84.研究員の助手
『明日の立会人勝ち取った!!』と、アルグレックから手紙が来たのが昨日。
今日は魔消しの研究をしているという変人が来る日だ。助手までいるそうだから、変人たちか。
城門を潜った途端、アルグレックは周りを威嚇するようにギラギラした視線を送っている。
「……何してるの」
「怪しい奴がいないか探してる」
「あんたが一番怪しい」
フィリアの呆れたような声にも彼は滅気る様子はなく、止めるつもりもないようだった。フィリアはすぐに放置することに決めた。
いつもの特隊の控室へ向かう。最初の予定では団長の執務室で紹介されることになっていたが、到着が遅れるらしい。
先に始めていて構わないという伝言を聞いたので、フィリアは気にせずさっさと魔消しを始めた。
全ての魔消しが終わると、唐突に拍手が聞こえてきた。音が聞こえた方向に顔を向けると、入口には団長と知らない男が2人立っている。
アルグレックは慌てて眼鏡をかけて立ち上がった。団長が少し気不味そうな表情を見せたのは気のせいだろうか。
「紹介しよう。こっちが――」
「やぁやぁやぁ! 黙って見せてもらっててすまないね! 君が魔消しのフィリア嬢だろう? 僕はブルーノ・オルティス。気軽にブルーノと呼んでくれたまえ!」
「はあ……フィリアです」
団長の言葉を遮って、クルクルの茶髪に丸眼鏡を掛けた男が満面の笑みで両手を広げて一歩近付いた。瞳孔が開いて鼻息が荒い。
フィリアは少し、いやかなり引いていたが、なんとか立ち上がって頭を下げた。
……確かに変人そうだ。
その後ろでは、銀髪の細身の男がじっとフィリアを見つめていた。
「……リーサ」
銀髪の男の呟くような声に、フィリアは目を瞠った。心臓が嫌な音を立てて、背筋がじんわりと凍っていく。
フィリアは一瞬その男の瞳を見てすぐに逸らした。彼女と同じ、ワインレッド色の瞳を。
「ルオンサ君は僕の助手でね! シュメラル伯爵家の嫡男なのに僕の研究を手伝っている奇妙な男さ!」
「リーサ……その、元気だった?」
「ん? ルオンサ君の知り合いかい?」
「……いいえ。はじめまして」
目を見ずに言い切ると、アルグレックと団長から気遣うような視線を感じた。分かっていても顔が上げられない。
「こんな近くでたくさん見られるのは初めてでね! 早速いくつか聞いてもいいかい?」
「ブルーノ、少し落ち着け。フィリアも魔消しが済んたばかりで疲れただろう。少し休憩してから俺の執務室に来い。アルグレック、頼んだぞ」
「はい」
3人の足音が遠ざかる。
それでもフィリアは黙ったまま立ち尽くしていた。手が、足が、全身が凍ってしまったような。
「フィリア、大丈夫か?」
顔を覗き込むアルグレックにゆっくり視線を合わせると、ようやく息が吸えた気がした。
フィリアは縋るように手を差し出した。
「……今日だけ、今だけ。その、手を」
「手だけでいい? 抱き締めてもいい?」
その申し出に、小刻みに頷いた。アルグレックの腕の中にすっぽりと納まると、フィリアは今度こそ大きく息をついた。
アルグレックは何も言わずに背中を撫でてくれた。フィリアが話し出すのを待つように。何度も口を開いては閉じてと繰り返していた彼女だったが、意を決して大きく息を吸った。
「……あの助手」
「うん」
「元兄、だと思う」
「え?」
「兄だった人と、同じ名前」
口にしただけなのに、苦しくなる。だから何だ、それだけじゃないかと思うのに、なぜか空気が薄く感じられた。
「……フィリアリーサ・シュメラル。私の、前の名前」
十数年振りに口に出した言葉と同時に、喉が詰まる。二度と言うことのない言葉だと思っていた。
アルグレックの腕の力が強くなって、フィリアは初めて自分が小さく震えていることに気が付いた。
「ごめん。どうしてこんなに動揺してるか、自分でも分からない」
フィリアは自分を嘲笑うように呟いたが、彼は笑わなかった。
