3−15 マーガレット視点
長い長い夢を見た。
まるで、あの悪魔の数分から永遠の天国に来たような、そんな長い夢を。
「この記憶は……一体?」
目が覚めた私は、見知らぬ部屋のベッドで起きた。今まで私が生活していた部屋とは格が違う、絢爛豪華な調度品に囲まれた広い部屋。ベッドだって3人は軽く寝れるような広いベッド。
なぜここに寝かされていたのかは分からない。だが、長い夢から覚めた今、自分の置かれた状況が別の角度から見るるようになった。なぜなら。
「……これがゲーム世界に転生した、ということなのね」
夢の中で、私は違う誰かの目を通して、板の中の画面を永遠に見ていた。もしかしたら、その体の持ち主は、私の前世の姿、ということになるのかもしれない。
コントローラーというものを手にし、テレビという箱の画面に釘付けになる。時折、スマホと呼ぶ小さな箱で調べ物をしながら、何度も現れる選択肢をひとつひとつ選んでいく。
多数にあるルート、多数の登場人物。その中の主人公と呼ばれる少女が、時に幸福を手にし、時に友情を手にする。選択肢を間違えれば、不幸になることさえある。
だが、恋愛ゲームのバッドエンドと呼ばれるものでさえ、今の私の状況よりもマシな気がする。いつ殺されるか分からない恐怖に怯えなくて良いのだから。
「それにしても……無印と呼ばれる一作目も、続編も。明るくて優しくて、いつだって前向きな主人公が素敵だったな」
ゲームやアニメの主人公たちは、まさしく私の憧れだった。彼女たちの幸せは、間違いなく私に幸せと夢を見せてくれるのだった。
――死ぬ間際の走馬灯って本当にあるのね。自分の経験から、どうにか死を回避出来ないかと過去の記憶を遡るとどこかで見た気がするけど……まさか前世の記憶を取り戻すことになろうとは。しかも、前世の記憶といっても、この世界に関係すること以外は、全く思い出せないのだけど。
「……でも、この記憶は役に立つ。これで今すぐには殺されないはず……」
部屋を見渡すと、机の上に便箋とペンが置かれていた。私はベッドから降り、まだふらつく足で何とか椅子に座ると自分の記憶を整理する為に、この世界の状況とゲーム知識を書き出していった。
私が生まれ育ったトラティア帝国は、間違いなくゲームの中心。帝国に奪われた亡国の姫である主人公が、帝国の皇族や貴族と関わり合いながら、悪役皇帝を倒し、祖国を取り戻して平和な国を作り上げる物語だ。
――だが、問題が一つある。ゲームの開始まで、あと二十年という長い月日が経過しなければならない。なぜなら、このゲームは、あいつの……私を殺そうとした兄が、結婚して生まれた子供の世界。兄の息子がメインヒーローの物語なのだから。もちろん、主人公である亡国の姫も生まれてなければ、兄が戦争を仕掛け奪うはずの主人公の祖国も未だ存在する。
「どうせこの時代に生まれるのなら、無印が良かった……」
トラティア帝国が舞台になるのはゲームの二作目。つまりは続編。今は一作目である、ここから遠くの平和で美しい国、精霊が住まうデュトワ国が物語の舞台だ。
どうせ転生するのであれば、デュトワ国に生まれさせてくれれば良いのに。こんな救いのない狂人が支配する国で、物語の開始前に、ゲームに存在もしないようなモブにさえなれない皇女に生まれるだなんて。
神様なんて、私は信じない。
だって、そんな存在がいたのなら、なぜ私をこんな恐ろしい国に誕生させたのだと胸ぐらを掴んでやりたくなる。
♢
前世の記憶を思い出し、自分が今後どうするべきかと悩んでいた私の元に、ある人物が現れた。
「君が第七皇女だね」
「あなたは……確か、お兄様の隣にいた……」
柔らかなミルクティーベージュの髪に、蠱惑的なグレーの瞳。あの日、私が殺されそうになった時に、兄の隣にいた人物に違いない。
警戒心を露わにする私に、目の前の彼は優しく目を細めた。
「僕はリュート。君の従兄だよ」
リュート……。確か、前皇帝である父の弟である大公の息子だ。幼少期からその美貌と優れた能力で、その名を知らぬ者はいないと聞く。確か昨年から兄に能力を買われて、十四歳という年齢ながら皇帝の補佐役として、兄と共に戦場に出ている人だ。
――こんな優しそうで美しい人でさえ戦場に出なければならないなんて……。
「君は賭けに勝ったんだよ」
「賭け? そんなもの……した記憶もないわ」
「いや、君は賭けを持ちかけたはずだ。君の命をかけた賭けを」
その一言で、思い出した。――ドラゴンの心臓。ゲーム知識を思い出していなかったあの時、咄嗟にその在処を口走った。
「見つかったの?」
「あぁ、西のはずれの洞窟に」
「……そう」
あれを手にするのは、本来であれば亡国の姫である主人公のはずだ。悪役皇帝であるアレク皇帝――つまりは、私の兄を倒すための手段として。
――自分の命がかかっていたとはいえ、沢山の人の命を奪った。そして、私の唯一の味方である乳母の命を奪った悪役皇帝があの至宝を手にする機会を与えてしまったなんて……。
「あれ、嬉しそうじゃないね? 殺されずに済んだんだから、もっと喜ぶかと思った」
――喜ぶ? 私が?
