第133話
「靴下は履いたままでお願いします!!」
がばりと体を起こし、シートの上で叫ぶ太朗。ぼんやりとした意識が徐々に覚醒していき、そこが見慣れた艦橋である事に気付く。
「いったい何の夢を見てたのよ……そろそろ着くわよ。ローマ第1ステーション」
マールの促すままに、大型スクリーンへ目を向ける太朗。そこに映し出されていたのは、旧エンツィオ同盟領最大の経済中心地。ローマの連棟ステーションの姿だった。
老人の研究室は特別でも何でも無い、ローマ第1ステーション内のごく一般的な工業区に存在した。各種重工業の集まるそこはカツシカその他と同じように、広くとられたスペースの中に様々な機械製品が林立していた。
「こりゃ色々と大変そうやね」
現在は無人となっているこのフロアは相当に広く、詳細に調べればとんでもない時間がかかるだろう事は間違い無さそうだった。ざっと見渡しただけでも大型のデータ集積装置が4つも存在し、これは一般的な工場ではたったひとつでもあれば十分な代物だった。
「ねぇ、また前みたいな事にならない?」
マールが太朗の裾を掴みながら、少し怯えたように発する。
「ご覧の通り、BISHOP制御装置は切り離してるから大丈夫なんじゃねぇかな。あれがBISHOPに関係した何かだったらって言う前提だけど」
太朗は機械制御室の扉を開けようとしたが、それは硬く閉ざされていた。彼は一歩後ろに下がると、不快な金属音と共にファントムがそれを無理矢理こじ開ける様を見届けた。
「制御板から手動レバーに切り替えれば君でも開けられる。僕は重機じゃないんだがね」
軽口を言うファントム。太朗はそれに笑顔を返すと、工場の制御を一手に引き受ける部屋へと足を踏み入れる。本来はBISHOPで全てが制御されるそこは、いくつかのディスプレイが存在するだけの簡素な部屋だった。
「駄目ね。BISHOPを通さないと私達にはさっぱりだわ」
マールはしばらく機械をいじった後、そう言って後ろを振り返る。視線の先には小梅の姿。
「えぇ、お任せ下さい、ミス・マール。一般端末の方へデータを流しますので、そちらでご参照下さい」
小梅は優雅に一礼すると、端末へ向けて手首からケーブルを伸ばす。彼女はそのままの姿勢でいくらかじっとしていたが、やがて「おやおや」と驚いたように顔を上げた。
「これは……なんでしょうかね。いくつかの工作機械への命令文が、BISHOPのアセンブリとは異なった体系で綴られています。小梅はこれを、非常に興味深い事実と考えます」
「アセンブリ、ってのはあれだよな。BISHOPの命令文を、機械で読み取れる形……マシン語だっけ? に変換するやつだよな?」
「肯定です、ミスター・テイロー。機械は基本的に0と1しか判別出来ませんからね。BISHOPの命令文はアセンブリによって翻訳され、各種機械制御へと渡されます」
「にゃるほど。それが違うってのは、つまりどういう事?」
「えぇ、ミスター・テイロー。それはすなわち、銀河標準規格で定められた方式とは違った形で出力を受け取る工作機械を用いているという事です。全てでは無いようですが、大体室内の3割がそれに該当するようです……いくつか解読が出来ますので、動かしてみましょう」
小梅はそう言うと視線を部屋の大きな窓へと写し、何やらぶつぶつと呟き始めた。部屋にいる一同は小梅に習い、同じように窓の向こうを見やる。
「お、あそこだな。クレーンが動いてる」
死んだように静まり返っていたフロアに小さな動作音が響き、中にあった工作機械のひとつが動き始めていた。大きな浴槽のようなそれの中にはいくつかのクレーンが天井より釣り下がっており、クレーンはゆっくりとワイヤーを巻き取り始めていた。
「…………なんてこった」
クレーンが吊り上げている何かの一部が見えた瞬間、アランがそう呟いた。続いてマールが困惑したように息を呑み、ベラは呪いの言葉と共に誰へともなく罵声を浴びせた。
「あんにゃろう……何をしようとしてやがったんだ」
吊り上げられたそれは、不恰好な部材の寄せ集めのように、あらゆる工場の廃材をぎゅっと圧縮したかのように、見る者の心を不安定にさせるデザインの大きな塊だった。
それは間違いなく、ワインドだった。
戦争終結からしばらく、太朗は他の仲間達と同様に寝る間も惜しんで働いた。
それは戦時中に負けず劣らずのハードスケジュールだったが、太朗は同じ忙しいでもこちらの方がずっと良いと思っていた。誰かが死ぬかもしれないという恐怖と戦う必要は無く、自らの正義を信じて戦う敵の命を奪う必要も無かった。
「とりあえず融資の方はなんとかなりそうだな。サクラの親父さんが話のわかる人で良かったぜ」
