第142話
「あ、やっぱりそう思う? あれってかなり臭いわよね」
「はい、臭いと思います。私は好きですけど、苦手な人も多いですね」
「えー、その臭さがいいんじゃないかなぁ。クセになるっていうか」
まどろみの中、太朗の耳に届く女性3人の話声。寝室でハンモックに揺られているのは太朗ひとりだったが、防音の施されていない壁はマール、ソフィア、ラミーの声を隣の部屋から運んできていた。
「バイタルサインは……普通か。そういやこっちに来てから風邪ひいた事ねぇな」
太朗は左手首に張られた透明な電子シートを眺めると、自らの健康状態に異常が無い事を確認する。手の甲に直接文字が浮き上がって見えるのは最初の頃こそ不気味だったが、今ではもう慣れたものだった。
「虫歯すらねぇとか言ってたっけか。地球についたら防疫で苦労しそうだな、っと」
ハンモックから飛び降り、電子シートの表示を時計へと切り替える太朗。起床時間がいつも通りである事を確認すると、満足して居間へと向かう。
「おはよーさん。美人が3人もいると眠気も覚めるな」
「だったらもう少し早く起きなさいよ、タロ。料理はあんたの方が得意でしょ?」
「うへへ、一日の長があっからな。それより随分いい匂いがすんだけど、いつもの焼き飯じゃないの?」
「イムリン星系産の加工菌類が手に入ったから入れてみたのよ。香りがいいでしょ?」
「加工菌類……あぁ、キノコね。なるほど」
皿に盛られた黒い断片を確認し、鼻を鳴らす太朗。ソフィアが少し驚いたような顔をしてマールの方へ顔を向ける。
「それって、高い物ですよね?」
「貰い物よ。気にしないで食べましょう」
「んだんだ。仕事柄……って言っていいのかはわかんねぇけど、結構貰い物をするんよ。って、このキノコうめぇな。どんなキノコなん?」
「どんなって、そういえばどんなのかしらね。データバンクを見てみましょうか」
端末を机の上に置き、プラムへアクセスするマール。プラムの通信機能が遠く離れたニューラルネットへとダイレクトに繋がり、情報が即座に送られてくる。
「直径5メートルの白い塊に成長。繁殖が容易だから、自然食品派の間では結構メジャーみたいね。飼育時に強い振動を与えると爆散するから注意ってあるけど、どういう事かしら。内部にガスが溜まるとか?」
「しらねぇよ。つーかデカすぎるし、生態の項目がほとんど謎ってなってんじゃねぇか。こえぇよ。なんちゅーもん食ってんだ」
「あはは……で、でもおいしいですよ!」
マールの端末を胡散臭げに覗き込む太朗と、横で苦笑いのソフィア。ラミーは露骨に嫌そうな顔をしながら、自分の皿から太朗の皿へとキノコのピストン輸送を開始していた。
太朗はいつも通りの食事を終えると、しばしの歓談の後、弟3人を起こして託児所へと向かう。急速に風変りしていく景色を満足げに眺めながら高速移動レーンへと乗り、炊き出しと共に仕事の斡旋をするようになった共同施設の脇を通り過ぎていく。
「ほんの半月前が嘘みたいね。すっきりしてて気持ちがいいわ……やっぱお金って大事だわ。元手が無いと何も出来ないもの」
少し前までくたびれきったスラムの路地裏が如く汚れていた道端が、今では塵ひとつ無くなっている。ステーションの管理会社が増加した税収を元に、清掃員を大量に雇用した為だ。太朗からすれば冗談にしか思えない程安い月給だったが、募集には人が殺到したらしい。
「もちろん気持ちがいいってのもあるけど、これって治安の改善にも効果があるんだぜ。地球の……なんつったかな。どっかデカい都市の市長がそうやって地下鉄の治安を良くしたらしいぜ」
「そうなの? 何か因果関係があるのかしらね……ところで地下鉄って何よ」
「……大昔の高速移動レーンみてぇなもんさ」
ライジングサンの関連企業で埋め尽くされた商業区へ到着すると、そのままこじんまりとしたオフィスへと足を運ぶ。太朗達は地上にあるオフィスをそのまま素通りすると、厳重にロックされた自動ドアを潜り抜けた。
