3−43
『リュート・カルリアこそ、記憶操作の能力を持つ龍人だ』
皇帝が言った言葉を、頭が理解することを拒否する。
「まさか……だって、リュート様は……」
――テオドール様の記憶を取り戻す為に協力してくれた。それに、あの本だって……。
「そ、そうよ。皇帝の資料室にあった本。……龍人の能力に対抗する力があると。だから、私は……」
「まだ分からないのか? まず最初に、第一皇子は既に死んでいる。そして次に、ナナの記憶を消したのはリュートだ。そして最後に、リュートがお前に協力したように見せたのは全て演技だ」
「……演技……ですって?」
「そもそも、龍人の能力を打ち消すことは不可能だ。例外はないんだ」
ニヤリと笑った皇帝は、膝をついた私の顔を覗き込むようにその場にしゃがみ込む。
「あぁ、それと。資料室に本を用意したのは、この俺だ」
皇帝の言葉に、私は目を見開いた。
「お前が純魔石を自ら作るように仕向ける為の罠だ。時間ギリギリにお前が気づくように細工するのに苦労したが、ここまで完璧な純魔石を作ってくれたんだ。俺の苦労は報われたな」
――資料室に入ることが出来たのも、あの本を見つけたのも。そもそも、本自体が皇帝の準備した物だったなんて。
そんな……。
――どこからが嘘だったの? いつから私は騙されていた?
「……全てが嘘だった、ということ?」
ポツリと呟いた声は、声に出してみると恐怖が増す。全身が震え、サーッと血の気が失せる。
私はどこから間違えてしまったの。
呆然と力無くその場に両手をつく。手のひらに砂利が刺さる痛みを感じず、ズルズルと地面に倒れ込んだ。
絶望に染まる私と反対に、皇帝はその場に立ち上がると興奮したように目をギラギラさせた。
「あぁ、力が漲る……。これが精霊の力か」
両手を握り締め、揚々と天へと掲げた皇帝の身体を強大な魔力が覆う。皇帝の魔力に共鳴するように、胸に埋め込まれた魔石が光り輝く。
「そ、そんな……」
「始祖の言う通りだったな。どうやら本当に聖女の魔石により、俺は始祖と同じ力を手に入れることが可能になった。そして、それと共に煩わしい始祖も俺の中に完全に吸収されたようだ」
皇帝はふうっと息を吐くと、肩を回して一つ伸びをした。
「これで、俺こそが最強の龍となる」
――皇帝が始祖龍の力を取り戻した?
ガクガクと震えが止まらず、一気に寒気が襲う。
「……始祖の力をこの体が使いこなせるようになるには、面倒だがまだ時間が掛かるようだな。だが……グッウウウヌ!」
皇帝が胸の魔石に手を這わせて、魔力を込めながら地響きが鳴るほどの唸り声を上げる。すると、それに反応するように皇帝の背中がミシミシと音を鳴らした。
――ズザッ!
背を丸めながら何かに耐えるように体を震わせた皇帝の背中から、真っ黒い大きな翼が生えた。
突如現れたコウモリのような翼は、皇帝の立派な体格同様に大きく僅かに震わせただけで、強風を巻き起こす。
「この翼は便利そうだ」
目の前の光景に言葉を失う私に、皇帝は手を差し出した。
「さぁ、俺を最強にしてくれた運命の聖女よ。お前はこれからも、俺の為に働くが良い」
「な、何を……」
横たわる私を片手で掴んだ皇帝は、そのまま洞窟の入り口へと進んでいく。その手から逃れようと暴れるが、ガッチリと抱え込まれたその腕はピクリとも動かない。
「離して!」
「いや、それは出来ない。お前はこれから俺の妃として、この世界の終焉を共に見る必要がある。……俺を真の魔王として完成させたのは、ラシェル……お前だ」
絶句する私に、皇帝は満足気に笑みを深めた。
「始祖の話では、お前にはまだ価値がある」
洞窟の外に出た皇帝は、そのまま森全体が見下ろせる崖の際に立った。眼下には、青々とした緑がまるで海のように遠くまで続く。木々の隙間から流れる川が陽の光を浴びてキラリと光る。
森の中では異変を感じた動物たちの様々な鳴き声が響き渡り、鳥の群れが音をたてて遠くへと逃げて行く。
「完全体の龍になれば、もっと遠く、高く飛ぶことが出来るのだな。……さぁ、行くか」
その言葉を合図に、皇帝は大きな翼をゆっくりと動かし始めた。バサッバサッと大きな音を鳴らしはためかせる翼は、まるで竜巻でも起こすのではないかと思えるほどの風圧だ。
「や、やめて!」
皇帝は私を担いだまま、勢いよく崖から飛び降りた。
「きゃあ!」
――落ちる!
