐへへ、もちのろんだぜ。今回の戦いの戦闘データを分析して、一緒にディーンさんのトコへ持ってくつもり。ちなみにアラン、こいつと似たような商品って既にあったりする?」
「"…………いや、軍には確かに近い物があるが、性能が段違いだな。もしかしたら別方面宙域にはあるのかもしれんが、今の所そういった話は聞いて無い。銀河中で使う事になれば、それこそ莫大な額になりそうだな"」
「そっか…………いや、銀河中で使うって事にはならねぇよ。そこまで大量に造るつもりは無いから」
「"おいおい、どういう了見だ? 大儲けのチャンスだろう"」
信じられないとばかりに、アランがモニタの方を見つめてくる。良く見ると第2艦橋へ詰める大勢の人々も、同じように驚いた顔をしていた。太朗は限定回線で話さなかった事を失敗しただろうかと思ったが、逡巡の後に問題無いだろうと判断した。ここにいる300名はライジングサンでも指折りの船乗り達であり、同時に経営者に近い者達でもあった。結局後に話す事になる。
「なぁアラン。新しい病原菌に対するワクチンを処方するのに、最も注意しなければならない点は?」
太朗の質問に、アランはなるほどといった様子で頷いた。
「"乱用による耐性菌の出現だな。そういう事なら了解だ。それに数や売り手を限定したとしても、それでもとんでもない額になるのは間違いないだろう。そのあたりの選定もディーンに任せるのか?"」
「おうよ。どんどこ貸しを作っとこうと思ってさ。あのまま将軍なり、ひいては元帥にでもなってくれた日には、それこそとんでもないコネになるだろ? ディーンさんなら悪用したりもしないだろうし」
「"はっはっ、そうだな。あいつなら帝国の為になる企業へ優先的に回すようにするだろうし、こいつの価値がわからんような馬鹿でも無い。自分の利益もしっかり手にした上で、しっかりとうまい事やるだろう。恐らく生産に必要な融資の算段もつけてくるぞ"」
「だろ? 持ってて良かったコネクション。頼りきっちゃうのも問題だろうけど、こっちに価値があるうちは無下にされる事も無さそうだしな」
「"いや、そうでも無いぞ。あいつはああ見えて情に厚い所があるからな。特に家族に対してはそうだ。ライザがこっちにいるうちは大丈夫だろう。知ってるか? あいつホルスターの内張りに幼い頃のライザの写真を忍ばせてるんだぞ"」
「まじかよ。意外すぎんだろ。出世の為なら全てを犠牲にするタイプかと思ってたぞ」
「"なんだかんだあいつも人間だって事さ。それより大将、またエニグマが新しい通信を傍受したぞ。連中、デブリ帯へ逃げ込む算段らしい。入り込まれるとやっかいだぞ"」
「おっけー。そんじゃそうなる前に先回りと行きますか」
太朗は少しだけ目を閉じて演算を行うと、最適と思われる艦隊の移動先を演算で導き出した。彼はマール救出の一件以来、自らの演算能力をある程度意図的に操ることが出来るようになっていた。
「借りは返させてもらうぜ。一匹たりとも、絶対に逃がさねぇからな」
太朗はそう言ってベラ率いる第2艦隊に近距離ワープの指令を送ると、自らも追撃を開始する事にした。
木製の調度品で囲まれた豪奢な部屋に、くしゃみの音が短く木霊した。
「おや、大丈夫ですかな、ディーン大佐。モン・オルス星系方面では感冒が流行っていると聞きます。注意した方がよろしいですよ」
かしこまった様子の男が、口を押さえたディーンへ心配そうに声をかけた。
「いや、統合型ワクチンを接種済みだ。恐らく誰かがくだらない噂でもしているのだろう」
ディーンはそう言うと、大した事では無いと肩を竦めた。
「それより、星系ニュークについての権利取得は任せたぞ。一切合財、全ての権利だ。恒星、惑星、衛星、それらの空気からデブリひとつまで、残らず全てを手に入れろ」
念を押すように、ディーンは男の顔へと指を突き出した。男はそれに動じる事無く頷くと、自信有り気に笑みを見せた。
「核で焼き尽くされた星系に興味を持つ企業なんてありませんよ。二束三文で買い取ってみせます。ちなみにもう一度確認しますが、名義はライジングサンでよろしいのですね?」
男の質問に、「そうだ」とディーン。
「新生のマフィアンコープだが、銀河帝国指定の優良企業に入っている。場所的にアウトローとして好き勝手やっても良いはずなのに、きちんと帝国へ納税をしているからな。地方の連中に見習わせたい所だ」
自分が株主のひとりである事は伏せ、そう説明するディーン。言っている事は真実だし、全てを教える必要などどこにも無かった。
「今時珍しいですな。さぞかし帝国への忠誠に厚い取締役なのでしょう」
関心したように、大袈裟に頷く男。ディーンは「あいつに帝国への忠誠などあるものか」と頭の中で呟いたが、もちろん口に出す事はしなかった。それにディーン自身も、帝国に利益をもたらすのであれば忠誠の有無などどうでも良かった。
「さあ、さっそく取り掛かれ。簡単な仕事かもしれんが失敗は許さんぞ。ミスなど犯そうものなら、辺境宙域のビーコン監視員に回してやるからな。日がな一日赤い光点が点滅しているかどうかを確かめるだけの仕事だ。安定志向のお前さんにもこたえるだろうよ」
ディーンはそう言うと、自らもニュークの全権利獲得へ向けての作業を開始する事にした。男はディーンの冗談を冗談と取って良い物かどうか悩んでいた様子だったが、やがて敬礼と共に部屋を出て行った。
「私の冗談はそんなに分かり辛いかね……そう言えばテイロー殿もそのような事を言っていたか」
携帯端末を取り出しながら、ひとりごちるディーン。彼はどうでも良い事かと頭を切り替えると、ラインハルト元帥に通じる直通回線を開く事にした。惑星の権利取得にわざわざ元帥の許可など必要無いが、念には念を入れておくつもりだった。彼は彼なりに太朗についての実力を認めており、ニュークについても何らかの算段があるのだろうと確信していた。
「いや、例えそうで無くても構わんな。貸しを作るだけでも価値があるだろう……ライザもあれを上手い事篭絡できんものかな」
ディーンはそう言って小さく頷くと、いつかライザが太朗の心を掴まないだろうかと少しだけ期待した。普段誰かに期待する事などほとんど無いディーンにとって、それは珍しい事だった。




