第129話
それは不思議な感覚だった。
自分という人間が複数個存在し、それぞれが分業を行っている。しかし各々が得られる感覚は全て共有しており、情報の遅延による齟齬が起こるような事は無かった。
「広い……もっと増やせる」
太朗はBISHOPの電脳空間を見渡すと、開いたスペースへ新たな関数を複製する。そしてそれを監視する新しい自分をそこへ配置すると、また次のスペースへと跳躍する事にした。
「もっと、もっとだ」
監視しなくてはならない機体は合計で324。ひとつあたりに8つの関数を割り当てていたが、太朗は最低でも14までは増やしたいと思っていた。スラスタや各種センサーを制御する関数が多ければ多い程、機体を正確に、そして俊敏に動かす事が出来る。今までに4536個もの制御関数を並列動作させた事は無かったが、今ならやれそうな気がしていた。
「でかいのにブチ当てたぞ。ざまぁ見ろだ」
「こっちは燃料切れで止まっちまった。どこか手伝うか?」
「ビンゴ!! 中サイズを撃沈だ」
「結構迎撃が激しい。気をつけろよ?」
「またひとつ落としたぞ。簡単だ」
自分自身達と相談し、悪態をつき、笑い合う。それが必要な事なのかそうで無いのかはわからなかったが、ともかくそうした。
標的と、そこから生まれる邪魔な光線。推進力とシールドを持った自機を動かし、ただひたすらに前を目指す。やっている事は至極単純で、考える事など何も無かった。誰かと昼飯を食べる際、スプーンを持ち、咀嚼し、飲み込み、会話を楽しむのと何も変わらなかった。
「凄く、居心地の良い場所だ」
「ここなら俺達は王様だしな」
「邪魔がいないってのはいい事だ」
太朗の目にマールや小梅の姿が入っており、そして何か話しかけて来ているようだったが、一切が何も気にならなかった。視界にはふたつの世界が映っていたが、太朗にはBISHOPの世界の方が素晴らしい場所のように思えた。飢えも無く、悩みも無く、そこは全てが単純だった。ある目標へ到達する事だけが、全ての価値を持つ。それ以外は必要無いどころか、存在すらしなかった。
「関数の中身はどうなってるんだろう?」
「覗いて見ればいい」
「使い終わった関数が転がってるぞ。自動破棄前のだ」
太朗は手近にあった関数を引き寄せると、それを覗き込んだ。スラスタ制御関数の中には小さい命令文と変数がぎっしりと詰め込まれており、毎秒120回の早さで更新されていた。ひとつひとつの命令文はとても単純で、ある条件を満たしているかどうか。どこかの装置のスイッチを入れるかどうか。変数に何か演算を施すかどうか。そういったものだった。
「じゃあ、命令文の中身は?」
「知らない。見てみよう」
「ずっとここにいるんだ。ここの事は良く知っていた方がいい」
太朗は激しく明滅する命令文へ身を寄せると、それを力任せに引き裂いた。中からは数えきれない程の光り輝く粒子が溢れ、太朗の視界を星空のように埋め尽くした。それら粒子には何の意味も無く、ただ光がどのように分布しているかだけが重要だった。多く集まった場所は1であり、少ない場所は0だった。
「まるで銀河だ」
美しい情報の羅列に、太朗はうっとりとそれに見とれる。このままここで永遠を過ごしたら、さぞかし素敵だろう。
「目を閉じて、身を任せてしまえばいい」
視界がぼんやりと歪み、強烈な眠気が襲ってくる。
「永劫を手に入れるんだ」
力なく膝を折り、地面に身体を横たえる。先ほどまであんなに元気だったのに、今は疲労感で一杯だった。
「俺達は良く頑張った。もうゆっくり休もう」
魅力的な提案に、太朗はゆっくりと目を閉じていった。
傍にいたひとりが粒子となって消え、ひとり、またひとりと消えていく。
やがて無数にいた太朗は、たった独りになった。
「これで、お終い」
きらきらと舞う粒子が沈んで行き、消えていく。
その銀河の中にひとつ。
たったひとつだけ、青く光る粒子。
「……帰らなきゃ」
