99.趣味
フィリアが案内された部屋は、女騎士の寄宿舎にある空き部屋だった。女騎士の寄宿舎は恒常的に空きがあるようで、すんなり入ることができた。
ミオーナとは階が違うが、同じ建物内なので安心だ。カミラは既婚者なので寄宿舎には住んでいないという。
自分の家ではないので落ち着かなかったが、ミオーナもちょこちょこ覗いてくれる。足の怪我がマシになってからは、食堂にお邪魔してアルグレックたちと食事もとれるようになり、気が紛れる。
暇なこと以外は。
ここに来て1週間。彼らはもちろん訓練だ演習だ遠征だと忙しい。フィリアはというと、匿ってもらっている身なので、魔消し以外は基本ずっと引き籠っている。
だから暇なのだ。何もすることがない。
持ってきた本は2日で読み終わった。それならとミオーナが貸してくれた本は、恋愛小説だった。若い女性なら誰もが知る超人気の小説らしい。
フィリアは初めて恋愛小説を開いた。読もうと思ったことも、手に取ったこともない。少し気恥ずかしさを覚えながら読み進めた。
舞台は王都。貴族令息と平民の少女が恋に落ち、様々な困難に立ち向かいながら仲を深めていくという話だった。
『君と一緒に生きていきたいんだ』
その言葉に少女は感動し、少年に抱き着く。2人はめでたく結婚し、幸せに暮らしましたとさ、で終わった。
フィリアは驚いた。あれが求婚の言葉だということも、その結末にもだ。
「あら、その本読み終わったの? どうだった……って不服そうね」
「不服というか、これで話が終わると思わなかった」
「恋愛小説の定番じゃない。結婚は多くの女性の憧れでしょ? プロポーズだって」
「へえ」
「ね、読んでみてドキドキしたりハラハラしたりキュンキュンしなかった?」
フィリアは少し首を傾げて、そのあと否定した。ただ真面目に物語として読んでいたので、特に感情が揺さぶられた覚えはない。
「ええ〜。主人公が自分だったらって置き換えて読んでみたらドキドキするわよ、きっと」
「あんな気障な台詞言われてドキドキすんの? 動悸ならしそうだけど」
「……王子様タイプはフィリアの好みじゃないのね。よく覚えておくわ。じゃ、次はこれね」
「また恋愛小説?」
「そうよ。恋人ができたんだし、アルグレックのためにも勉強しなさい」
ふたりの関係にフィリアはなんの不満もなかったけれど、アルグレックは違うのだろうか。焦るような切ないような申し訳ないような複雑な気持ちに、じっと表紙を見つめた。
「分かった。読む」
「ちゃんと主人公を自分に置き換えてみてね」
「まあ、やってみる」
フィリアは備え付けの机に小説を置くと、ミオーナと共に部屋を出た。彼女の元の目的である、食堂に向かうためだ。
「読書ばかりで飽きたら、他のものでも持ってくるから何でも言ってね」
「ありがと。でも、他にすることが浮かばない」
「そうねえ……楽器や運動は難しいし……あとは刺繍とか裁縫? フィリアがしてるイメージ湧かないけど、どう?」
「一通りはできるけど」
「え!? フィリアできるの!?」
「素人レベルなら、まあ」
そんなに驚かれるとは思わなかった。
裁縫も刺繍も、修道院では自分でせざるを得なかったため、困らない程度にはできる。いつもお下がりの服だったので、ほつれたところを繕ったり、刺繍で誤魔化したりする必要があったのだ。
「それなら、アルグレックに何か刺繍してあげたら? お守り代わりに」
「お守り?」
「騎士や冒険者の恋人に、自分が刺した刺繍のアイテムを送ると無事に帰ってくるってジンクスがあるの。今日貸した小説にも載ってるくらい」
「へえ」
「あとで裁縫箱持って行ってあげる。あいつ絶対喜ぶわよ」
フィリアは素直に頷いた。喜んでもらえるなら刺すのはやぶさかでないけれど、渡せるようなものが出来上がるかは不明だ。
夜、ミオーナは宣言通り裁縫箱を貸してくれた。新しいハンカチも3枚一緒に。
小説と裁縫箱を机に並べ、フィリアは腕を組んで悩んだが、結局小説を手に取った。刺繍の図案が何も浮かばなかったからだ。
小説を読み始めて、フィリアはすぐに本を閉じて机に突っ伏した。
「これは……恥ずかしすぎる」
勉強のために主人公を自分に置き換えるのなら、相手の騎士はアルグレックに置き換えるべきだろうか、と考えたのがいけなかった。作中で騎士が何か話せば、動けば、頭の中でアルグレックがそうしているように浮かんでしまう。
ひい、と情けない声が何度出そうになったことか。
フィリアはわざと激しく首を振って、今度は裁縫箱に手を伸ばした。練習用の端切れも大小たくさん入っていて、そのうちの1枚を引き抜いた。肌触りもそうよくないので、肩慣らしにはいいだろう。
修道院にいた時に一番よく刺していた図案は植物だ。適当に下書きして、針についていたままの糸で縫ってみる。
普通の、小さい真っ赤な花と葉ができた。本当に普通だ。すごく上手という訳でも、すごく下手という訳でもない。素人ならまあこんなもんか、くらいの。
けれど。
これは、ちょっとはまりそうだ。フィリアは窓の外の中央時計を見て、1時間も経っていたことに嬉しくなった。必要性のない刺繍というのは、案外楽しいものらしい。
それに、糸と布ならそうお金もかからない。よさそうな趣味を見つけた、とフィリアは上機嫌になった。
翌日、そのことをミオーナに伝えると、その日の夜にはどっさりと糸と布が届けられた。お金は受け取ってもらえなかったが、その代わりにミオーナにも刺繍したハンカチをあげる約束になった。
「これが試作? 上手じゃない」
「思ったより、だろ。時間はたっぷりあるから練習する」
「一番最初はあいつに作ってあげてね。もう図案は決まった?」
「いや……なかなかピンと来なくて」
「そう力を入れすぎなくていいのよ。あいつなら失敗した刺繍でも泣いて喜ぶわ。それに、これからたくさんあげればいいんだし」
そうもいかない。流石にみすぼらしいものは渡したくないし、何より似合わないだろう。
うーん、と歯切れの悪い返事をするフィリアに、ミオーナはクスリと笑った。
彼女の悩む姿は、ただ恋人に喜んでもらいたい一心なのがよく分かる。彼女もちゃんと彼が好きなんだと、ミオーナは再確認できたことが嬉しかった。




