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32.待てができないのは

 冒険者ギルドから直行したせいか、待ち合わせ時間まで少しある。久しぶりのアルグレックと夕飯に、フィリアは少しソワソワしながら待っていた。


 以前とは違い、来なかったらという心配はしていない。


 その確信めいた気持ちをなんと言うのか、フィリアには分からなかった。ただ、彼がいつもの笑顔で駆け寄ってくる姿――それはどう考えても犬のような――を想像し、今かと待っている。



「フィリア!」



 程なくしてアルグレックはやって来た。フィリアの想像した通り、いやそれ以上の笑みを浮かべて。尻尾まで見える気がするが、頭の中の残像だろうか。

 フィリアは応えるようにして口角と片手を少し上げた。


 彼はいつもの騎士の練習着ではなく、庶民の格好をしていた。その格好はもう何度も見たが、毎回「顔以外はちゃんと庶民感出てるな」と思う。もちろん今日も同じ感想を抱いた。



「ごめん、待った?」

「いや、さっき来たとこ…………どうした?」

「気にしないで、ちょっとこのやり取りに感激してるだけ」

「は?」


 胸に手を当てて深呼吸しだしたアルグレックに怪訝な視線を送ったフィリアだったが、すぐに眉間の皺を解いた。


 彼が変なのはいつものことだ。気にしても仕方がない。



「よし、落ち着いた。今日は俺の行きたい店でもいいかな?」

「うん」

「じゃ、行こう!」


 並んで歩きながら、特隊員たちの話を聞く。以前なら全然分からなかったし興味も湧かなかった話なのに、今ではなんとなく想像できてしまうからすごい。


 着いた店はいつかに行った大衆居酒屋だった。

 アルグレックは迷うことなく外の席に座ると、眼鏡を外してからいつもより大きな防音魔法陣をテーブルの上に置く。あの屋台村が見え、もしかしたら今日誘われたのはあの男たちを探すのが目的かもしれないと気付いた。


 そう思うと、少しだけ寂しさが胸を掠めた。


「ビールでいい?」

「え、飲むの」

「飲まないの?」

「いや、だって……調査のためじゃないのか」

「あ〜、いや? 俺がフィリアとここで食べたかっただけ。あ、でももし見かけたら教えてな」


 そう言われただけで途端にさっきの寂しさが消えるから、我ながら単純だなと思う。

 フィリアは結局ビールを頼んだ。


 いつの間にか乾杯することにも慣れ、それどころかグラスを上げるタイミングまでなんとなく分かるようになった。進歩だ。


 生温い風に冷えたビールがよく合う。アルグレックが一気にグラスの半分飲むのもいつものことだ。フィリアはビールと共に出された酢漬けの小魚を食べながら目を細めた。


 友達との食事は、いつでも美味しい。


「あ~生き返る。もうほんと忙しくて死にそう」

「どっちだ」

「今生き返った」

「ふふ、それはよかった」


 勝手に顔が笑う。彼らが友達だと言ってくれるようになってから、自分でも驚くほどに笑っていると思う。

 別に笑わないようにしていたわけではない。ただ別に面白いことや楽しいことがなかっただけで。それが今や、気付いたら頬が緩んでいる。


 ゴンっという鈍い音と共に、アルグレックの頭頂部が見えた。また変な発作だろうか。短時間でもう2回目なんて。



「……元気付けるべきか?」



 つい軽口のような言葉が漏れた。目の前の男は机に突っ伏したまま大きく肩を揺らして動かない。苦笑しながらも、フィリアはそっと手を伸ばした。


 これは伏せ? それとも待てか?


「いい毛並みだな」

「フィリアまで犬扱い……」


 艶やかな黒髪にポンポンと2回掌を乗せる。本当にこんなもので元気が出てくれるのなら、安いものだと思う。

 んんんと妙な咳払いをしたアルグレックは、ゆっくり頭を上げた。強く頭を打ち付けすぎたのか、顔が赤い。

 フィリアはビールを飲みながら、なんとなく屋台村を見た。あの時の男たちはいないようだ。



「フィ、フィリアも元気付ける?」

「私は元気だけど?」

「ああ、そう……」


 遠い目をした男に気付かず、フィリアはメニューを取るとじっくり眺めた。以前美味しかった料理を頼むか、それとも新しいものに挑戦するか。

 真剣に考えていると、くぐもった笑い声が聞こえた。どうやら顔を上げるといつもの楽しそうな顔が見える。どうやら復活したらしい。


「どれでそんなに悩んでるの?」

「どれと言うより、食べたことあるのとないのどっちにしようか考えてた」

「それなら前一番美味しかったやつ1つと、食べたことないやつ2つ頼むのはどう?」

「そうしよう」


 顔を突き合わせてどれにしようかと話し合う。

 今まで明確に食べたいものがあった時以外は任せっきりだった。こうやって一緒にあれにしようかこれにしようか悩むのも楽しいものだと、初めて知った。



 食事を終え、アルグレックが会計へと席を立つ。

 数人並んだ後ろに並ぶと、案の定色々な女性客から声を掛けられていた。こういうシステムの店ではこれまで何度もフィリアがまとめて会計に行くと言ったが、毎度押し切られる。

 そして、ああなる。


 苦笑していたフィリアだったが、ふと屋台村に視線を移して固まった。


 あの男たちがいる。


 フィリアはもう一度アルグレックを見て、また男たちに視線を戻した。どうしよう。男たちは屋台村を出て行くところだ。アルグレックは後ろを向いてこちらに気付かない。

 フィリアは迷ったが、まだ置かれていた防音魔法陣にメモを残して男たちを追うことにした。



 男2人は、繁華街から数本外れた道を物色するようにして歩いている。フィリアは時折振り返って見たが、アルグレックが来ている様子はなかった。


 道には繁華街に向かう人と、そんな人々に声を掛ける娼婦や物乞いがいる。やっぱり彼らが犯人なのだろうか。今更になって不安になってきた。


 もし尾行に気付かれたらどこへ逃げるべきか。戦闘が得意ではないフィリアは、冒険者の時もよっぽど勝ち目がありそうな時を除いてほぼ逃げ切ることを前提にしている。


 男たちがまた角を曲がる。見つからないように、慎重に隠れながら後を追う。


 尾行しながら、フィリアはあの男たちが犯人だと確信していた。ひとりでいる子供や娼婦、物乞いを見かけると、彼らは離れた所から観察し、他に人が来ると舌打ちしながら去っていく。


 街頭の灯りが少なくなり、人の数もまばらになっていく。何度振り返ってもやっぱりアルグレックの姿はない。止め時が分からなくて、悩みながらもフィリアは足を動かした。



 上手くいけば、彼らの役に立てるかもしれない。


 ただその一心だった。


 遠征の時のように、褒めてもらえるんじゃないか。まだ、特隊員に入れていてもらえるんじゃないか。価値があると、もしかしたら感謝だってしてもらえるかもしれない。



 そんな風に欲張ったのが悪かったのだろうか。


 後頭部に強い衝撃を受けて、気付いたら地面に倒れていた。殴られたらしい部分がズキンズキンと響いて痛い。



「おい、つけられてたぞ」

「えっ!?」

「すみません!」

「女の冒険者か? まぁいい。こいつも連れてくぞ」



 犯人がもうひとりいたなんて。フィリアは遠のく意識の中で、アルグレックたちの顔を思い浮かべた。


 役に立つどころか、これじゃあ足手まといじゃないか。

 また無価値に戻ってしまう。



 失望したような表情の彼らが浮かんだ瞬間、フィリアは意識を手放した。



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