第153話
無機質な工場の一室に響く、端末を弄る味気の無い音。
エンツィオ戦争を引き起こしたとされる老人がかつて使用していたそこで、太朗はマールと共に黙々と作業を進めていた。先ほどまでは小梅もいたのだが、今は別室でデータの統合作業を行っていた。
「チェック、リスト3491。未知関数417番。稼働」
太朗は顔を上げて部屋の奥を見やると、繰り返し口にしすぎて完全に暗記してしまった一連の動作を口にした。マールは太朗のすぐ傍で彼と同じように端末の操作を行っていたが、太朗の声が聞こえた為だろう、手を止めて機械群が乱立する工場奥へとちらりと目をやった。
「…………動いた」
驚きの表情をもって、ぼそりとマールが呟く。彼らの視線の先では、工場にあったワインドもどきの砲塔がゆっくりと旋回を行っていた。
「な? 言ったろ? いけるって」
どうという事も無いと、軽い調子の太朗。既に作業開始から丸3日程経過していたが、それまで停滞していた解読班による数か月間を考えると、それは実に驚異的な数字だった。
「そう、ね。結果を見せられたら信じるしか無いわ……」
「この調子でひと通り解析しちまおうぜ。やってる事は前と同じだからな……しかしまあ、何が役に立つかわからんもんだよな」
「えぇ、確かにそうかも。あの時の翻訳作業が無ければ、こんな短期間での解読はきっと無理だったわ」
太朗は呆然と工場奥を見つめるマールの横顔を満足気に眺めると、ファントムに送った翻訳機の作成作業を思い出した。今も定期的に行われているそれは、ワインドの動作プログラムを解析するのと非常に似通った作業だった。
「でも、どうしてなの。いくら翻訳の経験があるって言っても、どう考えても異常よ。あんた、あれでオーバーライドをしたわけじゃないのよね?」
マールが言っているのは、恐らくプラム中枢にある装置の事。太朗は首を振ってそれを否定すると、「マールを拾いに行った時だな」と続けた。
「脱出ポッドに衝突した船の残骸を割り出すのによ、周囲一帯の情報を精査したんだ。そん時にワインドの行動パターンや何かも演算に組み込む必要があって、色々やってたら理解が進んだって感じだな。お、これ行けるんじゃねって」
「…………呆れた。あんたって、たまにほんと凄い事するわよね」
呆れているというよりは、感心した様子のマール。太朗は「ふへへ」と不格好に笑うと、誤魔化すようにして作業を再開した。太朗は嘘を言ったつもりは無いが、それは真実とは程遠かった。
実際の所、行動パターンからプログラム内容を予測するのはおおよそ不可能な事だった。当時行った未来予測の為にワインドの行動を考える作業は、太朗の頭の中に存在したワインドに関する謎の知識と等しいのかどうかを確認する作業がほとんどだった。
そしてそれは、ある程度の正しさが証明された。
(オーバーライドをした記憶はねぇ。とすると最初っから持ってたか、もしくは――)
電脳空間にいた4千人を思い浮かべる太朗。
(あの中の誰かが持ってた知識かって事か? くそっ、自分が気持ち悪ぃな)
己がアイデンティティについてを思い、顔を歪める太朗。これが数回に及ぶオーバーライドを行う前であれば笑い飛ばす事も出来たかもしれないが、今は難しかった。断片化された記憶は、自己の確立をあやふやにさせる。
「――うしたの? ねぇ、テイロー。大丈夫?」
ふいにマールの声が耳に入り、はっと顔を起こす太朗。
「いや、ごめん。ちょっと考え事してたわ。実際問題、こいつをどう狂わしてやろうかなって思ってな。ぐへへ」
「そう……ならいいけど、調子が悪くなったりしたらすぐに言うのよ?」
「はいはい、俺は深窓の令嬢じゃねぇぞ。んなヤワな造りはしてねぇよ」
「……ふふ、それはわかってるわよ。じゃなかったら私もポンポン殴ったりしないもの」
「いや、それはそれで止めてくれませんかね。ファントムさんの台詞じゃねぇけど、痛いものは痛いんよ?」
太朗はマールの軽口にそう返すと、笑いながら再び作業へと戻った。
再び訪れる無言の時間。
少し前であれば沈黙に耐えられなかったろうが、今はこの時間が好きだった。自分達以外に誰も存在しないこの空間は心地良く、機械の作動音は悪く無いBGMだった。もっとも、マールからすれば機械の作動音はどんな名曲にも勝る素晴らしい音という事らしいが。