「おはようございます、ミスター・テイロー。本日もお変わりないようで」
ドアの向こうに現れた小梅の姿。その奥には広々とした空間が広がっており、無数の人間が忙しそうに各々の仕事をこなしていた。事務所の隣に位置するモジュールを全て買い取り、連結し、各種設備と人員を配置。そこはまるで地下の秘密基地のような有様となっていた。
「そらまぁ昨日会ったばっかだからな。つーか毎日か……一日でイケメンが不細工に変貌してたら怖いだろ?」
「時に、ミスター・テイロー。逆もしかりという言葉を付与し忘れている様ですが?」
「相変わらず口汚いね君は!!」
太朗は部屋の中央に備えられた自分のデスクへ向かうと、やがて「気をー付け!!」の掛け声と共に数百人はいるだろう社員が直立不動で静止する。太朗は「相変わらず軍隊みてぇだな」とぼやきつつも、それに答礼しながら席へと着いた。
「すぐに開始でよろしいですか、ミスター・テイロー」
「あいあい、頼んます」
傍に控えた小梅が右手を上げると、太朗の椅子を囲むように自然公園を映すホログラフが表示される。通信相手がこちらを見た際に、慌ただしいオフィスが背後に見えるのはよろしく無い。
「どうも、RSアライアンス代表コープ、ライジングサン代表のテイローです……って、いい加減このやり取りも馬鹿っぽいっすよね。もう知ってるっての、って具合に」
目の前のモニターへ向かい、うんざりした顔を向ける太朗。モニターには大ホールに集まる300名の企業代表者達が集っており、太朗の言葉に肩を揺らしていた。
「"えぇ、もちろん存じてますよ、テイロー代表。今日もよろしくお願いします"」
齢84となる議長が、1段高くなった座席からにこにこと発する。太朗は「あいあい」と軽く答えながらも、敬意として軽く頭を下げた。太郎自身偉ぶりたいわけでは無いが、下手に出れば統率が付かなくなるし、ある程度の鷹揚さは必要だった。そのあたりのさじ加減は非常に難しい。目の前に連なるRSアライアンス議会員達は立場的にはもちろん太朗よりも下だが、年齢的にはほとんど全員が上となる。年上を敬う習慣は銀河帝国においてもいくらかは健在だ。
「そんじゃさっそく悪巧みを始めましょか。まずは――」
前会議で出された議案に対し、ひとつひとつを返答していく。呑める案であれば詳細を詰めるよう指示を出し、呑めない案はその理由を説明する。議案は人口に対する公衆トイレの数をいくつにするかといった様な一見馬鹿馬鹿しいものから、周辺事態に対する対応の優先度といった重要な物まで様々だ。
ちなみに事態が落ち着けば月に一度と予定されている議会も、緊急時である現在では毎週のように開催されていた。議員達も暇な身の上というわけでは無い為、その本気さが伺える。
「"なるほど、了解しました。ではその件についてはそのように……ところでテイロー代表。目下の最優先課題である辺境開発についてですが、経済界からいくらか疑問の声が上がっております"」
議長の発言に、いよいよ来たかと内心で身構える太朗。太朗は「全部わかってますよ」といった余裕の表情を努めて浮かべると、鷹揚に頷いた。
「開発候補地の事ですよね? 古代エリア方面の」
太朗の言葉に、ゆっくりと頷く議長。
「"そうです。資源地帯方面の開発に関しては、全面的な賛同が得られております。参加を申し出る企業は後を絶ちませんし、相当な利潤も見込めるでしょう。しかし古代エリア方面に関しては否定的です。あちらには何か、我々の知らない利点でもあるのでしょうか?"」
小さく首を傾げる議長に、太朗は「質問はごもっともです」と続ける。
「掘りつくされた資源地帯と、古い施設の数々。それに恐らくですが、想定されているよりもかなり多くの掌握しきれていない住民達……確かにまぁ、普通に考えると手を出したくない領域だとは思います」
太朗は湾曲したモニターをぐるりと見渡し、議場に座るの人間達を眺める。彼らも開発地については強い興味があるのだろう、誰もが真剣な眼差しでこちらを見つめている。
