第134話
大変お待たせして申し訳ありません。
新章開始でございます。
「……平和だ」
ぼんやりと社長室の窓から外を眺め、太朗が緩みきった表情で呟く。
窓の外には企業広告が描かれた鉄の隔壁が広がっているだけで決して眺めが良いわけでは無かったが、少なくとも通りを往来する人々の細かい動きを望む事は出来た。飾り気の無いオフィスの内装よりはいくらかましだ。
「今度額縁と絵でも買うかね……あぁいや、今はもう何でもかんでもディスプレイか?」
独り言のような太朗の問いに、傍でキーボードを叩いているマールが顔を上げた。
「そうでも無いわよ。シェアで言えば小型ディスプレイの方がずっと多いけど」
「まぁ、そうだよな。好きな時に違う絵を表示出来るもんな」
「そうね。でも、一品物や芸術の価値ってそういう物でも無いじゃない? 芸術の事は良くわからないけれど、それそのものが持つ価値ってのもあるみたいよ」
「ふぅん……俺も芸術なんてさっぱりだけどな。とりあえず、お客さんに舐められないように何かそれっぽいの買っとくか」
現在太朗達のいるオフィスはカツシカのそれでは無く、エンツィオはローマに新しく設けられたライジングサン・ローマ支部。そしてそこはRSアライアンスの本部でもあり、しばらくは活動の中心となるだろう場所だった。
当然そこには頻繁に来客があるし、相手によっては芸術や教養を重視するような人間もいるかもしれない。訪れて来る客を選べない以上、色々な想定をしておく必要があった。
「それなら私にお任せ下さいな、テイローさん。芸術には覚えがありましてよ?」
部屋にいるもうひとりの存在が得意気に発する。太朗はそんなライザへ「よろしく」と声を掛けると、再び暇そうに窓の外を眺め始めた。
「日常業務って、こんなに暇だったっけ?」
一般の労働者を舐めているとしか思えない太朗の発言に、マールがひとつため息をつく。
「そんなに暇なら手伝ってくれてもいいのよ? ……でも確かに、気持ちもわかるわね。前があんまりに忙しすぎたもの。きっとその反動よ」
マールに、ライザが同意の言葉を続ける。
「きっとそうですわね。でも、歓迎すべき暇でしょう。見えない敵に怯えながら輸送船に乗るのは、正直しばらくは御免ですわ」
不機嫌そうに眉を顰め、思い出すのも嫌だとばかりのライザ。彼女は対エンツィオ戦争において、裏方についての一切を取り仕切っていた。既存の業務の継続はもちろんの事、兵站維持の為の補給まわりも彼女の仕事だった。
「あんなに大量のステルス艦を相手にするのは、今後はもうねぇさ。エンツィオが異常だっただけだしな……多分だけど」
自信なさげに答える太朗。ライザは自身の仕事が終わったようで、いくつかのチップを手に立ち上がる。彼女は太朗に「だといいんですけど」と澄ました様子で応えると、慣れない様子でドアノブを回して部屋から出て行った。
「一瞬ドアにぶつかりそうなってたな」
「そうね。私もたまになるわよ」
社長室は例の件により、独立したBISHOP制御機構が用意されていた。よって中から外へのBISHOPの制御を行う事は出来ないし、逆もまた然り。中と外の境界にあたるドアは、昔ながらの手法で開ける必要があった。
「せめて普通のセンサー式自動ドアにしたらどうなの?」
「いやいや、ロマンだよロマン。なんかこう、味があっていいじゃん」
「面倒なだけだと思うけど……まぁいいわ。それよりテイロー、RSアライアンスの今後の方針については決まったの?」
太朗は「おうさ」と親指を立てる。
「へぇ、意外だわ。てっきり何も考えて無いのかと思ってた」
「いやいや、俺だってちゃんと頭使ってますよ?」
「ふふ、冗談よ。それで、どんなのになったの?」
「ん、聞いて驚け…………んー」
何やらマールの方を見て、しばし沈黙する太朗。マールはそんな太朗へ首を傾げて見せたが、黙って続きを待つようだった。
タイミングを伺うかのように、マールの手元を注視する太朗。
無言で見られている事に居心地の悪さを感じたのだろう。身じろぎし、飲み物の入ったコップを手にするマール。
ニヤリと笑う太朗。
不信そうに眉を顰めながら、コップを煽るマール。
そこへ太朗がひと言。
「拡大路線を取る」
マールが盛大にお茶を吹き出し、それを全身に浴びる太朗。恍惚とした表情の彼にマールが右ストレートを放つと、太朗は「ありがとうございます!!」と言いながら椅子から派手に転げ落ちた。
「何考えてんのよ!!」
「ご、ごめん。お茶もったいなかったな」
「そこじゃない!! 拡大路線って、あんた正気!?」
信じられないとばかりに太朗へと詰め寄るマール。太朗は少し赤くなりながらも「あぁ、そっちか」と返す。
「拡大つっても、EAPやホワイトディンゴ方面じゃないぜ。奥だよ奥」
太朗はのけ反るようにして壁に備え付けられたディスプレイを見やると、BISHOPでそれに地域星図を映し出した。
「いつか博士が言ってたろ? 帝国初期の版図はエンツィオの奥にあるはずだって。そうなると、距離にもよるけど辺境に拠点を設ける必要が出てくる」
「そうかもしれないけど……でも、アライアンスの方針として辺境開発を持ち出すのはどうなのよ。調査の為だったら一時的な拠点を設ければいいだけでしょ?」
「まぁ、そうなんだけどな。実はディーンさんから連絡があって……これはまだ皆には話さないで欲しいんだけど」
防音の整った部屋で誰に聞かれるはずも無いだろうが、太朗は念の為にとマールの耳元へ顔を寄せてぼそぼそと呟いた。
