101.日々是動揺
妖馬車に揺られながら、フィリアはアルグレックの横でぼんやりと窓の外を眺めていた。
アルグレックと城館の中庭でひっそりと新年を祝ったことが遠い昔のように感じられるほど、濃厚な数日間だった。
まず、その翌朝。いつもの時間になってもミオーナは現れず、前日と同じようにアルグレックが窓に小石を当てて報せてくれるまで彼女を待っていた。彼の横にいつもいるセルシオもおらず、結局2人で朝食を取りながら「あの2人はきっと二日酔いだろう」と結論付けた。
アルグレックと寄宿舎の前で別れ、建物に入った途端にミオーナを見つけた。声を掛けると、彼女の肩が大きく揺れた。
「ごめん。二日酔いに響いた?」
「フィリア、違うのよ。その、驚いただけで……ごめんね。朝食取ってきたの?」
「うん」
歩きながら話す彼女の顔は赤い。今日は昼過ぎから訓練があると聞いたけれど、まだ酔いが残っているのだろうか。そう聞けば、ミオーナはより一層顔を赤く染めた。
「……実は、セルシオと付き合うことになったの」
「へ? ああ、そうなんだ。おめでとう」
「それでその、帰るのが遅くなって」
「朝まで飲んでたの」
「そこまで飲んでないわ…………朝まで、一緒にはいた、けど」
「ふうん」
「貴女にあんなこと言っといて自分はどうなんだって話だけど、どうしても離れがたくて、その」
「あんなこと? まあ、そんなこともあるんじゃない?」
ミオーナの足が止まる。疑問に思いながら彼女を見ると、彼女は愕然とした表情でこちらを見つめていた。
「……ねえフィリア。意味分かってる?」
「? 何が?」
「朝まで一緒にいたの」
「うん。それが?」
「貴女貸した小説ちゃんと読んでる?」
「読んだけど」
「…………」
「え、なに」
信じられないものを見るような目に動揺する。
言われた通りちゃんと読んだ。恥ずかしくなりながら、アルグレックを連想しないように必死に何度も頭から追い出しながら読んだのに。どうしてそんな胡乱な目を向けられているのか。
「男女が一緒に夜を過ごしたのよ。意味分かる?」
「だから、一緒に泊まったんだろ? うちでだってあるじゃ」
「部屋に行くわよ。今すぐ」
「???」
有無を言わさず引き摺られる。
部屋に戻るとミオーナはフィリアの耳元で囁いた。ただ一言を。
フィリアはその単語の意味を理解した途端目を見開き、身体を仰け反らせ、ドアに頭を強打した。
「い゛っ!!」
「ちょっと大丈夫?」
「なっ、なんっ、はああ!?」
先ほどのミオーナの比ではないほど顔を真っ赤に染め、金魚のように口をぱくぱくさせた。
急に付き合うのはまだ分かる。自分だって偽装の恋人になったのは全く予期せぬ出来事だったから。
でも。だからといって。
「な、なん、なんであんたは平然としてられるの!」
「貴女が動揺しすぎなのよ」
「だって、そういうことは結婚した相手か、金を払った相手とかに……!」
「その認識が古いのよ! だから最近の小説を貸したのに」
「そんな話出てこなかった!」
「あるわよ、絶対。一夜を共にしたとか、2人で朝を迎えたとか。ね、あったでしょ?」
「あれが? 嘘だ……だってそんなことどこにも……」
フィリアはこの世の終わりのような顔をした。素直にどれもこれも文字通り捉えていた。なんなら、まぁ夜だしひとりよりふたりの方が心強いもんな、なんて納得すらしていたというのに。
そんな暗喩だなんて欠片も思わなかった!