さっきからずっと、嫌な動悸が続いている。息だってうまく吸えない。そのせいでずっと苦しいのだ。胸が締め付けられるように、ただ苦しかった。
顔も覚えていなかったのに。あの愛称で呼ばれるまで、同じ色の瞳を見るまで気付きもしなかったのに。
「……ごめん。何て言えばいいか分からない」
「いや、私こそ……こんなこと言われたって、あんただって困るのに」
「違う! フィリアが辛いのに、何も気の利いたことが言えない自分が悔しくて情けなくて……力になりたいのに、どうしていいかも分からない……」
弱々しい声に、フィリアは小さく笑った。馬鹿みたいに肩の力が抜けていく。
多分、またあの助手を見たら心が騒めくだろう。思い出すだけでも苦々しさが戻ってくる。
フィリアは身動ぎして、広い背中に手を回した。
「苦しくなったら、また、こうして」
「苦しくなくてもする」
「ちょ、今、苦し」
「ああごめん。フィリアが急にデレるから」
「出れる? どこに」
意味不明だが、そのおかげで胸の苦しさは消えた。ゆっくりと腕を外し、フィリアは顔を上げた。
「ちゃんと話す。あんたに。面白い話じゃないけど」
「辛かったら無理しないでいいからな」
「うん。時間ある時でいいから」
「今日は夜勤だったからこれであがりなんだ。だから、これが終わったら家に行っていい?」
それなら心強い。
そろそろ団長の執務室へと行かなければいけない。団長はフィリアの過去を調べて知っているはずだから、気遣ってこの時間を設けてくれたのだろう。
何度も心配するアルグレックに苦笑しながら、フィリアは部屋を出た。隣にこの男がいてくれるなら、それだけでもう安心できたから。
「おう、大丈夫か」
「はい。遅くなってすみません」
「そこに座れ」
指定された団長の前のソファに座る。アルグレックはその後ろで立ったままだ。はす向かいのソファには研究員とその助手が並んで座ってフィリアを見ていたが、彼女は気付かないフリを貫いた。
「ベルトラン、そろそろいいかい? 時は金なりと言うだろう!」
「寝坊したのはお前だろう!」
「仕方がないだろう? 楽しみすぎて昨日はなかなか寝付けなかったんだ」
「まったく……フィリア、嫌になったら構わず言うんだぞ」
「はあ」
「では早速!!」
丸眼鏡の研究員は揉み手をしながら身を乗り出している。つい顔が引き攣ってしまったのも致し方ないだろう。
「まずはもう一度先ほどの魔消しを見せて欲しい。ベルトラン、何か要らないものをくれたまえ」
「そういうのは普通自分で準備しておくもんだ。まったく……ほら」
呆れ顔の団長から羽ペンを受け取り、魔消しを行う。
研究員は遠慮なく間近で凝視するものだから落ち着かない。その上ずっとブツブツと何かを呟いている。
「いやあ素晴らしい! ではフィリア嬢。次にこの水晶玉に手を翳してくれたまえ。なに、ただ魔力量を正確に測るだけさ。痛くもなんともないよ」
「はあ」
水晶玉に手を置くと、透明だった水晶玉が中心部からどんどんと白くなり、最終的には目を細めるほど眩しい光に変わった。
「ああ! なんて素晴らしいんだ! この量はなかなかお目にかかれないね! 街中の結石を魔消ししたと聞いて期待していたが、これは期待以上だよ!」
「そんなにか」
「そうだとも! 僕や君並みに魔力があるなんて、そうそうないと断言できるね!」
「ほう? よし、俺も試してみよう」
急に子供のような顔をした団長が手を置くと、確かに同じように光った。
以前なら魔力量が多いから何だと不貞腐れていただろう。でも今は違う。少しは特隊や、魔虫事件で役に立てたと思っている。
何より、そのおかげでアルグレックの目を見られるのだから。
その間もずっと、助手――元兄のルオンサはフィリアを見つめていた。悲しそうな、困ったような、複雑な顔をして。
そのあとも研究員の質問や実験に付き合わされたが、フィリアは一度もルオンサを見ることはなかった。