「あのさ、マール」
「ねぇ、テイロー」
重なる声。太朗はまるで漫画だなと笑い、マールも同感のようだった。
「お先にどうぞ。俺のは大した事じゃねぇし」
「そう? じゃあ私から……ねぇ、テイロー」
下から覗き込むように、太朗を見上げるマール。
「助けてくれてありがとね。凄く嬉しかったわ……感謝してる」
「えっ、あぁいや、うん。そ、そう?」
「うん。もう駄目かと思ってたから……救助された時の事は良く覚えてないんだけど、でも目が覚めた時にはすぐにわかったわ。あんたがなんとかしてくれたんだって。やっぱりあんた、やる時はやるのね」
「ま、まぁな。ぶっちゃけテイロー様にかかれば余裕だったけどな…………えーと、その、あれだ。何度でも助けてやっから、安心しろというか、なんというか…………」
「え? 何?」
「い、いや、何でもないっす…………つーか、普通逆じゃね? もじもじするのはかわいい女の子側じゃね? 鈍感で耳が遠いのも主人公側じゃね?」
「えっと、ごめんなさい。何の話?」
「忘れて下さい。すいません、お願いします」
尻すぼみに消えた台詞に不甲斐なさを感じて項垂れる太朗。それを不思議そうに見ているマール。
「そう? だったらいいけど……つまり、そういう事よ。お礼を言いたかったの。はい、次はあんたの番よ」
自分の番はこれで終わりだとばかりに、マールは手をぱちんと叩き合わせた。太朗は何の話だろうかと一瞬疑問に思ったが、そういえば会話が被ったのだと思いだした。
「俺の、か……いや、俺のは別にいいや。ほんとに大した用じゃなかったし」
「えぇー、なによそれ。気になるじゃない……話しなさいよ」
「うーん……えっと、別に嫌ってわけじゃねぇんだけどさ。最近なんか、マール近くね?」
照れたように頬をかく太朗。今現在もふたりは隣り合わせに座っており、ふとももが触れ合っている程だった。部屋の広さから考えると、不自然なまでに近い距離。
「そうかしら? 別に意識した事無かったけど……もしかして、あんた意識してんの?」
「そ、そそそそんなわけねぇだろ。おおお俺を誰だと思ってますかね!!」
「さぁ、誰かしらね。話を誤魔化すのが下手な童貞さんってのは知ってるわ」
「……さいですか。下手なのは否定できねぇけどな…………いやほら、みんなが俺の心配をしてくれてるのもあれだけど、マールの方はどうなんだろって思ってさ。辛い目に遭ったのはどっちかって言えばマールの方だろ? それと童貞じゃないからね」
「あぁ、その事……私は大丈夫よ、テイロー。まだまだ頑張れるわ。だって――」
悪戯っぽい、無邪気な笑み。
「もし危ない目に遭っても、あんたが何度でも助けてくれるんでしょ?」
「…………てっ、てめぇ!! 聞こえてんじゃねぇか!!」
「あははっ! あんな傍にいたんだもの。聞こえないわけ無いじゃない!」
すっくと立ち上がると、逃げるように走り出すマール。それを追う太朗。それはしばらくの間続いたが、やがて太朗がマールを捕まえると、勢い余ってもつれるように倒れ込んだ。
「はぁ、はぁ…………うっひっひっ、ようやっと捕まえてやったぜ。はてさて、ど、どどどうしてやろうかな」
マールの上に馬乗りになった太郎が、鼻息荒く両手をわきわきと動かした。
「ふふ、どうされちゃうのかしらね。ちなみに電気ショック付きのスーツだから、露出部分は直に触らない方がいいわよ。ビリッと来ちゃうかもね」
「おうふっ、まじかよ。つーか基本的に首から下全部覆われてんじゃねぇかよ…………って、あぁいや、そういう、事? そ、そうなると、うん。あれだな。布が無いトコ、触るしか無いよな……」
視線を明後日の方へ向けながら、わざとらしくも口にする太朗。彼は今にも破裂しそうな程に激しく鼓動を繰り返す心臓の音を聞きながら、音を立てて生唾を飲み込んだ。
見つめ合う二人。マールは穏やかに微笑しており、太朗は彼女の事を改めて美しいと思った。
「マール……」
太朗は何を口にすれば良いかわからず、間繋ぎ的に彼女の名前を呼んだ。マールはそれに答えなかったが、少し身じろぎしてから静かに目を閉じた。
(マジか? 流れ的にこのまま行っちまえばいいのか? つーか、チューとかやった事ねぇぞ。息って止めるんか? あれ? 俺今日歯を磨いたっけか? 臭くねぇかな?)
