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それから数日で国中に聖女が生まれたことが広まると、一気にお祭り騒ぎになった。
市井ではアンナさんが描かれた絵が飛ぶように売れ、民たちはお披露目を今か今かと待ち望んでいるようであった。
我が家でもお父様が連日帰宅が深夜になる程、城での業務も忙しいようだ。
また殿下も学園には一応来ているようではあるが、前みたいに屋外庭園で一緒に息抜きをする時間も無くなった。それでも手紙は頻繁に侯爵家に届けられたり、時間が合えば朝の登校時に少し会話をすることが、今の私にとっては一番の楽しみと言っても良いだろう。
皆が忙しくしているからこそ、私自身は学問に励んだり、図書館で精霊に関しての調べ物を積極的に行っている。
というのも、前に家庭教師のブリュエット先生から聞いた聖女の話を思い出したからだ。
ブリュエット先生は確か。
《聖女というのは象徴とされています。
なぜなら、人間とは欲深いもの。力を広く広め過ぎると、その力に依存してしまう。
その為、聖女の力は王族以外には秘匿されます》
と言っていた。
そしてやはり気になったのだ。
聖女の力、とは何か。
いくら私が王太子殿下の婚約者だからと言って、まだ正式に婚姻していない私には詳細を教えてもらう事は叶わないだろう。
だとしたら、三百年前の聖女、そしてそれ以前の聖女、また精霊について調べてみよう。
その事が、さらに闇の精霊にも繋がるかもしれない。そう思ったからだ。
もちろん殿下やテオドール様はもっと沢山のことを知っているだろう。だけど、ただじっとしているのではなく、今自分にできることを探し、それを必死に行う。
それだけが今、私に出来ることなのだと思う。
また今何処でも話題が上がるアンナさんはというと、聖女として様々なことを学ぶ必要があるということで、大教会に住まいを移しているそうだ。
学園を休学する前に、アンナさん自ら手続きが必要だったらしく、久しぶりに学園で見かけた。
だがアンナさんは私に気付くと、あからさまに顔を強張らせ視線を泳がせた。
そして何かを悩むかの様に口籠る。
「教会はどうかしら。環境が変わって辛い思いはしていない?」
「はい。皆さん良くしてくれているので⋯⋯」
「そう、それなら良かった」
そう言った私の言葉に、ずっと視線を逸らして顔を俯かせたままだったアンナさんがハッとした様に顔を上げる。
ボソッと「どこが悪役令嬢なのよ⋯⋯」と呟くが、私が聞き取れなかったことで聞き返すと、「何でもないです」と首を左右に振った。
そしてどこか暗い表情のまま口を開く。
「ラシェルさん、次会う時はもう⋯⋯」
「え?」
「いえ、また会えるのを楽しみにしていますね」
⋯⋯どうしたのだろう。
何かを言おうとして止めたように見えたけど。
だが辛そうな顔は一瞬で、すぐにいつもの様な微笑みに戻ったアンナさんは「では、また」と言い、颯爽と私とは反対の道へと進んでいった。
どこか様子がおかしかった様に見えたけど、本当は私に何か伝えようとした?
だが、言うのを止めたことからも、アンナさんの中でも様々な葛藤のようなものがあるのかもしれない。
しかもあそこまで暗い顔のアンナさんは初めて。
教会で何かあったのか。それとも私が関係していることなのか。⋯⋯私に会うのが気まずい、とか?