「どっちが幸せなんて、もう分からない。こんなにも毎日怖い思いをするなら、いっそあの時、この命を終わらせて新しい世界に生まれ直した方が、この国にとって良かったのかもしれない」
ドラゴンの心臓を主人公が手に入れて、将来的に乳母の仇を取ってくれるのなら。物語に全く関係のない、こんなちっぽけな私が、命を惜しんだばかりに、この国の悪夢を長引かせてしまう可能性だってあるんだ。そう思うと、どっと後悔が押し寄せる。
「ふふっ、本当に面白い子だね。陛下の言う通りだ」
何が面白いのだろうか。口元に手を当てて上品にクスクスと笑うリュートに、私はげんなりとした。
「君の能力は予知、だね。龍人の血の中でも相当珍しい能力だ」
――予知ですって? そんなはずはない。何故なら、私の持つゲーム知識は走馬灯の一種なはず。現に、能力が開花すれば本人にしか見えないアザが手の甲に出るというそれが、私にはないのだから。
だが、リュートも兄も、誰もが知りようもないドラゴンの心臓の在処を告げた私。2人は、私の能力が開花したと信じたようだ。
――この見当違いの嘘がバレたら、私は間違いなく殺される。
だが、これは私にとっては都合の良い勘違いだった。予知という能力を私が持つと兄が信じているのであれば、兄にとって私は重要な駒になり得た、ということなのだから。
「きっと陛下の役に立てるよ。陛下だって、君のことを大事にしている」
「大事になんて……」
「ここ、実は僕の家なんだ。陛下は、この国で一番危険な場所は皇城だと常々言っているよ。そんな場所じゃなく、君が安心して過ごせる、我が大公家に君を任せたいと命じたんだ」
「あの場所から出られたのなら、私はそれで十分よ」
「そうだよね。君はまだ小さく弱い。守ってくれる誰かがいなければ、あの魔の巣窟では生きていくのは難しいだろう。だから、今日から僕が君を守ってあげる」
「あなたが?」
「あぁ。今日から僕が君のお兄さんになるよ」
♢
大公家での暮らしは想像以上に快適だった。使用人たちは、皇城とは違い表情がある。リュートの両親も私のことを本当の子供のように慈しんでくれる。そしてリュート自身もまた、彼が以前そう言ったように、本当に兄として振る舞った。
リュートやこの家の人間たちは、どこまで私を許してくれるだろうかと、何度も彼らを試した。洋服が欲しい、こんなご飯食べたくない、とわがままを言っては困らせ、時には屋敷のどこかに隠れて皆が私を探すのをこっそりと眺めた。
そんな私に、彼らは私のわがままを嗜めながらも、関わることをやめなかった。
大公家にいる間は、私にとって少しの安らぎにはなった。だが、月に一度連れて行かれる皇城で兄に面会し、予知を披露する時間だけは苦痛に満ちていた。
兄を目の前にすると、いつだって自分の中の龍人の血が騒ぎ出す。兄に恐怖する感情と同じぐらい、兄を憎悪している。
――この人がいるから、私はいつだって苦しんでいる。この人を一刻も早く消さなければ。そう、誰かが自分に囁き続けるんだ。
だが、どう考えても私が兄に敵うはずがない。なんといっても、若き皇帝は始祖龍の生まれ変わりと持て囃される程の力を有するのだから。
だから、彼を倒すには物語通り、亡国の姫と兄の息子であるメインヒーローの登場を待つしかない。特にメインヒーローは、始祖龍の生まれ変わりという父の血と、精霊国出身の膨大な魔力を持つ、悪女と呼ばれた母の能力を持って生まれる。
兄を倒せるのは、まだ姿形もない未来のヒーローだけ。それまでは、出来るだけ穏便に、被害を最小限にする以外ない。
けれど、それには一つだけ問題があった。それは、兄の結婚相手の存在だった。彼女が登場し、兄と出会わない限り、メインヒーローは生まれない。
――兄の結婚相手は、無印の悪役令嬢……ラシェル・マルセルだ。
力のない私には、彼女を探す術を持たない。であれば、力のある人に探させれば良いだけ。
「俺に、運命の相手がいる、だと?」
「は、はい」
