69.言ってない
翌日の夜、ミオーナは恐ろしく大興奮した様子で「パジャマパーティーよ!」とやってきた。デザートを持ってきてくれたので、フィリアはまあいいかとすんなり了承した。
渋々言われた通りパジャマになり、ミオーナのお気に入りのスパークリングワインを開けて乾杯すると、グラスの軽快な音が響いた。
「昨日は楽しかった?」
「うん、まあ」
「あのあと2人でどうしたの?」
意地悪い笑みを浮かべるミオーナ。フィリアはその視線に気付かないフリをして、淡々とグラスを口に付けた。
「あのアイス屋に行ってから、カミラさんにもらった植物園に行った」
「まあ、植物園! ライトアップされて綺麗だったでしょ? 祭日の植物園のチケットってすごく人気で、全然取れないからかなりレアなのよ」
「ふうん」
確かにいたるところにランタンが掲げられていてとても綺麗だった。と、思う。
正直なところ、違うところに意識がいってあまりちゃんと覚えていない。
「それでそれで?」
「パレード見て帰ったけど」
嘘は言っていない。
パレードを見ながら人数を数えて、最初言い合った数が違って少し慌てるまで、動悸が酷かったけれど。
そのあとはいくらかマシになって、家まで送ってもらって、普通に別れた。
あんなこと言ってたが、再び抱き締められることもなかった。
「えー。それだけじゃないでしょ? だってアルグレックったら、今日一日ずーっとニヤニヤ蕩けっぱなしだったのよ?」
「へえ」
「へえって、あんたね。フィリアが原因以外考えられないでしょ!」
「なんで?」
昇級したとか特別手当でも出たんじゃないかと言ったが、そうではないらしい。
フィリアはどうして自分が原因になるのかと首を傾げた。
「え? 本当の恋人になったとかじゃないの?」
「? いや?」
そんな話はしていないし、昨日だって手を掴む直前に「フリは継続中」だとちゃんと聞いた。
「はあ!? えっ、じゃあ、あいつから好きってまた言われなかった?」
「それは……まあ」
目を泳がせて頬を染めたフィリアを、ミオーナが気付かないはずもなく。ぐっと顔を寄せて、肉食動物のような目をフィリアに向けた。
「それでフィリアも好きってちゃんと言ったのよね?」
「…………いや」
「え? でも、あいつのこと男として好きなのよね? ちゃんと告白されたのよね?」
「……それは、その、まあ」
「なのに言ってないの!?」
「……言って、ない」
唖然としているミオーナを見ながら、フィリアは昨日のことを思い返した。
昨日アルグレックは「男として好きになって」と言った。
そしてその後、「今少しくらい同じ気持ちだと思う」とも言っていた。
つまり、フィリアが言わなくても「そういう好き」だと分かっているはずなのだ。
程度が違うと言っていたけれど、待つとも言っていた。だからフィリアは今までと変わらないと思っていた。妙に意識してるだけで。
そういえば、「俺と同じ好きになってもらえるように、もう抑えるの止める」と言っていた「同じ好き」は、程度まで同じになるようにということなのだろうか。そうなるということは、つまり。
……今キスがどうこうなんて話を思い出すな。ああもう考えるな!
「まさかキスでもした?」
「っはあ!? するわけないだろ!」
「えー、じゃあ何を思い出して照れてたわけ?」
「別に照れてない!」
「ムキになっちゃって〜。もう可愛いんだから!」
悔しくなったフィリアは、腕を組んで顔を背けた。ニヤニヤしているのはミオーナも同じじゃないか、という言葉をどうにか飲み込んだ。
言えばきっと怒る。
「それにしても、フィリアがそんなに早く恋愛的な好きだって認めるとは思わなかったわ」
「あんたがそう意識させたくせに」
「意識させたんじゃなくて、自覚させたの間違いじゃない?」
「もうなんとでも」
揶揄い顔のミオーナに、フィリアはもう反論を諦めた。ミオーナはくすりと笑うと、すぐに眉間に皺を寄せた。
「でもそれなら両想いってことでしょ? どうして本当の恋人にならないのよ」
「別に今のままでいいだろ。それに、今度は程度が違うらしいし」
「はあ? 程度?」
彼女は不満そうな声を出すが、フィリアはあっけらかんとしている。
今のままで、別にフリのままでいい。今のように、一緒にいて、フリの時は手が繋げて。好きだと思う、好きだと思ってくれている。
充分だ。モヤモヤだって晴れたし、すっきりした気分なのだから。
「とにかく、別に何も変わってないから。だから私が原因じゃない。金でも拾ったんじゃないの」
「お金拾って一日中ニヤニヤしてられるの、あんたくらいよ。とにかく! 今のフリのままじゃ、そのうちきっと物足りなくなるわ! 絶対に!」
「はいはい」
適当な返事にミオーナは大袈裟に溜息をつくと、おもむろに袖を捲って薬を塗った。腕の一部分がぽっこりと赤く腫れている。
「それ、怪我でもしたの」
「ああこれ? 冬来虫に刺された跡」
「冬来虫?」
「鎮魂祭が終わると出てくる、蚊みたいな虫よ。これに刺されると、もうすぐ冬が来るな〜って思うの。ここらへんだけかもしれないけど」
「へえ。なんか痒そう」
「今年のは強力みたいで、結構痛痒いのよね」
フィリアがこのボスミルに来たのは、去年の10月末だ。冒険者は虫刺されなんてよくあることなので気にしたことがなかった。
もうすぐ1年になるのかと気付いたフィリアは、胸に温かさが広がるのを感じた。
一方騎士たちの寄宿舎では。
「さ、そろそろ吐きやがれ」
「何を」
「フィリアちゃんとなんかあっただろ?」
「まあ、うん。あるには、あった。うん」
「うわぁ、折角の男前がだらしない顔で台無しだぞ」
口元を手で隠したけれど、効果はないらしい。自覚はある。それはもうはっきりと。
鎮魂祭でのどれを思い出しても頬が緩んでしまう。どうやったって締まらない。
あの後手を繋いで行った植物園も。パレードで演者の数を一緒に数えたことも。フィリアが自分の仮面を――正確には昨日付け足してもらったワインレッドの花を――何度も見ては少し恥ずかしそうにしていたのも。それから……
「おーい。戻ってこーい」
「今色々と思い出してる最中なのに」
うるさいな、と続けようとして止めた。
昨日、彼女も何度も言っていた。照れ隠しだと分かっているから、言われるたびに嬉しかったことも思い出した。
「お前浮かれすぎだろ」
「否定できない。だって、ああもう。可愛すぎるんだよ……!」
「あ~はいはい、ご馳走さん」
呆れた声を返されてもなんとも思わない。抱き締めた時の感触を思い出せば、どんなことにも耐えられそうな気さえ――……
「ともかく良かったな! ちゃんと承諾してもらえて」
「承諾?」
「ちゃんと付き合って欲しいって言ったんだろ? それでほんとの恋人になったんじゃないのか?」
「……え? え?」
急に背中に嫌な汗が流れる。
落ち着け。昨日の会話を思い出せ。
異性としての好きだと言って、フィリアは拒まなかった。好きだし一緒にいたいと言えば頷いてくれた。
けれど。
「言ってない……!」
「はあ!? お前、言質も取ってないのに浮かれてたわけ!?」
「嘘だろ……まだ、フリの関係……!?」
「いやお前が嘘だろ……」




