第139話
楽観的ではあったが、太朗とて何の覚悟もしていなかったわけでは無い。だが、こういった事は往々にして予想を上回る物だ。
「これは……あれだな。今流行りのコンパクト化ってやつだな」
口の中で呟くように、引きつった笑みの太朗。目の前にはトッドカンパニー寮のベッドがあったが、それはベッドと言うにはあまりにお粗末な代物だった。壁から突き出た2本の棒にワイヤーが引かれ、ハンモックのように布を吊るしている。
「これ、上の人は落ちたら死ぬんじゃねぇの?」
「そんな……大袈裟ですよ。不安ならタロさんは下の方にしましょうか」
不安げに発した太朗に、ソフィアが苦笑いを作る。ハンモック式ベッドはひとつの壁に縦横4つずつ設けられており、最上段は結構な高さがありそうだった。横には梯子が備え付けてあり、恐らくこれで上り下りするのだろう。
「そうしてくれると助かるぜ。自慢じゃねぇけど、寝相は最悪だからな」
太朗はそう言うと、目の前の少女に笑ってみせる。
(しかし、マールと1年かそこらしか離れてないって本当か?)
心の中で呟きつつ、ソフィアを観察する太朗。女性らしい体付きと精悍な顔付きのマールに対し、うつむきがちで痩せぎすの少女。美人ではあるのだろうが、事によると少年に見えなくも無いその容姿は、美人になりそうな顔といった表現の方が相応しそうだった。
「家賃や税金は敷地面積に応じて取られるから、寮といえばどこもこんな感じだそうよ。他の所を見た事があるわけじゃないけど」
太朗の頭上より、ベッドに腰掛けたラミーが足をぶらぶらとさせながら言った。ラミーもソフィアと同様に痩せており、こちらはいくらか明るい性格な分、より子供っぽさが際立っていた。
「そ、そっか……よっぽど居住エリアが足りてねぇんだな。こりゃまじぃぞ。開発団の受け入れとか不可能だ」
開発団そのものは船の中の居住スペースを利用すればどうとでもなるだろうが、受け入れ先となるステーションはそうもいかない。日用品から軍需物資まで、補給を行う人々や商売人はステーションをねぐらにするはずだった。この様子だと、人口増加にステーション側が耐えられそうも無い。
「ステーション増強用のブロックモジュールごと運んでくるしかねぇな……いっそ統廃合しちまうか?」
辺境に広がる無数の宇宙ステーションをある程度のまとまりに統合してしまえば、その管理も手間も大幅に削減される事になる。
それに合理化によってかなりのスペースを空ける事も可能になるはずだった。例えば1の大きさのステーションが必要な生命維持装置は、10の大きさを持つステーションにおけるそれに比べ、10分の1の大きさで済むというわけでは無い。そしてその比率は、サイズに差があればある程広がっていく。
「いい案だとは思うけど、そういうのはほどほどにしないとひんしゅくを買うわよ……それよりねえ、本当に私もいなくちゃダメなの? 私はプラムでいいじゃない」
こちらもまた引きつった表情のマールが、訴えるように太朗の袖を引く。ひそひそとした彼女の声に、「いやいや」と太朗。
「ここは一蓮托生と行こうぜ、マールたん。それにさっき言ってたじゃねぇか。ここに歩いて来るのはもう御免だってさ。場合によっちゃこことプラムを行ったり来たりだぜ?」
ステーションのドックから会社の寮までは、歩きで実に1時間近くも必要だった。本来であれば高速移動レーンが走っていたはずのメイン通路は、ホームレスと思われる人々の共同宿泊先となっていた。太朗もマールも、ここへ到着した頃にはへとへとになっていた。道は例の如く上下左右に入り組んでおり、ここへ来るまでに使用した梯子と階段の数は数えきれない。
「あぁ、もう。あんたの思い付きを気軽にOKするんじゃ無かったわ……わかった。でも、いるのは夜だけよ。昼はライジン……会社の方の作業もあるから、商業区の方に適当なスペースを作っとく」
