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91.2つのコーヒーカップ

 出した料理は綺麗になくなり、用意しておいたミートパイはさすがに出番はなかった。


 片付けはアルグレックの魔法によって一瞬で終わった。何度見ても便利で羨ましい。

 いつものようにコーヒーの準備をすると、フィリアはまたしても緊張してきた。小さく息を吸って覚悟を決める。


「アルグレック。これ」

「……へ? え? え!?」


 アルグレックは前に置かれたカップを見て、面白いほどに驚いている。


 それは以前彼が湖のほとりの店で購入しようか悩み、結局止めたコーヒーカップだった。艷やかな黒の胴と、ワインレッドに色付けられた取手。下の付け根が外側にくるりと巻かれている、すっきりとしたデザインなのに少し可愛らしい。


「誕生日プレゼンぐぇっ」

「ああもうほんとに!! ありがとう!!」

「く、くるし……」

「あ、ごめん」


 やっぱりちっとも反省していない声。それに今度はなかなか離してもらえない。


「ちょっと、離して」

「え、ごめん。嫌だった……?」

「そうじゃなくて、その、実は」


 するりと腕から抜け出したフィリアは、さっきよりも緊張しながら戸棚を開けた。ごくりと喉を鳴らし、聞こえないように息を吐く。


 そうしてから取り出したものを、アルグレックへのカップの横へ並べた。



「その、あんたのプレゼントと同じなんて可笑しいとは思うけど……もしよかったら、ここで一緒に使いたぐぇっ」

「やば……どうしよう、死ぬほど嬉しい……」



 取手の部分だけ色の違う2つのコーヒーカップ。


 プレゼントなのに、あえてラッピングもお願いしなかった。しかも自分用のも買うだなんて変だろうとは思ったが、これ以上に良いと思うプレゼントが見つからなかったのだ。


 それに、どうしても自分も欲しくなってしまった。菫色の取手の、あのカップが。


 一緒に使えたら嬉しいだろうなとか、でもやっぱり誕生日プレゼントには相応しくっないんじゃないかとか、それより結構恥ずかしいことなんじゃないかとか、店内で1時間も石像のように悩んだ結果、買ってしまった。


 当日までに覚悟が決まらなかったからこっそり使おうと決めて。

 想像以上に喜んでくれたことに安堵する。小さく息を吐いて顔を埋めた。



「まさかプレゼントまで用意してくれてるなんて思わなかった……厚かましいけど、俺からねだろうと思ってたんだ」

「何を?」

「愛称で呼ばせてほしいって」


 フィリアはぴしりと全身を固くした。それに気付いたアルグレックは、慌てて身体を屈めて顔を覗き込んだ。


「もちろん以前のじゃなくて。その……フィーとか」

「フィー?」

「うん。俺だけの、愛称で呼びたい。ダメかな?」

「別にいいけど」


 名前なんて好きに呼べばいいのに。

 その考えはすぐに否定することになる。



「フィー」



 甘さと熱の中に切なさが含まれた響きに、フィリアは一気に顔を真っ赤に染めた。

 これはなんだ。ただ名前を呼ばれただけだとは思えない恥ずかしさ。フィリアはハクハクと、空気を求める金魚のような有り様になった。


「ふふふ、可愛い。2人の時だけ呼ぶから安心して」

「〜〜〜っ」

「俺、思ってたより独占欲強いみたい。フィリアも、俺のことアルって呼んでくれたら嬉しいけど……すぐには無理そうだね」

「…………アル、グレック」

「ふふ、うん。充分」


 ゆっくりと口付けが降ってきて、フィリアは火が出ているかと思うほど顔が熱かった。

 わざとちゅ、と音を立ててから離れていく綺麗な顔が憎たらしくて、アルグレックの頬を抓った。


「え、なにひゅんの」

「なんかむかついた」

「???」


 頭上に疑問符をたくさん浮かべた顔の男に溜飲を下げた。


 今度こそコーヒーを淹れて、並んでソファに腰掛ける。香ばしいコーヒーを一口飲むと、フィリアはなんだかやりきった気持ちが湧いてきて、大きく息を吐いた。


 今夜はぐっすり眠れそうだ。…………いや、少し眠い。


 欠伸を噛み殺しながら会話をしていたが、すぐに気付かれた。


「フィー、眠い?」

「っ、今覚めた」

「ふふ、寝てもいいよ」


 大きな手が優しく頭をアルグレックの肩へと誘導する。そのままゆっくり撫でられれば、すぐに睡魔が戻ってきた。


「それ、寝るから」

「撫でられるの?」

「うん。せっかくのあんたの誕生日なのに」

「じゃあこのまま2人で昼寝しようよ。俺も、夜勤明けなのに楽しみすぎて寝れなかったから」

「それなら……うん……」


 フィリアはすぐに抵抗を止めた。この男の隣にいると、自分でも驚くほどに安心する。

 あっという間に夢の中に落ちてしまったフィリアだったが、いくらかして目を覚ました。頭に重みを感じたからだ。

 時計を探すと、ちょうど1時間経っている。ぼんやりと今日のことを思い出して、そういえばアルグレックはどこだろうなんて間抜けなことを考えていると、目の前でゆっくり何かが落ちていった。



