58.偽物
「どうした? せっかくのフィリアちゃんからの手紙だろ?」
「……偽物だった」
「は?」
「しかも、これが一緒に……」
アルグレックの掌には冒険者カードと小さな紫色の花細工がひとつ。フィリアにプレゼントしたものと同じ、パンジーの花びらだ。
対抗戦の表彰式中に、こっそり帰ってしまったのかと思っていた。ご飯に誘おうと、関係者席に急いで戻ったが既にいなくて肩を落としたのに。
それが翌朝になって、フィリアからの急ぎの手紙が届いた。
この前の、『大丈夫か?』という本当に一言だけ書かれた手紙が突然届いた時は、嬉しさのあまり心臓が止まるかと思った。彼女と出会ってから心臓がかなり鍛えられている気しかしない。
彼女はかなり心を許すようになってくれた。セルシオたちに言わせれば「懐いている」ように見えるらしいがそれでも良い。
無防備な姿を見せてくれる。
手を繋いだり抱き締めたりしても拒否されない。
もっともっと、と思う気持ちをどうにかこうにか抑え込もうとしている日々なのだ。たまに堪え切れなくて行動に出て、そして拒否されなくて、余計に思いは強くなってしまう。
触れたい。想いを理解してほしい。
一緒にいればいる程、欲深くなっていく。
アルグレックはもう一度手紙を見た。
なぜだかとても嫌な予感がする。
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親愛なるアルグレック
倒れたところを親切な人に助けてもらった。歩けないから迎えに来てほしい。恥ずかしいから他の人には言わないで。10時に冒険者ギルド前に迎えが行きます。
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「確かに偽物だな」
手紙を一瞥したセルシオがはっきりと言う。アルグレックも完全に同意見だ。
彼女の字ではないし、文章もいつもと違う。こちらの都合をまるで考えないなんてこと、彼女はしない。
何より、フィリアが『親愛なる』なんて書いてくれるはずがない。悲しいくらいに言い切れる。一瞬でもドキッとしてしまった、なけなしの純情を返してほしい。
手紙の主が偽物なのは明確だが、誰が何の為に。フィリアは本当に無事なのか。同封されたあの花細工の欠片も引っ掛かる。
「とりあえず、隊長に報告しようと思う」
「ああ、それがいいな。俺は一応フィリアちゃんの家に行ってみる」
「頼んだ」
セルシオと別れ、アルグレックは特隊の執務室へと急ぐ。
隊長は今しがた来たばかりのようで、ローブを脱いでいるところだった。副隊長は既に執務中で、アルグレックに気付くと何かを思い出したように口を開いた。
「昨日の公開演習の後、フィリア嬢とは会いましたか?」
「いえ。フィリアがどうかしましたか?」
「帰りに妻がクッキーを渡そうと思ったらもう姿が見えず、他の人に聞いたところ、使用人の格好をした者と帰ったと。ただ昨日見学に来ていた人で、うち以外に使用人がいるような家はなかったはずだから気になったと言っていましてね」
そう聞いたアルグレックは、説明するよりも先に手紙を見せた。
隊長たちは出だしを読んだだけですぐに「偽物だな」とすっぱりと言い切った。分かっていたけれど、少し切ない。
「しかし、これだけでは隊は動かせないな」
「はい。だから、今日は個人的に休みを貰えませんか」
「ここにひとりで行く気か?」
「はい」
隊長は腕を組んで考え込んだ。
隊が動かせないのは承知の上だ。事件の疑いだけでは許可がおりないかもしれないし、上の許可を貰うまで時間もかかる。
アルグレックは最初から休みを貰うつもりでここに来た。万が一許されなければ、あとで罰を受けるつもりで。
「では私も一緒に行きましょう。特隊員が拐われたかもしれないのに、調査しない訳にはいきません」
「そうだな。それがいい」
「いいんですか?」
「当然です。彼女の家にはもう行きましたか?」
「それはセルシオが――」
説明をしながら騎士棟を出ると、ちょうどセルシオが戻ってきたところだった。
彼女は家にいなかったらしい。
指定時間まで時間はまだある。副隊長は乗り合い馬車を貸切ると、いつの間に準備したのか騎士団のものではないローブに着替えた。
「指定場所で声を掛けられたら、相手に詰め寄ってください。私が引き離すフリをして接触し、過去を見てみます。何か分かるかもしれません」
「はい。ありがとうございます」
「何か言いたげな顔ですね」
「いえ」
「どうして手伝ってくれるのか、ですか」
「……はい」
正直に頷けば、副隊長は小さく溜息をついた。呆れられたのかもしれないが、気になるものは気になるのだ。