「りょーかい。じゃあそれで……あぁ、ごめんごめん。いきなり内緒話じゃ気分悪いわな」
不安そうにこちらを見ていたソフィアに気付き、頭をかく太朗。ソフィアは「いえ」と短く答えると、何かを思い出したかのように部屋を駆け出して行った。
「あら、あんたも随分嫌われたもんね」
「いやいや、なんで俺限定なんすかね……あぁ、すんません。頂きます」
太朗はすぐに戻って来たソフィアから金属のコップを受け取ると、良く冷えたそれをぐいと呷る。隣では太朗の様子を確認してからにするつもりなのだろう、マールが横目に太朗をちらちらと見ている。
「……やばい。うめぇなこれ。何? これ何のお茶?」
失礼ながらも、てっきりろくでも無い飲み物が出てくるものだと予想していた太朗。それだけに予想外の味に驚く。
「お米のお茶です。紅茶やコーヒーは手に入らないので」
ほっと安堵したような顔のソフィア。マールも太朗の反応に興味を持ったのだろう。すぐにそれを飲み始め、満足気な頷きを見せている。
「米茶ってやつか……そら麦茶があるんだから、当然米の茶もあるよな。思いつかんかった……」
太朗が日本人としての米に対するこだわりからショックを受けていると、ソフィアが良くわからないといった顔で首を傾げた。彼女は少し迷った様子で「えぇと」と前置きをすると、部屋の出口の方を手で仰ぐ。
「迷うほど広くはありませんし、何か取扱いに困るような物は無いと思います。あ、でもお風呂が無いので、必要な時は近くの共同浴場を使って下さい」
説明しながら歩き始めたソフィア。太朗とマールは適当に相槌を打ちながら、彼女の後をついていく。
「水は有料なので、流しっぱなしとかに注意して下さい。浄化槽から来ているものと、水道施設から来ているものとで別の蛇口です。あとこれ、念のためにお渡ししておきます」
ソフィアはそう言うと、狭苦しい給湯室で太朗とマールに小さな金属片を手渡して来る。
「なにかしら。お守り?」
金属片をしげしげと眺め、興味深そうなマール。
「いや……鍵かこれ。久しぶりに見たから一瞬何かと思ったぜ」
金属片は地球で一般的に使われていたような鍵で、どうやら使用法も同じのようだった。スリットや窪みが設けられており、恐らくシリンダ式なのだろうと想像した。
「はい。時々ドアのBISHOPが故障する事があるので、そういう時は鍵をかけます。こう、スリットに差して回転させると開きますから」
ソフィアは空間に向かって鍵を突き出すと、それを回してみせる。それを見たマールが同じように回してみせ、その真剣な表情が太朗にはどこかおかしく見えた。
「これ、大丈夫なのかしら。簡単に複製できそうなんだけど」
胡散臭い目で鍵を見つめるマール。するとソフィアが「あはは」と小さく笑い、この家に来る泥棒なんていませんよと続けた。
「泥棒さんだって入る家を選ぶよ。一応近くにはおっかない親方が住んでるし、そんな馬鹿をやるご近所さんもいないんじゃないかな」
ラミーが背後よりひょっこりと現れ、太朗の手にしていたお茶を横取りしていく。ソフィアが「ラミー!!」と怒ったように声を張り上げると、ラミーは肩を竦めて去って行った。
「うーん、ちょっと心配ね」
マールが怪訝そうな顔でラミーの去って行った方を見やる。
「だなぁ。嫌われてるわけじゃないといいんだけど」
「大丈夫かしら。あれってアンタが口を付けたお茶よね?」
「そっちかよ!! つーか、どーゆー意味っすかね!?」
太朗の突っ込みに対し、マールは存じませんといった体で肩を竦めた。
その後もソフィアから寮の案内を受けた太朗は、丁寧な礼と共に寮を後にした。本来であればそのまま泊まるつもりだったのだが、BISHOPがまともに使えない可能性がある以上、一度引き返す必要があった。緊急事態に連絡が付かない状況は避けねばならない。また、会社への指示も現地から送る必要がある。