⋯⋯相談、してみようかしら。
殿下にアンナさんのことを。
時を遡ったことは流石に言えない。
でもアンナさんの様子は、何かあるとしか考えられない気がする。
だとしても、私が分かることなど少ないし、どうすれば良いのかも分からない。
しばらくアンナさんの後ろ姿を見た後、私も自分の教室へと戻る為に踵を返して歩いていく。
そして教室でも聖女の話題で持ちきりだ。
毎日、朝から放課後まで今現在、聖女の話を聞かないことはないだろう。
「まさかあのキャロルさんが聖女とはね。
聖女って性格は適性項目に入らないのかしらね」
昼休みにアボットさんと食堂で昼食を取っていると、アボットさんは周囲を見遣る。そして「また聖女様の話題ばかりね」と若干トゲを感じる前置きの後、深い溜息と共に言った。
やはりアボットさんは、前にアンナさんとカフェに行った時から彼女の事を良く思っていない。
今回、聖女になったことも納得がいかない、とムスッとした表情で言っていたことを思い出す。
だがそれでも。
「アボットさん。聖女の批判に聞こえることは控えないと。ここには聖女信仰の強い方々も多いのだから、トラブルが起きた時に貴方が損をするわ」
私が宥めるように伝えた言葉に、アボットさんは渋々と言った様子で頷く。
「でもやっぱり⋯⋯聖女よ。
この国の者なら、聖女の話を小さい時から絵本で読み聞かせられているじゃない。だからとても崇高で謙虚で、慈愛に満ちた聖女像が私にはあったのよ。
⋯⋯それが」
アボットさんは苛立ちながらも、綺麗にナイフとフォークで肉を切り分け口に運ぶ。
アボットさんの言いたい事が分からない訳でも無い。
お伽話の人物は、幼い頃から夢描く理想の人物で憧れだ。アボットさんにとっては、その想いを誰よりも大切にしていたのだろう。
かと言って、アンナさんをもっと知れば誤解が解けるはず。何てことも私にはとても言えない。
前回の聖女であればそうだったのかもしれない。
誰もが思い描く、理想の聖女。
それが本物であれ、努力の上に作り上げた物であれ、彼女はまさに聖女であったから。
だとしても、今まさに聖女として生まれたばかりのアンナさんにすぐに落第点を付けるのも違うと思う。
何しろ精霊王が認めたのだから。
アンナさんが何を考えているかは分からないが、彼女をもっと知らなければ、彼女のしようとしていることも分からない。
「殿下に相談してみようと思っているの」
「何を?」
「アンナさんのこと。彼女からの言葉は私には分からないことが多いし、彼女が何をしようとしているかも分からない。⋯⋯だからこそ、一人で考えないで、伝えてみようと思って」
そう言うと、アボットさんは眉を下げて優し気な表情を見せる。
「えぇ、賛成よ。もっと早く言えば良いとも思ったけど貴方なりの葛藤があって、今を迎えた訳だものね。王太子殿下も、貴方が一人で悩むよりよっぽど安心だと思うわ」
「もちろん、私の頼もしい友達にも相談を続けたい所ではあるのだけど⋯⋯」
その言葉にアボットさんは、はにかんだように少し頬を赤らめながら笑った。
「当たり前よ! 私だって貴方の心配をしているもの」
その言葉にほんわかと胸が温かくなる。
このアボットさんと一緒にいる時の優しい時間が好き。友人と過ごす、この時間の大切さ。
これを教えてくれたのは全部アボットさんだわ。
そして、この後またアボットさんと他愛も無い話をして一日はあっという間に過ぎていった。
馬車で屋敷に帰ると、少しピリッとした空気を感じる。
どうかしたのだろうか、と広間を進むと。
「あぁ、ラシェル。おかえり」
「お父様! まぁ、こんなにも隈を作って」
「色々⋯⋯立て込んでいてね。
それより済まない。急ぎ王宮へと行く準備をして欲しい。サラには伝えてあるから、ドレスも準備してあると思うよ」
お父様の言葉に目を丸くする。
王宮? こんな急にどうしたと言うのだろう。
もしかして、殿下?
そう考えていると、お父様は私の考えなどお見通しだったのだろう。少し困ったように微笑み。
「すまないね。殿下ではないんだ」
「え?」
「ラシェルを呼ぶように言ったのは、陛下だ」
陛下?
想像もしていなかった人物に、体がピシッと固まるのを感じた。
殿下と婚約を結んでから二年。
陛下からの呼び出しなど初めてのことだった。