「…………冗談でしょ? 本当に?」
マールが目を見開き、怪訝な様子で向き直る。
「これが冗談じゃねぇのさ。笑っちまうだろ? 笑えねえけど」
太朗は苦笑いを返しつつ、大きく肩を竦めた。太朗がマールへ語ったのは、先日ディーンから報告のあった帝国の動向についてだった。
「帝国によるアルファ方面への進出……その、有り得ない話じゃないのはわかるわ。けど、何で今更? 何百年もずっと放っておいたじゃない」
「いや、俺もわかんねぇけど……でも予想は付くな。コレじゃねぇかな」
太朗は胸ポケットから携帯端末を取り出すと、保存しておいたニュース項目を表示させる。そこには「セベラ方面地域と音信不通。独立の動きか」と見出しされていた。
「これって……なるほど。そういう事」
見出しを見てすぐに理解したのだろう。納得した様子で引き下がるマール。
「そういう事さ。はるか銀河の反対側だけど、情報寸断だかスターゲイトの破壊だかで帝国と距離を取り始めた地域があるって事だぁな。探してみると結構似たような情報が一杯あるぜ」
太朗は画面をスクロールさせ、集めたニュースのリストをずらりと表示させた。
「確かにこうなると、帝国としては手を打たざるを得ないわね。離脱する動きがあるにせよ無いにせよ、そもそもそれが出来ない状況にしようってわけね」
「だな。アルファ星系はベラさんがちゃんと帝国の許可を取って運営してるし、カツシカも一応話は通してある。でもその他はそうじゃねぇからな。みんな好き勝手に自分の領土だって言い張ってるだけで、帝国はそれを認めて無い……帝国自体も好き勝手やってるって所では同じだけど」
「そう、ね……でもそうなると、飲み込まれるのはどこまでになるのかしら?」
「それがわかんねぇんだよなぁ。必要十分って点ではカツシカのまわりさえ押さえちまえば独立の心配は無くなるけど、利益を追われるとかなり拡大するだろうな。ちなみにテイローちゃんとディーンさんの予想ではこんな感じ」
大型スクリーンへと目を移し、表示されていた地図をBISHOPで塗りつぶしていく太朗。帝国領を示す範囲は徐々に拡大し、エンツィオ、EAP、ホワイトディンゴの一部を飲み込んだ時点で止まる。
「……やってらんないわね。おいしいトコ取りじゃない」
未来の帝国領エリアには、多数の大規模ステーションが存在する星系が含まれていた。それらはアルファ方面宙域における経済活動の中心地で、戦後復興における要となるべき場所だった。
「はは……ぶっちゃけこの予想が出た時、マジでアルファ星系のスターゲイトぶっ壊してやろうかと思ったぜ」
「冗談でも止めなさいよ……気持ちはすっごくわかるけど」
「そりゃな。せっかく命がけで守ったわけだし……でもこのタイミングで動いたってのは、色々裏がありそうだよな。ディーンさんは50マテリアルズの復讐じゃねぇかって」
「復讐……自分たちの手は汚さないで、私達への嫌がらせをしてるって事? 許せないわ!!」
「いや、ただの予想だからね。落ち着いてマールたん。俺に詰め寄られても困るっす」
鼻息荒く太朗へ詰め寄るマールへ、どうどうと落ち着くように促す太朗。
「まぁ、そんなこんなで中央を発展させるのはどうかと思うのよ。せっかく苦労して復興させたのに、はいここは明日から帝国領です、じゃやりきれねぇじゃん?」
「確かにそうね……そういう事なら納得だわ。でもそうなると、リンにも知らせておいた方がいいんじゃないの?」
「……んー、そだな。そのうち、時期を見て話すつもり」
「ちょっと、どういう事? なんですぐに教えてあげないの?」
「個人的にはすぐにでもそうしたい所なんだけど、アライアンスのトップとして考えるとそうもいかねぇんだよ……ぶっちゃけると、ちょっと勝ち過ぎたな。軍事バランスが崩れすぎててヤバイ」
「……なるほど。うーん、偉くなるって、嫌な事も多いわね」
先の総力戦において、EAPは軍事的な大勝利を収めた。それによる賠償金の支払い等は後回しだが、現物としてエンツィオが使用していた軍艦の差し押さえを行っている。現在アルファ方面宙域において、EAPは圧倒的な軍事力を持っていた。
「リンがアライアンスを完全に掌握出来てればどうって事も無いんだけど……」
それが無理な事は、太郎自身も良くわかっている。民主的な組織は利点も多いが、欠点もある。世論がRSアライアンスを討つべしとなれば、EAPはそれに従うしか無いだろう。これがディンゴのように専制政治を布いているのであれば、その人自身の信頼や信用を元に方針を決定する事も出来る。
「場合によっては、EAPと敵対する状況も想定しなくちゃならないものね……帝国の進出によってEAPが打撃を受ければ、地域の均衡が保たれると。利用出来るなら帝国でも何でも利用する……ふぅん、あんたも随分とあくどくなったものね」
マールがため息がちにそう語る。太朗はひょっとして呆れられただろうかとおそるおそる彼女の顔を覗き込んだが、マールは「冗談よ」といたずらっ子のような笑顔を見せた。
「私も子供じゃないわ。そのあたりの事についても理解してるつもりよ。今後も辛い決断が必要になる事もあるでしょうけど……そういう時は私も付き合ってあげるから、今みたいに相談しなさいね」
優しい笑顔で、諭すようにマール。太朗はマールの言葉に感極まり、「マールたぁん!!」と飛び掛かったが、彼女の素晴らしい右フックが彼の意識を一瞬で刈り取った。