「そんな不健全な本だったの……!」
「超が付くほど健全な本だから。それに、今時普通よ。何事も相性って大事でしょ」
「だっ、だからって……!」
言葉が続かない。けれど言えることはただひとつ。
あの時、簡単に「問題が片付いたら泊まれば」と言わなくてよかった。
「……フィリアにはもう少し遠回しに書いてないやつじゃないとダメね」
そう言って渡された本が3冊鞄に入っている。フィリアはちらりと鞄を見て慌てて目を逸らした。
違うことを考えるべきだ。この状況で読めたもんじゃないに決まっている、絶対。
考えるべきは……そう、一番はこの状況になった発端だ。
今年初めての魔消しを終え、フィリアはアルグレックと共に嫌な予感を抱えながら団長の執務室へと向かった。するとそこにはクルクル頭で丸眼鏡のブルーノもおり、人懐っこい笑みを浮かべている。何とはなしにルオンサを探したが、彼は来ていないようだ。
「さて、役者は揃ったね! じゃあベルトラン、説明よろしく!」
「なんで俺が……まあいい。フィリア、王家に目を付けられていると言った話は覚えてるな?」
「はあ」
「正式に魔消しの協力要請が来た。週明け、王宮へ向かってもらう」
フィリアはついアルグレックの顔を見た。彼の頭にも疑問符が山のように浮かんでいる。
「行かなければいけないんですか? てっきり何かに魔消しするだけかと……」
「ああ、必ず行く必要がある。それから」
団長はいつになく真剣な様子でアルグレックを見た。飄々としたブルーノが横にいるため些か緊張感に欠けるけれど。
「アルグレック。もし祝福が封印できると言われたら、お前はどうしたい?」
菫色の瞳が大きく見開かれる。3人がじっとアルグレックの答えを待った。
「希望します」
「迷いは?」
「ありません」
躊躇のない、きっぱりとした声。
フィリアの心がざわりと揺れる。その正体は分からない。けれどそれは決して、心地のいいものではなくて。
「いいだろう。それならお前もフィリアと共に王宮へ行け。お前には、実験台になってもらう」
「実験台と言っても僕が関わるのだから安心したまえ! 必ずや成功させてみせよう!」
「そう言い切るが、お前だってしたことないだろう」
「当たり前さ。禁術なんだから」
「え?」
「は?」
「おい」
聞き間違いかと思ったが、残念ながらそうではないらしい。フィリアは三者三様の表情に視線を送った。
団長が諦めたように咳払いをして説明を始める。
禁術があるらしいというのはフィリアも神父から教わったことがある。ただその内容は、死者を生き返らせるとか不死にできるとか噂ばかりで、どんなものかほとんどの人に知られていない。存在すら疑われるほどだが、団長曰く確かにあるものらしい。
祝福の封印もその禁術のひとつで、代々の国王のみが閲覧し保管できる仕組みになっているそうだ。
つまりこの魔消しの要請依頼は、国王からのもということになる。フィリアはそれに気づき途端、顔を青くした。
「でも……国王なら魔消しを嫌ってるんじゃ……」
「なんで? そう思う理由を聞いてもいい?」
空気にそぐわないほど明るいブルーノの声が響く。彼の瞳に映るのはただの好奇心。
フィリアは言いにくそうに口を開いた。
グリーゼル国の伝記によると、大昔は魔消しはそれほど少なくなく、魔消し専属の部隊まであった。それが次第に傍若無人に振舞うようになり、とうとう王位簒奪まで狙うようになった。
しかし彼らは当時の王によって捕らえられ、処刑される直前に落雷により死亡。その様子は、まるで神からの怒りの鉄槌のようだったという。
その後はどんどん魔消しの数も減っていったため、人々は魔消しを神に嫌われた者とみなした。それはいつしか『神に見放された人間』『大罪人の生まれ変わり』と言われるようになった。
だから、国家転覆を狙った魔消しのことなど、国王にとっては気分のいい相手ではないだろう。
フィリアが神父から教わった通りにそう言うと、部屋には重たい空気が流れた。――ひとりを除いて。
「歴史なんて勝った者が作った記録だからね。それが全て正しい訳じゃない」
「え?」
「僕は歴史学者じゃないから詳しいことは分からないけど、少なくとも魔消しが、大昔は多くてある時から減少したという記録はないことだけは言えるよ」
「そう、なんですか?」
「ああ。僕は魔法学者だからね!」
最後の若干ズレた返事も含め、フィリアはとても驚いた。そんな風に考える人がいることに。そしてその言葉に他の2人がなるほどと納得したことにも。
それで、と団長は言葉を続ける。
その禁術は、国王が自ら魔法陣を描き、膨大な魔力を持った魔術に長けた者と、強力な魔消しの力を持った者が協力し合わないとできないものらしい。そのためフィリアが王宮に行く必要がある。
また、その祝福を封印するのは国王の孫で、まだ検査は受けていないものの、厄介な祝福であることは間違いないと断定された。それは、目が合った相手を石化してしまうというもので、それも年々強くなっている。お披露目どころか日常生活もままならない状態で、国王は初孫の彼のために禁術を使うことを考えていた。
そんな時にエスカランテ辺境伯領での誘拐事件の報告を聞き、それから密かにフィリアを調査させていた。
そして偶然にもブルーノが彼女に接触したことで、国王は彼にもフィリアのことを尋ね、協力要請を出すことに決定したらしい。
「まあ、封印というより保護が正しいかな。消したり閉じ込めたりする訳じゃなくて、日常生活に影響が出ない程度に魔消しの魔力で抑えて覆ってしまうんだ」
「ただ、対象が対象だからな。ぶっつけ本番とはいかない。それで先に誰かで実験しようとなってな」
「ベルトランがどうしても君にって言って聞かなくてね」
「おい!」
焦ったあとにバツの悪そうな顔をした大男は、団長でも領主でもなく、ひとりの伯父の顔をしていた。




