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76.ベニートン

 遡ること1日前。

 アルグレックとベニートンは騎士団の寄宿舎を並んで歩いていた。


「ベニートン、なんでそんなにフィリアに突っ掛かるんだ?」

「……」


 横から溜息が聞こえてきても、ベニートンは不貞腐れたままだった。

 アルグレックがフィリアを抱えてテントを出た時から、無事に送り届けて寄宿舎に帰っている今も、ベニートンは付き纏ったままずっとだんまりを決め込んでいた。


「言わないなら、俺はお前をフィリアのこと好きなライバルだと認識するからな」

「はあ!? なんでそうなるんですか!!」

「ムキになるなんて、やっぱり怪しい」

「違いますから!!」

「はいはい、おやすみ〜」

「ちょっと先輩っ!」


 強制的にドアを閉められる。そんなんじゃないと誤解を解こうと何度かドアを叩いたが、開けてくれる気配はない。

 諦めて自室に戻り、むしゃくしゃして慣れない酒を開けた。




 アレバーロ家は、神に仕える神官を多く出す一族として有名だ。祖父も父も、神殿では上層部におり、発言権もそれなりにあったらしい。今は知らないが。


 子供の頃はそれが誇りであり、いつか自分も祖父や父のように立派な神官になろうと思っていた。

 あの日までは。



 魔力検査の日、ベニートンに光属性と特殊な祝福持ちだということが分かり、両親も祖父母も手放しで喜んだ。


 これでやっと神殿に行ける。見習いとして働き、ゆくゆくは高祖父(こうそふ)の司教補佐よりも上の立場になってやる。そう息巻いていた。


 神官見習いの仕事は楽しかった。簡単な治療を行い、懺悔を聞き、神の尊さを広める。


 この国の創造主であるタルヴェール神から愛されている証であると言われる祝福を持つ者はより素晴らしいし、反対に、神に見放された魔消しは悪魔だと学んでいた通り、ベニートンもそう信じていた。


 ベニートンの祝福も、神のために使うようにと授かったのだよ、と両親はよく言っていた。その言葉に、彼は迷うことなく毎度頷いていた。


 3歳上の兄よりも早く、()()()の担当になった。定期的に祈りに来る、身なりのいい信者たちだ。それは期待されているからだと信じていた。優しい兄は聡明ではあったが祝福はなく、密かに優越感に浸っていた。


 だから、祝福を使って人々の悩みを盗み聞いていても、多少の心苦しさなんて簡単に蓋することができた。



『この祝福は神のため、教会のため』



 その言葉を盲目的に、信じていた。

 兄に何度かこっそりと咎められたが、その度に両親に報告し、兄は何度も怒られた。兄は嫉妬しているのだと、そう思い込みながら。


 高祖父は司教補佐まで上り詰めたが、それからは代々階級が下がっている。けれどベニートンの祝福があれば、アレバーロ家は返り咲ける。祖父や父の言葉にベニートンは自信を増し、とうとう兄は家を出て行った。神官も辞め、今は何をしているかも知らない。


 気付けばベニートンは治癒をすることも、布教することもなく、ひたすら身なりのいい()の悩みを盗み聞く日々を送っていた。それを父たちに話し、彼らが「神の御言葉です」と一言勇気付れば、信者たちは喜んで寄附を弾んだ。


 父たちは大いにベニートンを褒め、彼もまた役に立っていると喜んだ。


 けれど心の中に小さく降り積っていた罪悪感は、次第に無視できなくなっていった。多くの悩みを聞く内に引き摺られたのもあるし、盗み聞いているという後ろめたさもあった。


 吹っ切る為に身体を鍛えたがすっきりしない。


 ぽつりと「盗み聞きを止めたい」と漏らせば、一度目は優しく諭された。二度目はきつく怒鳴られた。三度目には、鼻で嗤われただけだった。



 それでもズルズルと続けていたある日、ベニートンはとうとう聞いてしまった。父と祖父の本音を。



「ベニートンがまた我儘を言い出したって?」

「そうなのです。全く、あれしか役に立たないというのに」

「中途半端な祝福だからな。強い思いしか聞き取れないなど。もう少し強ければ、信者からもっと簡単に金が引き出せただろうに。いっそのことベニートンにも協力させるか」

「今はまだ、私たちが()()()神の言葉を伝えていると思っているようですし、まだ早いのでは?」

「ふん、本当に聞こえていたら苦労はせんよ。愚直すぎるのも問題だな」



 薄々気付いていたものを、まざまざと目の前に突き付けられた気分だった。


 絶望に怒り、恥ずかしさ。全てが身体中を駆け巡って、目の前が真っ白になった。糸が切れたように何も考えられなくなって、ベニートンは誰の言葉も無視して引き籠もった。



 神官の試験前日。ベニートンは兄と同じように書き置きひとつ残して家を出た。



『神官にはなりません。家にも戻りません。さようなら』



 と。兄とまったく同じ文にしたのは、完全な嫌味だ。


 適当に乗った馬車に揺られ、行き着いた先がここボスミルだった。

 食い扶持に困らないようにと兵に志願したが、ベニートンには向いていたらしく、めきめきと出世した。公開演習で憧れた騎士を目指し、その騎士と同じ部隊に入れたことを何度も神に感謝した。


