2‐53 もう一人のルイ視点
自室のドアを開けると、ソファーに優雅に座る人物が目に飛び込む。
『おかえり、王子様』
「……闇の精霊王」
今日一日ラシェルと腹を割って話したことで、どこかすっきりとした気分になっていたが、彼の登場に一気にどんよりとした気分へと一変する。
だが、闇の精霊王はそんな私の心境などお構いなしに、全てを見透かすような瞳をこちらへと向けてくる。
『気がついているんだろう? 今日がその日だったということに』
精霊王の言葉に、ドクンドクンと心臓が早くなり、冷や汗が流れる。
――やはり、精霊王にはお見通しだったのか。
だが、すぐに返答をしない私に、精霊王は不思議そうにこちらを見た。
『お前が望むのならば、今すぐ元の世界に戻れる。だというのに、お前は今ここにいる。それは何故?』
昨夜の睡眠中、嫌な予感に飛び起きた。時刻を確認すると、ちょうど日付を跨いだところだった。
――呼ばれている。きっとこのまま再び目を閉じれば、元の世界に戻れる。
それは疑惑ではなく、確信だった。早く戻る為に足掻いているというのに、いざその時がやってくると、何故か無性に拒否したい気持ちが芽生えてしまった。
このまま戻ってしまえば、永遠に何かを失ってしまうのではないか。そんな恐怖と不安に、私は自分に呼び掛ける声を意図的に聞こえないように意識を逸らした。
今も意識をすれば、必死に頭の奥でドアを叩くような音が鳴り響く。
分かっている。この体の主が戻りたがっていることも。ラシェルが待ち望んでいることも。
「あと一日……あと一日だけでいい」
『何故? あと一日ここに残ったところで、何も変わることなどない』
変わることはない、か。確かにそうだろう。
変わっていくのは私が持つラシェルへの見方。そして彼女への形容し難い想いだけだ。もっと知りたい。話したい。そんなことを感じているのも自分だけだと知っている。
まるで、ひとり取り残されていくようだ。
確かにあと一日この地に留まった所で、何かを変える力は持っていないし、自分のラシェルに対しての気持ちが、明確になり、例えば愛や恋、ましてや執着などという名を持つこともないだろう。
けれど、あと一日。それを自分から手放すことは出来ない。
なぜならば。
「……約束をしたんだ」
――ラシェルと。明日も話をすると。
『彼女の望みは、元の世界の王子様が戻って来ることだ』
「……そんなこと、分かっていますよ。私が一番、それを知っている」
彼女が私を通して誰を見ているかも知っている。
「だから、あと少しで良い。もう少しだけ……」
ラシェルの顔を見て、彼女の声を聞き、彼女の名を呼んでみたい。
『俺としては、王子様が入れ替わったままでも別にいいし、光のおっさんにチクチク言われるだろうけど、そこまで干渉しないとは思うんだ』
精霊王は私をチラッと見ると、ため息を吐きながら頭を乱雑に掻いた。
『けど、一応ゲームはクリアってことで認めてやらないといけないんだよな。あー、どうすっかな。うーん、王子様が帰ることを嫌がるなんて想定外だったんだよな』
「戻らないとは……言っていません」
頭ではちゃんと自分の状況も、周囲の考えや気持ちも理解している。だからこそ、ここまで自分都合で自我を通そうとしている現状に、自分自身が驚くほどだ。
戸惑っているのは、私自身なんだ。
私が元の世界に戻ることで全てが丸く収まると分かっていて尚、どうにか足掻こうとしている。
『うーん。大分人間のことを分かってきた気がするけど、やっぱり人間っていうのは難しいな。こうなったのは俺のせいではあるけど、まさかどっちもメイン軸の世界にこだわるとはなぁ』
精霊王は困ったように頬に人差し指を突き刺しながら考え込んだ。だが、すぐに面倒臭そうに息を吐く。
『あー、じゃあさ。お前たち2人で話し合えばよくないか? ……そっか! その手があったな!』
「は? それはどういう……」
2人とは誰と誰を指すのか。それを尋ねようとした私の言葉など聞こえていないかのように、精霊王は揚々と笑みを浮かべると、指をパチンと鳴らした。
すると、一瞬で別の部屋へと移動したように、自分が立っているその場所が真っ白い空間へと変化した。
――ここはどこだ! 確かに今、与えられた自室にいたはずなのに……目の前にソファーもなければ、そこに座っていた精霊王自身もいない。
だだっ広い真っ白な空間には窓もなければ、ドアもない。途方もない程、白い空間が広がるだけだ。
その時、ドスンと大きな物が落ちたような音に、振り返る。
すると、そこには尻餅をつきながら目を丸くして茫然とした姿の――自分がいた。そう、目の前にいるのは紛れもなく自分。
「……私が……2人? 鏡……ではない、よな」