太朗はタカサキ造船に対し、大規模な融資の相談を行っていた。タカサキはEAP所属である為に全面的なバックアップをもらう事こそ叶わなかったが、それでもそれに準じた融資を約束してくれた。
サクラとの関係についても「今は考えられません」とはっきり伝えたが、それが融資の話に影響するような事は無かった。タカサキの社長はただ、「今考えられないのであれば、いずれ考えれば良い」とだけ言った。太朗とサクラの関係をより深いものにする意欲はあるようだったが、それを盾にしたり、強制したりといった様子は無さそうだった。それを聞いてサクラはゴネたが、それだけだった。
「経営権競売の方も順調よ。結構な額が期待出来そうだわ」
マールが携帯端末を見て、にやにやと表情を崩す。いつもは騒がしいカツシカのオフィスも、昼休み中の今は静かなものだった。
「つくづく民主主義というのは便利なものですね、ミスター・テイロー。責任を分散し、それでいて大金まで徴収出来る。いやはや、素晴らしいシステムです」
「いやいや、ちょっと違うからね。大事な根幹はそういう所じゃないからね?」
太朗は新しいアライアンスの経営権を、加入する企業に対して競売を行った。もちろんライジングサンを筆頭として最終決定権は譲らず、あくまでカツシカで行っているような市長制度に近いものだった。経営権を持つ企業は議会で意見を発する事が可能で、それはアライアンスの運営に影響を与える事が出来る。この形は長い間TRBユニオンとして分散した権力の元に活動してきた太朗にとっては、非常に馴染み深い形式だった。
太朗は結果としてアライアンスは初期の立ち上げに必要な多額の現金を手にする事が出来、さらに副次的な良い結果も生み出していた。小梅が言ったように責任を分散させる事が出来たのも大きいが、それより各企業がとてもやる気になってくれている所の方が大きかった。
「さっそく大量の意見が来てるわよ。議会の定期開催から、具体的な初期運営案まで。ほんと助かるわ」
経営権を手に入れた企業からすれば、大金を投じた以上是が非でもアライアンスの運営を成功させたい。その目的が経済的な成功であっても、名誉であっても、それは同じ事だった。そういった企業のやる気は、敗戦による領土割譲という状況からの反発を想定していたライジングサンにとって、非常に有り難い事だった。
「メンバーにはうちよりデカい企業もあるからな。しっかり手綱を握れるようにだけはしとかないと……そういえば、例の研究所についてはどうなん?」
首を回した太朗に、端末を操作していた小梅がその手を止める。
「引き続きミスター・アラン率いる情報部が調査を続けていますが、かなり難航しているようです。どうやら複数の異なる言語やアセンブリが使用されているようで、まとまった成果を得るには時間がかかるだろうとの事です」
「そっか……まぁ、しゃあねぇわな。でもいくら時間がかかっても、徹底的に調べとくべきだろうな。結局エンツィオがあんだけの電子戦機を揃えられた理由はわからずじまいなわけで、あそこにヒントがあるのは確実だろ」
太朗の言葉を受け、「そうね」とマール。
「第2、第3の戦争を起こさない為にも、なんとかする必要があると思うわ。場合によっては帝国に協力してもらう事も考えないと」
「んだな。うちらにはライザとディーンさんっていう繋がりがあるわけだし、レイザーメタルの件で前よりずっとその辺も期待できるだろうな」
太朗は手にしていた端末を机の上に放り出すと、大きく伸びをして立ち上がる。彼は壁にかけられた大型スクリーンを操作すると、殴り書きのように書かれたライジングサンの今後についての方針をざっと眺めた。
「今後もまぁ、忙しくなるんだろうな」
ぼんやりと呟いた言葉。マールがそれに「あら」と意外そうに声を上げる。
「企業にとってはいい事じゃない。それに、アンタにとっても。アルジモフ博士がさっそく帝国初期変遷についての調査に向かったわ。きっと期待できるわよ」
「あはは、そうだな。博士はやる気満々だったし、頑張ってもらわないとな……地球。地球か」
スクリーンの中央に描かれた、太朗お手製の地球の絵。ホログラフが彼の歪な青い星を浮き上がらせ、その存在を主張している。
「まだ取っ掛かりにも達していないのか、それともあとちょいの所に来てるのか。ぶっちゃけそれすらもわかんねぇけど」
くるりと振り返り、二人の女性を見やる太朗。
「最後まで付き合ってもらうからな。頼むぜ」
二人は太朗の言葉を受け、何をいまさらとばかりに笑顔を浮かべた。
新しい章に入りますので、
次話の投稿が少しばかり遅くなります。
1週間くらいだとは思いますが、
細かいプロット作成にお時間頂きたいと。
どうかご了承頂けると幸いです。




