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111.ルオンサ

 

『兄様、兄様!』



 仔猫のように僕の後ろをついてまわっていた妹は、突然、僕の前から姿を消した。



 可愛い可愛い妹が魔消しだと認定された時のことは忘れられない。その時の自分の酷い感情も。


 妹は、不安そうな瞳で助けを求めていたのに。ルオンサはフィリアから目を逸らし、自分の身を案じた。


 伯爵家(うち)から魔消しが出るなんて。

 あの子は、神に見放された大罪人の生まれ変わりなのだろうか。

 うちはどうなる。自分自身は。友達や周りからどんな目で見られるか。

 できたばかりの可愛い婚約者は。

 今の妹を見るような目で見られたら。


 怖くて、恐ろしくて、ただただ頭の中が真っ白になった。


 なんでこんなことに。最悪だ。

 どうしてうちがこんな目に合わなきゃならないんだ!


 両親の大喧嘩や妹の視線から逃げるように自室に駆け込み、ルオンサは震えた。もう「リーサ」と呼ぶことも叶わなくなるなんて思わず、ただひたすら自分の今後を憂いていた。





「リーサを除籍して追放した……!?」

「ああそうだ。アレはもううちの人間ではない。忘れなさい」

「そんな! リーサはまだ5歳ですよ!?」

「それがなんだ!! 魔消しだなんて我が家の恥でしかないだろう! あいつのせいでうちがどうなるか! お前の婚約だってなくなるかもしれんのだぞ!! せっかく掴んだ格上との縁だというのに!」



 薄々気付いていた。両親は何より体裁を気にする人間だと。自分以外は自分の為の道具で、使えないと分かったら簡単に切り捨てる。


 その対象が、まさか我が子である妹までもだとは。いや、自分だって確実にその対象なのだと気付き、足元がグラグラと崩れ去っていくような気がした。



 心配していた婚約は解消されなかった。


 侯爵家の三女であるビアンカが婚約継続を強く望んでくれたからだ。

 結婚してからその理由を教えてくれた。曰く、「私まで貴方から離れたら壊れてしまいそうだった」らしい。確かに友人と呼べる人ですらほとんどいなくなっていたし、両親はもう信じられない。あんなに仔猫のように懐いてくれた可愛い妹にももう会えなくなった。絶望する日々だったから。


 ルオンサはいつ自分も両親に捨てられてもいいようにひたすら勉強に励み、念願の魔法庁に就職できた。魔消しについて調べているという魔術師の噂を聞き、話をしてみたくなったのがきっかけだった。


 彼は噂に違わず本当に変人だった。毎日振り回される助手が何人も交代していき、とうとうルオンサにも回ってきた。


 中々顔も名前も覚えてもらえないし、突然何かを思い付いては、適当な説明だけで付き合わされ振り回された。何度困惑しイライラしたか分からない。


 それでも助手を辞めたいと思わなかったのは、彼が一度たりとも魔消しの悪口を言わなかったからだ。彼にとって「魔消し=面白そう」というだけなのだ。ただ純粋なる興味。それだけ。



 ルオンサはずっと妹のことを気に掛けながら、それでも調べることは怖くてできなかった。

 恨まれているならまだいい。もし、万が一この世にはもう、なんて結果だったらと思うと、どうしても足が竦んでしまう。


 自分だけ人並みの幸せを掴んでいることにも罪悪感があった。


 自分は婚約者と結婚して、少し時間はかかったが息子2人に恵まれた。魔消しが出た家だという記憶も人々から消え、平穏な日々を過ごしていても、やっぱりどこかで妹のことを気にかけていた。


 妹と同い年の令嬢がデビュタントを迎えた時も、学校の制服姿を見た時も、結婚式も。


 あの時自分のことしか考えてなかった自分にそんな権利はないと分かっていても、後悔と贖罪の気持ちが付き纏っていた。



 転機が訪れたのは、大興奮したブルーノの言葉によってだった。



「ルオンサ君! 大至急スケジュールを調整してくれたまえ! できれば1週間空けてほしい!」

「1週間!? 無理ですよ! ブルーノさんの脱線でどれだけ仕事が溜まってると……!」

「ようやく魔消師に直接会えるかもしれないんだ! 5日でもいい! 頼むよ!」


 ルオンサが動きを止めた。魔消師という言葉に心臓が大きく音を立てた。


「魔消師の、名前は……?」

「いや、そこまで書かれていないな。とにかく頼んだよ!」



 都合がついたのが11月末。調整に1か月もかかった上に3日しか取れなかった。


 その魔消しの名前を教えてもらえたのは前日だった。ブルーノにとって興味のないことだったので、いつも適当に流されていたのだ。


 フィリア、という名前を聞いた時は心臓が止まるかと思った。それ以外には姓も何もないという。


 期待なのか不安なのか恐怖なのか分からない気持ちのままエスカランテ領に飛び、一目見て分かった。


 (リーサ)だ。間違いない。


 大興奮のブルーノに妹はかなり引いている。ルオンサは彼女を見つめたまま、息ができなかった。



「……リーサ」



 なんとか絞り出した言葉に、リーサは目を瞠り、すぐに逸らした。そのあとの言葉に頭を殴られたような衝撃に襲われた。



「……いいえ。()()()()()()



