第148話
宇宙空間は音を運ばない。プラムの艦橋は、船体そのものが内部へ向けて発した機械の稼働音を除けば全くの無音だった。
足を腕で抱え、小さく蹲る太朗。そしてそれを見下ろす小梅。泣きはらした人間と、無表情のアンドロイド。
「見通しが甘かったんだ……」
力無い声で太朗が呟く。それはどちらかというと自分自身に言い聞かせる言葉だった為、小梅からの反応が無くとも言葉を続けた。
「何百年もずっと無事だったとか、守りに入ってるワインドは攻めて来ないとか……たぶん、ただの願望だったんだろうな。最低だ」
荒れた喉から出る、小さくか細い声。彼は今までに幾多の死を見てきたが、ごく身近な人間がそれに該当する事は無かった。ゆえに打ちひしがれていた。
「なんで置いてきちまったんだろう……なんで……」
流しきったはずの涙が溢れ、再びズボンに染みを作っていく。食いしばりすぎて顎が痺れており、酷い頭痛が彼を襲っていた。
「…………ふむ」
まるで場違いな、興味深そうな声。太朗がぼやけた視界を上に向けると、小さな体のアンドロイドが彼をまじまじと見つめていた。
「では、これで終わりでよろしいでしょうか、ミスター・テイロー」
首を傾げ、瞬きをしない眼が太朗を凝視している。口だけが流暢に動き、太朗は底知れぬ不気味さを覚えた。なにより、何を言っているのかがわからない。
「終わり?」
おうむ返しに聞き返す太朗。小梅はそれに「えぇ、そうです」と答え、太朗の方へずいと身を寄せてきた。
「小梅はAIであり、死と言う概念は理解しているつもりではありますが、いくらか不明瞭な点があると言わざるを得ません」
死という単語に、びくりと身を震わせる太朗。わなわなとした口で何かを言いかける太朗だが、「死とは」と再び口を開いた小梅に遮られる。
「ありていに言えば生命活動の停止状態であり、それが復旧される見通しが立たない状態を言います。これはコールドスリープと死の違いでもあるでしょう」
出来の悪い生徒に教える教授のように、ゆっくりと歩きながら語る小梅。
「では改めて現状を考えてみましょう。ミス・マールは脱出装置で艦艇より射出され、既に120時間が経過しています。一方、脱出装置を作成したメーカーによる保障は90時間とされており、なるほど、確かにミス・マールの死が推測される状況ではあります」
小梅は太朗から少し離れた場所で足を止めると、くるりと向き直った。
「しかし、あくまで推測に過ぎません。ミスター・テイロー、貴方はミス・マールの遺体を回収しましたか? していませんね? されていれば、いまだに危険区域に指定されているワイオミング星系をこうして漂っている理由がありません」
太朗を見据えながら、再び歩き始める小梅。
「シュレディンガーの猫という言葉を御存知でしょう、ミスター・テイロー。量子力学上における思考実験によると、箱の中の猫は観測されるまで生と死の両方が存在するようですよ」
まるで「おもしろいですよね?」とでも言いたげな小梅。太朗はそんな小梅に「マールも同じだって言いたいのか?」とイラつきの混ざった声で答えた。
「えぇそうです、ミスター・テイロー。小梅は現状が示すあらゆる情報を元に思案しましたが、ミス・マールが既に死んでいると断定出来るだけの材料を得る事は出来ませんでした。彼女は単に、行方不明であるだけです」
小梅の言葉で、爆発しそうになっていた太朗の怒りが沈静化していく。あまりに馬鹿げていると。
「言葉遊びだろ……そういうのはもういいよ」
「おや、そうでしょうか? 小梅にはそう思えません」
「そっか。そんじゃ好きにしてくれ」
「えぇ、もちろんそうさせて頂きますよ、ミスター・テイロー。あなたはこれで終わりでよろしいですね?」
「……さっきも言ってたな。その終わりってのは何だよ」
力無く答える太朗。そんな太朗に、まるで侮蔑するかのような視線を向けて来る小梅。
