108.報告
「…………は?」
「結婚してほしい。俺と」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。フィリアは唖然とした表情でアルグレックを見つめれば、同じような言葉が返ってきた。
なんでそんな、真っ赤な顔で嬉しそうで、真剣なんだ。
「……なあ、話聞いてた?」
「聞いてた。だから結婚して欲しいって言ったんだ」
「いやいやいや意味が分からない。だって、私はあんたに酷いこと……」
「酷い? どこが? 強烈な愛の告白だろ?」
「はああ!? なんでそうなるんだ!!」
混乱しているフィリアをしっかり見つめ、アルグレックは小さく笑った。
「俺も、不安だった。フィーに王宮から協力要請の話が出てからずっと」
「不安? 何に?」
「どんどんフィーが遠くに行っちゃうような気がして、ずっと怖かった。王子を救ったり歴史を変えたりなんて、どんどん凄い人になっていくし。フィーのことを誇りに思いながら、その良さを知ってるのは自分だけでいいのにって」
「……」
眉を下げて困ったように笑うアルグレックに、フィリアは口をきゅっと結んだ。
ああ、どうしよう。不安にさせていたのに、それが嬉しいなんて。
絶対に顔は真っ赤だろう。両手で顔を覆い隠したいのに、気付けば両手はアルグレックに握りしめられている。
「俺はフィーみたいに優しくないから、どうしたら離れないでくれるか考えてた。こんなにたくさんの人にフィーの良さが広まったんだ。もっといい人が現れて、掻っ攫われたらとか、フィーが違う人を好きになったらとか……だからこうやって自分の色を着せたりして……情けないだろ」
「馬鹿じゃないの…………あんたも、私も」
勝手に不安になって。言われた方になってようやく分かった。そんなもの、簡単に変わるはずがないのに。
今なら分かる。言葉は違えど、お互い相手を想っているからこそ感じる不安なのだと。相手の幸せを願っての。
そうなればあれらは確かに愛の告白と同じだ。独占欲を剥き出しにした、熱烈な激白そのもの。
ふたり揃って眉を下げる。同じように笑いながら。
「ほんとはこんなに早く、こんなところで言うつもりなかったから何も用意してないけど……俺は、どうしてもフィーと一生一緒にいたい。俺がフィーを幸せにしたい。どうか、この先もずっと一緒にいさせて」
懇願の色を浮かべた菫色の瞳を、やっぱり綺麗だとフィリアは思った。
不安は完全には拭えない。いくら国王や教会が魔消しの扱いを是正すると言っても、すぐには変わらないだろうし、元両親もあんなだ。そんな自分が誰かを幸せにできるものだろうか。
それでも、本当は。
「……あんたは、それで幸せなの」
「フィーと一緒にいられること以上の幸せなんてないよ」
「それなら、する。私も……私がアルを、幸せにしたいから」
アルグレックはぎゅうぎゅうにフィリアを抱き締めたあと、横抱きに担ぎ上げてその場でクルクルと回った。フィリアは慌てて首にしがみつく。
「わっ、ちょっ、目が回る!」
「指輪! 今すぐ婚約指輪買いに行こう!」
「ええっ、今から!?」
「気が変わらないうちに!」
朝もこんな会話しなかったかとか、そんなすぐ気が変わるような話ではなかっただろうとか言ってる間に宝飾店へ着き、アルグレックの選んだ指輪が左手の薬指に収まった。
「……まさかこの店も」
「そう。ルオンサさんから聞いてた。イヤリングとかを贈るつもりで」
「あんたらほんと仲良しだな」
「いや……今日から目の敵にされる気がする……」
「え、なんで?」
アルグレックの懸念は当たった。
魔法庁に着きルオンサに会うなり、彼は目敏くフィリアの左手に気付き、そのまま壊れた。その隣で団長は面白いものでも見つけた顔をしている。
「フィ、フィリ、そっ、そそ、ゆゆゆ」
「意味が分からずに付けてる訳じゃないよな? お前たち結婚するのか?」
「はい。今日了承してもらいました」
「そりゃあめでたい。式はするのか? いつ頃の予定だ?」
「いえ、そういうのはまだ何も決まってないです」
「え、私はしなくていいけど」
「ダメだ!!」
復活したらしいルオンサが叫ぶ。どれに対してのダメ出しなのか分からず、フィリアは瞬きを繰り返した。
「ちゃんと式は挙げないと! いやその前に婚約式を……その前に、これからドレスを作るとなると婚約式は早くて3ヶ月後くらいになるし、結婚式は……そうだ、場所は? エスカランテ領で一番大きな教会をこれから予約して……」
「おい、落ち着け。お前の子供の結婚式じゃないんだ。ところで教会なら湖の畔にある聖堂はどうだ? ドレスを作るなら良い店を紹介するぞ」
「是非詳しく教えて下さい!」
盛り上がりだした男3人を放置して、フィリアはじっと薬指の指輪を見た。指輪に付いているアメジストがキラキラ光っている。
正直なところ、結婚式も指輪もなくていい。もともと願望すらなかったのだ。
ただ、アルグレックが楽しそうだから。どれもこれも「夢だった」と言われてしまえば、それならいいかと思ってしまう。そんな自分に驚くけれど。
「帰りはレリオに寄るよう御者に伝えておく」
団長の言葉にフィリアは弾けるように顔を上げた。レリオはフィリアが過ごした修道院があった街だ。
「墓参りして、報告してこい」
「……はい。ありがとうございます」
翌日、フィリアたちはルオンサに持たされた大量のお土産と共に妖馬車に乗り込み、王都を後にした。
妖馬車はやはり早く、次の日の夕方にはレリオに着き、団長が調べていてくれた墓地で降りる。
神父の名前が刻まれた墓に花を置く。
好きな花も知らなくて、花屋に言われたまま買った花束が風で小さく揺れている。
フィリアの隣ではアルグレックが同じように膝をついて頭を下げていた。目を瞑ると、神父との思い出が蘇ってくる。
初めて出会った日のこと。
本を読んでくれた時の声。
淡々と粗末な食事を取る時の姿勢。
亡くなった時の穏やかな顔も。
今だから分かる。
いろんな愛を知った今だからこそ。彼は、確かにフィリアを愛してくれていたと。フィリアがひとりでも生きていけるようにと授けてくれた知識は、指導は、お金は、すべて彼からの愛そのものだ。
感謝を、愛を、報告を直接言えないことは、こんなに悲しいことだなんて知らなかった。彼は、ちゃんと幸せだっただろうか。
それも、もう聞けない。
潤みそうになる瞳に力を入れて天を仰ぐと、アルグレックがそっと髪を撫でてくれる。フィリアはたまらず抱き着いた。
「……好き」
「俺も好きだよ。大好き」
言葉にして伝えられることの幸せを、伝えてもらえる幸せを噛み締める。
ぽろりと零れた涙が、アルグレックのローブに吸い込まれて消えた。