月に一度の面会時、私は予知と称して兄に『お兄様には、運命の女性がいるようです』と告げた。だが、兄の反応は今ひとつ。私が勇気を出して言った言葉に興味を持つことはせず、書類の束から顔をあげることさえなかった。
「面白い戯言だ。一体、お前の頭の中はどうなっているのだろうな」
「嘘ではありません」
必死に言い募る私に、兄は不審そうに顔を上げた。眼光の鋭い眼差しに、私の肩は跳ねる。――まずい、必死なあまり、怪しまれる言動になってしまったかもしれない。
だが、冷や汗を流す私を他所に、兄は珍しく機嫌が良さそうに口の端を上げた。
「で、そんな酔狂な女はどこにいるんだ。お前が本当のことを言っているのか、嘘をついているのか。それはどうでも良い。……だが、実際にいるのであれば、この目で見てみたいものだ」
内心ほっと胸を撫で下ろす。だが、ここで選択肢を間違えてはいけない。まずは、悪役令嬢ラシェルがちゃんと存在しているか。彼女の情報を兄が調べようと思えるように、誘導しなくては。
「……遠く離れた精霊の国に」
「あぁ、大陸の外れか。デュトワ国だかオルタ国だかっていう小国だな」
兄は机の引き出しから地図を取り出すと、机いっぱいに広げた。そしてトラティア帝国からデュトワ国という1万キロは離れていそうな距離を確認すると、「遠いな」と考え込むように呟いた。
「だが、妹の頼みとあらば、次に攻め入るのはその国にするか」
兄の言葉に、私は愕然とした。
攻め入る? デュトワ国を? 前世の知識を思い出してから、ずっと憧れて何度も何度も夢に見て思い描いてきたあの美しい場所を?
「……は? デュトワ国を潰すつもりですか?」
「その国に俺の運命がいるのだろう? 攫ってくるにはそれが一番手っ取り早い」
ニヤリと笑うその顔は、ただ純粋に狩りを楽しむ顔だった。
まさかここまでの興味が引けるだなんて想像もしていなかった。どうすれば良い。この国を、兄を潰すことは考えていても、デュトワ国を地図から消すつもりなんて一切なかったのに。
だが、フッと誰かの微笑む息の音が、部屋の空気を変えた。
「陛下、あまりに現実的ではありませんね」
部屋の隅に控えていたリュートの言葉に、兄は「ほう」と眉を上げた。
「西のはずれの国に辿り着くまでどれほどの国を滅ぼす必要があるとお思いですか? それに、長い期間も陛下が国を空けるのは良くありません。未だ国内が完全に落ち着いてはいないのですから、その隙に玉座を狙う輩は多数いますよ」
「リュート、分かってるさ。冗談だ」
――じょ、冗談だったの。この人の冗談なんて、私には分からない。全く面白くもない冗談。
思わずその場にへたり込みそうになるのを、なんとか持ち堪える。だが、「そういえば」と前置きするリュートの次の一言で、また私の心臓はバクバクと動き始めることになる。
「これは最近仕入れた情報ですが……。デュトワ国では国営の教育機関で、来年度から留学生を受け入れるそうです」
「よく知っているな」
「マーガレットから、陛下の運命とやらの話は聞いておりましたから。事前に調べておきました」
兄に伝える前に、ラシェルの情報をリュートに伝えていたが、まさかリュートが動いてくれるなんて考えもしなかった。
「僕とマーガレットが様子を見てきましょうか? 本当に陛下の運命がいるのかどうか」
「好きにしたら良い。どうせ、俺が興味を持つような相手ではないだろうからな」
机に肘をつき、手のひらに頬を乗せた兄は、目を瞑りながら空いた手をヒラヒラとさせて自分が関与しないと意思表示した。
だが、私の頭の中はただただ混乱していた。今、何が起きているのか、自分が正確に理解出来ているのか不安でしかなかった。
――私が……デュトワ国に留学? それって……。
「……デュトワ国に行けるの?」
「向こうが受け入れたらね。……まぁ、受け入れざるを得ないとは思うけどね」
グレーの冷え冷えとしたリュートの瞳が怪しく煌めくのを、私はその時一切気がつくことが出来なかった。
自分の思い描いていた美しい世界を実際にこの目で見ることが出来る。まるで夢のような話に、私の胸はときめきでいっぱいだった。