副隊長は、どうもフィリアをとても気に掛けているように見える。
「……小さい頃、仲のいい幼馴染みがいましてね。タウンハウスが近かったものだから、毎日のように遊んでいました。それが、魔力判定の日から、私は彼を拒絶した」
「まさか……」
「ええ。彼も魔消しだったのです」
副隊長が窓の外に視線をやった。その愁いを帯びた横顔に、アルグレックはただ黙って言葉を待った。
「あの日から彼は何度か家を抜け出して、私の所へ匿って欲しいと懇願しました。けれど私は、それを何度も拒否した。絵本で読んだ通り、『魔消しは悪だ』と信じていたのです」
魔消しを悪者のように書かれた本はたくさんある。実際にアルグレックも何度も読んだことがある。
けれどアルグレックは祝福が分かってから、そのことに納得ができなかった。自分はその魔消しされた眼鏡がないと人に会えない。魔消しに助けられているのに、と。
「結局彼は領地に連れて行かれ……半年後に、病死したと聞かされました」
「えっ」
「貴族にとっての突然の病死は、そういうことです。大きくなってからその意味が分かって戦慄しました。小さな頃は便利だと思っていたこの祝福も、皮肉なことに今では魔消しされた手袋がないと生きていけない。……後悔しています。あの時彼を助けていれば、彼は殺されなかったかもしれない、と」
「だから、フィリアを」
「償いをしているつもりなのでしょうね。自分の為に、彼女を使って」
苦笑しながら「内緒ですよ」と言う副隊長に、「はい」としか返せなかった。
冒険者ギルドに近付くと、副隊長はわざと髪をぼさぼさに乱し、古臭い眼鏡をかけ、手袋を外した。変装らしい。完全に別人だ。
先に降りるとすぐに声を掛けられた。執事のような恰好をした、アルグレックと同じ黒い髪の若い男だった。
「アルグレック様でしょうか」
「そうですが、貴方は?」
「私は魔消しを保護している――」
「彼女は! フィリアは無事ですか!?」
副隊長の指示というよりも、本心のままに男の腕を掴んでしまった。
「おいおい、お兄ちゃん、こんなところで喧嘩はよくないぞ」
「あ……す、すみません」
「いえ……」
「ちょっと落ち着け。な?」
すぐに仲裁に入ってくれたのは副隊長のはずだが、いつもと声色も話し方も違って、一瞬混乱する。
そしてそのまま、副隊長は男を組み敷いた。
「違法薬物使用で連行します」
「は!?」
「え? 違法薬物? フィリアは!?」
「彼女は監禁されているみたいです。マチルダという貴族令嬢が彼女に変装して、君に魅了をかけさせる作戦だったようですよ」
「あんたがなんでそれを!!」
「衛兵に引き渡したら、すぐに彼女のところへ行きましょう。君は今のうちにセバダ茶を買ってきてください。冷えていないものを」
「え、は、はい」
セバダ茶は脱水症状改善に効くと有名で、夏場によく売られている飲み物だ。
疑問に思いながら、アルグレックは指示通りにセバダ茶をいくつか買い、戻ってくるとちょうど衛兵たちが男を連れていくところだった。
執事風の男はずっと喚いている。言葉にもなっていない奇声が響き渡り、野次馬が集まっていた。
もう一度馬車に乗り込むと、いつもの副隊長に戻っていた。
「他に共犯者はいないようで、ある意味助かりました。昨日フィリア嬢に声を掛けたのも先程の男でした。君はマチルダという令嬢に心当たりは……あるようですね」
「マチルダ・ヴァーロン子爵令嬢だと思います」
「もしかして直接釣書を送ってきたというのは……」
ゆるゆる頷くと、苦々しいものが込み上げてきた。
最初は手紙だけだった。
それが段々、手紙に魔法陣が入れられるようになり、専属騎士の契約書が一方的に送られるようになり、愛人契約書が届くようになった。そしてこの前、とうとう釣書が届いたのだ。アルグレックの生家が叙爵されたのを知ったらしい。
貴族からの釣書など初めて貰ったアルグレックは大いに戸惑い、貴族である副隊長に断り方を聞いたのだった。普通はランドウォール家に届くものだと驚かれたのは記憶に新しい。
「なるほど。ヴァーロン子爵令嬢は、魅了をかけさせて責任を取らせるつもりだったのでしょう。子爵からそう命令されてしまえば、新しく男爵になったばかりの家では断り切れないと踏んで」
「そんな……家まで巻き込むつもりだったんですか!」
「けれど、それももう無理ですね。その子爵令嬢も、違法薬物に手を出しているようです」
「え? え!?」
「しかも、連行された男とは男女の関係ですよ」
あんな一瞬で、そんなものまで見えたのか。
げんなりした様子の副隊長に、アルグレックは心の底から同情した。