「? ……!?」



 いた。いや、落ちてきた。膝の上に。


 フィリアは声にならない悲鳴をなんとか抑え、目を白黒させたまま、膝の上の物体を凝視した。

 これはどうしたらいいんだ。起こすべきなのか、このまま寝かしておくべきなのか。ぐるぐる考えたが、このままにしておくことにした。


 呆れるくらい気持ちよさそうに眠っていて、起こすのが可哀想に思えてきたのだ。夜勤明けなのに、楽しみにしてくれて眠れなかったと言っていた。フィリアはにやけそうになるのを誤魔化すためにわざと息をついて、ぼんやり窓の外を眺めることにした。



 が、すぐに飽きた。ここからは樹の幹しか見えないのだ。


 フィリアは何となく視線を落としてアルグレックを見た。すやすやと安心しきって眠る姿は、なんだかいつもより可愛らしく思える。顔の半分しか見えないのに、それでも整っているのが分かるからすごい。


 サラサラの黒髪に触れたくなったが止めた。起こしてしまったら、というのは建前で、本当は恥ずかしくて勇気が出なかった。


 不意にセルシオのアドバイスが蘇る。本当に、そんなことで喜ぶのだろうか……




「うわっ!! ごめん!!」


 勢いよく起き上がった男の顔は真っ赤だ。慌てながら口元を何度も擦る様子に、フィリアは小さく笑った。


 ……なんかちょっと、可愛い。


「型付いてる」

「えっ!? 嘘、どこ!?」

「嘘」

「!!?」


 悪戯っぽく笑うフィリアに、アルグレックは真っ赤なまま悔しそうだ。

 そしてもう一度フィリアの膝に頭を乗せた。


「もう一回寝る!」

「寝れるもんなら」

「……」

「……」

「……寝れない」

「だろうな」


 アルグレックは耳を赤く染めたまま、誤魔化すようにすっかり冷めたコーヒーに手を伸ばした。フィリアは苦笑しながら立ち上がり、冷蔵庫からケーキを出した。


「さすがにケーキは作れなかったから、買ったやつだけど」

「充分作ってもらったよ! ケーキまで用意してくれたなんてめちゃくちゃ嬉しい」


 弾けるような笑顔にフィリアも嬉しくなった。3度目のおめでとうを言ってから半分ずつに分ける。

 ミオーナにお勧めしてもらった店のケーキはとても美味しく、すぐにお腹へと収まった。





「暗くなってきたし、そろそろ帰ろうかな。今日はほんとにありがとう。めちゃくちゃ嬉しかった」

「それなら、良かった」


 あんなに緊張してたのに、気付けばあっという間だった。


 これじゃあいつもと同じ。喜んでもらうつもりが、結局自分の方が楽しんでいたような気がする。

 喜ばせたかったのに。もっと。もっと。


 玄関で眼鏡を取ろうとするアルグレックに、フィリアは焦って考える間もなく動いた。



「待って」

「どうし――……っ!?」



 ゆっくりと、フィリアはアルグレックに手を伸ばし、ぎこちなく抱き着いた。


 どうすれば一番喜んでもらえるか分からない。だから、自分がされて、言われて嬉しかったことをしてみようと、息を吸って覚悟を決めた。



「来年も、祝いたい。私が」



 それは初めてフィリアから言った未来の約束で。

 心臓が煩くて痛い。吐きそうなほどドキドキしている。


「……顔上げて?」

「今は無理」

「そういうことは、目を見て言ってほしいな」

「……」


 おずおず上げる。顔が恐ろしいほど熱い。情けない表情なのは分かっていてもどうしようもなかった。

 恥ずかしさで揺らぎそうになる覚悟を、なんとか繋ぎ止めた。



「……来年も祝わせてほしい………………()()の、誕生日」



 声が震えそうになる。突き飛ばしてでも逃げ出したい気持ちと、返事を聞きたい気持ちで、頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 アルグレックは一瞬目を瞠ったが、すぐに甘い蕩けるような瞳に変わった。それだけでほっとする。

 こつんと額が合わせられて、もう逃げ出すことはできなくなった。



「来年も、再来年も、ずっとフィーが祝って」

「……うん」



 そんな先のこと、どうなってるかなんて分からないのに。


 それでもフィリアは頷いた。きっと、その時も祝いたいと思っているだろう。

 唇を重ねながら、フィリアはそんなことを考えた。




無糖と過糖の差が激しすぎるのが目下の悩みです。

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