目を開き、指を動かすのでさえも苦労する身体を、無理やり引き起こす。
彼にはやらなければならない事があり、全てが出来るはずのここでも、そればかりは出来なかった。
「地球に……地球に!!」
「かはっ!! あっ、がはっ!!」
身体を起こし、大きく咽る太朗。赤く染まった視界がプラムの艦橋を映し出し、心配そうに顔を歪めるマールの顔がすぐ傍にあった。
「テイロー、気が付いたの? 私よ、わかる? ほら、鼻血を拭きなさい」
マールが手にしていたタオルで太朗の顔を優しく拭っていく。タオルはすぐに真っ赤に染まり、太朗はそのあまりの量に驚いた。
「美人は忘れないようにって決めてんだ……にしてもすげぇ量だな。鼻血ってこんなに出るもんなのか?」
「知らないわ。貧血起こすかもしれないからそのまま横になってなさい……何か異常を感じたらすぐに言うのよ?」
「へいへい……ちょっと無理しすぎたのかな?」
誰へともなく呟く太朗。そこへ小梅が「そうかもしれませんね」と足元を転がって来る。
「強い緊張の中、連続して大規模な演算を重ねましたから。脳に疲れるという機能は存在しませんが、それ以外の部位は別です。思考とは、脳だけを使うわけではありませんよ、ミスター・テイロー」
「まぁ、そうやね。気を付けるわ……にしても、何か忘れてる気がすんな」
ぼんやりとシートに寝転がり、天井を眺める太朗。ずんずんと鼻の奥が痛み、熱っぽく感じる。
「なんかこう、大事な事を……まぁ、いっか。それより腹減ったな。何かパスタでも……あぁ!!」
大声と共に、びくりと体を起こす太朗。
「エンツィオ!! 戦争どうなった!? てか今いつ? ここどこ!?」
「このパスタ野郎はさすがに言い過ぎだと思いますよ、ミスター・テイロー」
「言ってねぇよ!! パスタで思い出したのは本当だけど!!」
「どうなったのって、みんなアンタがやっつけちゃったじゃない。憶えてないの?」
マールの発言に、「はぁ?」と疑問符を浮かべる太朗。
「現在、降伏勧告検討の停戦中となっておりますよ、ミスター・テイロー。提案したのはEAP側であり、近い内に遠征軍は武装解除の流れになるかと思われます。ちなみに貴方が大規模弾頭兵器での攻撃を行ってから、約2時間が経過しました」
「気ぃ失ってたんか俺は……つか、降伏て。勝ったのか」
「えぇ。あんた無しで大変だったんだからね、もう。ベラがリンの代行で臨時指揮を執ってくれたからなんとかなったけど、彼女がいなかったらお終いだったわ」
「あはは、悪ぃ……結局あの後は、作戦通り?」
「えぇ、そうなりますね、ミスター・テイロー。あの改造機雷による攻撃の後、再び艦隊は反転。乱戦にもつれ込み、戦闘艦同士の接近戦となりました。これを制したのはEAPですが、かなりの犠牲も出ました」
「全部で75隻が沈んだわ。その中には……その……」
言いよどみ、視線をはずすマール。太朗はその意味を察すると、小さく「そっか」と返した。
「うちは全部で11隻が撃沈か……半分になっちまったな」
BISHOPで船体データへアクセスし、戦況の項目を選ぶ。ずらりと並んだ艦隊リストの中には、文字が赤で表示されたものが11列。戦死者リストには587名と記載されていた。
「第2艦隊はほとんど壊滅だな。ベラさん、自分の艦隊に被害を集中させたんだ」
責任や面子といった事に拘るベラゆえに、真っ先に自分の部隊を最前線に投じたのだろうと太朗は予想した。彼女の部下はそれを拒否するような者達では無かったし、そうする事でEAP全体の士気を高める事にも繋がっただろう。
「…………テイロー?」
ぼうっとしていた太朗へ、マールが心配そうに顔を寄せてくる。
「あぁ、いや。大丈夫。みんな覚悟の上だし、無傷で勝てるとも思ってなかったさ」
太朗はそう答えると、手を組んでシートへ仰向けに倒れこんだ。彼はそのまましばらく無言で過ごしていたが、ふと先ほどの夢で見つけた青い粒子の事を思い出した。
「……なんで」