「うんうん……そうそう。その方向で。ぐぁーっといって、どばーっとやっちゃって下さい。それと例のアレ……なんだっけ。アライアンスのアレはこう、どっちかっつーともっそりしたイメージで」
通信機を片手に、ジェスチャー混じりでクラーク本部長に指示を飛ばす太朗。それが正しく伝わったのかどうかは太郎自身にも良くわからなかったが、どうやら本部長は非常に優秀なようだった。
「では仰る通り、新型プラムの設計は開発部の意向に沿った形で大胆な方向性に進めます。アライアンスの綱領については前政権のものを踏襲しつつ、段階を踏んで改革を進めて行くという形で作成していきましょう。確かに、急激な変化はよろしく無い影響を生む可能性が高いですからね。大変よろしいかと。辺境開発の権利についての入札は下限を設けますか?」
「うーん、フィーリングで。でもたくさんあるのは困るな。まとめ切れないっしょ」
「了解しました。ある程度の規模がある企業に限定されるよう、アライアンス議会と事前に調整しておきます」
スクリーンに映るクラークはそう言うと、一礼と共に姿を消した。
「なんつーか、優秀ってレベルじゃねぇだろ。あの人とライザがいなかったらウチは成り立ってねぇな……」
太朗はライジングサン及びRSアライアンスの組織運営を統括するふたりを想うと、その有り難さに思わず両手を合わせて頭を下げた。表示の消えたディスプレイを拝む太朗は傍から見れば変人だったかもしれないが、こういうのは気持ちだとしばらくそれを続けた。
「拝むだけじゃ何も解決はしねぇけどな……そいやマールの方はどうなんだろ」
必要な物を用意すると言って倉庫へ向かったっきり、小一時間も音沙汰が無い。どうかしたのだろうかと、太朗も倉庫へ向かう事にする。
「BISHOPは小型携帯用のを持ち込めば、データ量は少ないけど一応連絡は取れるわよね……後は何が必要かしら。医療キットと護衛用品は外せないか……セントリーガンってうちの倉庫にあったかしら」
プラムⅡの倉庫を覗いてみると、何やらぶつぶつと真剣な表情のマールを見つけた。
「おいおい、強盗をミンチにするつもりかよ。護身用だけで大丈夫だって……セントリーガンって、侵入者を見つけ次第自動的に射殺するアレだろ?」
「えぇ? 何が大丈夫よ! こんな小さな金属片で安心しろって言う方が無理があるわ!」
呑気に構えた太朗に、手にした鍵を突き付けてくるマール。彼女の目は真剣そのもので、太朗は一瞬気圧された。太朗が思っていたよりも、彼女にとってあの環境はストレスに感じているのかもしれない。
「私だったら、工作機械があればその場で2分もかからずに複製を作れるわ。あの子達は盗む価値のある物なんて無いって言ってたけど、私たちは別でしょ? 暗殺の危険性だってゼロじゃないのよ?」
「そりゃまぁ、そうかもだけど……言われて見ればちょっと不用心か。ベラさんが何とかするとは言ってたから、今からでも話を聞きに行っとくか?」
「……そうね。そうしましょう。警備計画でも聞けば、ちょっとは安心できるかもだわ」
口を尖らせ、不承不承といった体のマール。それを見て太朗は、マールはやはりプラムに残すべきだろうかと考え始める。
「僭越ながら、ミス・マール。セキュリティに不安を覚えているのであれば、宿舎のドアを修理ないしは改良してしまえばよろしいのでは?」
入口からひょっこりと現れた小梅。太朗とマールの視線がそちらへ向き、次いで互いに向き合う。
「…………小梅って、ほんと天才よね」
マールは照れたように下を俯くと、修理に必要な部材を見繕い始めたようだった。
「それに関しては同意だな。修理しちまえって発想に天賦の才が必要かどうかはともかく」
からかいの声をかけた太朗に、「あーあー、聞こえなーい」と耳を塞ぐマールだった。