 それなのに、その騎士の恋人が魔消しだなんて。


 祝福持ちは神に愛されている証。その真逆の人間と付き合うなんて、それこそ悪魔に取り憑かれているのではないかと心配した。


 しかも見た目まで釣り合っていない。多少見られる顔かもしれないが、無愛想で可愛げもなく、貧乏くさい。良いところがひとつもなさそうな女なんて。


 心優しい祝福持ちの先輩が、昔の自分と同じように利用されているのかもしれない。何度忠告しても聞き入れて貰えず、それどころか惚気話まで聞かされそうになる始末。

 先輩や特隊員だけでなく、隊長や辺境伯にまでどうやって取り入ったのか。


 入隊する時に義務付けられた魔消し済の手袋をすることも、いまだに抵抗があるのに。あの女に頼みたくなくて、いつも冒険者ギルドへ依頼した。――無駄な抵抗な気がするのも分かってはいたが。



 見方が変わったのは、あの女が貴族令嬢に言い返した言葉だった。



「あんたがよくても、魅了してしまったアルグレックの気持ちはどうなる。気に病んで、傷付いても良いって言うのか」



 ベニートンは立ち尽くした。

 その言葉は、ずっと父たちに気付いて欲しかったもので。



「あんたの言う愛って、随分一方的で押し付けがましいもんなんだな」


 一方的で押し付けがましい愛情。心当たりのありすぎるフレーズに、不意に父たちの言葉が蘇った。



『神のため、教会のため。ひいてはお前のためなのだから』



 何がお前のためだ。金のため、自分たちの私利私欲のためじゃないか。


 なんという皮肉なのだろう。忌み嫌っていた魔消しが分かっていて、神官である家族は誰も分かってくれなかったなんて。

 いや、唯一兄だけは分かっていたのかもしれないが、自分で遠ざけた。



 それからは、あの魔消しの女のことが気になった。皆から嫌われている存在のはずなのに、どうして周りに気に掛けてもらえるのか。どうして周りを気に掛けているのか。


 もしかしたら、魔消しにも良い人間がいるのだろうか。いや、まさかそんなはずは。


 でも、見れば見るほど普通の人間で。恋人らしい――その時はまだ認めていなかった――先輩の言葉で照れ真っ赤になる姿なんて、それこそ年相応の可愛ら……いや、何でもない。



 だから監視することにした。そうして近くで監視することで、ベニートンはイライラしていくのが分かった。


 なんで。なんでそんな目で見られても、文句言わずに魔消しするんだ。そんな何でもないようなフリをして。


 だって明らかに、思い詰めた顔をしたあとすぐに暗い顔をしている。ムカついているだろうに、そう思ったことを後悔しているような。


 ベニートンは問い詰めるように聞いてしまった。「あんたは魔消しで、皆に嫌われてるのに、助けるのか」と。


 その答えが「団長命令だから」で、ベニートンは苦しくなった。


 まるで、あの時の自分だ。それを見せつけられている気分になるから、イライラしてしまう。



 次の日だってそう。何度も吐くまで頑張っても、感謝する人間は少ないのに。しまいには、この魔虫を作ったのはお前じゃないかとまで言われたくせに。


 それなのにどうでもいいみたいな顔を作って。ムカつく。ムカつく。ムカつく。



「あんなこと言われても、よく黙ってられるな」

「仕事だし」

「金の為なら何でも引き受けるんだ? 自分の意思なんか関係なく」

「別に。嫌なら受けない」



 魔消しの大きな溜息にイラっとしてしまう。



「じゃあ嫌じゃないって? これだけ皆に嫌われてるのに、聖人のつもり? それとも、良い人ぶって見直されたいわけ?」

「逆だよ」

「は?」

「嫌われてるからこそ助けてやるんだ」



 じっとこちらを見据える魔消しの女。意味が分からなくて眉を顰めると、目の前の女は少し言いにくそうに口を開いた。



「ずっと、魔消しなんかに助けられたことを、悔やんで覚えていればいい」

「……!」



 …………お人好し。


 ベニートンが最初に浮かんだ言葉がこれだった。


 魔消しだけど、ただの愚直。馬鹿が付くほどの、ただのお人好しじゃないか。


 今だって、言った傍から後ろめたさを感じているのは丸わかりで。神に仕える神官より、そこから逃げ出した祝福持ちの自分より、よっぽど善良な。


 周りの人たちが、なぜこの魔消しを気に掛けるのか、ベニートンはようやく分かった気がした。



「……あんた、馬鹿正直すぎるだろ。そんなこと誰かに聞かれたら、余計に嫌われると思わないわけ?」

「これ以上どう嫌われるって言うの」



 その言葉に溜息が勝手に漏れた。それはどうやら自分だけではなかったようだ。


 多くの人が気付いている。彼女が葛藤しながらも、結局は何も言わず魔消しをする真面目さに。優しさに。

 魔消しへの見方がどんどん変わっていることに、気付いていないのは本人だけだ。



「はあ~、もういいや。なんか僕まで、馬鹿みたい」

「まで……?」

「疲れたから食堂でも行ってくる。またね、()()()()

「……は?」



 ほんと、馬鹿みたいだ。

 考えれば分かることなのに。神官に良い人も悪い人もいるように、祝福持ちだって同じ。


 それは、魔消しだって。


 先輩の唖然とした声も隊長の噴き出した声も無視して、ベニートンは軽い足取りでテントを出た。



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