誰にも聞こえないくらい、小さな声。
「なんで俺は……こんなにも地球へ帰りたいんだろう?」
太朗は、銀河帝国での生活を気に入っていた。自分を必要としてくれる人がいて、自分が必要としている人もいる。確かに、彼の中に強い郷愁というものは存在している。しかし、それらを投げ打ってまで地球へ帰りたいかと聞かれると、それは疑問だった。太朗は親兄弟がどうしても必要な年齢というわけでも無く、今はその記憶すらも曖昧となっている。
だが、それでも、恐らく自分は地球を目指すだろう事も、良く理解していた。
「想いとかそういうレベルじゃねぇな……使命とか、そんな感じか? 動機はなんだ?」
太朗は答えの出ない自問を続けたが、やがてそれは小梅のひと言で中断となった。
「ミスター・テイロー、エンツィオ遠征軍が降伏の申し入れを受諾しました。ミスター・リン、そしてアドミラル・ロレンツォを交えた通信が繋がっております」
小梅の報告に「俺も参加すんのかよ」といくらかうんざりと答える太朗。
「はい、もしもし。みんな大好きテイローです。なんでしょうかね。基本的にはリトルトーキョーとタカサキさん相手に話し合ってもらえばいいと思うんだけど」
太朗がぶっきらぼうにそう発すると、回線の向こうからリンの「"アハハ……"」という乾いた笑いが聞こえて来る。
「"先方がどうしてもというので、お願いします。それに戦勝への最大の貢献者を交えないというわけには行きませんよ"」
「俺は立案と実行を担当しただけだぜ。準備から出資まで、全部EAP持ちですやん。弾頭はエンツィオからかっぱらった機雷が元だし、うちら制御用の通信装置くらいしか金出して無いぜ?」
「"それはそうですが、テイローさん無しには成り立たないじゃないですか。お金も労働力も代わりが効きますけど、弾頭制御は出来ませんよ」
「うーん。でもなんか朦朧としてたんで実感無いのよね。俺がやった的な……まぁいいや。もう繋がってるの?」
太朗の質問に「"はい"」とリン。すぐにBISHOPから音声通信に新たな参加者が加わった旨が通知されてくる。
「どうも。EAPとの同盟企業をやらせてもらってる、ライジングサン代表のテイローです。なんていうか――」
一度区切り、言葉を探す太朗。
「お互い、お疲れ様でした。色々思う所があるとは思いますが、それは後回しにしましょう」
「"ふむ……こちらはエンツィオ同盟第一遠征艦隊のロレンツォだ。了解した……しかし、俺はこんな若造に負けたのか"」
悔しさを滲ませた声。太朗はそれに苦笑いを返すと、さっそく本題に入る事にした。
「惑星付近まで追ってきてくれなかったら、たぶん何も出来ずにやられたでしょうけどね……えーと、さっきリンにも言ったんだけど、何の用でしょうかね。権限で言うと、そんなに大層な物は持ってませんよ?」
「"いやぁ、なに。これから仲間になるかもしれん相手の顔を見ておくのは、悪い事では無いだろう"」
「はい?」
「"お前は特異であり、優秀だ。戦後はしかるべき地位と待遇を与えてやろう"」
「いや、何を言ってるんすかね。限定戦争じゃなくて、総力戦で負けたんですよ? エンツィオは十中八九解体されるでしょ」
「"ふふ、そうかな。我々はただ、会戦に負けただけだ。それがなぜ戦争の勝利と等価で結ばれているのか、私には理解できんね"」
自信に満ちたその声に、太朗は何やら不安が込み上げてくる。ブラフにしては的外れであり、その意図が読めなかった。
「おはよう、テイロー。ちょっと聞きたいんだけど、いい?」
何と答えるべきか迷っていた太朗に、背後から声がかかる。振り返ると眠たそうに目を擦るエッタの姿が見えた。太朗は「忙しいから後でね」とすまなそうに答えたが、エッタが続けた内容に言葉を失う事となった。
「ずっとあっち。もうカツシカのお家があるすぐ近くに、隠れた黒いお船が一杯いるわ。いつもみたいに、見つけてやっつけなくていいの?」