太朗は心の中で無数の葛藤を思い浮かべると、頭の中にいる自分達に問いかけるべきかを本気で考慮した。相手がマールである以上、これは由々しき問題であり、本気で取り組む必要があった。
(……一応、採決を採ってみるか)
ほんのわずかな時間。現実で言えば瞬き程度の時間を、太朗は目を閉じて演算に費やした。数百人による相談と採決はすぐに返され、太朗の脳裏に結果が浮かび上がった。
――"採決結果:378対0にて可決"――
――"行動指針:とりあえずいっとけ"――
「……よ、よし。いっとこう」
太朗はマールの顔を挟む形でその左右に手をつくと、腕立て伏せをするようにゆっくりと下ろし始めた。無理な体制から腕が震え、緊張による汗が顔を滴った。
(息を止めて、優しく、触れるだけ触れるだけ)
ふたりの距離が徐々に縮まり、やがてそれが触れそうになる。
「……………………」
何か妙な視線を感じ、横に目を向ける太朗。するとわずかに離れた場所の柱から、こちらを覗き見している小梅の姿が目に入った。
「…………」
小梅は無言で腕を上げ、指で卑猥な形のジェスチャーを作ると、力強く頷いた。
(…………小梅さん、それはまだちょっと気が早過ぎです)
しんと静まり返った工場内。しばらくすると驚いた事に、小梅の下からエッタが顔を覗かせ、無言でこちらをじっと見つめてきた。彼女はちらりと視線を小梅の方へ向けると、小梅がしているジェスチャーを真似始めた。
(……いや、駄目だからエッタ。そういうのは真似しちゃ駄目だから)
視線でそれが通じないだろうかと、じっと向こうを見返す太朗。するといくらもしない内に、今度はエッタの下からアランが顔をのぞかせた。ほとんど地面すれすれに顔を出したアランはこちらを見て呆れたように音を立てずにため息をつくと、行け行けとばかりに拳を何度も突き出し始めた。
(うっせぇよ。ヘタレなのはわかってんよ。つーか何人いるんだよ)
どうしたものかと、太朗の中で先ほどとは異なる葛藤が始まる。別に見られていてもどうという事は無いかもしれないが、マールがどう思うかは別問題だった。
「…………テイロー?」
いつまで経っても何のアクションも無い事を疑問に思ったのだろう。マールがゆっくりと目を開ける。そして太朗の視線の先を追うと、柱から飛び出す団子のようになった3つの首を見つけたようだった。
「……………………かっ」
少しうわずったマールの声。太朗は「か?」と疑問に思いつつ、他の面々と同様にマールの方を見た。
「カバディーの、練習よ!!」
工場内に響く、叫ぶようなマールの声。そして無言の間。やがてその場にいた全員から、「いやいや、無理があるだろ」と静かな突っ込みが入った。
「……おほん。ちなみに、何の用ですかね?」
とりあえず照れを隠すように、ぼそりと太朗。返答によっては怒り狂ってやるぞと内心で意気込む太朗だったが、アランの答えは怒りを帳消しにするだけの価値があった。
「新造プラムが到着したんで、そいつを知らせにだな。邪魔しちまったのは悪かったが、少しでも早く伝えてやろうと思ってよ。メールが出来れば良かったんだが、ここはBISHOPが通じてないだろ?」
アランの言葉に、太朗ははっと息を飲んだ。
「プラム……戦艦プラム!! とうとう来たんか!!」
太朗はそう叫ぶと、視線を下してマールと顔を見合わせた。マールは興奮した様子で「うん!!」と頷くと、太朗の手を借りてすぐさま立ち上がり、ふたりは艦橋へ向けて全力で駆け出し始めた。
爆発すればいいのに