 ショックを受ける権利はない。分かっているのに。


 一切目を合わせようとしないあの拒絶の瞳も。記憶と全然違う荒れた指先や髪も。ぶっきらぼうな言葉遣いも。ひとつも見えないあの人懐っこかった笑顔も。



 まともに話すこともできないまま、とうとう最終日になってしまった。


 ブルーノに頼み込み、辺境伯と少し遅れてきてもらう。部屋に入ってきたリーサは、ルオンサの顔を見るなり足を止めた。


「許してほしいとは言わない。ただ、謝らせてほしいんだ」

「……いりません」

「ずっと、リーサを守れなかったことを後悔してる。謝罪にも、会いにも行かなかったことも、自分に力がなかったことも……本当に、すまなかった」

「……今更、どうでもいいです」


 完全なる拒絶。それもそうだろう。謝るなんて、ただの自己満足だ。


 それでも、このまま終わりたくない。どうしても。


「でも今は違う。もし、もしリーサがシュメラル家に帰ってきたいと思えば……」

「思いません!」

「リーサ……」

「フィリアです。一生そう思うことはないし、その名前も名乗るつもりもありません」

「……それでも、私にとって、君は唯一の妹だ」


 それならどうして捨てたのか。彼女の瞳は如実にそう訴えていた。


 彼女の恋人だという騎士の提案でベランダに向かった2人の背中を見ながら、ルオンサは唇を噛んだ。


 馬鹿だ。ただ怒らせただけ。益々嫌われただけ。どうしたらいいのだろう。そうっとしておくべきなのかもしれない。


 でも、でも。



 ぐるぐるとまとまらない頭を抱えていると、2人は部屋に戻ってきた。出ていく時とは違い、リーサは落ち着いているように見えた。


「失礼な態度だったこと、謝ります。すみませんでした」

「いや……僕も、今日しか時間がないと焦ってしまったから……すまなかった」


 リーサは首を横に振りながら、真っ直ぐこちらを見た。初めて、彼女の意思で。


「私は、今はただのフィリアです。もうどこかに帰りたいと思うこともありません。私の居場所は、ここだから」

「……そうか」


 自分と同じワインレッド色の瞳に、もう自分の知る「リーサ」ではなく「フィリア」として歩んでいるのだと、ようやく理解した。


 ぎこちなく微笑んでくれる。寂しさと共に、ルオンサも微笑み返した。



「フィリアと呼んでも?」

「はい。…………ル、ルオンサ、さん」

「! ああその……手紙を書いてもいいかい? できたら、少しずつでもいいから、フィリアのことを教えて欲しい。それに、僕のことも知ってほしい。ああ、もちろん返事はゆっくりでも構わないから……その、いつかくれると、嬉しい」


 名前を呼んでくれた嬉しさに、つい焦りながら言い募ると、フィリアは頷きながら笑ってくれた。こみあげてくるものが溢れずに済んだのは、隣にいる騎士のおかげだ。


「え、なんであんたが泣きそうな顔してんの」

「フィリアの一言に感動してるの」

「は? 返事書くことが?」

「ちょっと予想してはいたけど、全っ然違う」


 ついクスクス笑うと、3人の間には穏やかな空気が流れた。


 恨まれたまま終わらなかったのも、この騎士のおかげだろう。フィリアを常に愛おしげに見つめる彼を見て、切なさと安心が胸に広がった。



 王都に戻ってからは、本格的に当主を継ぐために動いた。元兄でも友人でも何でもいい。彼女にも誇れるように、できれば、自慢の兄になれるように。


 もちろんフィリアへの手紙もすぐに書いた。少ししてから届いた返事の手紙は、つい妻の前で泣いてしまうほど嬉しかった。



 年が明けてからは怒涛の日々だった。


 爵位を継ぎ、王都でフィリアと再会できたと思えば、彼女は国王陛下から正式に感謝され、魔消しが祝福だと認められた。彼女は、妹は歴史まで変えたのだ。


 褒章式でも素晴らしかった。彼女は緊張していたらしいがそう見えることもなく、堂々としてとても輝いていた。


 ……その翌日には、結婚するなんて話になるとは思わなかったけれど。




 ルオンサは今までのことを思い出しながら、支配人に言われた通りフィリアの控室へ向かう。ノックするとアルグレックが出てきた。白の衣装は彼によく似合っていたが、緊張のあまり言葉を掛けることなくすれ違った。



「……ああ、フィリア。本当に綺麗だ」

「ありがとうございます……その、こんな上等なものを用意してくださったことも」

「したかったのは僕の方だから。むしろ、受け取ってくれてありがとう」


 思わず目が潤んでしまう。

 純白のウェディングドレスはとてもよく似合っている。どうしても花嫁支度をしてあげたくて、頼み込んだ甲斐があった。


「結婚しても、君は僕の唯一の妹だ。何かあったらいつでも頼ってほしい。何でもすると約束する」

「それなら、早速お願いしてもいいですか?」

「何だい?」


「父親の代理として、一緒に歩いてくれますか?」



 言葉の意味を理解するまでに時間がかかった。フィリアは照れたように笑っている。



「……本当に、僕でいいのかい?」

「はい。ルオンサさんがいいんです」

「ああ、待って……まだ泣かせないで……」



 まだ、あのフィリアから貰ったハンカチは使わせないで。宝物なんだから。


 目元を押さえて天を仰ぐ。何度か深呼吸を繰り返したあと、咳払いをしながらどうにか腕を出した。



「もちろん。喜んで引き受けるよ」

「ありがとう…………兄様」



 懐かしいその呼び名に、ルオンサの涙腺は完全に崩壊した。



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