私はギュッと力強く瞼を閉じる。心臓がキュッと縮むのを感じたその直後、ブワッと一気に襲ってきた浮遊感に閉じた瞼を恐る恐る開けた。
「う、浮いている…・」
「あぁ。飛んでいるな」
皇帝が手を緩めれば、私は崖の下に真っ逆さまだろう。恐怖から体を強張らせる私に、「力を抜け」と皇帝は言った。
「やはり俺は龍なのだな。自分の思いのままに空を飛ぶことが、これほどまでに自由で開放感のあるものだとは」
まるで風と遊ぶように空中でくるりと回る皇帝は、子供のように目を輝かせた。
「どこへ向かっているのですか!」
「どこへ? あぁ、そうだな。このまま好き勝手に思いのままに飛んで行くのも悪くないのだろうな」
私の問いに、答えにもなっていない返事をする皇帝は、楽しそうに。それでもどこか切なげに目を細めた。
「精霊王の選んだ聖女だからか。お前の側は煩わしくないな。……俺がこの世界を壊すと決める前にお前に出会っていたのなら、もしかするとお前と二人でひっそりと過ごす未来を考えたのかもしれない」
まるで独り言のようにポツポツと呟いた皇帝の声はどこか寂しげに聞こえる。
だが、今言った彼の言葉が本心であれ、嘘であれ、そんなことはどうでも良い。
「あり得ません」
キッと睨みつけるように言う私に、皇帝はまるで自身を鼻で笑うように自嘲の笑みを浮かべた。
「あぁ、それは一生訪れることのない儚い夢だ。だが、そんならしくないことを考えるぐらいには、俺は随分とお前のことを気に入っているようだ」
皇帝はそう呟くと、それきり口を噤んだ。
どこに向かうのか、いつまで空を飛んでいなければいけないのか。その不安は遠くに見える皇城を捉えた瞬間に消えた。――このまま城に向かう気だったのか。
皇帝は皇城のどこかの部屋のバルコニーへと降り立つと、その場に私を降ろした。力が抜けてその場にへたり込む私の目の前で、バルコニーのガラス戸が勢いよく開かれた。
「陛下……陛下! そのお姿……成功されたのですね!」
現れたリュート様は、皇帝の背に生えた翼を見ると感激に声を震わせた。
――テオドール様の記憶を奪い……まるで味方のように振る舞い続けた人。
リュート様の顔を見れば、自然と怒りと悔しさに込み上げてくる想いが溢れ出る。だが、そんな私の視線に気がついていないのか、それとも興味がないのか。
リュート様は私をチラリとも見ることなく、眩しいものを見るような目でただ皇帝だけを一心に見つめた。
「リュート、ご苦労だったな。……ナナはどこだ」
リュート様の肩を叩いた皇帝は、バルコニーから部屋へと入っていく。
「……今日はまだ姿を見ていませんが。呼んできましょうか」
「いや、良い。あいつはもう用済みだ。今すぐ処分しろ」
「承知しました」
――処分? えっ?