「しかしこれ、考えようによってはなかなかのチャンスだと思うんですよ。現地で暮らしてみて……あぁ、伝えて無かったかもしれませんが、今ワイオミングにいるんです。実状視察ですね。それでわかった事なんですが――」
ソフィア達との日常を思い出し、マール達とまとめあげた調査結果を思い出す太郎。
「ここらには安価な労働資源がうんざりする程余ってるんです。単なる清掃員の募集に倍率20倍の応募があったんですぜ? 人々は職を探してますし、人口は統計結果の数倍は存在してます。少なくともワイオミングⅣには、事前情報の4倍強が住んでました。他も多分同様でしょう……そら食料を始め、何もかもが足りないわけです」
エンツィオはその経済計画を進める上で、各資源の割り振りを統計上の人口や産業規模を元に行っていた。無職の人間や不法滞在者は人口として数えられていなかった為、各資源や食料の割り当ては常に必要量を下回っていたはずである。
「"なるほど、確かに仰る通りかもしれません。彼らを使うというのは企業側にとっても利潤が大きいでしょう……しかしどうやって彼らをもうひとつの開発地へ運ぶつもりですか? 数万やそこらでは無い数です。ワイオミングを基準として考えると、古代エリア全体で少なくとも4千万人はいる計算となりますが"」
向こうとしてもある程度予想していた答えだったのだろう。議長が当然のようにそう返してくる。太朗は先程までと同じように理解の頷きを見せるが、口からは否定の言葉を発する。
「運ぶ必要はありません。現地で働いてもらいましょう」
何の事は無いと肩を竦める太朗。そんな太朗に、わずかに驚きの表情を浮かべる議長。太朗は大袈裟に手をあおぐと、議長へ向かって続ける。
「資源が何もかも掘り尽くされてる? いやいや、そんな事ないっすよ。ありますって。むしろ一般の資源地帯を越える勢いで存在する可能性すらあります」
「"……帝国が現在の版図に広がるにあたって、採掘可能な資源を残したままにするとは思えませんが?"」
「まあ、そうでしょうね。その通りだと思います」
「"……代表?"」
要領を得ないと、訝しげな議長。太朗は「答えはご自分で言ってるじゃないですか」と穏やかに笑みを浮かべる。
「採掘可能な資源については、仰る通りそれこそカスしか残らないレベルで採ってると思います。"採掘可能な資源"についてはですが」
太朗は何やら期待の眼差しを向けてくる議員を一瞥すると、片眉を上げてみせる。
「銀河帝国がここらを開発してた時期から、いったい何千年経ってると思ってるんですか。付近の古いスターゲイトを使ってみましたけど、ほんの近くまでしか飛べやしませんでしたぜ。数千年の間にテクノロジーは驚く程進化してるんです。今の技術であれば、当時採掘出来なかった場所にある資源をいくらでも開発可能でしょう」
太朗の言葉に、驚きと納得。そして考え込む様子を見せる議員達。何故そんな単純な事に気付かなかったのだろうといった苦笑いを浮かべる者もいる。
「"しかしそうなると、それなりの数の最新式スターゲイトが必要となるのではありませんか? どこから用立てるつもりで?"」
議長が冷静に、しかし期待を含んだ声色で発する。太朗はにやりと人の悪い笑みを浮かべると、指を一本上げた。
「近々、帝国がアルファ星系からローマにかけて進出してくるという噂がありますよね。現在"たまたま"そのあたりのエリアから大規模な引越しが行われており、場合によってはステーションの破棄すら噂されたりしてます……どこの誰でしょうね。そんな根も葉もない噂を流す悪い奴は」
議員達が太朗と似たような、あくどい笑みを浮かべ始める。
「でも交通の要所である事に変わりは無いわけで、帝国としてはベースの施設だけでも残ってないと非常に困る事になるわけです……どうしてもって言うなら残してもいいけど、タダであげるにはもったいないと思いません?」
申し訳ありません。完全にミス投降でした……14/05/05 きちんとした形で投降しなおしました。