「この捜索活動についてですよ、ミスター・テイロー。貴方がこれを終了するのであれば、私が活動の指揮を引き継ぎます」
「…………」
「小梅はAIであり、人間ではありません。最優先事項を否決するのは、その望みうる確率がゼロになった場合を除いてありえません。ミス・マールの命は最も優先されるとカテゴライズされており、これも例外ではありません。量子頭脳における計算式では、無限大とされる数値はゼロを除くあらゆる数との乗算で無限大の解を返します」
「……要するに、絶対に諦めねぇって事か?」
「おぉ、流石ですね、ミスター・テイロー。素晴らしい要約です」
「馬鹿げてる……どう考えても確率はゼロみてぇなもんじゃねぇか。何をどうまかり間違ったら生きてるってんだ? なあ、教えてくれよ!! マールは宇宙空間で生きられますよってか!!」
小梅に掴みかかると、叫びながらそれを揺さぶる太朗。
「いないんだよ!! どこにもいないんだ!! 射出された方向、角度、何もかもが全部記録に残ってる。ここにいるはずなんだよ、ここに!! でもいないんだ!!」
「…………」
「もう何度も計算したんだ!! 何度も、何度も……」
膝を付き、崩れ落ちる太朗。計算し、修正を行い、現地へ赴き、そして絶望する。繰り返し行われたそれは、太朗の心を大きく削り取っていた。
「もう一度です。もう一度やりましょう、ミスター・テイロー。その価値はあるはずです」
小梅は乱れた服を少し直すと、太朗の傍に膝をついた。太朗の背中をさすり、立ち上がれとばかりに手を取る。
「今度はもっと多くの情報を集めてやるのです。幸いにも戦闘時の記録は多数が残されており、プラムのニューラルネット中継機能でそれを集約する事が可能です。膨大な量ではありますが――」
覗き込むように、太朗を見つめる小梅。
「貴方ならやれるはずです、ミスター・テイロー。小梅も全力でサポート致します。ですから、もう一度やりましょう」
「もう一度……」
「そうです、ミスター・テイロー。不確定性原理がその不確かさを示すのはミクロの世界での話です。究極的な事を言えば、ある地点における全ての情報が手元にあれば、未来を予想するのは容易なはずです。ビリヤードの球がどこへどう動くのかは、それを弾いた瞬間に全て決められているのです」
「情報から……未来を?」
「何かがあったはずなのです、ミスター・テイロー。ワインドとの衝突、流れ弾、デブリ、内部ガスの噴射。何かはわかりません。ですが射出後に、何かがあったはずなんです。脱出ポッドの軌道が修正されるだけの何か。その何かを見つけるのです」
「…………全部、計算するってのか? 戦場で起こった事を? ビリヤードやピンボールみたいに?」
太朗は促されるがままに立ち上がると、信じられないとばかりに小梅の顔を見た。しかしその顔は真剣そのもので、彼女は何の疑いも抱いていないように見えた。
「えぇ、そうです。それが不可能で無いのであれば、挑戦するだけの価値があるはずです」
「いくらなんでも不可能だよ……近い事はやれっかもしんないけど。それに……」
「…………恐ろしいのですか? ミス・マールの遺体が見つかるかもしれないのが」
はっと顔を上げる太朗。彼は言い訳がましい何かを口にしようとしたが、それは叶わなかった。彼女が言ったのは、まぎれも無い真実だった。
「ミスター・テイロー。小梅は、ミス・マールが生きているものと推測しております」
「……生きてる? どうやって?」
「はい。小梅はミス・マールの機械工学に対する知識と経験の深さを良く知っており、彼女であれば何らかの形で生命維持装置を改良する物と確信しております」
「そんな事は俺だって当然考えたさ!! けど誰に聞いても不可能だって!!」
「いいえ、不可能ではありません、ミスター・テイロー。小梅はその改良法を予測できます。そしてそれを詳しく説明するのにやぶさかではありませんが、残念な事に今は時間が無いのです」