彼らの会話の内容に、私は一瞬何を言っているのかと呆然とする。だが、すぐに我を取り戻し「何を仰るのですか!」と叫んだ。
「テオドール様を、今すぐ探さなければ……」
力の入らない身体を何とかして持ち上げようとする。立ち上がろうと両手を床に着くが、上手く力が入らず苦戦している私に、皇帝は踵を返して私の目の前にしゃがんだ。
「残念だが、それは無理な話だ。さっきも言っただろう? お前にはこれから俺の隣で、この世の終わりをゆっくりと楽しむという役割があると」
ニヤリと笑う皇帝に、私は反発するように睨み付けた。だが、その態度は余計に皇帝を楽しませたようで、皇帝は更に笑みを深めた。
そして、再び立ち上がると、今度はこちらを振り返ることなく部屋の中へと入って行く。
「さてと、まずは面倒な皇族の生き残りと貴族を消すか。いや、待てよ。……手っ取り早くこの城を取り壊す方が良いかもしれないな」
「城を壊す? 陛下、なぜそのようなことを」
リュート様は困惑しながらも、皇帝の後ろを着いて部屋へと入って行く。
「新たな世を作るのだ。こんな古い城、虫ケラ共と一緒に消してし待った方が楽だろう」
「なるほど! 陛下のお考えはいつだって素晴らしい。過去のトラティア帝国の栄光ではなく、アレク陛下が新たな始祖となり新しい国作りをなさるのですね」
期待に胸を膨らませた弾んだ声で、リュート様は感激したように頷いた。
「……そんなつもり……無いくせに」
――皇帝はトラティア帝国のための新しい国作りなどするつもりもない。ただ自分のために、破壊し尽くすつもりだ。
私の呟いた声に、皇帝はピタッと足を止めた。
振り返ったその目は、余計なことを言うなとでも言いたげだ。だが、すぐにニヤリと笑みを浮かべて私を指差した。
「あぁ、そうだ。お前の存在があったな」
「リュート様、あなたは騙されているのですよ。皇帝が考えているのは、トラティアの繁栄でも新たな国作りでもない。自分の欲のためよ!」
「……僕に騙されたから、僕と陛下の絆を壊そうと言うのですか? 浅はかですね」
私の必死の叫びは、リュート様には一切響かなかったようだ。皇帝はそんなリュート様に満足気に肩を叩いた。
「リュート、この女は真実を知って混乱しているのだろう。気にするな」
「えぇ、もちろんです。僕はアレク陛下の言葉に従うのみですから」
「それで良い。だが、この女をここに置いたままでは、城の取り壊しに巻き込まれる可能性があるのか。……どこか安全な場所に仕舞っておけ」
皇帝の言葉に、リュート様は「うーん」と顎に手を当ててしばし考え込む。
「……となると、元の部屋は無理ですね。今から僕の屋敷に移すのも時間が掛かりますし……とりあえずは、逃げる危険も死ぬ危険もない地下牢へご案内しますね」
私の目の前にしゃがみ込んだリュート様は、私と目線を合わせるとにっこりと微笑んだ。
「嫌! 私はあなたたちの言う通りになんてなるものですか!」
「そんな抵抗したところで、僕には無駄ですよ。僕の目を見てください。そう、ゆっくり深呼吸をしましょう」
リュート様のグレーの瞳と目が合うと、その瞬間から自分の意志とは関係なく視線を逸らすことが出来なくなる。
――声が、出ない!
抗議をしようとパクパクと口を動かすが、息が漏れるだけで一音も出ない。
「さぁ、着いて来てくださいね」
リュート様が私の顔の前でパチンと指を鳴らす。すると、それを合図に先ほどまで力の入らなかった身体が嘘のように、その場にスクッと立ち上がる。
そしてリュート様の指を追うように、私の足は勝手に動き出した。
――何で、どうして身体が言うことを聞かないの!
まるで自分の身体ではないよう。勝手に動き出した私の身体は、リュート様の後を従順について行った。