小梅はくるりと後ろを向くと、大型スクリーンへ向けて軽く腕を上げた。すると画面上に使い慣れたカウントタイマー関数の表示が映し出され、正確に時を刻み始めた。8時間、22分、54秒。ミリ秒の単位が残像を描きながら、めまぐるしく表示を変えている。
「小梅の予想する、生命維持装置の稼働限界時間です。ミス・マールが小梅の考え通りに改良を施しているのであれば、彼女はこの時間内であれば生存している物と考えられます」
太朗は1秒、また1秒と少なくなっていくタイムリミットを見つめた。1秒間というのは、こんなにも短い物だっただろうか。
「戦闘艦、民間機、ステーション。それこそあらゆる方面から、戦闘時の情報を全て付近の情報ステーションへと集約させています。今後も情報は増え続けて行く事でしょう。今回の捜索でミス・マールが見つからなかった場合の次善策ではありましたが――」
「……今では唯一の可能性か。スパコンが千台あったって無理に決まってる」
太朗はにそう吐き捨てると、じっと床を見つめた。脳裏に描き出されるのは、マールと共に過ごした日々。それはすなわち、第二の人生が始まってから今に至るまでの、全ての時間。楽しい時も辛い時も、常に彼女がいた。
「……オーケイ、やったろうじゃねぇか。小梅、お前とマールを信じる」
座りなれたシートへと飛び乗る太朗。目を閉じ、全神経を脳へと集中させる。
「移動と回収を考えっと、実際は5時間ってトコだな?」
BISHOPを立ち上げ、プラムの通信能力を全開にする。即座に膨大な量の情報が集まり始め、プラムのデータバンク内を圧迫していく。これら全てを処理するとなると、いったいどれだけの負荷がかかる事になるのだろうか?
「無茶をするのは今に始まった事じゃねぇか……よし、脳が焼切れようが何だろうが、構うもんか。やってやる」
太朗は自分の胸元をまさぐると、ポケットに仕舞い込んでいた鍵のアクセサリーを探し出した。
「やってやる」
周辺警戒の為にプラムへ乗り込んでいたエッタは、その力を十分に発揮すべく深い眠りについていた。元来一度寝てしまうと大抵の事では目を覚まさない彼女だったが、その瞬間が訪れると飛び上がるようにしてベッドから跳ね起きた。
「…………竜巻?」
通常の人間が持つ可視光線と異なるエッタの視界は、プラムの船内に渦巻く情報の奔流をその目で見る事が出来た。赤と黒の光の渦が混ざり合い、それは混沌としながらも秩序だっているという矛盾した動きを見せていた。
「ニューラルネット……元に、戻ったの?」
エッタが知る限り目の前の現象と最も近い物は、銀河帝国全土を繋いでいた旧ニューラルネットのそれだった。
「違う。一方通行。全部、ここに来てる」
彼女は目を転じると、ありとあらゆる方向から飛来する情報の波を見やった。それは一般的な通信のように双方向を行き交う物では無く、おおよそ全てがこの船に向かってやって来ていた。
エッタはその情報がいったい何なのかを確かめようとしたが、少し目を凝らしただけで不可能だと気付いた。あまりの情報量に、下手をすれば飲まれてしまいそうだった。それはコップへ水を汲むのに、豪雨で発生した土石流を利用するような物だった。彼女の脳はそれに耐えられない。
「綺麗……すごく、綺麗」
エッタはぼんやりとした目で光の渦を眺めると、うっとりとした顔つきでふらふらと歩き出した。渦は艦橋へ向かっているようで、エッタもそちらへ向けて歩いて行く。途中で何度か扉にぶつかりつつも――BISHOPの通信帯域に一切の空きが無かった――彼女は艦橋へと辿りついた。
「やっぱり、思った通り」
艦橋にたどり着いたエッタは、渦の中心となるひときわ強い光を見つけた。その禍々しくも美しい奔流は、彼女が期待していた通りの場所にあった。
それは、人の形をしていた。




